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線上のキンクロハジロ  作者: 神原月人
セーサク、シンコー
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ドングリブタイチョウ

藤岡春斗

「ドングリィロォード、このミチィー」


 青いマフラーを巻いたカケスが、調子っぱずれの声で歌っている。


 一寸先さえも見通せぬ暗さの中で、マフラーに塗られた夜光塗料だけがぼんやりと熾火のように揺れている。


「ずうっとー、ユケェばー」


 カケスはあっちへふらふら、こっちへふらふら、とにかくふらふらと左右に揺れ動き、春斗が付いてこれているのかなどお構いなしの様子だ。


 溶岩と倒木、曲がりくねった樹の根が複雑に入り組んだ、ただでさえ歩きにくい地形を、ほとんど目隠し同然の暗さの中で歩くのは、とにかく神経をすり減らす。


 正午過ぎはまだ足元を視認できたから、罠のような倒木をひょいひょいと跨ぎ越えて、さほど苦労なく歩くことができた。しかし、今は無辺の闇に覆われ、燐光を発するカケスだけが頼りという有様だった。


 倒木を跨ぎ越えた際、窪地を覆った腐葉土でも踏み抜いてしまったのか、右足がずぼっと穴に嵌まりこんだ。


 靴紐のないスリッポンタイプのデッキシューズを履いていたため、足を引き抜く際にするっと脱げてしまった。


 およそ自分では選ぶことのなさそうな鮮やかなオレンジ色の靴は、沙梨先生からの大学入学祝いだ。


 いつも踵の潰れたぺたんこのスニーカーを履いていたが、「春斗君も大学生になるんだし」と言って、この靴をプレゼントしてくれた。


 憧れの先生からもらった靴を汚せるはずもなく、履くのがもったいなくて、一生神棚に飾っておこうかとも思ったけれど、沙梨先生に会える特別なときだけ、履くことにした。


 靴のサイズはわずかに大きめだったけれど、普段は好んでぶかぶかのスニーカーを履き潰しているので、足元がちょっぴりカチッとした感じになった。そして、なんといっても足元が明るい。


 自分で選ぶと、寒色系の色合いばかりになるので、足元が暖色系の色合いになるのは新鮮だった。温かな色彩を見慣れていないので、下ろしたての靴を履いて街を歩くのが気恥ずかしかった。


「ちょっと派手じゃないですかね」

「春めかしくて良いと思うよ。よく似合っている」


 沙梨先生にお伺いを立てると、ショップ店員みたいな返答だった。


 オレンジ色は、春斗の春からの連想であるらしいが、はて、ぼくのイメージカラーって、オレンジなのだろうか。


 フレッシュなオレンジは搾ると美味しいジュースになるけど、炬燵の上のミカンは、剥くのがけっこう面倒くさいんだよな、などと思ったりした。


 そういえばオレンジとミカンってどう違うんだろう、という疑問が湧いたが、それを口にすると、沙梨先生を困惑させるだけなので、発言は控えた。「春斗君は、そういう細かいところが気になるんだね」と言われるのがオチだ。


 どうでもいいところばかりが気になる、悪い癖。


 せっかくプレゼントしたのに、この子はリアクションが乏しいな、と思ったのか、沙梨先生はちょっぴり寂しそうだった。


 先生からのプレゼントが嬉しくないはずはなく、気持ちとしては「わあ、先生ありがとう。めっちゃ大切にします」と飛びあがって喜んでいるのだが、あいにくそういう本心を素直には言えない。


 臆面もなく、さらっと感謝を伝えるなんて、人見知りにはあまりにも高度な芸当過ぎるし、そもそも恥ずかしくて、顔から火が出る。


 直接、言葉では言えない代わりに、沙梨先生に会えそうな日だけ、この靴を履くようにしている。


 今日も先生に会えるはずだったのに、執筆が忙しいのか、直前で来られなくなってしまったらしい。


 沙梨先生はいざ執筆モードに入ると、山籠もりでもするかのように雑音をシャットアウトする。書いている間中、スマホはオフにし、ネットも見ず、メールも見ない。


 そのため急なお誘いには応じられないことが多く、前もって予定を立てていても、前夜に筆が走ってしまったら、書くことが最優先。執筆疲れの翌朝はぐったりと疲弊しているので、これまた連絡が滞る。


 そういう執筆スタイルだから、男の影はない。


 ない、と信じたい。


 あったとしても、影の方から消滅するらしい。いわゆる自然消滅。


「他人に合わせられないの。人間失格だよね」と自嘲気味に言っていたが、沙梨先生が人間失格であるならば、なんなのだろう。


 もしかして、神だろうか。


 小説ばかり書いている女神様。


 ネット上では天才的な画力のアニメーターを“神絵師”と崇める風潮があり、ハバタキの大塚妃沙子も「神」の名が冠されることがある。


 沙梨先生と妃沙子は姉妹のように仲が良く、女子会と称してよくつるんでいるが、なるほど人間失格の神同士だから、気が合うのか。


 よく妃沙子経由で招集がかかり、ハルちゃんもおいでよ、と女子会に誘われるが、そのたびに「ぼくって女子なの?」と思い、なんとも言えず暗鬱な気分になる。男扱いさえしてもらえないのだな、と。


 しかし、よくよく考えてみれば、自分もまた人間ではない。


 神絵師によって命を吹き込まれた小説妖精なのだ。


 妖精なのだから、神々の周囲をうろついて、ぷーぷー喇叭(ラッパ)でも吹いていればよろしい。


 へたに人間に合格して影ごと消滅するより、よほど良いではないか。


 地に足などつけて歩いていられるか。


 だって妖精だもの。


 なーんて思ったりもしたが、脱げた靴が沙梨先生からの賜り物であるから、地に足が浮いている状態を言祝ぐことは出来なかった。


 気が動転し、いつにもない大声が自然と腹から出た。


「ちょっと待って、カケス。ストップ!」

「ドングリィロォード、このミチィー。ずうっとー、ユケェばー」


 春斗が慌てて呼びかけるが、カケスは壊れたレコードのように、同じフレーズばかりを繰り返している。


「ドングリィロォード、このミチィー」


 左右に揺れ動く燐光がどんどん遠退いていき、樹海に取り残されたデッキシューズもろとも影が闇に溶けて消えそうになる。


「ずうっとー、ユケェばー」


 この道をどこまで行っても樹海だろ、うるさいな、と苛立ちが募ったが、とにもかくにもカケスを呼び戻さばならなかった。


 春斗はがさがさと穴に手を突っ込みながら、大声で叫んだ。


「ドングリッ! ドングリっ!」


 春斗がドングリ発見の報を叫ぶと、カケスは「ん? ん?」と周囲を見回した後、ようやく背後に振り向き、こちらへ戻ってきた。


「ドングリッ! ドングリっ!」


 カケスはドングリ発見の報を復唱すると、青いマフラーを振り乱しながら、春斗が足を嵌まらせた穴に嘴を差し入れた。


 クレーンゲームの要領で何かを掴んだらしい。


 顔をあげたカケスは、嘴の先にデッキシューズを咥えていた。


 しかし、ドングリではないと知るや、靴をぺっと吐き捨てた。


「カケスっ! 神っ!」


 春斗は恭しくデッキシューズを拾い上げ、愛おしげに頬擦りする。倒木に腰掛け、もう脱げませんようにと願掛けしてから履き直した。


 春斗の隣で羽根を休めたカケスは仏頂面だ。


 ドングリがどこにもないではないか、と言いたげだ。


「ねえ、カケス。怒ってる?」

「カケス……ではナイ」


 これまでなら「なんだ、ニンゲン」と応じてくれていたのに、どうやらカケスに人間失格を申し渡されてしまったらしい。


「ねえ、カケス」

「カケス……ではナイ」


 まるで禅問答のようだった。


 よほどご立腹なのか、カケスはむっつりとしたまま、飛び立つ気配がなかった。


「カケスじゃないなら何なの?」

「ジェー」


 ふざけているのか、カケスは人を食ったように囀った。


「ジェーじゃなくてカケスでしょう」

「ジェー」

「ねえ、カケス」

「ジェー」

「だからカケスってば」

「ジェー」


 カケスは馬鹿のひとつ覚えのようにひたすらジェー、ジェー、と言っている。


 ニンゲンではない。

 カミ。


 カケスではない。

 ジェー。


 同じ理屈だ。

 どうにもそういうことらしかった。


「ねえ、ジェー」


 カケスの主張する通りに呼びかけてみると、反応が変わった。


「ジェー、チガウ。ジェー」

「じぇー?」

「チガウ。ジェー」

「じぇえ?」

「チガウ。ジェー」


 春斗の耳にはほとんど同じ音階に聞こえが、カケスからすると、微妙にニュアンスが違うらしい。


 何度もジェー、ジェーと言ううち、ようやく正しい発音に辿り着いたらしい。


「ジェイ」

「ジェー!」


 その発音が正解だと言わんばかりにカケスは羽根をばたつかせた。


 カケスの発音するジェーは、人間の発音ではジェイらしい。


「いいか、ニンゲン」

「なに、カケス……じゃなくてジェイ」

「ジェーはドングリブタイチョウ。ドングリナイ、ユルサナイ」


 カケスの言葉がいまいち理解できず、頭の中で反芻する。


 ――ドングリブタイチョウ


 はて、なんのことだろうか。


 漢字変換してみる。


 ――ドングリ部隊長


 なんとなくイメージが湧いたが、音節はどこで切れるのだろうか。


 ――ドングリ /部隊長か。

 ――ドングリ部/ 隊長か。


 ドングリという名前の「部隊」があって、その(おさ)なのか。


 それともドングリ部という「部活」があって、その隊長なのか。


 部隊なのか部活なのかは判然としないが、いずれにせよ隊長ではあるようだ。


 カケスの名はジェイ、役職はドングリ部隊長。


 ドングリ部隊というのも可愛らしい響きであるが、ドングリ部ってなんだよ、と思ったらにやにやが止まらなかった。


 山岳部とか、冒険部みたいなノリで樹海に赴き、ドングリを探すのか?


 そして部の隊長がジェー、ジェー鳴いているカケスなのである。


 それもただのカケスではない。青いマフラーを巻いたカケスだ。


 いやあ、キャラ立ってるなあ、としみじみ思った。


「申し訳ございません、ジェイ隊長。以後、気をつけます」


 春斗は笑いを噛み殺しながら、ぴしっと敬礼をした。


 樹海に迷い込んだニンゲンに隊長呼ばわりされたのがよほど嬉しかったのか、さっきまで仏頂面だったカケスは相好を崩している。


 鳥にも表情の変化があり、だんだん分かってきた気がした。


「カマワン。ダレにもマチガイはアルものダ。ハゲメ」


 隊長扱いされると図に乗るなんて、艦長扱いされると調子に乗る響谷Pのようだ。


 果たしてカケスの知能が響谷並みなのか、響谷の知能がカケス並みなのかはよく分からないが、両者はよく似ていた。


 違うのは形態(フォルム)である。


 響谷Pは暑苦しく、可愛さの欠片もないが、ドングリをついばんでいるカケスは、だいぶ可愛い。


「ユクゾ、ニンゲン」


 ジェイ隊長は厳かに言うと、春斗から付かず離れずの位置で足元を照らしてくれた。露骨に待遇が変わった。意外と優しい。


「ドングリィロォード、このミチィー」


 羽ばたいた途端、やっぱり例の『ドングリロード』を歌い出した。何度も聞いていると、鬱陶しいだけだった歌が名曲に思えてきた。


 春斗は小枝を拾い、オーケストラの指揮者のように振ってみた。


 左右に振っただけの指揮棒の動きに合わせて、カケスが歌う。


「ずうっとー、ユケェばー」


 樹海の長いトンネルを抜ると、そこは樹海であった。

 夜の底が黒くなった。

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