本物のなりすまし
在沢の両隣に住む住人はどちらも不在にしていた。
警察官の片割れは目撃証言を得るため、近隣に聞き込みに行ったようだ。在沢は現場に居残った小太りの警察官に聞き取りされた。
「犯人に心当たりはありますか?」
「ありません」
「どなたかに憎まれていたようなことは?」
「分かりません」
警察官の視線がメモ帳から離れ、「死ね 人殺し」と落書きされたモルタル壁に吸い寄せられた。
「この書き込みに関して心当たりは?」
「あり……ます」
在沢が言い淀むと、鴻上が警察官との間に割って入り、ヒイラギ・モータースの社員証を見せながら口添えしてくれた。
「自動運転車MeMoveの試験走行中に人身事故が起こりました。在沢は運転席にいましたが、運転を担当していたのは人工知能です。ミーヴが暴走した後、在沢は手動運転に切り替え、ブレーキを踏んでいます。EDRを解析し、運転操作に誤りがなかったことを確認しており、上司に報告済みです」
「承知しました。捜査に進展があり次第、またお話を伺わさせていただきます」
鴻上の迫力に気圧された警察官は制帽の庇に手をやり、胡乱げな表情を張りつけたまま立ち去っていった。
在沢はアパートの管理会社に連絡し、水道の修理業者を手配し、人が入れ替わり立ち代わりして、とにかくてんやわんやだった。
モルタルの外壁にスプレーされた毒々しい落書きは、工事現場でよく見かけるブルーシートで応急的に目隠しされた。
銀行通帳を盗まれたので、銀行を訪れ、勝手に通帳が使われないように利用停止の手続きをした。通帳の再発行は一週間程度かかるそうだが、印鑑も失くしたことを告げると、新しい印鑑登録が必要です、と説明された。
住んでいた部屋は廃墟さながらに変貌し、愛用のパソコンは壊され、替えの洋服もない悲惨な状態だったから、鴻上が側にいてくれたことはたいへん心強かった。
「腹減ったな、どっかでメシでも食ってくか」
「ガミさん、出社しなくて平気なんですか?」
事情聴取やら何やらでたっぷり半日が潰れ、すでに夕方近くになっていた。鴻上は銀行横の駐車場からライトバンを発進させた。
「半休は申請してあるけど、もうこうなりゃ全休でいいだろう」
「けっこうヤケクソですね」
「おうよ。売られた喧嘩はいくらでも買うぞ」
「じゃあ、うどんでも食べましょう」
「ふざけんな、肉だろう」
ロードサイドに在る「うどんレストラン」の文字が目に入った。在沢が看板を指差すと、鴻上は明らかに不機嫌な表情を浮かべた。お互いに譲らないでいたため、鴻上はLiSAに判断を委ねた。
「リサは何が食べたい?」
《キンクロパン!》
「なんだ、それ」
《アニメーションスタジオ・ハバタキのマスコットキャラクター、キン、クロ、ハジローの三兄弟を象ったフカフカした生地のパンで、中身はカスタードクリーム、柔らかい今川焼のような味わい》
「まーた、アニメかよ」
鴻上が閉口するが、LiSAの目がちかちかと点滅した。
《HaRUからDMだよ。読み上げる?》
「うん、よろしく」
在沢がこくりと頷くと、小説妖精ハルのモデルとなった藤岡春斗からのメッセージが読み上げられた。
《自動運転車の件で事情聴取を受けました。直接お話したいことがあるのですが、お目にかかることはできますか》
夕食にはまだ早い時間帯だったからか、うどんレストランの店内はがらがらだった。わざわざ奥座敷のような個室に通され、引き戸を閉じると、外界から隔離されたように静かだった。
おススメメニュー欄にある肉汁うどんを頼んだが、HaRU氏からのメッセージにどう返事したものかと考えあぐねたせいで、ろくに味わうことなく、ただただ機械的に咀嚼した。
「そいつ、本物なのか? なりすましじゃねえのか」
スマホゲーム内でテキストメッセージをやり取りしていただけで、直接の面識がないことを鴻上が心配しているが、中身が誰であれ、大学生の小説家になりすます理由がない。
「本物じゃなかったら、誰なんです?」
「警察関係者だろう。有意から自白を引き出したいんだろう」
「俺が殺しました、みたいな?」
「ああ、そうすりゃ捜査終了だ」
「スパイ映画の見過ぎじゃないですか」
在沢がうどんをつるりと飲み込むと、つけ汁がシャツにはねた。考え事をしていると、食べ物をよくこぼす。黒っぽい染みになるのをおしぼりで拭いたが、完全には除き切れなかった。
「本物のなりすましなら、直接お話したいことがある、なんて持ちかけてこないと思います。会ったら本物じゃないことがばれちゃいますし、いっぱいメッセージをやり取りさせて、勝手に泳がせといたほうが有効じゃないですかね」
在沢は言葉を発しながら、ふとした違和感に囚われた。
――本物のなりすまし……。
いったい、なんなんだそれは。
「もしかして俺、小説を書く人工知能とやり取りしていたのかも」
「はあ? どういうことだよ」
「あり得る。あり得ますよ、きっと!」
在沢が興奮気味に捲し立てた。
「話が飛躍し過ぎて意味が分からん。きちんと人間が分かるように、筋道立てて話せ」
鴻上は、しょうがねえなあ、とでも言いたげに嘆息した。
「HaRU氏は小説家の藤岡春斗っぽい言動をして、ゲーム内で小説妖精ハルちゃんっぽい行動をする人工知能なんですよ。LiSAに機械学習させたのと同じ仕組みです」
人工知能が人間と人間らしいやり取りをするようプログラムするのは難しいが、テキストメッセージとゲーム上での行動パターンをプログラムするだけならばハードルはぐっと低くなる。
在沢の脳内では、「HaRU=人工知能説」が信憑を帯びていた。
「チェス、将棋、囲碁を指すAIはすでに世の中にありますよね。人工知能が小説を書いて、文学新人賞の一次選考を突破したというニュースが話題になったこともありましたっけ」
肉汁うどんを食べ終えた鴻上が鼻白んだ。
「小説を読むのもAI、小説を書くのもAIか。人間要らねえな」
「情緒はないですね」
在沢が相槌を打つと、鴻上が軽口を叩いた。
「お前から情緒という単語を聞いたことに驚いている」
「意味は知ってますよ」
食べ終えても店員はやってこず、下膳されずに食器は残ったままだった。会計伝票も渡しにこないので、店は相変わらず閑散としているのだろう。
二人してしばらく憩っていると、卓上に置かれたスマートフォンが鳴動した。鴻上は着信者が誰かを確かめることなく、スピーカーモードにして応対した。
「はい、鴻上です」
「先日受け取ったCDRレポートの件だが、あのデータは信頼性に欠けるのではないかと疑義を呈されてね。本日、柊木政務官と警察の立会いのもと、ミーヴに残されたEDRを取り外し、改めて解析を行った」
スピーカーから平板な声が聞こえてくるなり、鴻上は居住まいを正した。時報でも告げるような感情の混じらぬ声は、EDR解析班に所属する鴻上の上司、半藤理のようだった。
「信頼性に欠けるとはどういうことでしょうか」
「EDR本体から取り出された生データではなく、コミュニケーションロボットに転送された二次データに拠っている。また、警察も柊木政務官も解析に立ち会っていない。それに事故を起こしたのは鴻上君の友人だと聞いている」
鴻上の目が一気に鋭くなり、鬼のような形相となった。
「友人であろうと、解析に手心は加えません」
「そうだと良いが、友人を庇うために都合の良いレポートを提出したのではないか、という疑惑は残る。そう言われてしまえば、解析をやり直すより仕方がない」
鴻上の鼻息は荒く、額に青筋が浮き上がっていた。あまりにも強く握られた拳は行き所を失って、中空を彷徨っている。
「仰る通りですが、解析をやり直すのであれば、当事者である在沢と私も立ち会うべきだったのではないでしょうか」
「無論、立ち会うべきだったが、半休を申請したのは君だよ。柊木政務官は公務にお忙しく、多忙の合間を縫っていただいての立ち合いとなったことに感謝すれど、責められる謂れはない」
半藤の声は冷静そのもので、なんとか食い下がろうとする鴻上を一刀両断のうちに切って捨てた。
「本日、再解析したレポートを添付する。警察はこちらを正式な報告書とする意向だ」
鴻上は添付された報告書に目を通すと、自身が作成した報告書と並べて比較した。大部分のデータは同一だったが、半藤版レポートは警察捜査の見立てを裏付ける内容になっていた。
「たいへん残念だが、君の友人は手動運転に切り替えた後、ブレーキは踏んでいない。間違えてアクセルを踏んでしまったようだね」
電話がぷつりと切れ、鴻上と向かい合う個室に隙間風が忍び込んできた。鴻上は振り上げた拳をどう下ろしていいのか分からぬ様子で、わなわなと肩を震わせている。
CDRレポートの客観的データは、事故当時者の証言の食い違いを回避し、事故原因解析の公平性と透明性を担保するために用いられるべきものだ。
事故の原因が自動運転車の車両システムに起因するのか、ドライバーに起因するのかを特定する一助となり、渦中の在沢にとっては盾となるはずであったが、あろうことか、警察の見立てを補強する鉄壁と化してしまった。
「将棋で言うと、詰みですかね」
本格的に牢屋暮らしの暗澹たる未来がすぐ手の届くところに迫っているようだが、なんとも現実味が乏しい。
「どう考えてもおかしいだろ」
鴻上は怒りを通り越して、うっすらと笑っていた。
「ほんとうに柊木と警察が立ち会ったのかよ。言われるがままに、レポートを書き変えただけなんじゃねえのか」
「データを改竄したってことですか。ふつう、そこまでします?」
「やってやれないことはないぞ。密室でデータを改竄されないよう、第三者が立ち会うのが基本だからな」
仮にそうならば、真実を捻じ曲げてでも在沢有意に罪を被せたい、という意思の表れといえる。平古室長からは退職願いの催促もなく、もはや既定路線として捉えられているのかもしれない。
自宅が襲撃されたのも大いなる意思に沿うもので、実際にそうであるならば、警察はろくに捜査もしないだろう。裏を返せば、在沢有意が罪人でないと困る立場の者がいるということだ。
「これ、俺の過失じゃないとしたら、誰が困るんですかね」
ぼんやりとした自問自答をしてみたが、はっきりしたのは、在沢にCDRレポートは命綱にはならなかった、ということだけだった。
「まあ、ともかく」
のろのろと立ち上がった鴻上は、個室の引き戸を開け放った。
「お前と直接話をしたがっている妖精ちゃんに会ってみるべきだな。ほんとうにそんなやつが実在しているんならな」