魂の伴侶
大塚妃沙子
春斗から受け取った脚本をもとに劇場アニメ制作がスタートした。
響谷は脚本の出来にたいへん満足しており、「ハルちゃんはよく分かってるねえ。やっぱりぼくの魂の伴侶だね」などと、気色の悪いことを言っている。
物語の大筋はほとんどどうでも良く、真っ先にチェックしたのは、ハバタキ弐号が波動砲をぶっ放すシーンが山場に挿入されているかどうかであった。
「ハルちゃんの艦長愛をひしひしと感じるよ。至上の愛だね」
おっさんの戯言が耳に入ると、どうにも集中が削がれる。雑音が入らぬようヘッドフォンを両耳に装着して、大塚妃沙子は作画作業に没頭した。
一介のアニメーターであった時は、ただひたすら絵さえ描いていれば良かったが、作品の浮沈の全責任を負う監督となったからには、ありとあらゆるセクションの進捗にも目を光らせねばならない。
作画作業がろくすっぽ進まぬうちから、声優のキャスティングもせねばず、やらねばならぬことは山積みだった。
前作の深夜アニメは、此度の劇場アニメの十分の一程度の破格の低予算アニメであったため、声優や音響、劇伴などの音周りはほとんど響谷人脈で賄った。お友達価格で、ずいぶんと値切ったらしい。
ハバタキが見せたいのは「絵」であって、「音」ではない。
そういう割り切りもあって、前作に出演した声優は、ほとんどが無名同然の若手であった。しかし、今回は予算の桁が違う。
劇場アニメ化に際し、大々的に声優オーディションを開催しよう、という運びになった。言い出しっぺは勿論、響谷である。
「艦長の声を誰に演じてもらおうか。いやあ、ドキドキするねえ」
一次審査用に送られてきたボイスサンプルをじっくりと聞き込み、お見合い相手の釣書でも見るかのようにエントリーシートを眺め、履歴書に付されたプロフィール写真をいちいち講評している。
「声は良いんだけど、写真写りが惜しいなあ。いまいち響谷艦長のイメージじゃなんだよなあ。ほらっ、ぼくってもっとこう威厳があって、包容力に溢れていて、切れ者でありながら偉ぶることはなく、部下に慕われてて……」
もしかして響谷は人生で一度たりとも鏡を見たことがないのではないか、と疑問に思えてくるほど、上から目線の批評には辟易した。
近年の声優は、アイドル的な外見の良さが求められる場面も多く、アニメキャラクターのイメージに近い見映えが求められる。
プロフェッショナルな声の演技に加え、見た目も優れていなければならず、俳優や歌手に求められる資質と大差はない。
一次審査は書類審査が中心で、ボイスサンプルの出来栄えやプロフィール写真などを見て、大まかに篩いにかける。たったひとつの役を射止めるために何百人もの応募があるため、選ぶ側も大変だ。
二次審査は面接と脚本読みの実技が中心となる。各々に自己PRをしてもらい、質疑応答も踏まえての人間性も判断材料になる。
最終的な合否は、妃沙子、響谷、林田が審査毎に一票ずつを投じ、同票になった場合は民主的に話し合う、という体で進められた。
三票集まれば満場一致であるが、妃沙子と響谷の意見は常に対立し、最大でも二票しか投じられない、というケースが続出した。
判断材料は数あれど、妃沙子個人の審査基準は至極単純だ。
――この人と一緒に仕事がしたいか。
答えがイエスであれば、惜しみなく一票を投じる。
しかし妃沙子が○を出したものに、響谷はあっさり×を付ける。
妃沙子が×と判断したものに、響谷は◎を付けて推したりする。
○や◎は参考意見でしかなく、純粋に一票を投じるか否かが問題となるが、響谷との意見が合致した試しがない。
林田は林田で、のほほんとコーヒーを啜りながら、すべてに○を付けるものだから、最初から意見はあってないようなものであり、合否は妃沙子と響谷の一騎打ちの様相を呈している。
もうこれ、あたしの独裁体制にした方が良いんじゃねえか、と心の底から思ったが、響谷がへそを曲げるとハバタキ弐号が空を舞う前に失速してしまうので、それもまた面倒くさい。
オーディション会場は、ハバタキ社屋で開催するには少々手狭で、なによりとっちらかり過ぎていたので、お隣のリバーサイドカフェを借り切って行われることとなった。
ハバタキ社屋を控室代わりにして、登美彦が誘導係を務めた。面接には立ち会っていないので、残念ながら登美彦に投票権はない。
面接時間には一応の区切りを設けてはいたが、熱っぽく自己PRされたりすると、響谷が呼応してしまってやけに話が盛り上がり、すっかり収拾がつかなくなって、予定時間を大幅に超過することもしばしばであった。
面接とはいえ、そう堅苦しいものではなく、アニメの舞台として登場するリバーサイドカフェの味をぜひ皆さんに知ってもらいたい、という林田の意見を汲み、面接後にコーヒーを一杯振る舞っている。
主要キャラクターごとに日を分けて、本日は小説妖精ハルの声のオーディションだった。
本人役を演じる声優を選ぶため、春斗にもオブザーバーとして同席してもらった。
小説妖精ハルは童顔でありながら美形という奇跡のバランスを保ったキャラクターであるため、声優の容姿も声と同じぐらいに重要で、欲を言えば、キャラクターイメージを損なわないものであることが望ましい。
前回の深夜アニメでは単発の出演に止まったせいで、台詞らしい台詞もなく、声優の名前がクローズアップされることはなかったが、今回の劇場版では狂言回しの役処だから、とにかくよく喋る。
ネットの海では、ハルの声を誰が演じるのかが話題になっており、人気声優の名がずらずらと挙げられていた。
「ハルちゃんは声優の希望とかある?」
「特になにも」
事前に希望を訊ねたが、にべもない反応だった。
朝からたっぷり五時間ほど面接が続き、しかしこれという存在には巡り合えていない。遅い昼食休憩を取り、また面接を再開する。
妃沙子なりの直感で、びしっと迷うことなく指名したいのに、面接の数が増えるごとに混迷は増し、どれも帯に短し襷に長しな気がしてきて、どうにも決め手に欠ける。
面接会場にはどことなく澱んだ空気が流れていた。
春斗は机の下で足をぷらぷらさせており、もうほとんど飽きているようだった。
「本日、最後です」
登美彦が最後の面接者を連れてきた。
室内は閉め切っていたのに、ふわっと涼やかな風が吹いた。
「霧島シオンです。よろしくお願いします」
衒いのない、なんとも軽やかな声だった。
艶々した黒髪。
優しげな垂れ目。
高貴な印象を与える、すっきりとした鼻梁。
小柄だが、いかにも俊敏そうな肢体。
繊細で、ほっそりした指先。
一目見て、春斗によく似ている、と思った。
でも、違う。
何かが決定的に違う。
春斗にはどこか拭いがたい影がある。
目の前の青年には影がない。
ずっと光に包まれているかのように、後光が差している。
はて、こんな逸材を一次審査で目にした記憶がない。
察するに、林田社長が直前で潜り込ませた隠し玉のようだった。
なんとなく聞き覚えのある名前であったが、どこで耳にしたのだろうかと思い出していたところ、ようやく思い出した。
緋ノ宮学園中等部に入学した春斗をバスケ部に誘った霧島双子の片割れ。
高槻沙梨に師事する以前の春斗をよく知る、魂の伴侶。