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線上のキンクロハジロ  作者: 神原月人
セーサク、シンコー
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山川林田

 富士山の周りにある湖は、富士五湖と呼ばれる。


 東から順に、山中湖、河口湖、西湖(さいこ)精進湖(しょうじこ)本栖湖(もとすこ)で、樹海に面しているのが、西湖、精進湖、本栖湖である。


 林田は、富士五湖の中でもっとも小さい精進湖沿いにあるレストランの駐車場に車を停めた。特徴的な三角屋根の建物で、売店兼レストラン兼民宿兼ボート屋という多角経営ぶりだが、営業時間はすでに終了しているようだった。


 駐車場はだだっ広く、バス停の標識まで出ていた。


「もう終わってるっぽいですね」


 助手席から降りた響谷が残念そうに言った。


「大丈夫、事前に連絡をしてあるから」


 山梨県福祉保健部に勤める山川安吾に連絡したところ、待ち合わせ場所としてこのレストランを指定された。店内はすっかり暗くなっていたが、売店前のオープンテラスに人影があった。


「山川さん、ご足労いただき恐縮です」

「いえ、こちらこそ」


 林田が会釈すると、頑健な体格の山川も同じように頭を下げた。


 上背はさほどではなく、中肉中背の林田とおっつかつだが、見るからに身体の厚みが違う。


 濃紺のスーツ姿の男を見て、響谷は一瞬、首を傾げた。


 不審げな顔つきには、「誰だ、こいつ?」と書いてあった。


「山川さん、ご紹介します。こちらが弊社の作画監督、響谷です。響谷君、こちらは山川さん。樹海を舞台にしたアニメのスポンサーになってくれようとしている山梨県福祉保健部の職員だ」


 スポンサーという単語を持ち出した途端、響谷は態度をころっと改めた。如才のない笑みを浮かべ、握手を求めた。


「立ち話もなんですから、ひとまず座りましょうか」


 慇懃に名刺交換をし、どちらともなくテラス席に腰を下ろした。


「ずいぶんがっちりした体格ですが、なにかスポーツをされていたんですか?」


 中年太りした腹をたぷんと揺らした響谷が山川に訊ねた。響谷はスポンサーには腰が低いが、爽やかなスポーツマンタイプを嫌う。


 響谷と山川は年齢はそう変わらぬはずだが、不健康を絵に描いたような響谷の方が幾つも老けて見える。


「学生時代に剣道をやっておりました」

「へえ、そうですか。てっきりアメフトかなにかかと」


 紹介者である林田を差し置いて、響谷が場を仕切り出した。


 意図せぬ方向へと話が脱線しそうだったため、林田はこほんと咳払いした。響谷が「なんすか?」と言いつつ、顰め面をした。


「今日、樹海の下見に行ってきたのですがね。三名がまだ戻ってきていないんです。県警には連絡したのですが、まず聞かれたのは、自殺の危険性はあるか、ということでした。ない、と答えると、捜索は明日以降になる、とのことでした」


 林田が深刻そうな物言いをすると、山川は小さく頷いた。


「そうですか。それは心配ですね」


「ええ。少々、樹海を舐めておりました」


「遊歩道を外れると一気に方向感覚を失いますから、迷ってしまうのも無理はないです。何はなくともコンパスだけは必需品で、あらかじめ二、三個持っていくと安心です。もしも迷った時はとにかく来た道と同じ方向に歩き続ければ、いつかは外に出られます」


 何度も樹海に足を踏み入れたことのあるベテランのような口振りだった。


「山川さんは、樹海へは?」

「正確な数は数えておりませんが、たぶん二、三十回ぐらいは訪れているかと思います」


 山川はぐっと奥歯を噛みしめ、沈鬱な面持ちになった。


「立ち入ったことをお聞きしました。申し訳ない」

「いえ、お気遣いなく」


 アニメ制作会社で働いていた兄の慎吾が「飛んで」しまい、消息不明となった。兄の死をすんなりとは認められず、折を見ては樹海に立ち入っているのだろう。


 一人だけ話を飲み込めていない響谷が、ぱちくりと目を瞬いた。


「社長と山川さんはどういうご関係で?」


「山川さんのお兄さんと私は同期でね。同じ制作進行として働いていた。裏表のない気持ちの良い男だったけれど、激務が祟ったのだろうね。ある日、神隠しに遭ったみたいに飛んだんだ」


 作品制作中に、制作進行が行方不明になることを「飛ぶ」と言う。


 業界歴の長い林田にしても、実際に知人が飛ぶ場面に直面したのは、後にも先にもこれっきりだった。それだけに忘れがたい。


「無念だ……」


 目の前で腕を組み、林田は力なく項垂れた。


 細かいことなど言わずとも、同じアニメ業界で戦う者同士、響谷にも十分伝わったようだ。迷彩服のポケットから純白のハンカチを取り出し、しきりに涙を拭いている。


「制作進行は、絵も描かず、音も作らず、色も塗らない。それでもアニメの制作現場を下支えしている自負はある。クリエイターが気持ちよく創作に専念できる環境を整えるためなら、俺はどんなことでもするよ、というのが兄の口癖でした。そんな兄が自分から死を選ぶなんて、未だに信じられなくて……」


 山川の信条は、林田の信条とそっくり同じだった。


「私もそういう気持ちで仕事をしています。考えは一緒です」


 林田がさりげなく口を挟むと、山川安吾が頷いた。


「はい、林田さんにはお世話になりっぱなしで。中途採用の林田さんという方が、兄のやり残した仕事を完璧に引き継いでくれた、と伺っていました」


「……中途採用?」


 なんのことだ、と思ったが、制作途中の引継ぎのことか、と納得した。消息不明となった山川の後任が林田であったのは間違いない。


「林田さんのお名前だけはずっと前から存じており、他人のような気がしません。その節は、たいへんお世話になりました」


「私はただ仕事を引き継いだだけです。お礼などとんもない」


 林田は居心地悪そうに頬を歪めた。


「樹海を舞台にしたアニメを、というご提案は、お兄さんのことがあってのことですか?」


 そこはかとない敵意を醸し出していた響谷は、すっかり毒を抜かれていた。心なしか、言葉遣いさえも丁寧になっていた。


「公私混同という誹りもありますが、実際にその通りです。ハバタキのアニメをたまたま見かけて、林田さんのお名前を見つけました。これはもしかして、と思い、お声掛けさせていただいた次第です。もうこれ以上、兄のような悲劇を繰り返すべきではない」


 山川安吾が、失踪した兄を探すべく定期的に樹海をパトロールしている、という身の上話を淡々と語ると、外見に似合わず涙脆い響谷の号泣はいよいよ止まらなくなった。


「樹海には、自殺の名所というイメージが付きまとっていますが、そのイメージがあまりにも強過ぎるために、自殺志願者たちを強く惹きつけてしまっています。私は、その負のイメージを刷新したい。新たな樹海像を創り上げたい。それで劇的に何かが変わるとは思いませんが、たった一人でも自殺者が減るならば本望です」


 林田の手を取り、山川が力強く訴えた。


「力を貸していただけませんか?」


 涙と鼻水で顔をぐしゃぐしゃにした響谷は、林田と山川安吾の手の上に自身の手を重ねた。

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