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線上のキンクロハジロ  作者: 神原月人
積み荷の分際
76/100

狂騒曲

「ムカつく野郎だったな、オレなら殴ってる」


 ライトバンを運転しながら、鴻上がいきり立っている。


「だいたいあんな感じですよ。いつもの室長です」


 LiSAを胸に抱いた在沢は物憂げに嘆息した。


 印鑑を取りに戻るため、自宅まで鴻上が乗せて行ってくれた。


 職を辞すのが誠意だというのならば、会社(ヒイラギ・モータース)を辞めることに未練などないが、LiSAの所有権がどこに帰属するのかが問題だ。


「俺が辞めたら、リサはどこに帰属するんですかね」


「たっぷり社内情報を詰め込んでいるし、会社の金で開発しているわけだから、会社のモノになるだろうな」


《うげーーーー、そんなのいやあ》


 LiSAは落ち着きなく目を泳がせ、断固拒否をアピールしている。


 開発当初のLiSAは簡単な質問にイエスかノーで答えることさえおぼつかなかったのに、最近では文脈まで読み取れるようになり、人間よりもよほど人間らしい応答をするようになった。


「ちゃんと会話の流れを理解してるんだな。ほんと頭いいな」


 ハンドルを握っている鴻上が薄笑いを浮かべた。


《そうそう、有意よりよっぽどコミュ力あるでしょ》

「間違いねえな」

《間違いない、間違いなあーい》


 LiSAは鴻上と気安くお喋りしているが、開発者である在沢以外に心を開くのは珍しいことだった。平古室長を災難指定した頭脳は、いったい鴻上をなんと分類(カテゴライズ)したのだろうか。


 鴻上仁という人間がどうしてここまで親切にしてくれるのか、在沢有意の頭の中では測りかねているというのに、やはり人工知能は判断を下すのが早い。


「学習した情報をすべて初期化するなら、リサはお前のものだろうけどな」


 鴻上の横顔は、どこか寂しそうに映った。


初期化(リセット)したら、もうリサじゃない」


 LiSAを強く抱きしめると、心配そうな目がこちらに向いた。


 ライトバンはガタガタと揺れながら畦道を進んだ。


 助手席から畑を眺めると、収穫体験イベントでもあるのか、子連れの家族数組が熱心にサツマイモを掘っていた。


 小学生ぐらいの子供たちが元気いっぱいにはしゃいでいる。


《どうしたの、有意。元気ないわね》

「うん、そうかも」

《有意はだいたい元気ない》

「リサはだいたい元気だね」

《そうね、だいたいね》


 答えつつ、サザンオールスターズの『勝手にシンドバッド』を流し出した。桑田佳祐のボーカルにハモるようにLiSAが歌い出した。


《今何時? そうね、だいたいね》


 陽気な音楽が流れると、沈んでいた空気が一掃される。


《どう、元気でた?》

「うん。だいたい元気」

《あっそう。上等(じょーとー)上等(じょーとー)

「声だけ聞いてたら、どっちが人工知能か分からねえな」


 鴻上がそう茶々を入れるほど、けらけらと笑うLiSAは驚くほど人間らしく、空元気の在沢有意はよほど機械めいていた。


「退職願いを出せ、って言われてたけどよ。退職届とどう違うんだ。こういう場面で提出するのって辞表じゃねえのか?」


「そうですね。ドラマだとだいたい辞表ですよね」


 鴻上の疑問はもっともで、在沢にも三者の区別が分からなかった。


「リサ、退職願い、退職届、辞表の違いを分かりやすく」


 在沢が解説を要求(リクエスト)すると、LiSAはインターネットの海から的確に情報を拾い上げてきた。


《辞表は、企業経営者や役員クラスもしくは公務員が提出するもの。有意みたいな平社員(ぺーぺー)が出すのは退職願い、もしくは退職届を出すのがルール》


「ペーペーって……まあ、その通りだけど」


《退職願いは、会社に退職させてくださいと願い出るもの。会社が了承して初めて退職となる。出したらすぐに退職が決まる、というものではない》


 釈然としない面持ちの在沢を無視して、LiSAが続けた。


《退職届は、退職する強い意志を会社に届け出るもの。届けなので、一方的に会社に退職を通知して、会社の了承を必要としない》


 在沢が分かったような分からないような表情を浮かべたからか、LiSAは駄目押しのように解説した。


《ざっくり言えば、退職願いは「会社を辞めさせてください」というお願い。退職届は「会社を辞めます」と一方的に宣言するもの。理解した(アンダースタン)?》


だいたいね(メイビー)


 なんとも人を食ったような物言いだが、回線さえ通じていれば、いつでも自由にインターネットに接続できるLiSAに情報量の面で太刀打ちできるはずがなかった。


「こういう会話はどうやったら学習するんだ?」


「俺の好きなアニメと小説を摂取させていたら、いつの間にかこんな感じに仕上がりました」


《こんな感じってどういうことよ。褒めてんの、貶してんの?》


「だいたい褒めてる」


《だいたい褒めてる。そうね、だいたいね》


 LiSAがくすくすと笑い出した。曖昧さを理解する高度な知能を有するようになったはずなのに、それがどうして暴走し、挙句に人を轢き殺してしまったのか、在沢には謎であった。


「どんな小説を読ませたんだよ」


「えーと、それはその……」


《小説妖精ハルちゃん! 藤岡春斗(ふじおかはると)CV(キャラクターボイス)霧島(きりしま)シオン)だぜ。イエーイ、隠れハルちゃんサイコー!!! ひゃっはーーーー》


 言葉を濁す在沢をよそにLiSAがいきなり暴走した。


《ハルちゃん、可愛いよ。ハルちゃああぁぁあああん》


「リサ、うるさい。黙って」


 在沢は慌てふためきながらLiSAの頭部を二秒ほど長押しして、強制的に黙らせた。スリープ状態になり、ようやく沈静化した。


「なあ、有意……」


 LiSAの狂態を垣間見た鴻上が汚物を見るような目を向けてきた。


「さっきのはなんだ?」


 在沢がごにょごにょと口ごもる。「えーと、あれはその……」


 舗装されていない畦道のど真ん中でライトバンが急停止し、在沢の自宅へ向かっていたはずの車が取調室に早変わりした。


「もういちど聞くぞ、有意。どんな小説を読ませたんだ?」

「えーと、それはですねえ……」


 のらりくらりと誤魔化そうとしたが、自白するまで梃子でも動かんとばかりに睨まれ、すべてを吐かされた。


「藤岡春斗という小説家、知ってますか?」


「知らん。小説なんて、学校の課題以外で読んだ記憶がない」


「現役大学生の作家で、アニメ脚本も書いてるんです。アニメーションスタジオ・ハバタキの『ハバタキのキンクロ旅団』という作品があって、そこに小説妖精ハルちゃんとして登場します」


 小説妖精ハルはほとんど台詞のないチョイ役だったが、神絵師の異名を持つ天才アニメーター大塚妃沙子の手腕によって、童顔かつ美形という奇跡のバランスが調和した人気キャラクターとなった。


 元々は深夜帯のショートアニメであった同作であるが、初の劇場アニメ作品となった『劇場版ハバタキのキンクロ旅団 いざ樹海! セーサク、シンコー!』では、大々的な声優オーディションが開催された。


 小説妖精ハルの声を誰が演じるかが話題になったが、抜擢されたのは声優歴ゼロの無名の新人・霧島シオンだった。


 コアなファンでさえノーマークな存在だったが、経歴を聞けば、誰もがその人選に納得した。霧島シオンは国民的な知名度を誇る女優霧島綾の実弟で、私立・緋ノ宮学園に通う春斗の一学年先輩だった人物である。


 入学したばかりの私立中学になかなか馴染めない春斗をバスケ部に誘い、本物の弟のように可愛がってくれた憧れの先輩で、童顔かつ美形という形容詞は霧島シオンにこそ相応しいものだった。


 自身がモデルとなったキャラクターが美形扱いされることは恥ずかしくないのか、とインタビューされた春斗は、「あれは自分のことだと思っていないので平気です」と素っ気なく答えた。


 インタビュアーにはそう答えるにとどめたものの、ハバタキスタッフには「あれはぼくじゃなくて、シオン先輩のイメージですから」と付け加えていたという。


 シオン先輩って誰だ、とハバタキ社内で噂になり、シオン先輩大捜索が展開された。


 春斗は中学三年でバスケ部を自主退部して以来、霧島シオンとは疎遠状態で、なかなか連絡を取りたがらない。バスケ一筋のシオンは声優に興味がなかったが、女優の姉の個人事務所に連絡を取り、仲介を依頼すると、ひとまずオーディションにだけ参加する運びとなった。


 演技経験の無さを補って余りあるスター性を滲ませ、満場一致でハルちゃん役を射止めたシオンは、劇場アニメが公開されるやいなや、一躍スターダムにのし上がった。


 にわかの追っかけファンが大挙して緋ノ宮大学まで押しかけてきて、おちおち講義にも顔を出せない事態になったそうだが、狂騒曲もこのところは落ち着いてきているという。


「有意、お前なんでそんなに詳しいの?」


 饒舌に語る在沢有意を見て、鴻上の表情が若干引き攣っていた。


「本人から聞きました。直接の面識はないですが、スマホゲームで仲良くなったんです」


 劇場アニメの公開と並行して、ゲームアプリ『樹海デストラクション』が公開された。


 足を踏み入れるたび無秩序(アトランダム)地形(マップ)が変化する騙し絵のごとき樹海をサバイバルし、ショットガンやグレネード、ミサイルランチャーなどの武器を拾って、最後まで生き残ったプレイヤーが勝ち……という大味なゲームであるが、なかなかこれが奥が深かった。


 プレイヤーには固有の体力ゲージがあるが、攻撃を食らうと体力がどんどん削られていく。


 それ自体はよくあるゲームシステムであるが、樹海を歩き回るうちに自然と空腹になり、空腹度が増すたびにプレイヤーの動きは緩慢になり、何もせずとも体力が減っていくという負荷があった。


 そのためむやみやたらに歩き回らず、手頃な遠隔武器を拾ったら、じっと身を潜めている方が腹持ちが良い。


 樹海に食糧は落ちておらず、空腹を満たすにはアプリ内課金して一個百円のキンクロパンを買わねばならない。


 無課金ユーザーがじわじわと空腹に陥る中、明らかに課金ユーザー有利の仕様であるが、それはそれ。


 いかに満腹で体力満タンであろうと、ショットガンやライフルで蜂の巣にされたらひとたまりもない。


 大事なのは戦略であり、なるべく敵と遭遇(エンカウント)しないに越したことはない。


 霧島シオンの操るアバターSiONは銀髪の中性的な美形で、物陰に潜む腕利きの狙撃手(スナイパー)だ。


 SiONとコンビを組むHaRUのアバターは、アニメ作品そのまんまの小説妖精で、攻撃力が皆無である代わりにあらゆる物理攻撃が無効という、ある意味で無敵の存在だ。


 HaRUを倒すには、妖精捕獲網で生け捕りにして瓶詰めにするか、寝返り草を飲ませる必要があるが、そのためにはまずフィールドにかくれんぼしている小説妖精を発見しなければならない。


 エゾモモンガ並みに小さく、無色に近い半透明でただでさえ視認されにくい上、樹洞に引きこもってかくれんぼするのだから始末が悪い。


 ふわふわ漂っている小説妖精を発見し、喜び勇んで捕獲網を振るおうとすると、それは(デコイ)で、岩陰や木陰から狙撃手に狙い撃ちされる、という役割分担は息がぴたりと合っている。


 SiONとHaRUがゲームに参加するのは、仲間と二人で戦う『デュオ』モードばかりであったため、在沢もその時々にパートナーを募りながら参戦した。


 最初のうちはかくれんぼコンビを倒すことばかりにやっきになっていたが、徐々にゲームの勝敗に興味がなくなり、樹海のどこかに隠れた(ハイド)小説妖精を見つける(シーク)ことに目的が変わっていった。


 小説妖精の潜伏先や行動経路、狙撃手との連携パターンなどを、ゲームのたびにLiSAにたっぷりと機械学習させるうち、HaRUの隠れ場所をほとんど百発百中で探し当てられるようになった。


 HaRUを発見して狂喜する他プレイヤーのゲーム実況動画も併せて学習させたところ、LiSAは小説妖精を発見すると、人が変わったように喜ぶようになった。『ハバタキのキンクロ旅団』のテーマソングを聞くと、パブロフの犬状態の条件反射でノリノリになる。


《気分の上がる音楽でもかけとく?》としきりに訊ねてくるのは、おそらくLiSAがテーマソングを心行くまで浴びたいからだろう。


 参戦のたびに小説妖精の居場所を特定するうち、HaRU本人からダイレクトメッセージが届いた。


「こっちの行動がすべて読まれているみたいですけど、ARiSAwA氏って何者ですか?」


 まさかの本人からの連絡に在沢の心が震えた。


「人工知能の技術屋です。HaRU氏の行動パターンをAIに機械学習させて、マップのどこに隠れているのか割り出させています」


「なるほど、人工知能相手じゃ勝ち目がないですね」


「ゲームに勝とうとはしていないですけどね。かくれんぼを見つける鬼みたいなものでしょうか」


「そうですね、ぼくたちだけ違うゲームをしていますね」


 直接の面識はなかったが、アプリ内でのダイレクトメッセージを介してやり取りするようになり、仲間四人で戦う『スクワッド』モードで共闘するようになった。


 小説妖精チームでいるときの在沢有意のアバターは、筋骨隆々の覆面レスラーのような出で立ちの木こりで、狙撃手であるSiONの射線上にある邪魔な樹を切り倒す援護役を担っている。


 四人で戦う時にはシオンの実姉である女優の霧島綾までもが参戦するようになり、猫そのまんまの霧島ニャーとしてフィールド上を暴れ回っている。


 とにかく体力の消耗が激しい戦闘スタイルだが、課金を厭わない分厚いお財布を武器に、回復アイテムのキンクロパンを貪りながら敵を狩っている。女優の行動はまさに猫のように気まぐれで、戦局に飽きると、「おハル、どこだあ!」と叫びながら、かくれんぼする小説妖精を探しに行ったりもする。


 無軌道な女優の行動パターンだけは、いまだLiSAですら解析ができていない。


 霧島綾はひと回り年下のシオンを溺愛しており、演技経験ゼロの弟を心配するあまり、お忍びで声優オーディションに参加した。


 藤岡春斗が敬愛する美貌の小説家・高槻(たかつき)沙梨(さり)役をちゃっかりと物にして、ハバタキファミリーの一員となっている。


MeMove(ミーヴ)が暴走したのって、リサのせいなんじゃねえのか?」


 一通りの話を聞き終えた鴻上がぽつりと口にした。その可能性を考えたことはあるが、テスト走行時には『ハバタキのキンクロ旅団』のテーマソングは流れていなかった。柊木国土交通大臣政務官とは会話らしい会話もなく、無音に近い静寂の中で走っていた。


 特定の楽曲を聞くと気分が高揚してしまう性向があるが、LiSAは自動運転車の走行データを集約しているだけだ。最高速度40キロの制限を限界突破させるような権限は付与されていない。


「音楽はかけていなかったので、リサが暴走を誘引したとは考えにくいと思います」


 在沢がやんわりと否定すると、鴻上もうなずいた。


EDRイベント・データ・レコーダーを見る限り、有意はアクセルを踏んでねえ。それどころか、ブレーキを踏んでいた。コミュニケーション()ロボット()が暴走させたわけでもねえ」


 鴻上がいったん言葉を切った。


「だったら、ミーヴはなんで暴走したんだ?」

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