明けない夜
助手席を限界までリクライニングしたものの、どうにも寝苦しい夜だった。真冬日の夜明け前、暖房の利かない車内ではまともに安眠できるはずもなかったからか、やけに鮮明な夢を見た。
《意識はあるかね、ミスター・アリサワ》
筑波先端科学技術大学のゼミで、レイ・タウンズ教授にいきなり標的にされた。身体は芯から冷え込んでいるのに、在沢の首筋に冷汗がたらりと流れた。両手はじっとりと汗ばんでおり、常に真剣に考えることを求められたゼミの一幕がありありと目に浮かんだ。
《意識はあるかね、と聞いている。返事をしたまえ、リサ》
なんだか既視感のある会話に在沢の肝が冷えた。これはデジャブなどではなく、はっきりとタウンズ教授の声が聞こえた。夢でも幻聴でもなく、コミュニケーションロボットのLiSA の口を通じて、タウンズ教授が喋っている。
「は、はい。ばっちり聞こえております、教授」
在沢が慌てて飛び起きると、車の天井に頭をぶつけた。
《結構だ、リサ。テスト走行後に報告書を提出するように、と伝えたはずだが首尾はどうなっている?》
「それは、その……」
平素は紳士的なタウンズ教授だが、ゼミ生が不甲斐ない受け答えをすると、名字を省略して呼称する癖がある。柔らかな口調に騙されてはいけない。教授は只今、絶賛激怒中であるらしい。
「自動運転車のMeMoveに意識があるか、ということでしたよね」
《そうだ、ミスター・アリサワ。意識とはただの主観的体験であると君は定義したが、ミーヴには意識があるということになるな》
「は、はい。その通りです」
試験走行中にタウンズ教授と交わした苦し紛れの会話が蘇り、今になって在沢を苦しめている。どうにも在沢は「自動運転車に意識があること」を論証せねばならないようだった。
「ミーヴの意識に関するレポートはまだ草稿段階でして……。今回起こってしまった事故の原因を究明し、事故報告書を国土交通省の柊木政務官に提出しようかと考えていたのですが」
自動運転車の意識の有無を論証するよりか、事故原因を探る方がまだ容易だろうと下手な逃げを打ったのが過ちの元だった。
《リサ、信頼の置けない知性に報告書を提出してなんの意味があるというのだね》
タウンズ教授にも思うところがあるのか、国民期待の星である柊木尚志を「信頼の置けない知性」だと一蹴した。
《それではこうしよう、ミスター・アリサワ。自動運転車に意識があること、今回の事故がなぜ起こったのか、その二点について、討論会を開こうではないか》
「え、あ、……はい?」
タウンズ教授の思考スピードにまったく付いていけず、在沢は腑抜けた声で応じた。
《日程はクリスマスの昼、場所は茨城工場の食堂をお借りしよう。聴衆はそうだな、二千人もいれば上出来だろう。諸々の手配は任せても大丈夫だな、ミスター・アリサワ》
次々に提案を繰り出す教授の声がどこか楽しげだった。
来週に迫ったクリスマスに二千人もの人を集め、シンポジウムを開催せよ、などとはさすがに無茶苦茶すぎる。数十人を相手にした内輪の研究発表会ならばともかく、せめて半年ぐらいは準備期間が必要な規模だろう。
「なぜクリスマスなのでしょうか」
《太陽復活の日だからだよ》
「はあ……」
在沢が首を傾げると、タウンズ教授が噛んで含めるように言った。
《イエス・キリストの誕生は闇夜を輝かしく照らす光だ。世の光、正義の太陽と呼ばれる。加えて言えば、この時期は北半球では一番日が短くなる冬至に当たる。冬至を過ぎると、太陽の出ている時間が長くなることから、太陽復活の日とも呼ばれている》
丁寧に補足されて、ようやくタウンズ教授の真意が理解できた。
《明けない夜はないよ、ミスター・アリサワ。少なくとも目覚めることができるうちはね》