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線上のキンクロハジロ  作者: 神原月人
積み荷の分際
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ブレーキとアクセル

 在沢有意が目を覚ますと、真っ先に視界に飛び込んできたのは、無機質な白い天井だった。


 妙に頭がくらくらして、身体の節々に鈍い痛みがある。


 全身にへばりつくような倦怠感のせいで、上半身を持ち上げようと試みることさえ億劫に感じる。それに吐き気もする。


 どうにも視界が霞んで見えるので、二度、三度とまばたきをしてみたが、世界がぐにゃりと歪んだだけだった。下半身の感覚がなく、両手指は蝋で固められでもしたかのように、ぴくりとも動かない。


 無理して首を動かすと、左腕に点滴のチューブが刺さっていた。


《意識はあるかね、ミスター・アリサワ》


 混濁した記憶のなかで、タウンズ教授の声だけがやけにはっきりと耳に残っている。おそらくここは病院なのだろうが、ベッドに寝かされるに至った経緯が判然としない。


 新規作成したドキュメントファイルをパソコンのデスクトップに保存する前に、誤って消去してしまったかのように記憶がすっぽりと抜け落ちている。


 在沢は必死になって記憶を復元しようとするが、スリープ状態の脳はなかなか再起動してくれない。


 無理して思い出そうとすればするほど、記憶に鍵がかかり、情報(データ)の中身を取り出せない。頭の中に閲覧不可領域ができてしまったかのようで、なんとも気持ちが悪い。  


 自分の呼吸音以外に音らしい音は聞こえてこない。


 生きているような死んでいるような、どっちつかずの(あわい)に立たされているような気がして、不健康な白さに包まれた病室がだんだん棺桶のように思えてきた。


 医者でも看護師でも見舞客でも誰でもいいから、今のこの状況に何かしらの説明をつけてほしい。しかし医者はおろか病室を訪れてくる友人の気配とてなく、在沢有意という人間の人望のなさにつくづく絶望する。


 果たして自分は人間なのだろうか。人間であるように振る舞うよう仕向けられた人工知能の成れの果てではないのだろうか、などと思ったりもした。


 人間でいるのは何かと面倒だ。


 肉体という檻から解き放たれ、脳だけで存在できるとしたら、それは案外に快適なのかもしれないとも思う。


「在沢はしばらく(ブレーン)でいることにしよう」


 白い天井についた沁みを眺めながら自嘲気味に呟くと、病室の扉ががらりと開いた。


 こつ、こつ、こつ。


 いやに高圧的な足音が近付いてくる。


 病室の扉を蹴破るようにして入室してきたのは、蛍光イエローのジャケットを羽織った死神のような男だった。


「茨城県警交通事故捜査係の伊丹です。昨日の人身事故について、お話を伺わせてください」


 伊丹と名乗った警察官は、のっけから有無を言わせぬ調子で捲し立てた。ベッドの横に立たれ、遥か高みから見下ろされたまま事情聴取されたが、在沢の理解がなかなか追いつかない。


「……人身事故?」


 声に出してみると、後頭部を金属バットでぶん殴られたかのようにずきんと痛んだ。


 在沢は運転免許を取得しただけのペーパードライバーであるが、交通事故は人身事故と物損事故とに区分され、死傷者が出た事故を「人身事故」、怪我人の出なかった事故は「物損事故」として扱われることぐらいは知っている。


「昨日、昨日、昨日……」


 無理やりに昨日のことを思い出そうとしてみるが、目の前に濃い霧がかかったようで、ぼんやりとした断片だけしか浮かんでこない。


 よほど思い出したくない精神的外傷(トラウマ)でも体験したのか、昨日の出来事を明瞭化することを身体が全力で拒否しているかのようだった。


「すみません、何も思い出せないんです」

「そうですか。では、こちらをご覧いただけますか」


 タブレット端末に映ったのは、テスト走行に臨んだ自動運転車『MeMove(ミーヴ)』に乗り込む在沢有意の姿だった。


 沿道には報道陣がごった返しており、緊張からか、運転席の在沢は血の気を失っている。助手席には二枚目俳優のような美丈夫が乗り込んだ。


「ご記憶にございますか?」

「ええ、なんとなく……」


 失われていた記憶の断片がだんだんと繋がってきた気がした。


 恩師であるレイ・タウンズ教授の強い推薦もあり、在沢がミーヴの試験走行を担当することになったのだった。


 スタート地点に戻ってきたミーヴは試験走行路内に立ち入った撮影クルーを吹き飛ばし、道路標識に激突して半壊した。


 なんとも衝撃的な映像を直視させられ、在沢は思わず目を背けた。


「ご記憶にございますよね」


 在沢はごくりと唾を飲み込む。


「はい……」


 喉の奥から掠れたような弱々しい声が漏れた。


 むち打ち状態の在沢も怪我人にカウントされるならば、たしかにこれは人身事故であることは間違いない。


 ミーヴに撥ね飛ばされた撮影スタッフはどうなったのだろうと思ったが、訊ねるのが怖く、喉の奥底に隠れた疑問はなかなか言葉にならない。


「ミーヴに轢かれた方は……」


 在沢が絞り出すような声で訊ねると、伊丹は小さく首を振った。


「亡くなりました。死亡したのは網野晃、四十三歳。報道番組『直撃ステーション』のカメラクルーでした」


 警察官の淡々とした物言いに責めるような色はなかったが、在沢の心は粉々に砕け散った。


 あまりにも衝撃的な映像を突き付けられ、在沢はただ運転席に座っていただけだが、在沢自身がカメラクルーを轢き殺してしまったかのように感じた。


「自動運転車はどうして止まらなかったのでしょう。緊急ブレーキシステムはなぜ作動しなかったのでしょうか」


 警察官はメモ帳を繰りながら訊ねた。記憶の底に押し込められていた昨日の出来事が、生々しい実感を伴って蘇ってくる。


「分かりません。ブレーキが効かないことが分かって、手動運転に切り替えようとしたのですが、間に合いませんでした」


 在沢はうなだれ、蚊の鳴くような声で言った。


「手動運転には切り替わったのですか?」


「パニックになっていたので、実際に切り替わったのかどうかは分かりません。でも切り替えようとはしました」


「そうですか」


 伊丹は何か重要事でも聞き出したかのようにほくそ笑んだ。


「網野晃がテスト走行路に陣取りましたが、自動運転車は減速するどころか、加速したのはどうしてでしょう」


「……は?」


 この警察官は自動運転車と呼称するばかりで、『MeMove(ミーヴ)』という固有の車名を口にすることはなかった。頑ななほどに避けていた。


「率直に申し上げましょう。手動運転に切り替えた後、ブレーキとアクセルを踏み間違えませんでしたか」


 問いかけは疑問形ではなく、ほとんど断定のようだった。


「間違えて……ないです」


 確証はなかったが、ブレーキもアクセルも踏んだ覚えはない。


 ブレーキとアクセルを踏み間違えて、アクセルをベタ踏みで人を轢き殺したなんてことは絶対にない。


「網野晃と面識はありましたか?」

「ない、と思います」


 在沢が口ごもると、案の定追及を受けた。


「はっきりとは否定なさらないのですね」


「直接の面識はありません。ですがオンラインゲームが趣味なので、もしかしたらゲーム内で知りあっていた可能性はあるかもしれないので……」


 在沢が言い淀むとと、伊丹の目が猛禽のような鋭さを帯びた。


「なんというゲームですか」


「え~と、『樹海デストラクション』というゲームでして」


 もごもごと歯切れ悪く答えると、伊丹はこれ見よがしにオンラインゲームのタイトルをメモし、ぐりぐりと丸く囲った。


「どういった内容ですか」


 口にしたらよけいに疑われそうだが、不自然に隠せばそれはそれで疑われそうな気がして、在沢は素直にゲームの内容を説明した。


「迷宮のような樹海をサバイバルし、ショットガンやグレネード、ミサイルランチャーを武器に最後まで生き残ったプレイヤーが勝ち、というルールです。一人で戦う『ソロ』、仲間と二人で戦う『デュオ』、仲間四人で戦う『スクワッド』の三つのモードがあります」


 在沢があれこれと説明していくうち、警察官の目がますます険しくなり、なんとか言い逃れしようとする犯罪者を見るような嫌悪の眼差しとなった。


「なるほど、たいへん参考になりました」


 伊丹は嫌味のように吐き捨てるとメモ帳を内ポケットに仕舞った。


 言わなければよかったという後悔と、どうせすぐに分かることだし、という諦めがない交ぜになり、困惑となって在沢を苛んだ。


「また改めてお話を聞く機会があるかと思いますが、今日のところはこの辺で。それでは失礼いたします」

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