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線上のキンクロハジロ  作者: 神原月人
積み荷の分際
95/100

全貌

 クリスマス当日の昼下がり、設備保全主任の福田が発起人となり、社員食堂がシンポジウム会場に早変わりした。演目台に『自動運転の未来』と題され、手書きのフリップが登壇者の前に並べられた。


「皆さま、本日はクリスマス休暇にも関わらずお集まりいただき、ありがとうございます。設備保全主任の福田でございます。今宵、楽しい予定がおありの方もそうでない方もどうか数時間ほどお付き合いいただければ幸いです」


 食堂にあった机はすべて入り口脇に固められ、二千脚以上もの椅子がずらりと並べられている。そのほとんどに白い作業着姿の工場従業員たちが座っており、私服でいるのは稀だった。


「EDR解析班の鴻上仁と申します。こちらはHMIヒューマン・マシン・インターフェース開発部の在沢有意、筑波先端科学技術大学人工知能研究室よりお越しいただいたレイ・タウンズ教授です」


 聴衆受けが良くなるよう、鴻上も在沢も白い作業着を着ているが、タウンズ教授だけはサンタの帽子を被っていた。赤いジャケットに特大のプレゼント袋とトナカイの人形まで用意しており、そのまま仮装パーティに出掛けられそうな出で立ちだが、それでも威厳めいたものが滲み出ている。


「今日は堅苦しい会なのかな、ミスター・コウガミ。どうにも辛気臭いので、楽しいコミュニケーションロボットをお呼びしよう」


 タウンズ教授はプレゼント袋の中からLiSAを取り出すと、トナカイ人形の隣に並べた。


「ハロー、リサ。調子はどうだい」


不幸せ(アンハッピー)


「どうしてそう思うんだい、リサ」


《事故が起こって悲しい》


 人間味のある声に会場内がにわかにざわついた。


 食堂の照明が落ち、プロジェクターに自動運転車MeMove(ミーヴ)が人身事故を起こした直後に放送された『直撃ステーション』の一部始終が映し出された。映像の中の男性キャスターが柊木尚志に問うた。


《自動運転車が突如として暴走し、パニックに陥ったテストドライバーがアクセルとブレーキを踏み間違えたのではないか。あり得ない事故が起きてしまいました。柊木国土交通大臣政務官はどうお考えでしょうか》


《安全な車を開発するよう、メーカーの方に心がけていただきたい。誰もが安心して運転でき、外出できるような世の中になってほしいと思います》


 マイクを持った在沢が立ち上がり、決然とした面持ちで言った。


「柊木政務官はこのように申しておりますが、これは偶然の事故ではなかった可能性があります。衝撃的な映像を含みますが、ご承知の上、こちらをご覧ください」


 映像が切り替わり、事故直前の車内が映し出された。柊木は衝突前から入念な防御姿勢をとっていた。ミーヴは網野晃を轢いた後も走行し続け、路端の標識に激突し、黒煙を吹き上げた。


「柊木政務官はミーヴが暴走を始めるだいぶ前から明確な防御姿勢をとっており、衝突を予期していた感があります」


 聴衆のざわめきが一挙に大きくなった。


「EDRデータを抽出したCDRレポートを見れば在沢がアクセルとブレーキを踏み間違えていないことは明白ですが、室長の半藤は警察庁から内閣情報調査室を経て、ヒイラギ・モータースに天下りしてきた人物です。次期首相の呼び声高い柊木政務官を助けるべく、レポートに部分的な改竄を加えた可能性があります」


 鴻上が内部告発めいた発言をした。LiSAに合図をすると、駄目押しのように二通のCDRレポートがプロジェクターに表示された。


《先日受け取ったCDRレポートの件だが、あのデータは信頼性に欠けるのではないかと疑義を呈されてね。本日、柊木政務官と警察の立会いのもと、ミーヴに残されたEDRを取り外し、改めて解析を行った》


 うどんレストランで半藤に恫喝された生々しい肉声まで再生され、社員食堂内のざわめきは最高潮に達した。


「半藤室長はミーヴに残されたEDRイベント・データ・レコーダーを取り外したと申しておりますが、この会場のなかで取り外しに立ち会われた方はいらっしゃいますか。お名前や所属等はお聞きしません。室長の発言が事実であったどうか、それだけが知りたいのです」


 鴻上が挙手を求めたが、誰も手を挙げなかった。


「そもそもEDRは取り外されたのでしょうか?」


 鴻上が続けて問うたが、誰も答えるものはいなかった。


「ではミーヴがどうして事故を起こしたのか、検証作業に関わった方はいらっしゃいますか。挙手を願います」


 会場内はしんと静まり返り、誰一人として手が挙がらなかった。


「おかしいですね。これだけ社員がいるのに誰もミーヴの事故原因を調べていないなんて、ちょっとおかしいと思いませんか」


 鴻上が重々しく問いかけると、福田も大きくうなずいた。


「我々は警察ではないので、柊木政務官と被害者がどのような関係であったのか、調べるつもりはありません。我々は自動車メーカーです。車の事故があれば、直ちに原因を究明すべきです」


 福田が至極真っ当なことを言った。


「ミーヴがどうして暴走したのか。ここだけに焦点を絞って、様々な角度から検証してまいりました。テスト走行に際して、ミーヴが事故を起こさないよう、三つの安全策を講じていました」


 在沢がプロジェクターにポインターを当てた。


 一、不測の事故が発生した際には緊急ブレーキ

 二、最高速度は四十キロ

 三、万が一の場合、手動運転への切り替え


「今回のテスト走行では緊急ブレーキがかからず、ドライバーがアクセルを踏んだ形跡もないのに最高速度が100キロに達していました。いったい、なぜこんなことが起こったのか。各部署のご協力も頂き、事故後の検証を重ねてまいりました。この場をお借りして、ご報告したいと思います」


 在沢がちらりとLiSAを見た。


「まず緊急ブレーキがかからなかった件だけど、どうしてブレーキがかからなかっのかな、リサ」


《寝てた》


 居眠りを指摘された学生のような惚けた答えだった。会場に波のような笑いが広がったが、在沢は真剣な面持ちを崩さなかった。


「緊急ブレーキ、他社では自動ブレーキと呼ぶようですが、これはご存知の通り、ぶつかる前に絶対に車を止めてくれるシステムではありません」


 プロジェクターに緊急ブレーキシステムの概略図が表示された。


「止まるか止まらないかは速度とタイヤと路面の摩擦、車と障害物との距離の関係でケースバイケースです。どんなに優れたブレーキでも100キロで走る車を10メートルやそこらで止めることはできません。路面が濡れていて滑りやすければ、さらに止めるのは難しくなります」


 続いてプロジェクターに緊急ブレーキに対するユーザーアンケートの結果が表示された。半数近くのユーザーが緊急ブレーキを過信しており、「緊急ブレーキさえあればいつでもどこでも大丈夫」という声もあった。


「緊急ブレーキがあることで、ドライバーの油断を招くことがある、という調査結果が出ています。そのためミーヴでは緊急ブレーキに頼り切らないような仕組みを採用しました。ミーヴに標準搭載予定のコミュニケーションロボットと緊急ブレーキを連動させ、ロボットがスリープ状態のときは緊急ブレーキもオフになります」


《そうそう、LiSAが寝てるとブレーキは効かないの》


 在沢はLiSAの頭に手をかざした。


「このように二秒以上長押しすると、コミュニケーションロボットはスリープモードとなり、緊急ブレーキシステムも解除されます」


 プロジェクターに助手席の柊木が防御姿勢をとっている静止映像が表示された。よくよく見ると肘でLiSAの頭部を長押ししており、巧妙にスリープモードに移行させていた。


「意図的であったかどうかはともかく、これで第一の安全弁が無効化されました。続いて、最高速度40キロという制約があったにも関わらず暴走した点についてご説明します」


 プロジェクターに百キロ制限の道路標識が映し出された。


「この標識の意味はお分かりになりますか?」


 在沢は最前列に座る聴衆にマイクを向けた。


「100キロ以下に減速しなさい、という意味です」


「はい、正解です。ではこちらは?」


 赤い円のなかに青文字で100と書かれ、その下に青線が引かれている。


「最低速度が100キロという意味です」


「はい、正解です」


 道路標識等による最高速度の指定がない限り、車は法定最高速度を守る義務がある。スピードを出し過ぎるのが危険であることは言うまでもないが、スピードが遅すぎる車も周囲に危険を及ぼすことがある。そのため、安全で円滑な走行を守るために最低速度制限が設けられている。


「道路標識などで最低速度が指定されている道路では、最低速度を下回るスピードで走ることは法令で禁止されています。高速道路でノロノロ走っていると危険ですからね」


 在沢はLiSAに命じ、ミーヴが道路標識に衝突した場面の静止画像を映させた。赤い円のなかに青文字で100と書かれている。


「では、この標識はいかがでしょう」


 マイクを向けられた聴衆が戸惑い、答えに窮した。


「見たままをお答えいただければ大丈夫です」


「100キロ制限ではないか、と」


 自信なさげな答えに在沢がうなずきを返した。


「はい、正解です。人間の目にはそう見えますね」


 在沢が口の端を歪めて笑った。


「リサ、もう少しズームしてくれるかな」


《あいあい》


 赤い円の中に青文字で100と書かれたその下に、ぽつぽつと小さな染みのようなものが散在している。


「これ、シールです。人間の目には判読できる代物ではないですが」


 在沢はプロジェクターに向き直った。


「この標識は元々テストコースにあったものではないんです。国土交通省の通達で試験走行直前になって設置されたもので、書類の写しもありますし、施工業者にも確認済みです」


 道路標識の設置工事を請け負った業者に確認したところ、標識に青白いシールが複数枚貼られていたという。納品段階での不備ではないので、そのまま施工して欲しい、との注意もあったようだ。


「人間が運転をする場合、もっとも大切なのは目です。人間は道路の幅や車線数、カーブ、勾配、先行車、対向車、自転車、歩行者、信号や道路標識、さまざまな情報を視覚で捉えます。一方、自動運転車の目となるのが光センサー技術のLiDAR(ライダー)です」


 LiDARとは「Light Detection and Ranging」の略である。


 レーザー光を走査しながら対象物に照射し、その散乱や反射光を観測することで、対象物までの距離を計測したり、対象物の性質を特定する光センサー技術のことだ。


 人間の目に代わる機能を単独のセンサーで代替するのは困難で、ミーヴではLiDAR、カメラ、ミリ波レーダーのそれぞれが車両周囲に在る障害物を検出している。


「ミリ波レーダーとカメラでも先行車や車線の検知は可能ですが、正確な形状や位置関係を検知することは困難です。対するLiDARは、先行車、歩行者、建物などの距離や形状、位置関係を三次元で把握することが可能です」


 ミーヴには前方、側方、後方にLiDARが搭載されている。


「道路状況は常に変化しており、走行している車両、飛び出してくる歩行者、一時的な工事、周辺の建物の変化、道路にはみ出した草木など、すべてを検知できなければ安全な自動運転は不可能です。ミリ波レーダーやカメラだけでは自動車専用道路や高速道路のような限定された道路でしか自動運転は不可能です。この不可能を可能にする技術がLiDARです」


 在沢が喋り続けている間、タウンズ教授は腕組みしたまま言葉を発さずにいた。二千人もの聴衆がいようと在沢の視界に入っているのはタウンズ教授だけで、大学のゼミかのような緊張感を覚えた。


「LiDARが認識した道路状況はコミュニケーションロボットのLiSAにも伝えられます。自動運転車の目にはどう見えたのか、翻訳してもらいましょう」


 まずは百キロ制限の道路標識。


「リサ、これはどういう意味かな」


《100キロ以下に減速しなさい》


 お次は、赤い円のなかに青文字で100と書かれ、その下に青線が引かれた標識をプロジェクターに映した。


《100キロ以上に飛ばせ、びゅんびゅん!》


 LiSAが威勢良く答えた。


「うん、そうだね」


 赤い円の中に青文字で100と書かれた下に、人間の目には判読困難なシールが多数貼られた道路標識が示された。


「リサ、これは何に見える?」


《100キロ以上に飛ばせ、びゅんびゅん!》


「説明ありがとう、リサ」


《お安い御用なり》


 在沢が労いの言葉をかけると、LiSAがはにかんだ。


「つまりミーヴは暴走したわけではない、ということだな」


 サンタの帽子を脱いだタウンズ教授がひと言で要約した。


《うん。標識(ルール)に従ったまで》


「最高速度は40キロだったはずでは?」


《それは有意が決めたルール。それより標識優先》


 LiSAの素っ気ない物言いにタウンズ教授は満足げにうなずいた。


「リサ、LiDARの映像も見せてくれるかな」


《かしこまり》


 プロジェクターに三次元マップが表示され、周囲の物体は「自動車」「自転車」「人間」「その他」に分類されていた。


 衝突の直前、網野晃の隣に立った男性リポーターは終始一貫して「人間」と認識されていたが、報道カメラを肩に担いだ網野自身は「人間」と「その他」の間で揺れ動いていた。


 男性リポーターが慌てて飛び退くと、MeMove(ミーヴ)の眼前から「人間」が消え、「その他」だけが残された。道路標識の指令を受け、百キロ以上に加速したミーヴは網野を遂に「人間」と認識することなく、そのせいで衝突回避行動も遅れ、躊躇うことなく撥ね飛ばした。


「……以上が衝突事故の全貌です」


 在沢が神妙な面持ちで言った。


「手動運転に切り替わったのは衝突の一秒前でした。運転者がアクセルとブレーキを踏み間違えたせいで事故が起こったと報道されましたが、このような状態で運転を引き継いだところで、未然に事故を防げたとは思えません」


 食堂入り口からグレーのスーツの初老の男が近付いてきて、いきなり鴻上に掴みかかった。浅黒い肌と蛇のような三白眼に一般人ならざる威圧感があった。


「鴻上、貴様っ! なにをやっている」


「これはこれは半藤室長。お招きした覚えはないのですが」


 鴻上は半藤の手を払い除けると、余裕の表情を浮かべた。


「CDRレポートを改竄なさったこと、告発させていただきました」


「ふざけるな、私に盾突く気か。人工知能風情のバックアップデータなんぞに証拠能力などあるものか」


「裁判では証拠として認められないかもしれない。あんたたちが事実を捻じ曲げるからな。しかし、ここは法廷ではない。オレは自分が正義と思うものを信じるよ」


 鴻上は直属の上司の恫喝にも屈せず、冷ややかに言い放った。


「あれは誰だね、ミスター・アリサワ」


「EDR解析班の半藤室長という方みたいです」


 半藤と鴻上が互いに睨み合うなかで、レイ・タウンズ教授が不快そうに言った。


「ミスター・ハンドウ。あなたは炭素至上主義者なのかな」


「……は?」


 一瞬、何を言われたのか分からなかったのか、半藤が眉を顰めた。


「先ほど、人工知能風情とおっしゃったが、肉体がなければ知性ではないと考えるのは炭素至上主義にも似た浅はかな考え方だ。知能として処理される情報が脳やニューロンの炭素原子で処理されようが、テクノロジーのシリコン原子で処理されようが構わない。重要なのは情報処理であって、肉体がなければ人間よりも遥かに賢いものを生みだすことは不可能だ、などという物理法則はない」


 知能についての斬新な御高説を賜り、会場中の皆がぽかんとした。教授の頭の中には常人とは別の宇宙が詰まっていると、改めて実感した。


「教授、そういう水準の話をしていないです」


「そうかね、ミスター・アリサワ。私にはこの子が凛に見えるよ」


 タウンズ教授はシリコン原子の脳を持つLiSAを愛おしげに眺めた。孫の成長を優しく見守る祖父のような表情が垣間見えた。


「両親の育て方が良かったのだろうね。きちんと意志のある良い子に育った。そこらの人間風情よりよほど善悪を熟知している」


「泣かせないでください、教授」


 自然発生的な拍手が起こった。鴻上は男泣きに咽び泣き、タウンズ教授はちょっと困ったように鴻上を抱擁した。


 半藤は忌々しげに一瞥をくれると、おもむろに電話をかけ始めた。


「私だ。直ちに処理してくれ」


 警察官が数名、雪崩れ込んできた。どこか見覚えがある顔だなと思いきや、在沢の自宅アパートが襲撃されたときに聞き込みに来た両名だった。


 蛍光イエローのジャケットを羽織った交通事故捜査係の伊丹の姿もあった。皆、半藤理のお友達だったのだなと思ったら、すべてに合点がいった。在沢は咄嗟にLiSAを鴻上に託した。


「在沢有意、あなたに逮捕状が出ている。署までご同行願います」


 眼前に逮捕状をちらつかされ、強引にパトカーに押し込まれた。


 在沢を乗せた白黒のツートンカラーのパトカーは、赤いランプを光らせて、公道の邪魔な車を蹴散らすように疾走した。

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