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線上のキンクロハジロ  作者: 神原月人
セーサク、シンコー
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誕生と喪失

大塚妃沙子

「どうぞ、お掛けください」


 林田が椅子を勧めたが、妃沙子の腹の中ではもうとっくに合否は決まっていた。むしろ、これ以上の配役はあるだろうか。


 ちらりと響谷の様子を窺うと、目を見開いて唖然としている。


 その顔には、「ハルちゃんの分身(ドッペルゲンガー)?」と大書されている。


「……シ、シオン先輩」


 春斗はいつまでも色褪せぬ初恋の人に会ったみたいに驚きの表情を浮かべ、驚きを通り越して、しばらくぼーっと放心状態だった。


「ハルちゃん、久しぶり。元気にしてた?」


 面接そっちのけで、霧島シオンは小さく手を振った。


 林田はマスターに目配せし、「コーヒー、よろしく」という合図を送った。脚本読みの実技を確かめる必要もなく、先の挨拶ひとつで、もう審査は十分だった。


「なに、なに、なに? ハルちゃんとどういう関係? え、ぼく、履歴書見た記憶がないよ。なんなの、生き別れたお兄ちゃんとか?完全にハルちゃんの上位互換じゃん。てゆーかハルちゃん一人っ子じゃなかったっけ? 兄弟いたの?」


 ひとり事情の飲み込めていない響谷が大騒ぎしているが、林田は意に介すこともない。


「霧島さんはコーヒーはお好きですか?」

「あ、はい」

「ブラックでも飲めますか?」

「ブラックで飲めたら格好良いなと思いますけど、だいたいお砂糖を入れちゃいます」

「ぜひチャレンジしてみてください。ここのコーヒーは絶品でね」


 朗らかな声は耳に心地よく、春の陽だまりのように温かい。


 椅子に掛けた時点でもう面接は終わっていて、後はもう雑談だけだった。


 林田が「なにか異論ある?」という目を向けてきたので、妃沙子は首を横に振り「いいえ、ありません」と答えた。


「えーと、霧島君だね。志望動機と、普段はどんなアニメが好きか、教えてくれるかな」


 今更ながらに履歴書に目を通した響谷が型通りの面接官のように訊ねたが、マスターからコーヒーを受け取った林田が霧島シオンに手渡し、なにか二言、三言、ぼそぼそと耳打ちしていた。


 おそらく、「あれは無視していいよ」とでも言ったのだろう。


 妃沙子がじっと林田を見つめていると、「大塚さんも飲むでしょ?」と笑った。もう堅苦しいことは抜きにしよう、という宣言だ。


 ほんと、食えない人だ。


 分かっちゃいたけど、再確認。


「ありがとうございます。いただきます」


 林田は登美彦に指でくいっ、と合図を送った。


 阿吽の呼吸でこくりと頷いた登美彦は、「響谷さん、お電話です」と言って、カフェの外へと連れ出した。


 ――響谷君、ちょっと邪魔。とりあえず外に出しちゃって。


 たぶん、そんなような指示だ。


 熟練の制作進行がいると、作品のクオリティが格段に上がる。


 まったくもってその通りだな、と思う。


「面接って、だいたいこんな感じなんですか? もっと張り詰めたものを想像していたんですけど」


 コーヒーを一口啜った霧島シオンが困ったように春斗を見つめた。


 世話の焼けるおバカさんは、いまだに放心したままで、なかなか再起動する気配がない。


「うちはだいたいこんな感じだよ。アニメの中でも俺はコーヒーを啜っているだけで、基本的に何もしていない」


 またまたご謙遜を、と言いたくなる。


 でも、林田社長の言うことは一面の真実ではある。


 制作進行が何もしていないように見える現場は、制作快調である証拠だ。


 頻発するトラブルを処理するために、あちこち駆けずり回っているのは良い兆候ではない。


 林田社長がまったりとコーヒーを飲んでいられるうちは、ハバタキは安泰だ。


「面接は既に終わっていますが、最後に何か言っておきたいことはありますか」と林田が言った。


 霧島シオンは、俄かに神妙な面持ちになった。


「ちょっと重くてもいいですか」

「ええ」

「では、お言葉に甘えまして」


 霧島シオンは、春斗ひとりに語りかけるように話し出した。


「僕、自分の名前があまり好きではなかったんです。シオンって、女の子の名前みたいですし。漢字で書くと、詩、音。双子の兄は、リオン。理由の理に、音と書きます」


 春斗がのろのろと身体を起こした。


「僕らに名前を付けてくれたのはお姉ちゃんで、どうしてリオンとシオンにしたのって聞いたんです。いつ訊ねたのか、正確な時期は忘れてしまったけど、中学生になってからだったと思います」


 お姉ちゃんというのは、女優である霧島綾のことだ。


 双子の名前の由来を尋ねると、綾は泣き崩れてしまった。普段は底抜けに明るい姉がどうして泣くのかまったく分からず、シオンはただオロオロするばかりだった。


「僕らは双子ではなくて、実は三つ子だったみたいなんです。いちばん最初に生まれたのが長男の理音。二番目の子は生まれて間もなく息を引き取って、最後に生まれたのが三男の僕です」


 双子の誕生の裏で、母なる海で元気に泳いでいた心音がひとつ、聴こえなくなった。


 霧島家に、誕生と喪失が同時にやって来た。


 子を失くしたばかりの母は憔悴しきっており、子供たちに名前を付けてやれるような精神状態ではなかった。


 事前に考えていた命名案は、宙に浮いた。


 失意の母の代わりに、長女の綾に名付け親のお鉢が回ってきた。


 双子らしい(ペア)になり、それでいながら死を忘れられる名前。


 そんなの難しすぎる注文だ、と綾は頭を抱えた


 ふたつの音を生かすため、ひとつの音が死んだ。


 理由もない死。

 死の音。

 死音。


 綾の頭の中には、そんな響きがいつまでも頭にまとわりついて離れなくなくなった。


 死という文字は、あまりにも重過ぎる。


 でも死を忘れてはならない。なかったことにはできない。


 君の死には理由があり、あたしだけは決して君を忘れないからね、という意味を込めて、双子の長男に理音と名付けた。


 三男から繰り上がった次男に詩音と名付けたのは、死という響きだけはそのままに漢字だけを書き変えて、希望のある音を託したかったから。


 ――霧島リオン

 ――霧島シオン


 試しに片仮名で綴っていたら、どちらも妙にキラキラした字面になって、重苦しい死の色合いなど、見果てぬ地平線の彼方に吹っ飛んでしまった。


「自分の名前が好きじゃないなんて言ったことが取り返しのつかない発言に思えました。本当は僕たちは三つ子だったと知ってから、ハルちゃんとは血が繋がっていないけど、本物の三つ子みたいに思っていました。すごく自分勝手な思い込みですけど」


 霧島シオンは、申し訳なさそうに頭を下げた。


 生まれて間もなく息を引き取った二番目の子は、生まれ変わって、藤岡春斗として生を受けた。


 三つ子みたいではなく、本物の三つ子。

 姓も誕生日も違うが、正真正銘の三つ子。


 そんな風に思っていたという。


 しかし、当の春斗はなんの相談もなくバスケ部を辞めた上、霧島兄弟から離れていった。


 高校でもバスケ部に誘おうとしたが、一方的に避けられていて、廊下ですれ違っても目も合わせてくれず、脅えたようにさっと隠れる。


 そんなに嫌われていたんだと思ったら、悲しくなった。


「顔を合わせたくないんだろ。放っておけよ」


 バスケ部の同級生で、俺様気質の殿村真(トノ)に冷たくそう言われた。


 使えねえ奴は要らねえがモットーの殿村は新入生の仮入部期間中に、『俺に勝ったら即スタメン! バスケ部バトル・オーディション』なる悪ふざけイベントを企画し、腕に覚えのある入部希望者たちを容赦なくコテンパンに叩き潰したものだから、新入生たちの間で「バスケ部、ちょーヤベエ」との悪評が広がり、案の定入部希望者はゼロ。


 とにかく一人でもいいから入部させろ、と顧問が激怒し、バスケのバの字も知らなかった春斗を半ば強引に勧誘した。


 春斗の学年の入部希望者の芽を根こそぎ焼き尽くしてしまったせいで、バスケ初心者の春斗を孤立させてしまった。


 シオンの学年のバスケ部員は六人だったが、春斗の学年はたった一人だけ。


 最初から横の繋がりはなく、辞めたくなるのも無理はない。


「勝手に巻き込んでおいて、ハルちゃんをひとりぼっちにしたのは、僕らのせいです。ほんとうにごめんね」


 霧島シオンはおもむろに立ち上がると、小さく会釈した。


「今まで謝る機会がなかったから、それだけ言いたかっただけです。それじゃ、ハルちゃん元気でね」


 シオンは踵を返し、そのまま立ち去ろうとした。


「……ち、ちがっ」


 溶岩に焼き尽くされた不毛な大地で、根も張れずに孤立していた弱々しい樹が、ようやく声をあげた。


 だが、春斗には言いたい言葉があり過ぎたのか、何ひとつとして言葉にならない。


 春斗は小さく嗚咽し、目の端に涙を溜めている。


 そのまま素直に兄に抱きつけばいいものを、「……怒ってない?」と顔色を窺う五歳児のように、中途半端に立ち尽くしている。


 振り向いたシオンは、光を一身に浴びた樹が左右に枝葉を広げるみたいに、無言のまま両手を広げた。


 そろり、そろりと兄の顔色を窺いながら、春斗はようやくシオンの胸に顔を埋めた。


 声も上げずに静かに泣いている春斗は本物の五歳児のようで、世話の焼けるおバカさんの頭をよしよしと撫でている霧島シオンが、途轍もなく大人に見えた。


「ハルちゃんが小説家を目指していたのは知っていたよ。デビュー作も読んだ。凄いね、頑張ったねって言いたかったのに、僕らの顔を見ると、すぐ隠れちゃうでしょう」


 シオンは、憂いを帯びた目で春斗を見つめた。


「でも本気で隠れたかったら、本名とぜんぜん違う筆名(ペンネーム)にしなきゃ駄目だよね。本名そのまんまじゃ隠れられないよ」


「だ、だって」


 春斗がぐずった声を出すが、その先が続かない。


「ハルちゃんは、自分の名前は好き?」

「……はい」


 春斗はわずかに逡巡してから、こくんとうなずく。


「そう。僕も好き」


 極上の笑みを浮かべたシオンは、ゆっくりと春斗から離れた。


 林田と妃沙子に向かって目礼し、すたすたと帰っていく。置いてけぼりになった春斗は、一瞬どうしたらいいのか分からぬ表情になったが、子犬のようにぱたぱたとシオンの後を追いかけていった。


 最後の面接を終えた林田は、美味そうにコーヒーを啜った。


「藤岡君と一対一(サシ)でコーヒーを飲んだとき、聞いてみたことがある。自分がモデルのキャラクターが美形扱いされているけど、照れはないの、ってね」


 小説妖精ハルは、非の打ちどころのない美形として描かれている。


 照れ屋の春斗ならば、「ハルちゃん、可愛い」などときゃーきゃー言われていれば、すぐ照れそうなものだが、案外平気そうにしている。


 言われてみれば確かに、なぜなのだろう。


 現実と虚構(アニメ)は別腹だから、なのだろうか。


 マジックの種明かしでもするように、林田がぽつりと言った。


「ぼくなんてぜんぜんです。あれはぼくじゃなくて、シオン先輩のイメージですから」


 春斗ははにかみながら、そう答えたという。


 咄嗟に誰のことか分からなかったが、他愛ない会話を重ねるうち、女優の霧島綾の双子の弟であることが判明した。


 駄目元で霧島綾の個人事務所に問い合わせてみると、マネージャーの電話を引っ手繰った綾本人に繋がって、トントン拍子で話が進んだという


「ハルちゃん役の声を募集してるんですか。う? シオン? あー、なるほどです。バスケばっかりしてて演技経験とかまったくないですけど、使えそうなら使ってやってください」


 履歴書とサンプルボイスが応募締切ぎりぎりのタイミングで届き、春斗とは積もる話もあるだろうから、面接の順番は最後に回した。


 林田の算段通り、今日は演技以上のものを見せてもらったから、経験はこの際、脇に置く。


 業界的にはまったくの無名ではあるが、この子に賭けてみたい、と思える確かな存在感があった。


「シオン先輩の声、めっちゃ可愛いんです」


 春斗は珍しくにこにこしながら、そうも言ったという。


 バスケ部主将の武藤哲太(むっちゃん)が怪我で試合を休んだとき、霧島シオンが円陣中央で声を出す役割を押し付けられた。


 声変わりしていないボーイソプラノで「緋ノ宮ぁ、ファイ・オー」と叫んだが、その声があまりにも可愛すぎて試合会場中がほんわかピンク色に染まったという。


 チームメイトからさんざんにからかわれまくったシオンはすっかり調子を崩し、得意のスリーポイントをすべて外したそうだ。


 遠征先の合宿所の大浴場でシオンは湯船に顔半分を沈めてぶくぶくと泡を吹き、のぼせて真っ赤になってぶっ倒れるまで、ずーっとぶくぶくしていたという。


 お風呂でぶくぶくは霧島シオンの代名詞であり、それをそのまま小説妖精ハルちゃんに援用した。


 このぶくぶくがハルちゃん人気を不動のものとし、作品屈指の名シーンとして評価された。


「よくそんな細かいことまで聞いてましたね」

「創作者の好みを把握するのは、制作進行の役目だからね。ただの雑談だよ。これぐらい普通、普通」

「勉強になります」


 妃沙子が感心したような声で言った。


「そういえば、キン、クロ、ハジローも三兄弟でしたね」


 熱血漢の長男キン(但し、方向音痴)。

 寡黙な次男クロ(基本、引きこもり)。

 人懐こい三男ハジロー(但し、よく迷子になる)。


 とにかく騒がしく、あちこちで問題を起こしてばかりの兄と弟に挟まれた次男クロは、ぷかぷか水辺に浮いているだけの傍観者で、基本的に何もしない。


 春斗が自己投影しているのは小説妖精ハルではなく、クロであるような気がした。


 真意はどうであれ、三兄弟を描いていることだけは間違いない。


 ――ぼくも三つ子の一員だよ。

 ――一緒になって大騒ぎはしないけどね。

 ――だって、はっちゃけたキャラじゃないし。


 無論、面と向かっては言葉にはしない。


 核心的なことは何も言わないくせに、迂回的に仄めかしてはいる。


「ほーんと面倒くさい子ですね、ハルちゃんって」


 妃沙子が呆れたように言ったが、林田は取り合わなかった。


 返事の代わりに、コーヒーをずずっと啜る。


 創作者ってだいたい皆、そういう人種じゃないかな。


 林田にそんな目を向けられた気がした。


 実際その通りであるし、そういうしょーもない連中が気持ちよく働けるのは、基本的に何もしていない、この人のおかげだ。


 絵も描かず、音も作らず、色も塗らず。


 それでもこの人は、現場を動かしている。


「山と川、林と田んぼ」


 日頃の感謝を込めて、妃沙子がぽつりと呟いた。


「あとは海と空があれば完璧だな」

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