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線上のキンクロハジロ  作者: 神原月人
積み荷の分際
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内海凛

「あの、ガミさん。俺、そろそろ帰ります」

「……あ? 今、何時だ」


 ひと仕事終えた鴻上はぐびぐびと缶ビールを呷っている。ぷはっ、と酒臭いゲップをすると、億劫そうに壁時計に目をやった。時刻はすでに深夜の十二時近くになっており、帰りそびれた在沢も付き合い程度に酒を胃に入れた。


「昔から付き合い悪いんだよ、お前はよ」


 ほろ酔いを通り越して、すっかり出来上がっている鴻上にがしりと肩を組まれ、胸にお代わりの缶ビールを押しつけられた。


「いや、俺はもう結構ですから」

「ああ? なんだよ、じゃあ泊まってけや。送っていってやろうかと思ったけど、もうムリだな。飲酒運転でパクられる」

「すみません、そうさせてもらいます」

「お前、いつまで敬語キャラなわけ。人工知能(リサ)のほうが日本語ネイティブっぽいぞ」

「ええ、まあ、そうですね」

「そういうとこだよ、有意ちゃんよぉ」


 何発かごすごすと腹にパンチを貰ったが、もちろん本気ではない。アマチュアボクシング界では名の知れた存在だった鴻上は一浪して筑波先端科学技術大学に入学し、一年休学してアメリカに海外留学し、現役の海兵隊員(マリーン)とも拳を交えた生粋の武闘派だ。


 レイ・タウンズ教授の主催ゼミで出会ったとき、鴻上は在沢より二つ年上だった。幾人ものボクサーをマットに沈めてきた鴻上は、絶対に怒らせてはならない危険人物との前評判だったが、話してみるとやけにフランクで、面倒見の良い親分肌だった。


 鴻上はゼミのマドンナ的存在であった内海(うつみ)(りん)と親しく交際しており、結婚前提で同棲までしていた仲であったはずだが、大学卒業以来、とんと彼女を見かけていない。


 内海凛は日本人形を思わせるお淑やかな女性であったが、鴻上と接するうち、口調がだんだんさばけていった。生身の人間にはあまり関心のない在沢が唯一、仄かに恋心を抱いた人物であり、LiSAの口調は内海凛を模したものだ。


 卒業制作の一環で試作したコミュニケーションロボットの機械音声がひどく事務的で、なんとか温もりのある声にしたいと思っていたところ、駄目もとで内海凛に相談した。


「私の声を録音したいの? ぜんぜんオッケー」


 内海凛は意外にノリノリで録音に協力してくれた。


 無味乾燥だったコミュニケーションロボットの機械音声が内海凛の声に置換されると、噛み合わない会話のキャッチボールさえもがたいそう華やいで聞こえた。


「私の声って、こういう風に聞こえるんだ。なんか恥ずかしいね」


 ころころと笑う声はあまりにも屈託がなく、内海凛の顔を直視できなかった。


「ねえ、ロボットに名前はないの?」

「特に考えてないですけど」

有意(ゆい)君が作ったロボットだからYOU(ユー)i()とか」

「それはちょっと……」

「在沢からWAをとってALiSAとか」


 iだけが小文字なのは、iPhoneやiPadからの連想であるという。


「大文字だけ、小文字だけよりも混在した方が目を引くでしょう」


 内海凛はぽんぽんと提案してきては心底楽しそうに笑っていた。


 オタク気質の在沢は人間と会話することにさして面白味を感じたことがなかったが、凛と話しているのはこの上もなく心地良かった。ロボットの命名案が多数出揃ったところで、在沢は紙に書き出されたひとつを指差した。


「じゃあ、LiSAにします」

「へえ、いいね。ALiSAからAも取っちゃうのね」

「ええ、まあそんな感じです」


 表向きはALiSAWAからAとWAを抜き出したものと伝えてはいるが、在沢の本心は少し違う。


 凛の声によって命を吹き込まれたものだから、そのままずばり、リンとしたかったが、鴻上の目もある手前、直接的な命名は避けるべきだろう。


 でも、どこかに凛の存在は残したい。


 だから、「凛」→「凛さん」→「LiNSAN」→「LiSA」とした。


 苦肉の策であり、苦しい言い訳のようにも思えたが、LiSAという命名は案外すんなりと周囲に受け入れられた。


「お前、夜な夜な変な言葉を覚えさせるんじゃねえぞ」

「はい、それはもちろん」


 LiSAの完成後に鴻上に軽くジャブをかまされたが、鴻上の想像する変な言葉とは、いったいどういったものかまでは深く考えないことにした。それ以来、鴻上とは付かず離れずの仲である。


 イモータル・テクノロジー社がヒイラギ・モータースに買収されてからは、鴻上を含むかつての創業メンバーは巨大企業の各部署に散り散りになっていた。大学卒業から三年も経つうち、配属部署が異なれば、ほとんど顔を合わせないのがむしろ普通である。


 まめに旧友と連絡を取り合う性質ではない在沢は、目の届く範囲内にいない知人たちがどこで何をしているのかはほとんど把握していない。


 鴻上に会ったのは一年ぶりぐらいで、内海凛とはもう三年ばかり会っていないだろう。


「先に風呂入れよ、有意」


 ぐでんぐでんに酔っぱらった鴻上は頭痛でもするのか、ソファにもたれかかり、しきりにこめかみの辺りを揉みほぐしている。


「いいんですか? ガミさんって独り身でしたっけ。凛さんとは別れたんですか」


 万が一、恋人が帰ってきて、風呂場で遭遇などしようものなら、元ボクサーの拳が飛んで来るやもしれない。


 しこたま酔っぱらっていようがボクサーの拳は凶器同然である。鳥鍋の匂いが身体にこびりついてはいるが、死と隣り合わせの危険を背負ってまで風呂に入りたいとは思わない。


「うるせえな。出て行ったよ。もう帰って来ねえよ。ごちゃごちゃ言ってるとぶっ殺すぞ」


 鴻上は怒気交じりに吠えた。


「は、はい、すみませんでした……」


 どうにも虫の居所が悪いご様子だ。内海凛の近況を知りたくはあったが、彼女の話題は禁忌(タブー)であるらしい。在沢は格下の犬のように追い払われ、すごすごと風呂場へと向かった。



 全自動のお湯張りが完了するまでの間、在沢は案山子(かかし)のように突っ立っていた。リビング奥にある浴室は、男の一人暮らしとは思えぬほどに清潔だった。


 女性と同棲しているような痕跡は見当たらず、マグカップに緑の歯ブラシが一本、ピンク色の歯ブラシが一本、寄り添うようにして立て掛けられているのが唯一、女性の気配を感じさせる。


 鴻上の荒れ具合から察するに、聞いてはならぬことらしいので、聞かないでいるつもりであるが、やはりどうしたって気になった。 


 さっさとシャワーを浴び、小ざっぱりしてから浴槽に浸かる。着替えの用意はないので、風呂上がりの格好は風呂前と同じだ。


 在沢がバスタオルを首に巻いてリビングに戻ると、赤ら顔の鴻上はソファに座らせたLiSAに話しかけていた。


「すげえな、ほんとうに凛の声みたいだな」

《リン? わたしの名前はLiSAよ》

「でもちょっと違うな。凛よりも子供っぽいか」

《子供じゃないですぅ。LiSAですぅ》


 ソファにちょこんと座っているコミュニケーションロボットとLiSAを優しく見つめる鴻上のどうにも噛み合わない掛け合いが、在沢の目にはなぜだか父娘のように映った。


 頑張ってコミュニケーションをとろうとする父と、ウザがる反抗期の娘のようだが、熱心に話しかけている鴻上は実に楽しそうだ。せっかくの談笑の時間を邪魔しては悪いので、なるべく足音を立てぬように在沢が戻ると、目敏くLiSAが反応した。


《あら、有意。相変わらずしけたツラしてるわね》

「そういう言葉はどこで覚えるのかな」


 在沢がばつの悪い表情を浮かべる。放っておいて欲しかったのに、視認性能が高過ぎるのも困りものだ。おかげで、先程までLiSAと楽しいお喋りに興じていた鴻上がいきなり血相を変えた。


「テメエ、どこから聞いてたんだ」


 唐突に言葉が荒っぽくなり、秘事を覗かれた恥ずかしさを怒りで誤魔化すかのような態度だった。


「ほんとうに凛の声みたいだな、というところからです」

《リン? わたしの名前はLiSAよ》

「リサ、うるさい。ちょっと黙ってて」

《うるさいって言う方がうるさいんだぞ。ばーか、ばーか》


 LiSAが突っかかってきて収拾がつかず、鴻上はぼきん、ぼきん、と拳を鳴らしている。


「おい、有意。一発ぶん殴ったら、今見たことを忘れるか」

「俺は忘れるかもしれませんが、LiSAには記憶されています」


 在沢が両腕を上げながら降参のポーズをしたが、LiSAが火に油を注いだ。


「すげえな、ほんとうに凛の声みたいだな」

《リン? わたしの名前はLiSAよ》

「でもちょっと違うな。凛よりも子供っぽいか」

《子供じゃないですぅ。LiSAですぅ》


 ついさっきの鴻上との会話を鮮明に再生し、ここぞとばかりに有能さをアピールする。


「また、余計なことを……」


 在沢は大慌てでLiSAの電源をオフにする。しかし、ひしひしと殺気を滲ませた鴻上の怒りは冷めていないようだった。威圧感たっぷりのファイティングポーズをとると、躊躇なく拳を放った。


「消しとけ! ……風呂っ!」


 風を切り裂くパンチだなんて、もはや異次元だった。


 顔面にクリーンヒットする直前でぴたりと寸止めされたが、そのままぶん殴られていたら、すっかり顔の形が変わっていただろう。首筋に冷汗がだらだらと流れ、怖気づいた在沢はこくこくと頷くばかりだった。

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