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線上のキンクロハジロ  作者: 神原月人
積み荷の分際
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現実の問題

 在沢有意は茨城県警の留置所で二十三日間を過ごした後、不起訴処分となった。晴れて自由の身となった在沢は鴻上に出迎えられ、ライトバンの助手席に座った。


「まあ、ある程度予想できた結果ではあったけどな」


 赤信号待ちの鴻上が独りごちた。車洗隊(くるまあらたい)が完璧な消臭作業を完遂してくれたおかげで、車内はすっかり清浄な空気を取り戻していた。


「俺、裁判になった場合のことをずっと考えてたんですけど」


 在沢がぶすくれると、鴻上は薄笑いを浮かべた。


「逮捕はあくまでも脅しだろう。刑事裁判になれば、柊木も証言台に立たなければならなくなる。過去を蒸し返されて困るのは向こうだし、柊木のイメージはガタ落ちになるもんな」


 未成年との淫行、強姦、果ては事故に見せかけた謀殺との容疑が重なれば、育ちの良さと外面の良さだけで世間の支持を集めている柊木人気は地に落ちるだろう。冷静に考えてみればその通りだが、留置所にぶち込まれた渦中の身では、そこまで頭が回るはずもない。


《有意、おかえり》


「ただいま、リサ」


 運転席と助手席の間にLiSAがちょこんと座っていた。


《小説、読んだ?》


「うん、読んだ読んだ」


《ハルちゃんみたいだっただろう。というか、ハルちゃんそのものだっただろう》


 喜々として喋っている様子が、描いた絵を親に見せたがる小さな子供みたいで、なんとも微笑ましかった。


《有意、泣いてないな》


「泣き過ぎて、涙が涸れちゃったのかも」


《ゲロゲロ》


 これから大人の会話をしたいので、話し足りない様子のLiSAには悪いけれど、少しばかりスリープ状態でいてもらうことにした。頭部を二秒ほど長押しすると、お喋りな人工知能が眠りに落ちた。


「留置所を出たら飛び上がって喜ぶものかと思ってたけど、意外と感動しないものですね。俺が逮捕された後、会社はどんな感じですか」


 在沢が心持ち声を低めて言った。


「シンポジウムに参加した二千人以上の署名が集まって、半藤が解任されたよ。今のところ、オレがEDR解析班の室長代理」


「へえ、おめでとうございます」


 在沢が小さく拍手すると、鴻上は吐き捨てるように言った。


「あの野郎はたんなる警察の犬だからな。職権乱用のクズだ」


「よっぽど嫌いだったんですね」


「まあな。客観的なデータを好き勝手に書き換えられたら、公平性も透明性もクソもねえだろう」


 鴻上のハンドルを握る手に力がこもった。


「でも、ひとつ腑に落ちないんですよね」


「なにが?」


 在沢が押し黙ると、車内は水を打ったように静かになった。


 警察庁から内閣情報調査室を経てヒイラギ・モータースに天下りしてきた半藤理が文字通りに警察の犬だとしたら、鴻上仁は平気で主人の手を噛む、躾の行き届いていない駄犬だ。


 恋人である凛の死因を探っていた鴻上は、EDR解析班への異動を求めた際、いったいどうやって半藤の信頼を得たのだろうか。


 鴻上は忠犬であることをアピールするため、きっと意にそぐわぬ汚れ仕事をしたはずだ。ではどんな仕事を負えば、こいつは使える、と知らしめることが出来るだろう。


 あれこれと考え続けるうち、これまでは点と点でしかなかったものが、いつのまにか一本の線で繋がってしまった。思いついた途端、悪寒がした。鴻上はあちこちに匂わせていたのに、ろくに気がつきもしなかった自分の間抜けさに腹が立った。


「ガミさんもトロッコの分岐点(ポイント)を切り替えたんですね」


「……何が言いたい」


 在沢はフロントガラス越しに灰色の虚空を見つめた。


 いつか寝物語に聞いたトロッコ問題はただの空想ではなく、どこまでも現実の問題だった。EDR解析班という本丸に侵入するため、どうしても必要な犠牲だった。


 設備保全主任の福田の話によれば、およそ一年半前、納車前のReMove(リーヴ)が盗難に遭い、工場に出入りする従業員全員が疑いの目を向けられた。無免許の女子校生――網野美亜が筑波スカイラインで運転を誤り、事故死した。


 鴻上がEDR解析班に異動する時期とぴたりと重なる上、美亜を()()することが異動を認める手土産であったとすれば、すべてに筋が通る。


 盗難事件が起こった当時の鴻上は、ヒイラギ・モータースの社員でありながら工場従業員ではなく、それでいて納車前の車に乗っていてもなんら違和感のない特殊な立場にあった。


 事情を知る幾人かの助力さえあれば、労せずして透明人間足り得ただろう。


 それがEDR解析班に異動するための最終試験だった。


 そして、鴻上は命じられるがままに網野美亜を消した。


 なるほど、だから鴻上にも消えない罪の意識があったのか。


「オレが殺した。オレが殺した……」


 譫言のように繰り返していたのは、凛を見殺しにしてしまったがためだけではなかった。


 罪の意識だけではなく、実際に手を汚してしまっていたのだ。


「網野晃の娘はどんな最後だったんでしょうかね」


 すべてが露わになってしまった以上、余計なことはもう何も言うまい。ただ、事情を察したことを匂わせるだけでいい。


「さあな。アクセルとブレーキを踏み間違えたんじゃねえのか」


 死人に口はなく、真実を知るのはこの男だけ。


 夫婦とは多種多様の秘密を共有する共犯者のような関係である。一人で背負うには重い荷を、この男となら分かち合える気がした。

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