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奇妙な果実〜鉄道ヲタクの事件記録〜  作者: 米森充


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15/17

第15話 空襲

 1942年日米開戦を知った翌年の1月、再び百合子の妊娠を知った。

 次の子で4人目。

 今間借りしている借家が手狭になり、かねてから考えていた自宅を建てる計画を実行に移す。

 場所は今住んでいる場所から直ぐ近く、大田区池上の端正な住宅地に決めている。

 土地は数年前から抑えていたし。

 そこは白金にある僕の実家である影山家にも、百合子の実家の藤堂家にも近いから。

 

 百合子の出産に間に合わせるように大急ぎで大工を選定、ギリギリの工期で間に合った。

 二階建てで、当時は珍しい2階にお風呂がある。

 つまり薪で湯を沸かすのではなく、2階までガスを通し湯を沸かす画期的な最新式の風呂ではない『バス』なのだ。

 これは僕の自慢であり、友人・知人に大いに自慢するつもりである。

 これで出産後の向かい入れは万全。毎日赤ちゃんをお風呂に入れられるぞ!

 僕は新たな家族と新築の家を手に入れ、今こそ幸せの絶頂だと心から思う。

 愛する妻と順調な仕事。これ以上、一体何が必要だというのか?

 戦争一色の時節柄、大っぴらに幸せそうな顔はできないが。

 

 妻とは未だにラブラブであり、子供達もヤンチャでうるさい分、将来が頼もしく人一倍父としての幸せを噛み締めている。

 仕事は確かに忙しくなかなか構ってやれないが、充実した仕事をこなす様子を肩越しに見せられる分、父に誇りをもってくれそうだし。

 企画院事件の影響など、一編のやましいところの無い自分には関係ないし、むしろ技師としての力量を発揮するには、この戦時中の環境が合っているのかも知れない。

 スピードと合理性と整合性を一挙に解決・実現するのは、今が一番求められる。

 軍も公安もライバル技師も関係ない。

 自分の描くやり方を推進できる環境に出会い、水を得た魚のような気分である。


 

 その年の10月、百合子はまたしても男子を出産した。

 言葉には出して言わないが、今度こそ女の子であろうと期待していた自分は、男の子と聞き一瞬顔が引きつった。

 だって、今はもう既に我が家は男の子だらけの野戦場であり、けたたましい雄叫びや野獣のような奇声の嵐、家中バタバタ走り回る状態なのだから。

 ここにきてもうひとり加わる?

 先が思いやられた。

 でも直ぐに思いなおす。先に生まれた3人の男の子たちは皆可愛く、健やかに育った掛け替えのない息子たちではないか。

 僕にとって彼らは妻百合子と共に、生きるためのよすがであり希望なのだ。



 四人目の子も個性的な顔立ちで、不思議な事に兄弟それぞれ違った表情をしている。

 百合子もさすがに四人目の出産という事で、産後の表情に余裕すら伺えた。

「あなた、ほら、この子の耳は福耳なのよ。きっと立派な大人になると思うわ。

 そう思いません?」

「そうだな、こりゃ立派な耳だ!オイ、識也ひろやすくすく育ってくれよ。

 将来が楽しみだな。」

「え?父さん、もう名前を考えていたの? 

識也ひろや識也ひろやってつけたの?」

「そうだよ、博識の『識』を『ひろ』と読んで識也ひろやだ。

 な、良い名だろ?」

「どうして生まれてくる子が男の子だと分かったの?」と秀彦。

「それは・・・、いくら父さんでも分からないさ。

 ただ、男の子だったら『ひろし』か『ひろや』。

女の子だったら『ひろこ』か『ひろみ』にしようと決めていたんだよ。

その時の『ひろ』は博識の『識』を『ひろ』と読もうとね。」

「どうして『識』なの?

「それはね、これからの世の中、他人に流されちゃいけない。

 自分で考え、自分の判断に責任をもって生きなきゃならないんだ。

 特にこの戦争のような世の中ではね。

 だから、ただぼんやり他人に与えて貰っただけの情報や知識に惑わされず、広く自分で取り込んでいく気持ちを持って貰いたいんだ。

『あっちの水は甘いぞ』に釣られてそそのかされたり、流されてしまっては身の破滅を招くこともある。

 お前たちにはそうなって欲しくないからね。分かるかい?

自分で考え、自分の責任で正しいと思う行動を貫ける大人になるんだよ。」

「よく分からないけど、分かった!」

 いかにも秀彦らしい、頼もしい返答だった。


「あなたらしい命名の理由ね。」と百合子。

「そうだよ。それにね、もうひとつ命名の理由があるんだ。」

「それは何ですか?」

「百合子のように賢く優しく聡明であって欲しいと思ってさ。」

「アラ、私ってそんなじゃなくってよ。」と恥ずかしそうに伏し目になる。

「そして(百合子のように)策士になれ!ってさ!」

「アラ、本音はそっちね?あとで怖いわよ、」

 首をすくめる僕だった。



 

 それにしてもさかのぼること半年前、新しい我が家を建てる地鎮式の日。

 幸先(?)悪い出来事があった。

 1942年(昭和17)4月18日、 B-25双発爆撃機ミッチェル16機が航空母艦ホーネットから発進、東京・横須賀・横浜・名古屋・神戸等を空襲したのだ。


 日中戦争が勃発してからもう5年、空襲なんて一度も無かった。

 それなのに日米戦争になって僅か5カ月。もう空襲?

 僕は無意識に戦争慣れしてしまったのだろか?

 まさか東京が空襲に晒されるなんて!迂闊なことに、実は全く想定していなかった。

 いくら相手が国力に圧倒的な差のある米英だからって、さすがに動きが早い!早すぎる!!

 きっとこれはまぐれ?例外だよね?まさか帝都がそう何度も空襲に遭うなんて有り得ない。そう、あってはならない。

 卑しくも僕は技師として企画院の端くれにいる身。

 あまり詳しくはないが、『帝国国策遂行要領』の概要くらい聞かされている。

 南部仏印を侵攻するはずが、何故か真珠湾を攻撃してしまったとは言え、国策の作戦に遺漏や過ちがあろうはずはない。だから大丈夫。

 そう!きっともう大丈夫さ!だから、今家を建てても何の問題もない。

 そう思い込もうとしている自分がいた。


 その時は気づかずにいたが、不吉な暗雲は天空の半分以上を覆っていた。

 新しい子が生まれる!その明るい希望が僕の目を曇らせていたのかもしれない。



 

 真珠湾攻撃から目覚ましい進撃を続けていた連合艦隊は、そこでやめときゃいいのに調子に乗って更に太平洋西海岸にまで展開、12月20日から約10日間で航行中のタンカー及び貨物船を5隻撃沈、5隻大破させ、西海岸沿岸の住宅街のわずか数キロ沖で、貨物船を撃沈、 1942年(昭和17年)2月24日 伊17大型潜水艦にてカリフォルニア州サンタバーバラのエルウッド石油製油所を砲撃、一連の本土へ先制攻撃をした。


 これらの日本軍による一連の本土への先制攻撃は大きな衝撃を与える。

 ルーズベルト大統領は日本軍の本土上陸は避けられないと判断、ロッキー山脈で阻止する作戦を指示、日系人の強制収容を断行。

 次いでアメリカ政府は日本軍の本土攻撃及び国民の動揺と厭戦気分を防ぐべく、マスコミに対する報道管制を敷く。

 にも拘らず、その後も日本軍の上陸や空襲の誤報が相次ぐ。

 更に砲撃作戦の翌日、どういう訳か日本軍がロサンゼルスを空襲したと誤報が有りそれを信じた軍がなのを誤認したか、高射砲にて見えない敵(存在しない敵)に対し応戦、その結果民間人に6人の死者を出した。

 アメリカの国内はその恐怖によるパニックから、大きな混乱をまき起こしたのだ。


 

  真珠湾で止めときゃアメリカの本格的参戦のペースを遅らせられたのに、ルーズベルト大統領ならずとも、アメリカ国民を完全に怒らせ本気にさせてしまった。

 

 それからは歴史が示す通り、死にもの狂いで体制を立て直したアメリカは、ミッドウェー海戦で連合艦隊をうち負かしてから、日本は連戦連敗となる。


 前話で紹介した通りアメリカはオレンジ計画に沿ってその後の大まかな作戦を実行した。

つまりハワイを拠点にミクロネシアの日本軍守備隊を一つ一つ潰し占領、フィリピン・グアムを奪回、日本本土に迫るというものである。

 実際日本はアメリカとどうしても直接対決したいとの野望を持った山本五十六と彼が率いる海軍・連合艦隊の一連の抜け駆け暴走により、『帝国国策遂行要領』の計画外の負担を強いられ、それらの島嶼に多数守備隊を配置。

 日本は満州への関東軍、中国戦線、南太平洋と戦線を拡大した事により、当初考えていた大東亜戦争の目的から大きく外れる事となったのが仇となり、どの戦線も十分な戦力を配置する事も、兵站供給も中途半端となった。

 それに加え次第に日米間の国力差が現れ、その後の史実が示す通りサイパン島・ペリリュー島など、マリアナ・パラオ諸島の戦いに勝利したアメリカはそれらの島に大規模航空基地を建設、日本本土の大半がB-29の攻撃圏内となり、日本本土への本格的空襲が可能となる。


 1944年(昭和19)11月24日以降本土への空襲が本格化。

 一般市民を含む大規模な無差別爆撃が実行され、その結果東京を始め、大阪、名古屋など日本の主要都市はほぼ総て焦土と化した。


 連日空襲警報が発令され逃げ惑う国民。


 アメリカの空襲は執拗且つ残忍であった。


 特にアメリカが空襲に使用したのは、日本向けに新たに開発した油脂焼夷弾と、マリアナ諸島から日本全土を空襲のため往復可能にした長距離爆撃機B-29である。

 特に油脂焼夷弾はヨーロッパ戦線での炸裂弾とは違い、木造建築が多い日本で極めて強い殺傷能力を発揮した。

 1945年3月10日の東京大空襲では、この日から焼夷弾による絨毯爆撃が実行され、夜間低空飛行で正確に目標地点を捕捉、1665トンもの油脂焼夷弾を軍の施設や軍需工場が殆ど無い江東地区や神田、築地などの他、東京・上野駅などの鉄道を標的に爆撃が実行された。

 その方法はまず目標地区の外周を火の海で囲み、その後中の標的をくまなく絨毯爆撃を徹底する、明らかに一般市民を目標とした皆殺し作戦であった。

 しかもこの空襲では折からの強風に煽られ、目標地区を超え、本所、深川、城東、浅草、神田、日本橋、下谷、荒川、向島、江戸川等、下町と呼ばれる地域が消失。

 犠牲者95000人、罹災家屋27万、罹災者100万人もの被害を出した


 その後も東京を標的にした空襲は続けられ、4月、5月には山の手が空襲された。

 この時の爆撃規模・消失面積は3月10日の下町空襲を上回っている。

 犠牲者の数は約8000人で3月10日空襲を大幅に下回っているが、それは疎開が進み強風に煽られた罹災が少なかったためである。


 影山一家も秀則を残し、妻の実家である藤堂家の伝手を頼り、遠い親戚の居る長野に疎開した。

秀則はひとり新居に残り、日増しに多くなる空襲を耐えた。

 その都度上空に展開するB29を恨めしい表情で睨みつけ、自宅庭に設置した防空壕に避難する。

いつ自宅が焼失するか分からない。

 しかし、それを言っても始まらない。

 僕の家以外にも夥しい家屋が焼失し、多くの犠牲者が出ているのだから。

 僕は多くの犠牲者に手を合わせながら、仕事に向かう。

 自分には空襲で被害を受けた鉄道や駅の再建に全力を挙げて再建しなければならない使命がある。

 今ここで踏ん張らねば、いつやる?

 被害を受けた鉄道は東京以外の各都市にもたくさんある。

 それらの再建にも陣頭指揮をとらねばならない。


 幸か不幸か僕が所属していた企画院は1943年(昭和18)10月31日に廃止され、僕は1944(昭和19)鉄道監に任ぜられていたから。つまり鉄道業務に全力で取り組めるのだ。

 僕はこの時、そういう立場になっていた。


 僕は東京だけでなく、その他の罹災都市を回り陣頭指揮をとったり、手の廻らないところは部下に直接指示を出し迅速な復興に力を注いだ。

 自分で言うのも何だが、その復興させるスピードは目を見張るものがあり、国家の流通動脈を幾度も寸断されながらも何とか支え続ける事が出来た。


広島と長崎に原爆を投下された時も、信じられない短期間で鉄道運行を再開させている。


 それにしても、米軍の空襲には疑問が残る。

 軍需工場や軍関係施設の破壊は当然として、空襲の主眼が一般市民を標的にしている事。

 油脂焼夷弾では一般家屋の火災は引き起こせるが、鉄道駅舎や鉄道施設、線路への効果は限定的だから。

 ヨーロッパ戦線と比べると、あちらでは鉄道、橋梁などの破壊が極めて重要であり、真っ先に狙われていたが、日本では(何度も言うが)標的が一般市民であった事。

 一般市民を攻撃する事は戦時国際法で禁じられ、戦争犯罪に該当するハズなのに、である。

 敢えてそうした作戦を実行したところにルーズベルト大統領や、その後を引き継いだトルーマン大統領の日本人への憎悪が見て取れる。

 彼の国の黒人差別が奇妙な果実を生んだように、その差別と憎悪・嫌悪の感情がこの戦争で日本人にも向けれられていたのがよく分かる。

 白人至上主義者が、その考えと立場を打ち砕こうと挑戦した有色人種の代弁者『日本人』を徹底して潰そうとする強固な意思を実行したのだ。



 僕はこうした背景の中、こうして度重なる空襲を受け自宅の消失を覚悟していたが、何と!奇跡的に罹災を免れた。

 近所の家々がいくつも焼失していたのに拘わらず、である。


 戦争が終わり暫くして、ようやく家族が戻って来た。

 そして焼け野原の中、数件の焼け残った家の中に我が家を見つけた時は、一同が飛び上らんばかりに驚いた。

 何故我が家は助かったのか?

 それは自宅一帯が人口過密地帯ではなかったのが幸いしたから。

 家が密集していたら、油脂焼夷弾の威力が最大限発揮できたが、山の手地区の比較的広い庭のある家が一般的な地域では、類焼効果が低いのが大きな原因であった。



 自分の家が無事に残ったからといって、多くの被災者・犠牲者たちを前にして手放しで喜ぶ訳にはいかない。

 一家の無事を感謝しながら、ただひっそりと慎ましく暮らす影山家であった。






   つづく



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