これ以上ない差し入れ
一読して、沸々と笑いが込み上げてきた。
「これ、ほんとうにリサが書いたんですか?」
「はい。人工知能って、すごいですね」
リュックサックにぶら下がったキーホルダーと化したLiSAは、ぷらん、ぷらんと揺れて、高みの見物を決め込んでいた。
いつぞやのミラージュホテルで藤岡春斗は「小説家とは嘘吐きな生き物」だと語った。だから、この小説が果たして一から百まで、人工知能によって書かれたものであるのかは疑わしい。少なからず春斗が手直ししているのだろうが、LiSAが見聞きした映像や記憶を下敷きにしていることだけは明白だった。
「裁判の役には立たないと思いますけど、世間の印象は変わるかなと思います。ぼくが役に立てるのはこれぐらいしかないですけど」
春斗は宙に揺れる背部を優しく撫でながら、申し訳なさそうに頭を下げた。
「いえ、嬉しいです。リサも本望だと思います」
「そうだと良いんですけど」
どうにもLiSAは喜びのあまり言葉を忘れているのではなく、不貞腐れて喋らないでいるらしい。ようやくLiSAの目がきょろりと動き、在沢と視線を交わした。
《どうしたの、有意。元気ない》
「あるわけないじゃん」
在沢はへらりと笑って見せたが、LiSAはくすりとも笑わない。
《今度置いてったら、もう口きいてやらないって言ったよね》
シリコン製の優秀な頭脳は、在沢が嘔吐したせいで食堂に置き去りにされたことをいまだに根に持っていたらしい。
「リサぁ……」
在沢が涙ながらに両手を合わせて拝んでも、やさぐれたLiSAはキーホールダー然として中空にぷらぷら揺れているだけだった。
《有意は最近、よく泣くな。ゲロゲロ》
面会室に女性の面会人はいないはずなのに、いきなり妙齢の女性の声がこだましたものだから、立会人の警察官がいきり立った。
「誰だ! どこに隠れている!」
警察官は苛立たしげに面会室内を徘徊したが、LiSAはキーホルダーに擬態したまま知らんぷりしている。春斗は背後に警官の足音を聞きながらキーホルダーを小突いて含み笑いを浮かべている。
春斗はオンラインゲーム『樹海デストラクション』で在沢と共闘していた縁で警察に三時間も尋問された。その仕返しをして溜飲を下げているのだろうが、もはや子供の悪戯レベルの可愛さだった。
「ハル氏は怒りが長持ちするタイプですか?」
「いえ、そんなに。書きながら再生産してる感じですかね」
どうにも怒りが小説に転化されるらしい。
LiSAが本当に小説を書いて春斗に託したのか、それとも春斗が人工知能に小説を書かせてみたら面白かろう、と働きかけたのかは、鶏が先か、卵が先か、という謎と同じだ。どちらであれ、目の前に人工知能の書いた小説があることに違いはない。娯楽に飢えていた身としては、これ以上もない差し入れだった。
「ありがとう、リサ。すごく嬉しい」
在沢が嘘偽りない笑みを浮かべると、LiSAがぽつりと言った。
《しょうがないね。まったく、やれやれだ。ゲロゲロ》
「時間です。ご退席ください」
警察官が厳かに言い、鴻上と春斗が退席させられた。面会時間はわずか十五分程度しか与えられなかった。去り際、リュックサックにぶら下がったキーホルダーがぽろりと言葉を漏らした。
《有意を置いていきたくないんだけどね》