謝罪と隠し事
「帰って、って言ったでしょう?」
よくもまぁ、あの足で私を追ってきたものだ。どこまでも私の気持ちを無視するというのか。
「それでも、話さないといけない。このまま帰るわけには、いかない」
シンの言葉には、強い芯があるように感じた。何かを伝えなければならないという強い意志を感じた。でも……。
「それは、今でなければならないの……?」
「うん」
返ってきたのは短い肯定。
大きなため息を漏らす。ため息なんて吐いたのはいつぶりだろうか。
彼はこうなれば、何があっても私の部屋の前から離れないことは、わかっている。彼はそういう男性なのだ。
「……わかったわ、ロセ、通してあげて。あと、お茶をお願い」
「かしこまりました、お嬢様」
部屋に客人を招き入れるのであれば、それなりのもてなしは必要だ。たとえ私が相手にどんな感情を抱いていても。
「じゃあ、入るよ? リア」
彼は入ってくる。その足取りは、いつもよりも頼りなく見える。
最初に会ったあの日の彼を見ているようだった。
窓際のテーブルに備え付けた一対の椅子へ彼を促す。
私はその対面へと座った。
「それで、話したい事というのは?」
少し声に刺々しさを孕んだ呼びかけ。抑えようと務めたつもりだったが、どうしても漏れ出てしまうものはある。
「リア、少し言い訳をさせてほしい。きっと君に誤解をさせてしまっているから」
「誤解? 私の考えがわかるの? そんなに言葉を交わした記憶はないけれど」
シンは、ぐっ、と喉の奥を苦し気に鳴らす。表情も苦々しい。だけれど彼は続ける。
「まず、僕が君との約束を反故にしてしまったことを、謝らせてほしい。申し訳なかった」
彼は、勢いよく立ち上がり腰を直角に折る。机に頭をぶつけてしまいそうだ。
「私がどれだけ貴方の叙勲を楽しみにしていたか、知らなかったわけではないでしょう? どうしてあんなことを」
せめてもの口撃。どうやっても棘は無くならなさそうなので、もう諦めた。
「理由は……今は言えない」
「どうして? どうして言えないの? 何かやましいことでもあるの?」
「やましいことなんて一つもない。それでも君には……君だけには言うことができない」
彼は、私にだけはと言った。こうなった時のシンは引き下がらない。それは、これまでの経験からわかること。
思わず、口から諦めのため息がこぼれた。
「何か理由があることは分かった。もう聞かない。たぶん、どれだけ聞いても話してくれないでしょ?」
「ああ……でも、これだけは分かっていてほしい。僕は君を裏切ることはない。決して」
「それを、どう信じればいいの? シン、貴方の何を信じればいいの?」
彼は言った。まっすぐに私の目を、その奥を見つめながら。
「──僕と君の、これまでを」
一呼吸おいてから、彼は続ける。
「僕が信じられないなら、僕たちが積み上げてきたものを信じてほしい」
ずるい。そんなことを言われれば信じないわけにはいかない。
私は、彼と積み上げたこれまでだけは否定できないのだから。
彼とのこれまでは、私のあこがれだった。彼のあこがれでもあった。
私は、『お姫様』になること、彼は強い騎士になることに、憧れた。目標は違えど、見つめる未来は同じ。
はぁ、とため息一つ。
「……わかった。私と貴方のこれまでに免じて許してあげる。『今は』っていうことは、いつか話してくれる日が来るのよね?」
「必ず、話さなきゃいけない日が来る。だから、その日まで、待っていてほしい」
「絶対だからね? 言質取ったんだからね」
目に涙まで浮かんできた。なんだか感情の制御がうまくできていない。初めて会った五年前の、あの日のほうがよっぽど大人びていた。
私の目の前に座している彼も、毒気を抜かれたようで、すこし表情が柔らかくなった。そして……
「はい。言質とられました」
そんなことを言って、彼はふわりと笑うのだった。
部屋のドアが開く音。入ってきたのはロセ、手にはポットと二組のティーセット。
「お話はできましたか?」
彼女は手際よくお茶の用意をしてゆく。
「とりあえず、誤解は解けました」
「それは何よりでございます。それはそれとして、──シン様、お嬢様が泣いていらっしゃるようですが、何か申し開きは?」
凍えるような声音。私に言っている訳ではないのに、縮こまってしまう。
「ええと……これは」
シンが言いよどむその様子が、なんだかおかしくって、
「ふふっ」
思わず笑顔になってしまった。
「あはははっ」
一度笑い始めれば、もう止まらなくなって、止められなくなって、はしたなく声を上げて笑ってしまった。
「お、お嬢様?」
さっきまでの冷たい声音はどこへやら、戸惑いの籠った声。
「リア、どうしたの?」
「だって、シンが……シンが、あははっ。 ごめん、ロセ、水をもらってもいい?」
「どうぞ」
二人の驚きの視線を浴びながら、ロセが差しだしたグラスを受け取り、水を飲み干す。ふぅ、と一息。
「……ごめんなさい。なんだかシンの戸惑う顔を見ていると面白くって」
「泣き止んでくれたなら、何より。笑われた甲斐がある」
「何それ。……それで、延期するのはわかったんだけど、いつにするの? 叙勲」
「一年だけ待ってほしい。一年、それ以上はない」
「来年まで待てばいいのね。信じるわ、私と貴方の、これまでを」
シンが言ったのだから、私たちが積み上げたこれまでを信じればいいと。同じ憧れを追いかけて、努力した日々を、すなわち、自分の憧れを信じればいいと。
「シン様は罪な男でございますね。一国の姫を一年も待たせるだなんて」
ロセは薄い笑みを浮かべながら言う。先ほどの笑顔とは違う、安堵のこもった表情。
「ホントよ。五年も待ったのにまだ一年待ってくれなんて言われた、私の気持ちを考えてよね」
「……本当に申し訳ない」
「それで、来月に私は学校へ入学するわけだけれど、それはどうするつもりなの?」
メルクーリ王国の国民名はみな、十六歳になる年に学校へ入学する。簡単な適正審査の末に、貴族平民の身分に関係なくクラス分けがなされ、屋根を共にし、机を並べて学ぶことになる。
在学期間は二年。
その間、私は学校の寮で暮らすこととなる。防犯上の観点から、私には騎士の帯同が認められており、シンがその騎士となる予定だった。
「予定通りに僕が君の傍付きを務める予定をしている」
「そう、なら安心ね。王国最強のシン・タキトゥス以上に頼もしい騎士様なんていないもの。ね? 私の英雄様?」
「やめてくれ、リア。僕はそんな大層なものじゃないよ。それに……」
シンは私を見ていた。だけれどその目は私ではない何かを見ているようだった。そして、ひどく思い詰めているような表情になる。まるで、守れなかった何かを思うような……
「それに?」
「いいや、何でもない」
「そう? 何かあったら私に言ってね。シン、すごく怖い顔してた」
きっとこんなこと言っても彼は自分で抱え込んでしまうんだろうけど。
それにきっと、さっきの発言が、私に言えない『理由』に関わっている。直感だけれど、そう思った。彼の言葉を借りるなら『私だけには』言えない問題なのだろう。
「……うん。何かあったらリアに話すよ、真っ先に」
そういう彼の目線は、決して私の目線とは交わらなかった。
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