モノマネドリ
藤岡春斗
泣きじゃくる春斗をあやした沙梨先生は、微かに苛立っていた。
「春斗君、どうして樹海になんて行ったの?」
その質問には答えたはずなのに、目の前の沙梨先生をお母さんだと認めなかったせいなのか、会話は堂々巡りだった。
沙梨先生を相手に、幼い春斗が訴えた。
「あのね、カケスを見たの」
「……カケス?」
「目がぐりぐりしてて、頭がギザギザしてて、青いマフラーをしてたの。追いかけたら、ジェー、ジェー、って鳴いたんだよ」
「へえ、青いマフラーかあ。素敵な表現だね」
そう言ったきり、幼かった春斗の姿が元通りになり、沙梨先生の幻影は蜃気楼のように立ち消えたけれど、首に派手な青いマフラーを巻いたカケスがまとわりついてきた。
比喩ではなく、本当にマフラーを巻いている。
「どうだ、ニアうだろう」
いきなり喋りかけてきたが、こういう手合いは、無視するに限る。
「あんまりオドロかねえな。ツマンネーやつ」
お喋りなカケスが得意げに見せびらかしたマフラーは、自殺者の遺留品だろう。首吊りに利用された切れ端なのか、カケスの首回りを飾るのに、ちょうど良い大きさに千切れていた。
カケスは構ってほしそうに、春斗の周りをぐるぐると旋回した。
まるでしつこい客引きのようで、鬱陶しい。
「なんで喋れるの?」
「このカイワイじゃ、モノマネドリなんてイワレテル。ニンゲンのモノマネなんてカンタン、カンタン」
「そのマフラーも人間の真似?」
「ニアうだろ」
そんなところまで真似るな、と言いたい。
「悪趣味だね」
「メがグリグリしてて、アタマがギザギザしてて、アオいマフラーをしてたの。オいかけたら、ジェー、ジェー、ってナいたんだよ」
カケスは、春斗の口振りを真似てみせた。
「ウソからデタ、マコトだな」
聞き捨てならぬことを口走り、ぴゅーっ、と囃し立てた。
どうやら、口笛のつもりらしい。
「ピーポー、ピーポー。キュウキュウシャがトオリマス。ミチをアケテクダサイ」
頼んでもいないのに、物真似のレパートリーを披露しだした。
「ソコのクルマ、トマリナサイ。ウー、ウー、ウー」
芸達者なのはよく分かったが、いい加減に鬱陶しくなってきた。
春斗がむっつり黙っていると、カケスはよけいに調子に乗った。
「ヤーキ、イーモ。ヤーキィー、イィーモォー。イィーシィーー、ヤァーキィー、イィーモォー。オイシイ、オイシイ、オイモダヨ」
椅子がわりにしていた樹の根から立ち上がり、春斗は歩き出した。
「ドコ、イクんだ?」
「知らない。とりあえず、静かなところ」
カケスがあまりにもうるさいので、追っ払う仕草をした。
「ヤメロ、ハヤまるな」
「うるさいなあ」
先回りしたカケスは、春斗の足元でぎゃあぎゃあと囀っている。
「どこに行こうが関係ないでしょ」
春斗はカケスを跨ぎ越え、知らんぷりしながら歩いた。
しつこいカケスは春斗の肩に飛び乗り、耳元で威嚇の声をあげた。
「ゥゥゥウウウ、ズゴゴゴゴォゴゴゴゴォォオオオオ……」
聞き覚えのある唸り声に、思わず春斗が立ち止まった。人間の足を止めたのがよほど嬉しかったのか、カケスは小躍りしている。
「ねえ、その効果音、どこで覚えたの?」
「ヤマとカワ、ハヤシとタンボ、あとはウミとソラがあればカンペキだな」
会話が成立しているようで、成立していない。
それってハバタキ弐号の波動砲の効果音じゃんと思ったが、なぜ樹海に住むカケスが真似できるのか。
樹海にテレビでも捨ててあり、たまたま深夜アニメを見たのか。
いや、樹海にテレビの電波は来ていないだろう。
だとしたら、カケスに波動砲を教え込んだ人間がいるのだ。
「キになるか?」
お喋りなカケスは、春斗の思考を読んだような口振りだ。
「変なカケス」
「ヘンなニンゲン」
春斗がぷっと笑うと、カケスはかくかくと首を振って叫んだ。
首に巻かれた青いマフラーが左右に揺れる。
「ニンゲン、クビククル。ダメ、オッパラウ。パトロール、パトロール。サクガホーカイ、サクガホーカイ。ゥゥゥウウウ、ズゴゴゴゴォゴゴゴゴォォオオオオ……」
耳元で大音声が炸裂し、春斗は思わず耳を塞いだ。
ようやく耳鳴りが治まると、このうるさいカケスが樹海でどんな役割を果たしているのか、ぼんやりとだが理解できた。
「ねえ、カケス」
「なんだ、ニンゲン」
「首を括りに来た人間を追っ払うのがお前の仕事なの?」
奇妙な沈黙があり、色濃い緑の樹々がざわめいた。
「キになるか?」
「気になるね」
樹海の遊歩道には、自殺防止を訴える立て看板が無数にあった。
富士吉田警察署の連絡先が記された看板には、
「命は親から頂いた大切なもの
もう一度静かに両親や兄弟
子供のことを考えてみましょう。
一人で悩まず、まず相談してください」
いかにも公僕らしい、真っ当なメッセージが記されていた。
ぎりぎりまで追い詰められ、死を決意した人間を翻意するには、ありきたり過ぎて心に響いてこないのでは、と思ったが、地元民の生々しい本音が綴られた自作らしき看板もあった。
「自宅で死ね。お前の葬儀代に地元民の税金が使われている」
これはこれで辛辣過ぎて、救いがない。
死の淵にある自殺志願者に、どんな調子で語りかけるかは、実に難しいテーマだ。もしかすると、人生で最後に目にする言葉になるのだから、不正解はあっても正解はない。
不正解の数だけ、人が死ぬ。
真っ当過ぎると説教臭く、生々し過ぎると優しさがない。
漠然とだけれど、「樹海を舞台にした劇場アニメ」の構想が浮かんできた。
しかし、まだ部品が足りない。
もう少し、取材が必要だ。
カケスは喋り疲れたのか、春斗の肩に乗って休憩している。
喉をごろごろと鳴らして、発声練習中らしい。
「普段、どんな風にパトロールしてるの? 教えてよ」
教えを乞うたが、カケスは取りつく島もない。
「ダメ、オッパラウ。ゥゥゥウウウ、ズゴゴゴゴォゴゴゴゴォォオオオオ……」
こいつは死ぬ気がなさそうだから、さっさと失せろ、ということらしい。カケスが飛び立とうとしたので、咄嗟に春斗はジーンズからベルトを外すと、首に括りつけた。
それを見たカケスは血相を変え、春斗の頬を突き始めた。
「痛い、痛いってば……」
「クビククル。イタイ。ダメ、オッパラウ。ピーポー、ピーポー。ソコのクルマ、トマリナサイ。ウー、ウー、ウー」
やかましく、救急車とパトカーのサイレンを鳴らした。
春斗がベルトを緩めると、ようやく騒音が一段落した。
「ねえ、カケス」
「なんだ、ニンゲン」
「首を括るのは止めるから、どうやって人間を追っ払うのか、近くで見せてよ」
そう申し出ると、カケスはまんざらでもなさそうな顔をした。
「キになるか?」
「気になるね」
「ヘンなニンゲン」
「変なカケス」
カケスは羽根を器用に操って、マフラーをきゅっと締め上げた。だんだん蝶ネクタイのように見えてきて、正装した森の執事かのように思えてきた。小うるさいのが玉に瑕だが、嫌いではない。
「ツイてこい、ニンゲン。ツイてこれるならな」
カケスは春斗の頭の上に飛び乗ると、道案内の印なのか、軽快なタップダンスを踊った。ちょっとくすぐったい。
「よろしく、カケス」
「ヤマとカワ、ハヤシとタンボ、あとはウミとソラがあればカンペキだな」
「だから、何なのそれ」
「ニンゲン、クビククル。ダメ、オッパラウ。パトロール、パトロール。サクガホーカイ、サクガホーカイ。ゥゥゥウウウ、ズゴゴゴゴォゴゴゴゴォォオオオオ……」
カケスは馬鹿のひとつ覚えのように繰り返した。
会話は成立しているようで、やっぱり成立していなかった。