似た者同士
ようやく話が一段落し、在沢は一息ついた。
網野美亜との関わりを通して、柊木尚志の素行の悪さが浮き彫りになったが、しかし疑問は深まるばかりだった。
美亜の父である網野晃は運悪くミーヴに轢き殺されたのではなく、計画的に殺されたのだとすれば、主犯は柊木尚志と考えるのが妥当だろう。
となると、助手席にいた柊木は、操作系統に手も触れずにミーヴを暴走させたということになるが、魔法でも使った以外に説明がつかない。魔法のトリックを暴かねばならないが、霧島綾の語り口があまりにも熱を帯びていて、さっぱり考えがまとまらなかった。
感情移入し過ぎたせいか、霧島綾の目にはうっすらと涙が滲んでいる。綾の隣に腰掛けた藤岡春斗は瞑目し、傍観に徹していた。
沈鬱な面持ちの霧島綾の目から、ぽたぽたと涙がこぼれた。
「あんなやつ、好きになっちゃいけない。好きになっちゃいけなかったんだ……」
押し殺していた嗚咽はやがて大波となり、涙が決壊して洪水のように溢れ出した。十七歳という若さで早世した網野美亜の魂が憑依したようでもあり、綾本人の嘆きでもあるようだった。すっかり泣き腫らした霧島綾はごしごしと涙を拭い、天を仰いだ。
「真っ赤な嘘でもいちばんになれたなら幸せだったのかな。あたしが好きだった小説家は、あたしをいちばんにしてくれない」
霧島綾の意中の小説家は中学生以来の幼馴染で、綾の親友を伴侶とした。どう足掻いたって不動の地位に揺らぎはなく、小説家に甘える猫がせいぜいだった。
「おハルのいちばんは沙梨ちゃんでしょう。誰もあたしをいちばんにしてくれない」
藤岡春斗は小説の師匠である高槻沙梨に憧憬の念を抱いており、二人の間には余人が立ち入る隙のない師弟愛が築かれている。無様な泣き顔を晒したくはないのか、霧島綾は春斗の膝に顔を埋めた。春斗はちょっと困った顔をして、わずかな躊躇いの後、栗色の髪にそっと手を触れた。
「ぼくはそれなりにたくさん小説を読んできました」
春斗は小さな子供をあやすように訥々と言葉を紡いだ。
「でも、いちばんは決められない。どうして一冊の本だけにしなければならないんですか。みんな違う物語を背負っていて、美しいところもあれば醜いところもある。愛おしいところもあれば憎らしいところもある」
春斗は壊れ物を扱うように栗色の髪に触れ続けた。
「ぼくは沙梨先生が好きで、シオン先輩が好きで、綾ちゃんが好きです。みんな、ぼくの本棚の特等席にいる。それじゃだめですか」
凪いだ海のように静かな語り口は、霧島綾の肉体に宿った十七歳の魂に向けて語りかけているようだった。ようやく顔をあげた綾は、涙で顔をぐしゃぐしゃにしたまま春斗に抱きついた。
「おハル、好き。結婚して」
「はい、いいですよ」
間髪入れずの即答に、どさくさで求婚した本人がいちばん面食らっていた。口をパクパクさせて、なかなか二の句が継げない。
「え、マジで言ってんの?」
「はい、ぼくは嘘はつかないです」
春斗は真顔で断言した。
「いや、めちゃくちゃ嘘ついてんじゃん。おハルの小説、嘘ばっかりじゃん。オールフィクションじゃん」
「そうですね。あんまり信用しないほうがいいですよ。小説家はみんな嘘吐きですから」
「ふーんだ、本気にするからな」
霧島綾は春斗を押し倒すと、半ば強引に唇を奪った。艶めかしく舌が蠢き、抵抗の意思の希薄な口内へと押し入っていく。
「事故でーす。責任とるから許してちょ」
春斗に馬乗りになった綾は満足げに独りごちる。何が起こったのか、さっぱり理解できない様子の春斗は顔を真っ赤に紅潮させて、あわあわと慌てふためき、口をぱくぱくさせている。
「あり、もしかしてはじめてだった?」
すべては迫真の演技だったのかと思えるぐらい、涙はからりと干上がっていた。すっかり形成は逆転し、霧島綾は余裕綽々で春斗の猫っ毛をくしゃくしゃに撫で回した。恥ずかしさのあまりか、年上の女優に弄ばれた春斗は不貞腐れて、ふいっと顔を逸らした。
「即興演劇のお時間でした。おハル、台詞は良いんだけど、ちょいとエロスが足らんなあ。それじゃ沙梨ちゃんのいちばんになれんぜよ」
うんざり顔の春斗は、熊に遭遇した登山客さながらに死んだふりをしている。春斗の頬をぺちぺち叩くと、霧島綾はにゃはは、と猫のような笑みを浮かべた。
「小説家はみんな嘘吐きだけど、女優の涙はもっと信じられないでしょう。あたしたち、けっこう似た者同士だと思わない?」