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線上のキンクロハジロ  作者: 神原月人
セーサク、シンコー
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崩壊序曲

響谷一生

 ハバタキ弐号がいざ飛び立てば、樹海上空へはひとっ飛びだった。


 それにしても樹海とはよく言ったものだ。


 禍々しい緑色に塗られた、まさしく「海」そのもの。


 青々と広がる大空から見下ろす濃緑の樹海は、樹々の高さが整然と揃っており、突出して高い樹は見当たらない。


 しかし、樹海を形作る線は荒れ、森自体がひとつの意思を持ったように波打っている。


 上空に浮遊しているハバタキ弐号を食らわんばかりに、樹海の「手」がにょきっと伸びてきて、響谷艦長の機転によりすんでのところで避けることが出来たが、眼下の樹海はまるで醜悪な食虫植物のようである。


「これはいったい……」


 暴れ狂う樹海の手から逃れながら、響谷は望遠投影されたメインモニターの画面を左半分に拡大投影させた。


 倒木のベンチに腰掛けた林田とハル、そして青いマフラーを巻いた(かけす)が画面に大写しになった。


 二人と一匹は、コーヒーらしき黒っぽい液体を啜っている。


 いや、よく見ると、それは黒ではなかった。ブラックコーヒーを愛飲する林田にしては珍しく、木製カップの中身は、土塊(つちくれ)のように濁った茶色だった。


 優雅にコーヒーを飲みながら談笑している絵面のようにも思えたが、林田の背後を見て、響谷は思わず息を飲んだ。


 大塚妃沙子は直視できない、とばかりに顔を背けた。


「登美彦……」


 ブナなのか樫なのか、それともクヌギなのか、樹種はよく分からぬが、とにかく亡霊のような灰褐色の樹木に囚われた奥野登美彦は、触手のような腕に搦め捕られ、ぴくりとも身動きしない。


 顔のあちこちに擦り傷や切り傷、ミミズ腫れのような痣があり、拷問を受けた捕虜のようにも思えた。


 しかし奥野登美彦の顔面の傷が、疵付いた樹皮が修復されるように次第に癒えていく所を見ると、自ら進んで樹と同化しようとしているようにも見受けられた。


 邪悪な赤い目をした鵥がモニター越しに響谷艦長を射抜いた。


「キニナルカ?」


 響谷はあからさまな挑発には乗らず、沈黙を貫いた。


 キン、クロ、ハジローは折り畳み式のビーチベッドに寝そべって小休憩しており、せっかく小説妖精を発見したのに騒ぎもしない。


 モニターに映ったハルは、廃人のように虚ろな目をしている。


 目を開けたまま眠っているかのようで、身じろぎさえしない。


 林田のサングラスに隠れた目の奥は見通せないが、木製カップをゆっくりと上げ下げしていて、それなりに正気を保っているように見えた。しかし、淡い期待は林田の第一声に叩き潰された。


()けたら、首を括るしかないよな」


 悪夢でも見ているような脅えた声だった。


 林田の恐懼に呼応し、鵥が奇怪な歌を添えた。


「ドングリコロコロ、ドングリコ。コロコロドングリ、ドングリコ。ドコドコ、デテキテ、ドングリコ」


「ドングリが大樹に育つ確率と比べたら、まだマシか」


 林田がははっ、と薄笑いを浮かべた。


「一本のブナは五年ごとに三万の実を落とす。樹齢八十年から百五十年で繁殖ができるようになる。寿命を三百年としたら、その樹は少なくとも三十回は受精し、九十万個の実をつける。そのうち成熟した樹に育つのは、たったの一本。それですら森にとっては幸運なことで、宝くじの一等を当てたようなものだ」


 いったい、林田と鵥は何の話をしているのだ?


「なるほど、俺は百万に一つの奇跡を目の当たりにしているのか」


 響谷艦長が手をこまねいていると、いつの間にか小説妖精ハルが艦長席の傍らに浮かんでいた。


「鵥はスズメ目カラス科カケス属に分類されるカラスの仲間です。カラス同様に貯食する習性があり、冬に備えてドングリをあちこちに埋めます。ジェー、ジェーと鳴くから英名は『Jay』……」


 夢遊病者のような虚ろな目をしたハルは、つらつらと解説文でも読み上げるような平板な口ぶりで言った。


「ドングリの隠し場所を忘れてしまったり、仲間のカケスに隠し場所を変えられてしまって、せっかく隠したドングリにありつけない忘れっぽいおバカさんなので、物忘れの激しい間抜けな人の代名詞になっています。交通規則を無視して道を渡ったりする迷惑行為を『JayWalk』とも言います」


 それがどうした、と思った途端、ハルの存在がふっと掻き消えた。


 ハルの無機質な声だけが艦内に木霊した。


「忘れっぽいおバカさんですけど、食べ忘れたドングリが芽を出すので『森をつくる鳥』とも言われます」


 一瞬だけハルが現れ、キンクロ三兄弟が大騒ぎした。


「ハル、発見っ!」

「……発見」

「ハール、ハール、ハールっ!」


 樹海に舞い戻ったハルは、鵥が巻いていた青いマフラーをプレゼントされ、首にしゅるんと巻いて貰っていた。


 ハルはいそいそと灌木の方へ歩み寄り、まるでこれから首を括ろうとするかのように、枝ぶりの頑丈さを見定めている。


「キニナルカ?」


 鵥が挑発するような声で言った。


「サクガホーカイ、サクガホーカイ。ゥゥゥウウウ、ズゴゴゴゴォゴゴゴゴォォオオオオ……」


 ハバタキ弐号の誇る『波動砲(ウェーブ・キャノン)』を撃ってみろよ。


 ほれほれ、さあ撃てよ。


 じゃないと、お宅の乗組員が死ぬぜ。


 鵥が煽り立ててくるが、しかし私はこの世界を愛している。


 この世界を崩壊せしめる力を持った神の火を、世界の線という線を灰燼に帰してしまう雷撃を、おいそれとは振るうことが出来ない。


 だが、私以外には誰もこのボタンは押せない。


 私がやらねば、いつまでも幕を降ろすことが出来ない。


 響谷は断腸の思いで、波動砲の発射ボタンに指をかけた。


 しかし、指先が微かに震える。


 怖いのだ。


 世界を初期化(リセット)することが怖い。


 この樹海を黒い消し炭にしてしまったら、緑の海が再生するのにいったいどれぐらいの年月を要するだろう。


 五百年か。

 それとも千年か。

 はたまた二千年か。


 乗組員を救うためとはいえ、いったい私になんの資格がある?


 ちっぽけなドングリが発芽し、木となり、林となり、やがて森となった、この海をどうして破壊できるというのか。


「サクガホーカイ、サクガホーカイ。ゥゥゥウウウ、ズゴゴゴゴォゴゴゴゴォォオオオオ……」


 鵥の挑発は止まず、いよいよ響谷の進退は窮まった。


 不意にモニターが暗転(ブラックアウト)し、真っ黒に塗り潰された。


 それは作画崩壊の序曲だった。


 林田は棺に横たわるようにして、樹々に遮られた空を見上げていた。


 画面が見切れるほんの刹那、林田の表情を捉えた。


 場違いに晴れやかな林田の声が響谷の決断を鈍らせた。


「山と川、林と田んぼ、あとは海と空があれば完璧だな」


 林田の声が彼方に消え、白い閃光が世界を単色に染め上げる。 


 黒く縁取られた始まりが終わり……。

 終わりが……始まる。

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