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線上のキンクロハジロ  作者: 神原月人
セーサク、シンコー
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ジュキョウのソ

藤岡春斗

 ここはどこ、と問われれば、「樹海」としか答えられない。


 春斗は指揮棒代わりの小枝を投げ捨て、とぼとぼと歩いた。


 ドングリ部に入隊したはいいが、ジェイ隊長はひたすら『ドングリロード』ばかり歌っていて、さすがに飽き飽きしていた。


 ジェイ隊長が首に巻いたマフラーに塗られた夜光塗料だけが唯一の光源で、ほとんど目隠ししながら歩いているのと同じような状態だったから、倒木や樹の根っこに足を取られて躓いてばかりいた。


 鳥目という言葉があるように、鳥って夜、目が見にくくなるんじゃないのですか、と問うてみたら、


「メでミルナ。カンジロ。ドングリはイチニチにしてナラズ」


 ジェイ隊長はそんなご無体を仰られた。


 先行きの見通せぬ黒々とした森の中、都合よく暗視ゴーグルとか落ちてないかなと思ったが、懐中電灯ひとつ落ちてやしない。


 お腹の虫がグーグー鳴っていて、隊長殿、そろそろ下士官は空腹と目眩で倒れそうであります。隊長はお空を飛べてよろしいですね、と恨めしく思っていたら、空中をホバリングしていたジェイ隊長が歌うのを中座し、くるりと振り返った。


「マテ! ドングリのニオイがするゾ」


 ジェイ隊長は樹の洞をツンツンと突っつき、ここら辺に隠したらしいドングリを漁っている。


 好物であるドングリの探索中は、口ずさむ歌が変わる。


「ドングリコロコロ、ドングリコ。コロコロドングリ、ドングリコ。ドコドコ、デテキテ、ドングリコ」


 ドングリ部の新入部員として、誠心誠意のお手伝いはしているつもりだが、今のところ戦果は芳しくない。


 ジェイ隊長が『ドングリロード』を歌っているときは指揮棒を振っているだけで良かったが、『ドングリ転々(コロコロ)』では、一緒に歌うことを求められた。


 隊長はドングリの匂いをくんくんと嗅いでいるが、そもそもドングリって匂うのだろうか。


「ドングリコロコロ、ドングリコ。コロコロドングリ、ドングリコ。ドコドコ、デテキテ、ドングリコ」


 リズム感なく、念仏を唱えるようにぶつぶつ言っていると、まるで自分がコロコロ転がるドングリのように思えてきた。


 まっさらなドングリの気持ちになり、どこに隠れたら安全だろうかなどと思いを馳せてみたりもした。


「……ナイナ。ユクゾ」


 しばらく探したが、ジェイ隊長は捜索を途中で打ち切りにした。ドングリ探しが不発に終わると、ジェイ隊長はしばし不機嫌になり、歌も歌わなくなる。無音の間、あるのは樹々のざわめきだけ。


 別れ話を切りだす前の男女のような、ぴりりと張り詰めた空気になんとも息が詰まる。ジェイ隊長が沈黙していると、世界がぴたりと止まったように感じられる。


 足を踏み出すたび、ぱきっ、ぽきっ、と枯れ枝を踏みつける音がするが、それ以外は凪いだ海のように静かだった。


 ずっと暗闇の中にいると、なんとなく目が見えてくる。足を取られて、躓く回数も格段に減った。暗さを怖いと思わなくなり、普段は意識さえもしない心臓の音がどくんどくんと力強く拍動していることに、何とも言えない崇高さを覚えた。


 心の目が見開かれ、目を瞑っていてでも歩けそうな気がした。


 しゃんと背筋を伸ばし、目で見ず、肌で感じる。


「ドングリは一日にして成らず」


 ごく自然に、ジェイ隊長の訓示を口にしていた。


「ヨロシイ。ソレがジュキョウのオシエでアル。ココロにキザメ」


 ジェイ隊長は、重々しく告げた。


「……儒教?」


「チガウ。ジュキョウ」


「孔子の教えのことですか」


「コーシ? チガウ。ジュキョウのソはドングリセンニンだ」 


 カケス言語では、「ジェイ」と「ジェー」が明確に違うようだが、では「ジュキョウ」とは何なのだろうか。


 ジュキョウ以外は、なんとなく類推ができる。


 ――ジュキョウの祖はドングリ仙人である


 たぶん、そんなような意味だろう。

 よくは知らないが、


 ――儒教の祖は孔子である


 というのと、同じようなものだ。


 じゅきょう、ジュキョウ、儒教、と頭の中でこねくり回していると、ポンと閃いた。


 ――()()


 ああ、なるほど。


 樹の教え。樹海の教え。

 略して、樹教。


 ――樹教の祖はドングリ仙人である


 文章がカチッとハマった気がして、すっと腑に落ちた。


「ドングリ仙人はどのような教えを説いておられるのでしょう」

「キニナルカ?」

「なります」


 ジェイ隊長は「よろしい」とでも言いたげに重々しく頷いた。


「ドングリセンニンはサンビャクネンイキル、メーヨジュモクゾ。クレグレもソソウのナイヨウにナ」


 メーヨジュモクってなんだと思ったが、名誉ある樹木のことだと見当がついた。ジェイ隊長が信奉するドングリ仙人とは、三百年生きる名誉樹木であるらしい。


「名誉樹木……」

「サヨウ。キはやがてナニにナル?」


 謎々のようだったが、この樹海の成り立ちを訊ねているのだろう。


「木は林になり、森になります」


「ソノトオリ。ハヤシダ。キはハヤシになり、やがてモリになる。ハテニ、ウミとなる。ワカッタラ、クリカエセ」


「木は林になり、やがて森になる。果てに海となる」


「ヨロシイ。ゴー、カクダ」


 ジェイ隊長は、ふわりと空に舞った。


「キニナルカ?」


 重ねて問われて、ようやく意味が分かった。


 ――()になるか?


 ではない。正しくは、


 ――()になるか?


 である。


 覚悟を問われ、少しばかり迷ったが、いかんせん相手は樹木である。まさか取って食われるようなことはあるまい。


 腹は決まった。というより、腹が減った。


 もうドングリでもなんでもいいから、とにかく腹が減った。


「樹になります」


「ヨロシイ。ツイテ、コイ」

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