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線上のキンクロハジロ  作者: 神原月人
セーサク、シンコー
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かくれんぼ

大塚妃沙子

 樹海でかくれんぼしている小説妖精を見つけ出すべく、妃沙子は、遮二無二になって走り回った。


 着の身着のまま、気軽に下見に来たことを後悔するぐらい、シャツはすっかり汗でぐしょぐしょになり、スニーカーは泥だらけになった。


 樹海の来歴は、ざっくりとだが頭の中に入れてある。


 今から千二百年ほど前、富士山が噴火し、流れた溶岩が北麓一帯を焼け野原にした。溶岩はやがて冷え、溶岩質の大地に苔が繁茂し、その上に新たな樹々が芽吹き、森が再生された。


 そんな成り立ちの若い森であるため、森というと、漠然と平らなイメージがあったが、実際の樹海は、思ってもみないほど起伏に富んでいた。


 所々に溝や段差があり、地面に亀裂が走り、雪山の深い裂け目(クレバス)のようになっているかと思えば、終戦を知らされていない敗残兵が潜んでいそうな洞穴もある。


 ネズミ返しのように反り返った岩壁は迂回せざるを得ず、枯れ木に覆われた窪地は、さながら天然の落とし穴だ。うっかり足を滑らせ、崖から落ちれば怪我は免れない。


 地面まで太陽の光が届かないせいか、林立する樹々はどれも痩せっぽっちで、腐っている樹も多く、あちこちに倒木が転がっている。


 起伏に富む複雑な地形、崖や穴、行く手を遮る倒木、の三重苦に加え、見渡す限りどこもかしこも似たような風景ともなれば、「いちど迷い込んだら最後、生きては出られぬ呪いの森」と噂されるのも頷ける。


 単身、樹海を練り歩いてみると、ちらほらと人間の痕跡が見つかった。


 帰り道の目印なのか、点々と、樹に赤い紐が巻かれていた。片方だけのスニーカーが裏返っていたりした。


 ひび割れた眼鏡や、朽ちたライター。服薬自殺を企てたのか、薬物のパッケージ、茶色い瓶、注射器などが散乱していた。樹の根元にはボロボロになったビニール傘があった。


 春斗を探す、という目的が先行していたため、何を見ても驚かなかった妃沙子だが、さすがにこれには驚きの声をあげた。


「なんでこんなところにトラックがあるのよ……」


 樹海を貫くように走る県道71号線から乗りつけでもしたのか、おんぼろのトラックがあり、タイヤにはびっしりと苔が生えていた。


 自殺者が身元を隠すために捨てたのか、それとも他殺の証拠隠滅を図るためなのか、車のナンバーは折り曲げられていた。


 しばらく呆然と立ち竦んでいた妃沙子は、首を左右に振り、再び歩き出した。昼過ぎでさえ薄暗かった樹海だが、そろそろ夕暮れになり、闇の濃さが増したような気がした。


 自分が遭難するなんて、これっぽっちも考えていなかったが、切りの良いところで引き返さないと危ないかも、と頭の中で警戒警報が鳴り響く。


 ここまでまったく後ろは振り向かなかったが、いざ振り返ってみると、辿ってきた道を引き返せるだろうか、という懸念が湧いた。


 帰り道の目印となる遺留物や特徴的な地形はきちんと覚えているが、その順番は、というと確信はない。


 今頃、登美彦はきちんきちんと方位磁石を眺め、まどろっこしく、一歩、また一歩と進んでいることだろう。


 撤退時には良かろうが、真っ暗になってしまえば、さすがに動けない。


 日没までに探さねばならない時間制限(タイムリミット)がある上では、どう考えたって遅過ぎる。


 とにかく春斗を見つけるのが先決で、暗くて動けなくなってしまったら、野宿すればいい。一晩ぐらいなら、なんとかなるだろう。そう腹を括れば、もう退路など気にすることはなかった。


「ハルちゃーん、どこー? いたら返事して」


 ありったけの声を振り絞り、叫んだが、森がざわめくだけだった。


 そもそも樹海の広さってどのぐらいだっけか、という疑問が湧き、たしか「山手線に囲まれた面積に相当」という、雑学的(トリビア)な記述を見かけたのを思い出した。


 そんな広範囲を当てもなく歩き、探し人をピンポイントで見つけるなんて、無謀な試みだとは思う。


「ハルちゃーん、どこー? いたら返事して」


 叫んでも叫んでも、応じる声はなく、徒労感は澱のように増していく。


 刻々と闇は深くなり、足を棒にしながら歩き回るうちに心が挫け、どこまで行っても変わり映えしない風景が、だんだん現実のものと思えなくなってきた。


 疲労困ぱいで頭がクラクラし、目眩がしてきた。


 それでも意地で歩き続けていると、妃沙子の目の前を青い鳥がすっと横切った。


「ジェー、ジェー」


 濁声で鳴き、ふわふわと綿菓子が舞うように浮遊している。青い鳥は妃沙子に一瞥もくれることなく、そのまま飛び去っていった。

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