新・私のエッセイ~ 第120弾 ~ 文豪、三島由紀夫氏に対する、いまのぼくの思い
ぼくが、この広い世界において、
心から尊敬し、なおかつ、無条件であこがれる男が、3人だけ、いる。
いつ、いかなるときにも、まったく「ブレずに」、自らの強い決意と信念に基づき、まっすぐに行動する・・・
そんな『熱い漢』が。
故・手塚修虫先生の医学作品、
『ブラックジャック』の作中の主人公、通称ブラックジャックこと、「間黒男」氏。
故・さいとうたかを先生のロング・セラー劇画、
『ゴルゴ13』の主人公、通称ゴルゴ13こと、『デューク東郷』氏・・・
そして、今回のエッセイで取り上げる、
昭和の大文豪・・・
三島由紀夫氏、である。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
・・・ぼくは、三島さんが大好きだ。
ここでも何度も取り上げたし、
かつてやっていたフェイスブックにも、彼のカッコイイ写真を、大量に投稿し、さらには、
「三島由紀夫VS東大全共闘 長尺版」という動画まで、UPさせていただいた。
だが、
ぼくは、恥ずかしながら・・・
最近まで、三島さんの作品を読んだことがなかった。
いま、
『金閣寺』という、皆さんもよく知る、彼の代表作のひとつを読んではいるものの・・・
なかなか読みが進まない。
なんていうのか、ぼくにとって、それが、
「とても理解が難しすぎる世界」だから、だ。
これは、
文藝春秋が発行していた、
『現代日本文学館42 三島由紀夫』という、ネットで購入した絶版書籍シリーズのうちの一冊だ。
巻末あたりの発行年月日を見てみると、
「昭和41年8月1日:第1刷」とある。
ぼくが生まれた年(= 昭和45年)よりも以前・・・
つまり、三島さんが自決して果てる昭和45年より、4年以上も前のものだった。
彼が自殺をし、愛する家族を残して、なぜにして「死の道」を選んだのかについては、
多くの意見や見解・解釈があり、結局、令和のいまになっても、誰一人、「正解」というものを導きだすことはかなわない。
それは、あくまでも、亡くなっ三島さん、本人のみ・・・ただひとりが、知る真実・真相である。
ただし、
それに「近いと思われること」ならば、
未熟なぼくでさえ、なんとなくわかるような気はしている。
『彼はきっと、昭和の精神に殉じて、逝ったのだ』・・・とね。
夏目漱石先生の大作『こころ』の中の「先生」が、
「明治の精神に殉じて、冥府に旅立った」ように・・・。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
三島さんは、死ぬ前の、あの命をふりしぼった最後の演説で、
「俺の自衛隊に対する夢は、これでなくなった」という主旨のことを、声をからして叫んでおられた。
・・・いや、
結局のところ、
もう、この演説の前には、すでにここを『死に場所』として設定し、舞台を入念に整えた上で、
この演説を、単なる「決起のパフォ-マンス」「一種の演劇の舞台装置」として、彼自らが用意していたにすぎなかったのだ、とぼくは解釈する。
そう。
・・・「結論は、すでに出されていた」のである。
この場で三島さんが、急に思いついた『覚悟』ではなかった。
それは、
彼がこの自衛隊市ヶ谷駐屯地のバルコニーに到着するまえに、『ニ篇の辞世の句』が、この時点ですでに準備されていたことが、そのことを如実に物語っているではないか。
最後に、
それらと、三島さんに関する、実に味わい深く、また興味深い、以下の動画をひとつ紹介しつつ、
ぼくの・・・
未熟な物書きとしてのぼくの、この物足りないエッセイを閉じたいと思う。
ここまでお付き合いくださいまして、ありがとうございました。
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『益荒男がたばさむ太刀の鞘鳴りに幾とせ耐へて今朝の初霜』
『散るをいとふ世にも人にもさきがけて散るこそ花と吹く小夜嵐』
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『「三島由紀夫に魅せられた人たち」JNNドキュメンタリー ザ・フォーカス』
→ UP主様は、「TBS NEWS DIG Powered by JNN」様。
→ この動画で、三島さんと、川端康成さんとの間の、ノーベル文学賞をめぐっての微妙な確執・葛藤、心のバランス・均衡の崩れ、心境の変化などの、非常に興味深い内容の「真相」を、ぼくたちも知ることになりますね・・・。