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線上のキンクロハジロ  作者: 神原月人
セーサク、シンコー
51/100

述懐

大塚妃沙子

 美月お姉ちゃんというのは、春斗の十歳年上の従姉である。


 お坊ちゃまお嬢様学校として有名な私立緋ノ宮学園に通い、中等部三年間はバスケ部のマネージャをしていた。


 同級生でバスケ部の副主将だった野口友輔(トモスケ)――ノグッちょと交際するようになり、初デートは映画館だった。


 たまたま観た映画は、平凡な美月の人生をがらりと変えた。


 当時無名だった霧島綾という端役が主演女優を食うような演技を披露し、一躍スターダムに昇り詰める契機となった。


 あまりにも感動した美月は、脚本家を目指すようになる。


 高等部では演劇部に入り、せっせと脚本を書くようになった。


「書けない、書けない」と嘆く美月お姉ちゃんを身近に見ていたから、脚本の書き方を習ったことはないが、なんとなく漠然と分かっていた。


 美月が心奪われた霧島綾も緋ノ宮学園に通う生徒で、美月の一学年先輩だった。


 霧島綾にも十歳離れた双子の弟がいた。


 リオン、シオンという、顔はそっくりだが、性格はまるっきり似ていない双子の兄弟。


 霧島双子は、緋ノ宮学園初等部時代からその名を轟かせる天才的なバスケットボール選手だった。


 兄は左利きの高速ドリブラーで、弟は正確無比のスリーポイントシューター。


 プレースタイルは全然違うけれど、二人とも華があった。


 従姉が通っていたからという、ただそれだけの理由で緋ノ宮学園に通うようになった春斗は、入学当初から学校に馴染めなかった。人見知りのせいで誰とも話せず、教室が牢獄のように感じた。


 美月の恋人のノグッちょが初等部のバスケ部のコーチをしていたこともあり、霧島ツインズが春斗をバスケ部に誘ってくれた。


 霧島ツインズは女優の姉譲りの美形で、春斗が気安く喋りかけられるような存在ではなかったが、お互いに小柄で、背格好だけは似ていたからか、まるで三つ子のように親しくしてくれた。


 バスケ部に入部した新入生が春斗たったひとりだけだったこともあり、霧島ツインズは学年の垣根を超えて、まるで三つ子の末っ子であるかのように気安く接してくれた。


 長男の霧島リオンは、無鉄砲おバカさん。

 次男の霧島シオンは、引っ込み思案おバカさん。

 三男の藤岡春斗は、世話の焼けるおバカさん。


 三人ひっくるめて「霧島チビーズ」として扱われた。


 霧島先輩たちがいてくれたときは、学校は夢のように楽しかった。


 でも霧島先輩たちが卒業して、バスケ部に春斗ただ一人になると、夢のような楽しさはすっかり消えてしまった。


 中等部一年から三年の途中まではバスケ部に在籍していたから、ずぶの運動音痴という訳でもないけれど、三年生の部員は一人だけだからお前が主将をやれ、と顧問に押しつけられた途端、敵前逃亡するぐらいには根性がない。


 霧島先輩たちのいない部活には何の楽しみもないのに、口さがない後輩たちから「あのチビ、使えねえ」と陰口を叩かれる日々には心の底からうんざりだった。


 べつにバスケが好きで入部したわけではない。霧島先輩に誘われたのがたまたまバスケだったからで、先輩がいてくれたならバスケでも、バスケじゃなくても、野球でもサッカーでも何でもよかった。


 でも先輩たちはもういない。


 部活を始めた理由が先輩たちであるのならば、部活を終える理由もまた先輩たちであって何が悪い。


 ここに居座る意味はもう何一つない。

 ないはずだ。


 もう辞めたい。

 辞めて自由になりたい。

 思うのはそれだけだった。


 夏の大会直前で部活を辞めるには何かしらの理由が必要で、担任の国語教師に相談すると、「お前は作文が巧いからな。そっちの方で頑張れ」と、立ち去り型サボタージュを認めてくれた。


 高槻沙梨という小説家の本を熱心に勧められたが、さして興味はなかった。


 担任の先生がどっぷりハマっていただけ。


 一読してあまり流麗な文章だとも思えず、どちらかといえば悪文気味で「この程度なら僕でも書けるかも」なんておこがましく思ったりもした。


 しかし、読むのと書くのでは大違いだった。


 いざ自分で書いてみて初めて、高槻先生の凄さを知った。


 将来は小説家になりたいなどと吹聴したのは、部活を辞めるための方便に過ぎない。


 でも嘘もまた方便で、バスケ部を辞めたのは、本気で小説家になるためだったのかも、なんて自分で自分を騙すようになっていた。


 部活を辞めたらすっきり心が晴れるかと思ったが、実際はそんなことはなく、学校の廊下を歩くたびに裏切り者と後ろ指を指されているような気がして、いつだってびくびくしていた。


 誰に嫌われたって良いけれど、バスケのバの字も知らないド素人だった自分を誘ってくれた霧島先輩たちには合わせる顔がない。


 幼稚園から大学まで揃う一貫校であるから、廊下や通学路で先輩にすれ違わないかと常に冷や冷やする。


 優しい先輩たちの厚意を踏みにじったのだと思うと居たたまれない気持ちになり、学内では極力誰とも顔を合わせないように存在感を消し、ずっと図書館に引きこもった。


 教室に気安く喋れる友人は皆無だったけれど、本の中の登場人物たちとは親しく会話していたから、べつに寂しいとか、孤独だとは思わなかった。


 霧島先輩たちにはもう顔向けできないけれど、その代わりに高槻沙梨というお師匠を得た。「それで良かったのか?」と自問すると、「分からない」としか答えられない。


 何と言っても霧島先輩たちを裏切ったのだ。


 自分が汚れきったゴミ屑のように思えてならない。


 悩みの欠片ひとつなさそうな同級生たちが眩しくて、でも自分とは別の世界の住人だと思っていて、本の世界に逃げ込んで安穏としている自分は敗残者だとさえ思えた。


 人混みは嫌いで、明るいところも苦手。耳鳴りがするような騒がしいところは吐き気がする。人間全般は嫌いだけれど、ちょっとは好かれたいと思っている天邪鬼。


 ここが樹海だとしたら、僕はどうしてここに来たのだろう。


 ……死んで詫びるため?


 そうだね。

 そうかもしれない。


 他人の好意を踏みつけて平然としていられるような心の無い人間なんて、生きる価値はない。


 一生、樹海を彷徨ってろ。


 先輩たちに、そう言われてしまったのかな。


 そう言われても仕方がないことを僕はしでかしてしまいました。


 今更ですが、謝ります。


 リオン先輩、シオン先輩、申し訳ありませんでした。


 死ぬのは怖いので死ねませんが、その代わり僕は樹になります。物言わぬ樹になって、のんびり余生を過ごしたいと思います。


 語っているうちに、どうして樹海に来たのかだんだん思い出してきました。


 青いマフラーを巻いたカケスに会ったんです。


 カケスは僕に言いました。


「樹になるか?」


 カケスはドングリ部の隊長なんだそうです。


 信じられますか?


 信じられないでしょうね。僕も信じられません。

 でもカケスは人間よりずっと人間らしかった。

 恩を仇で返す薄情な藤岡春斗なんかよりもよほど人間らしかった。


「樹になるか?」


 なってもいいかな、なんて思っている自分が信じられません。

 どうせこれからも、ぬけぬけと生きていくんだと思います。

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