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線上のキンクロハジロ  作者: 神原月人
セーサク、シンコー
52/100

事実と少量の嘘

大塚妃沙子

 春斗は真顔でつらつらと語った。


 最初のうちは私情を挟まず、かなり客観的な語り口であったが、途中からだんだんと私的な感情が混じるようになった。


 事実(ノンフィクション)少量の嘘(フィクション)を混ぜ込んでもあるようで、すべてが事実ではなく、またすべてが嘘ということもない。


 コーヒーとミルクが混ざってしまえば、もう分離はできないのと同じで、よけいに謎めいてくる。


 いったいぜんたい、どこからどこまでが事実で、どこからどこまでが嘘なのか、さっぱり分からず、妃沙子は眉間に皺を寄せた。


 木を見て森を見ず、という言葉もあるぐらいである。


 嘘八百の樹ばかりを見ていては、春斗の語る物語の全景がどんな森であるのかを見失ってしまう。


 この際、細かい部分は脇に置く。


 物語展開(ストーリーライン)をざっくりまとめると、ずいぶんすっきりした。


 ①双子の先輩に誘われて、バスケ部に入りました。

 ②先輩たちが卒業したので、部活に未練はありません。

 ③部活を辞める方便として、小説家を目指します。

 ④部活辞めちゃいました。先輩に顔向けできません。

 ⑤樹海に入って、樹になりたいと思います。


 ごく一般的な感覚からしても、②まではすんなり理解できる。


 ただ、③からずいぶん雲行きが怪しくなる。


 たかが部活を辞めるためだけに、なぜ小説家を志さねばなるまいのか。そんなもん、すぱっと辞めちまえばいいではないか。


 辞めたら辞めたで、先輩たちに顔向けできないと嘆く。


 だったら最初から部活を辞めるなよ、と言いたい。


 挙句、樹海に行って樹になります……だと?


 そんなちっぽけな理由で、人間を辞めようとしているのか。


 まったくもって救いがたい。


 この子の感性、どうなっているのだ。


 部活を辞めたぐらいで世を儚み、いちいち樹海に入っていたら身が持たんぞ。


「あっさり人間辞めるなんて言うな、バカ」


 妃沙子は歩みを止め、春斗を強引に抱き寄せた。


 さほど深くもない胸の谷間に春斗の顔を押しつけると、春斗はびくっと肩を震わせ、身を固くした。恥ずかしそうに顔を伏せ、もぞもぞと居心地悪そうにしている。


「……あの」


 抱擁をやめてほしいのか、なにか言いたいことがありそうだ。


「なによ?」

「え、いや、べつに……」

「なんなのよ。言いかけたことは言いなさいよ」


 年甲斐もなく、いたいけな少年を樹海の中で押し倒しかけているこの状況にまともな説明がつけられないが、どだいまともではないことを言い出したのは、春斗の方である。


 しばらく抱擁し続けていると、がちがちに強張っていた全身からすっかり力が抜けた。相変わらず、こちらとは視線を合わせない。


「あたしが分からない?」

「分かり……ます」


 どうやら健忘状態は脱したらしい。


 ちょっと名残惜しいが、抱擁は解き、ただし手は繋いだまま歩き出した。


 お互いに無言のまま、同じ方角へ歩き続け、人の手の行き届いた遊歩道に辿り着いてからはもう迷いようはなく、ようやく樹海を脱した。


 そこは閑散とした駐車場で、ログハウス風の売店があった。


 朝方、春斗を発見したことは林田社長に報告済みであるが、今ようやく樹海を出たことを報告すると、今度は入れ違いで林田が樹海入りしているようだった。


「俺は奥野君を探している。こっちは任せてもらって大丈夫。まだ戻れそうにないから、悪いけど藤岡君を連れて先に帰っておいてよ」


「分かりました。お気をつけて」


 配車アプリを利用してタクシーを呼び、後部シートにどっかりと座り込むと、疲れがどっと押し寄せてきた。


「奥野さんは?」


 春斗が遠慮がちに訊ねてきた。


 ぼくなんかとべたべたしていたら、奥野さんが気を悪くするんじゃないですか、という気を回したようだが、その心配は要らない。


 むしろ、あたしが春斗にちょっかいを出したら沙梨ちゃんを傷つけてしまいそうだ。女の友情はそれでなくともひび割れやすいものだから、迂闊なことはしない。


「まだ樹海の中みたい。登美彦は社長と帰るみたいだから、あたしたちは先に帰りましょう」

「そうですか」


 春斗は眠そうに目をこすっている。


「寝てていいよ。着いたら起こしてあげるから」

「はい。ありがとうございます」


 春斗はぷつっと緊張の糸が切れたのか、妃沙子の肩に寄りかかるようにして、こてんと眠ってしまった。


 すーすーと寝息を立てて、赤ちゃんのように安らかな寝顔だった。

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