叙勲と開戦
それは災害。それは破壊。それは殺戮。
一目見ただけで、いや、見る前からすでに危険なものだと分かった。
人間には御しきれないものだと分かった。
天災が姿を持ったのならきっとああいう形をしているのだろう。
現れたが最後、天に身を任せて自らの無事を祈るしかない、そういう存在だと、本能がそう訴えかけている。
「……」
いつもなら日が昇っているであろう時間、だけど太陽は分厚い雲の向こうにいる。
城壁の上から見渡す王都の周囲も薄暗くて、だけれどその中でより一層暗いところがあった。夜の闇をそのまま凝縮したかのような黒。四足の足で地面を抉り、背から生やした大きな翼で暴風を巻き起こす。
隣に立つ私の騎士の黒は、どこか温かみがあるように感じたが、目の前のそれはそんなものを一切持ち合わせてはいなかった。ただただ冷たい漆黒。
王都に向かってゆっくりと歩を進める黒龍を前に、シンは押し黙っていた。
表情は険しく、視線はただ一点に注がれている。
「シン」
「……」
呼びかける声はどうやら彼の耳には届いていないようで、思いつめた表情をしたままただ眼前の敵だけを見つめていた。
「シンっ!」
「……! ごめん、考え事……してた」
きっと考えているのは『彼が経験した未来』のこと。
未来の敗北を思い出し、彼の表情に影が差している。
「大丈夫、私はここに居るわ。負けることなんて考えないで。あなたが守ってくれるんでしょう」
「そう……だね。僕が君を守る。そのためにここに居る」
「なら、そんな暗い顔しないで。私の騎士様はいつだって格好いいんだから」
小さく笑ってシンは口を開いた。
「無茶を言うね。……だけど、お姫様のご要望とあらば応えないとね」
深呼吸をひとつ。改めて、迫りくる黒龍へと目を向ける。
その表情は、光を通さぬ空とは対照的に、晴れやかなものになっていた。
「よろしい。それでこそ私の騎士ね。負けなんて知らない、誰よりも強い私だけの騎士様」
「そう、僕は君の騎士。君を守るためなら誰にだって勝てる。ヒューギルスにだって勝って見せる。もちろん、アイツにだって」
私に対しての言葉というよりは自分に言い聞かせる言葉。自らを奮い立たせて戦地へと駆り立てる呪文。それを口にしながら、彼は仇を見る眼差しで眼下の黒龍を睥睨する。
戦端が開かれるまで一刻程だろうか、黒龍は余裕をも感じさせるようなゆっくりとした歩みで、王都への距離を少しずつ、しかし着実に縮めている。
「……じゃあ、始めようか」
「まさか待ちに待った叙勲を、こんなところですることになるとは思ってもみなかったわ」
「嫌だった?」
「いいえ? 好きよ、ここは。見晴らしがいいし。お天気が悪いのが少し残念だけれどね」
「晴れるさ」
「ええ、期待しているわよ?」
お互いに軽口を叩きあいながら、向き合う。腰に儀礼用の直剣がしっかりと下がっていることを確認して、シンの方へと向き直る。
私の用意ができたことを確認すると、シンは言葉の通りに襟を正して、頭を垂れた。
大きく息を吸って深呼吸。待ちに待った大一番なのだ、二人だけしかいないこの場だが、格好よく締めたいというもの。
「メルクーリ王国が王女、アフィリアが問う。騎士シン・タキトゥス、其方は近衛の騎士として、いついかなる時も主君に偽ることなく、主君を第一に行動することを誓うか?」
「誓います」
光が満ちてゆく。
「いついかなる時も、礼を忘れず、博愛を忘れず、民の規範となることを誓うか?」
「誓います」
暗闇の中、ただ一点の光。春の陽気のようなその温かさに包まれながら、私とシン、二人だけの儀式は続く。
「病める時も健やかなるときも、いついかなる時でも、主君を守り抜き、永久の愛と忠誠を捧げることを誓うか?」
「誓います」
はっきりとした口調で、シンは返事をする。
そこに迷いはなく、あるのはまっすぐな意思だけ。
「ここに誓いは立てられた」
腰に携えた剣に手をかける。
引き抜き、その腹をシンの右肩へとあてがう。
光は一点へと収束する。
私の手にある剣へ、そしてそれを伝いシンへと。
そのまま、シンの左肩へと同様に剣の腹をあてがう。
「汝、シン・タキトゥスを私、アフィリア・メルクーリの近衛騎士に任命します」
「拝命いたしました。この命に代えても、殿下を守り抜くことを誓います」
輝きはシンの中へ、吸い込まれるように消えてゆく。
シンは私の手を取り、手の甲へとキスをする。
これで儀式は完了、シンは名実ともに私の、私だけの騎士になった。
「よろしくね? シン」
「こちらこそよろしく、リア。ありがとう、僕に君をもう一度守らせてくれて、もう一度機会をくれて」
「それは、未来の私にお礼を言ってちょうだい」
「うん、ありがとう」
彼が浮かべたその笑みは、言葉は、ここにはいない私に向けたものだろう。
「何か変わった?」
「うん。リアの魔力が、僕の中にみなぎってくるのが分かる」
「そう、なら準備をしましょう」
やっと叙勲ができたのだという感慨はある。だけど、心は冷静に、これからすべきことだけを見据える。
喜ぶのはすべてが終わった後でも遅くはない。感慨は晴天の下の方がよく映えるのだ。
「うん。行こう」
私たちは、未来を左右する一歩を踏み出した。
× × ×
足音が聞こえる。地鳴りのような、腹の底から揺さぶられるような重い音が。
町を取り囲む堅牢な防壁、その中にいる私たちにまでその音は届いていた。
壁の中の一室、その中には戦を前にした兵士たちが集まっていた。
もう、すぐそばまで迫っている。
もう、間もなく戦いが始まる。
部屋にいるのは兵士たち、役割は遠距離からの魔法攻撃、あるいは砲撃。
比較的安全な立ち位置ではある、しかし迫りくる黒龍の足音は、彼らの心を挫こうとしていた。
だから、私は立ち上がった。
「皆さんが今背にしている王都の中には、誰が居るでしょう? 皆さんは何を守るためにここに立っているでしょう? 恋人でしょうか、家族でしょうか。それともご自分の生活のためでしょうか。怖いでしょう、恐ろしいでしょう。私たちを待ち受ける敵は強大です。無理もありません。ですので、私にも背負わせてください。皆さんの守りたいものを、私にも守らせてください。それが王女としての務めです、喜びです。民の幸せこそが王女たる私の幸せなのです。ですから、力を貸してください。」
拙い言葉だ。もっと良い言葉があるだろう。
だけど、今の私に伝えられることは伝えた。
しばらくして、返ってきたのは威勢のいい喝采ではなく、控えめな拍手。
「──皆様のお給金を増やすように、お父様に掛け合ってみますね」
──喝采が巻き起こった
× × ×
咆哮が辺り一帯に響き渡る。それは、私たちに対しての威嚇なのだろうか。
指向性を持った音の波は、衝撃を伴って王都へと響き渡る。窓が震え、塵が舞う。ただの咆哮一つで、人々の心を揺さぶるには充分だった。
一歩、一歩と私たちの元へとにじり寄ってくる。壁に据え付けられた砲門が、魔法師たちの杖の先が、黒龍へと向けられ、開戦を今か今かと待っている。
一歩、また一歩、彼我の距離は縮まってゆく。
「まだだ……」
指揮官の声、射程圏内ギリギリを狙って限界まで黒龍を引き付ける。
「まだ……」
一歩、さらに黒龍が近づく。
「撃てぇぇぇ!」
轟音、続いて閃光。
王都へとにじり寄っていた黒龍の体は、魔法と砲弾によって作り出された白煙の中へと消えていった。
「やったか……?」
指揮官の呟きが硝煙の匂いに乗って私の耳に届いた。
「まだです! 急ぎ兵を退却させてください! これ以上ここに居ても危険なだけです、後は僕に任せてください」
シンは、鬼気迫る表情で叫んだ。
直後、咆哮と共に白煙は霧散した。
姿を現したのは、先ほどと変わらない見た目をした黒龍。
「早くッ!」
「退却っ! あとは……お願いします」
兵たちは城壁の内へと駆けてゆく。
この後は避難所へ退避し、国民たちの避難誘導と混乱への対処へ回ってもらう手はずだ」
「じゃあ……行ってくる」
「待ってるわよ、シン」
「うん。ミハイル、リアを頼んだ」
そう言うと、シンは城壁の外へと飛び降りた。
「アフィリア嬢、ここは危険だ。後ろへ下がってください」
「いいえ、私には彼を見守る義務があります」
眼下の小さな黒い影は着地と同時に疾駆、黒龍との距離を急速に縮めていった。
「っ! シン!」
迎え撃つ黒龍の喉が赤熱、放たれたのは真っ赤な熱線。
シンの小さな影は、炎の中へと消えていった。
お読みいただきありがとうございます!
というわけで、ついに始まりました最終決戦。
そして、私の更新がごとく先延ばしにされていた叙勲もできて、アフィリアちゃんはうれしさ半分、不安半分というところでしょうか。
様式美を交えつつ、テンポを崩すギャグを入れつつで、いろいろな要素が詰まった第二十九話になりました。
アフィリアちゃんが城壁の上から、シンと黒龍との戦闘を見守っているわけですが、つまるところ俯瞰の戦闘描写でございまして、これで臨場感を出すのがなかなかに難しい。
次話の描写をどうしようかと頭を悩ませながら、このあとがきを書いている小白水です。
今回のお話に関しても、少しこれまでと地の文は打って変わって、緊張感を演出したつもりでございます。伝わっていれば幸い、伝わらなければ私の実力不足にございます。
果たして炎に飲み込まれたシンは無事なのか!? ソフィアがアフィリアに授けた秘策とは!?
全く出てこないヨハンの行方は!? いろんなことに思いをはせながら、ぜひご期待いただければと思います。
ちなみにヨハン君は避難誘導に協力してくれています。
というのも、ただの平民の学生に何ができるねんというお話でして、それでも彼は協力してくれます。そういうヤツです。
叙勲のセリフを結婚式風にしたかったので、彼に牧師/神父役をやってもらおうかとも思ったのですが、(こういうのは二人きりの方がロマンチックで良くねぇか……)という作者の思いにより、壁内へ退避いただきました。
本文にて言及がないのはテンポだったり、緊張感だったりを鑑みてのことです。
(あと、アルケー卿の一件で彼は雑に扱ってもよくなったので、というのも少しあります。)
とまぁ、そんな感じでお送りした第二十九話、『叙勲と開戦』でございました。
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終幕まであと少し、ぜひお付き合いください。
小白水でした。