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線上のキンクロハジロ  作者: 神原月人
セーサク、シンコー
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テイク・オフ

響谷一生

 キンクロ三兄弟(ブラザーズ)操縦室(コックピット)は、巨大な自然対流式水槽(ウォーターバス)である。


 艦長席横の飛び込み台(ダイビング・ボード)から没入(ダイブ)し、最大潜水力は十メートルほどもあるキンクロ三兄弟が水槽内を泳ぎ回って、水を攪拌(アジテーション)させる。


 水質管理や定期的な水の入れ替えなど、何かと非効率で維持費も嵩むが、飛空戦艦フライング・バトルシップハバタキ弐号の動力源である「(ウェーブ)」を起こすには、今のところ、この手段しかない。


 ハバタキ弐号が搭載する神の火『波動砲(ウェーブ・キャノン)』を放つには、最大限まで波を装填(チャージ)しなければならないため、構造的に連発は不可能。


 大陸を丸ごと焼き尽くせる程の生半可ではない威力を誇る波動砲の発射タイミングは、艦長たる響谷の裁量に委ねられている。


 大いなる力には大いなる責任が伴う。


 響谷はかの箴言を肝に銘じ、身命を賭して職責を全うしている。余りある力に無頓着な鳥どもには腹に据えかねているが、波を起こすには彼等の協力が不可欠で、大きな声で叱責は出来ない。


 つくづく飛ぶまでが一苦労なのだ。


 金黒羽白も、戦艦も。


「おいっちにー、さん、しー」

「ごー、ろーく、しーち、はーち」


 水中ゴーグルを装着したキンとハジローが、おもむろに準備体操を始めた。クロはろくに体操もせず、水槽にちゃぷんと浸かった。


「……さむっ」


 クロはぶるるっ、と身体を震わせ、恨めしそうな目で響谷艦長を見た。温水じゃないと泳がないぞ、と訴えているかのようだ。


 まったく、なんという体たらくか。軟弱にも程がある。


 大塚妃沙子に餌付けされ、常日頃から微温湯(ぬるまゆ)に浸かり、潜水採餌ガモの本能を忘れて怠惰に暮らすうち、キンクロ三兄弟は「水に潜って餌を採る」という野性を喪失してしまった。


 ナポリタン、つけ麺、油そば、もんじゃ焼きといったB級グルメに舌鼓を打つうち、鳥らしからぬ美食家になった。


 気が向いたときにしか潜水しなくなり、食後のコーヒーまで美味しく啜る始末。


 それでいて「労働環境が真っ黒(ブラック)だ。もっと砂糖(シュガー)を」と待遇改善を要求してくるものだから、ほとほと手に負えない。


 ただでさえ甘々に甘やかしているのに、これ以上甘くしろだと。


 巫山戯(ふざけ)るな。寝言は寝て言え、と一蹴できぬ自分が情けない。


 ようやく準備運動を終えたキンとハジローが飛び込み台まで上がってきた。


 しかし、飛ばない。


 注意力散漫で、すぐに余所見をする。


 長男のキンがきょろきょろと辺りを見回した。


「ハルはどこにいった?」

「……逃亡(エスケープ)」クロがぼそりと呟く。

「ハール、ハール、ハールっ!」ハジローが騒いでいる。


 ハバタキ弐号の見習い乗組員だったハルこと藤岡春斗は、地に足がついているときは小人族(ホビット)ほどの大きさであるが、背中に隠した羽根を広げると限りなく透明に近くなり、小さな身体がぐっと縮んで、手乗りサイズの小説妖精(ピクシー)となる。


 地に降り、小説家としての活動を優先すべく下船したハルだが、そもそもがまともに地に足が着いてない故、地球の重力に縛られぬところがある。半透明なまま、艦内をふわふわと漂っていたりする。


 お坊ちゃん育ちが身に染み込み過ぎている末っ子気質のハルと、微温湯にぷかぷかしているキンクロ三兄弟は魂の甘っちょろさが似通っているためか、大の仲良しだ。


 しょっちゅう雲隠れするハルを探し当てる「かくれんぼ」なる無益な遊戯が三兄弟のお気に入りで、隠れハルを見つけ出しては大喜びしている。


 一回見つけ出すごとにハル印の特典スタンプが貰え、十個貯まると、全国共通お食事券と交換できるらしい。


「ハル、どこだ?」とキンが言った。

「……地底(アンダーワールド)」クロがぼそりと呟く。

「ハール、ハール、ハールっ!」ハジローが騒ぐ。


 飛空戦艦の動力源である波を起こすことを放棄し、キンクロ三兄弟はかくれんぼに夢中になっているが、艦長席に座した響谷は両手を口元で組み、神妙な面持ちのまま、時が来るのを待ち続けた。


「ハル、いないぞ?」とキンが言った。

「……孤独死(コドクシ)」クロがぼそりと呟く。

「ハール、ハール、ハールっ!」ハジローが騒ぐ。


 孤独死は、英語圏でも“Kodokushi”で通じるそうだ。


 まったく嫌な時代になったものだな、と響谷艦長は胸を痛めた。


 姿の見えないハルをあちこち探し回り、キンとハジローはぎゃあぎゃあと騒ぎ立てている。クロは呑気にぷかぷかと水槽に浮かんでいる。


 ハルの隠れ場所が一向に見つからず、キンとハジローの顔にそろそろ飽きたな、という本音が見え隠れして、ようやく響谷艦長は重い口を開いた。


「ハルならば、たしか水槽の底で見かけたな」


 食い意地の張ったキンとハジローは、響谷のさりげない助言を耳にするなり、どぼん、どぼん、と水槽へと飛び込んでいった。


「ハル、どこだ?」

「ハール、ハール、ハールっ!」


 二匹は水槽の中を縦横無尽に泳ぎ回り、だんだん波ゲージが溜まっていく。ようやくだ。ようやく……。


 再三、号令をかけたものの、一向に飛び立てぬ状況に苛立ちは澱のように溜まってた。


 ようやく大空に羽ばたけると思うと、感慨もひとしおだった。


「これより樹海上空へと向かう。ハバタキ弐号、テイク・オフ!」


 波ゲージが満タンまで装填され、遅ればせながらハバタキ弐号が発進する。


 ハバタキ社屋の地下から、隅田川の水を引いた清澄庭園の大泉水までを貫く洞穴滑走路を、轟音を轟かせながら滑るように走る。


 たっぷり助走したハバタキ弐号は、ようやく空に舞った。


 ひと仕事を終えたキンとハジローは、口々に叫んだ。


「ハバタキのキンクロ旅団、いざ樹海! セーサク、シンコー!」

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