第12話 近衛文麿首相
1937年(昭和12)企画院が発足した年は日独防共協定に伊が加わり、大本営が戦時下以外にも設置される大本営令が発布され、日本が日中戦争に突入した年でもある。
時の首相は近衛文麿。6月4日に第1次近衛内閣を組織、首相就任時の年齢は45歳7か月、初代首相・伊藤博文に次ぐ史上2番目の若さであった。
彼は言わずと知れた千年前から続く藤原五摂家筆頭近衛家の出である。
影山秀則が企画院技師兼任として近衛内閣の中枢機関に関われたのは、単に順当なキャリア故だけではない。
近衛文麿という人物の思想や人格が、秀則のような人材を引き寄せたともいえる。
どういう事か?
それを説明するには、近衛文麿の生い立ちに触れなければならない。
1891年(明治24)10月12日近衛篤麿公爵、旧加賀藩主前田慶寧侯爵の五女・衍子の間に、東京市麹町区(現:千代田区)にて長男として生を受ける。
母の衍子は文麿が幼い頃に病没、篤麿は衍子の異母妹・貞を後妻に迎える。
文麿は継母『貞』とはうまくいかない。
貞が「文(文麿)さえいなければ、私の産んだ息子の誰かが近衛家の後継者となれたのに。」と公言していたから。
貞にとって文麿は叔母・甥にあたるのに成人するまで貞を実母と思い、事実を知った時の衝撃は大きく、この世の出来事はすべて『嘘』と思うようになり、人格形成に与えた影響は大だった。
その屈折した文麿は、学習院中等科、第一高等学校、哲学者を志し東京帝国大学文科大学哲学科、更に京都帝国大学法科大学に転学、マルクス経済学に傾倒する。
経済学者且つ共産主義者であった河上肇や、被差別部落出身社会学者・米田庄太郎に社会主義思想を学び、深く共鳴している。
25歳で公爵を世襲、1919年(大正8)パリ講和会議では貴族院議員として全権・西園寺公望に随行。
だがその時日本が提案した(文麿本人も提案に加わった)人種的差別撤廃提案が否決された。
この件が引き金となり、白人への強い恨みを抱くようになる。
その思いを強めるように1934年(昭和9)アメリカを訪問した時も、フランクリン・ルーズベルト大統領やコーデル・ハル国務長官と会見、帰国後記者会見の席上、「ルーズベルトとハルは、極東についてまったく無知だ」と語っている。
そんな近衛は貴族院内改革派として火曜会を結成、勢力の中心人物となっていた。
そして対英米協調外交に反対する既成政治打破を主張、首相候補として頭角を現す。
2.26事件を経て第一次近衛内閣成立。
就任直後、国内各論の融和を大義名分に、治安維持法違反の共産党員及び、2.26事件の服役者を大赦すべきと主張。だが反対派の圧力により実現しなかった。
その直後、日中戦争勃発。
近衛内閣は、戦時内閣としての使命を果たさねばならない性格を帯びてきた。
7月7日盧溝橋事件が起きると7月9日、戦争不拡大を閣議決定する。
7月11日現地にて停戦協定締結。
だがその報を受けた午後、「北支派兵声明」を発表、停戦協定を事実上無視する。
結果として近衛内閣は戦争を煽り、その後の停戦を困難にした。
その後議会で近衞は事件不拡大を訴え続けるが、軍備増強の北支事変費増額予算案を相次いで閣議決定、不拡大とは正反対の政策を打ち出す。
このように近衛はどちらに向いているのか、その正体不明の行動に終始したが、この背景には屈折した生い立ちが深く影響していたようである。
その後も政府・軍部首脳間で戦争不拡大を試み、「近衛首相が自ら南京に飛び蔣介石と膝詰めで談判する」という案も出たが自身にその気迫はなく、南京行きの飛行機まで用意するが直前になり心変わりし、蔣介石との首脳会談を取り消す。
結局気弱・優柔不断の評価を受ける事となった。
戦争が進むにつれ、国内の戦時体制下での統制は進む。
対戦争交渉は優柔不断であったが国内では戦時統制を名目に配給体制を敷き、自らが傾倒していた社会主義思想政策を実行した。
社会主義と戦争拡大。
二つの異なる路線は、相反する矛盾政策でもあった。
誰も彼の本当の姿は見えない。
秀則が技師として企画院に登用された意図も、こうした背景の上に成り立った人事だったのだ。
秀則が戦時下鉄道運用計画書を奏上した時、詳細説明のため担当者として直接近衛首相に謁見する機会があった。
当然秀則は日頃からの持論である『鉄道一家』論をぶち上げ、その社会主義的運営方法に大いに興味と共感を得た近衛は、一技師に過ぎない秀則を高く評価する。
だが当の秀則にとって『鉄道一家論』は実務面から導き出した組織運営施策であり、決して社会主義思想に傾倒したものではない。
あくまで円滑と効率を考えた組織論であり、強いて言えば人種平等を旨とした人道主義を加える事で、地域を超えた理想の鉄道運行を目指す指針として掲げているのだ。
「影山技師と云ったな。
そちの主張した趣旨は分かった。
だが、日本本土全域を超え、樺太・台湾・朝鮮・満州に至る広範囲の鉄道網を総て同一規格の水準に足並みを揃えるのは、困難を伴い結果的に非効率となるのではないか?
この戦時中の難局を乗り切るには不適切に思えるのだが。」
「確かに仰る通り、事業拡大には時間のロスが生じましょう。
ですが、建設と運用を急ぐあまり新規敷設だけに力を注いでいては、イザというときの作戦行動に支障をきたした場合、基礎自力の不足から挽回措置行動に遅れが生じ、結果的にマイナス効果しか得られないと考えます。
軍事行動と同じ、組織の均一化された総合力が効率的な効果を生み、作戦行動に寄与すると考えます。
私は世界の鉄道事情を視察し、つぶさに各国の実情を見てきました。
どの国の鉄道も分野別の技術や仕組みに濃淡があり、結果的に欠落した部分がブレーキとなり決して円滑とは言い難い運行が目立ちました。総てが遅いのです。スローモー過ぎるのです。
それが当り前と云えばその国の当たり前なのでしょう。
しかし我が国は違います。我が国の強みは人的機動力です。それが強みでなければいかんのです。
若輩者が首相閣下に対し、偉そうな言いよう申し訳ございません。
しかし敢えて言わせてください。
迅速かつ、物資・人員の大量輸送を当たり前に行える国が国際競争の鍵となるのは、世の中の流れが証明しています。
携わるすべての者たちがそれぞれの立場や異なる地域や人種を超え、一致団結し一定の水準を共有できる組織が総ての作戦行動に不可欠であると私は考えます。
私はヨーロッパやアメリカで社会差別がそのまま鉄道運営に影響し、マイナス効果が生じている現状を見てきました。
だから携わる者たちが明日への不安なく、希望を持てる組織運営が結局成果を決するのだと信じています。」
アメリカや他のヨーロッパの白人優位な国際社会に強烈な不満を持つ近衛首相は、秀則の考えに大いに共感した。
非効率を最小限に抑え、輸送効果を最大限に生かす。
(近衛は)自分が優柔不断の評価を受けているのは知っている。
首相として、人の上に立つ気概がないと思われているのも。
だが、自分にも意地とプライドはある。
戦争は自分の代で起きたが、自分が起こした訳ではない。
好き好んでやっている訳でもない。
国家の興亡を自分に託されても、一体どうすればよいというのか?
たまたま自分が首相になった時期に起きた戦争。
自分の決断と行動に矛盾があるとの批判があるが、じゃぁ、お前がやってみろ!と言いたい。
迷いがあるから矛盾が生じる。
自分に弱さがあるから強がりが出てしまう。
戦争不拡大と云いつつ、戦費増額に走るのもそのためだ。
首相の立場とは孤独なもの。
誰にも心の弱さは曝け出せない。
迷いを相談する相手もいない。
そうした孤独な自分に一筋の光明を与えたのが秀則の主張であった。
確かに秀則の提言する主張は、青い理想論に過ぎない。
だが聞いていて心のどこかでホッとする自分が居る。
戦争は非情の世界であり、責任重大であり、責任者の自分の心を寒くする。
だから、同一の目標に皆んなで力を合わせ、不平等を排除する理想の考えに賛同して何が悪い?
「影山とやら、まだ若いのに大層立派な技師であるな。
どうだ、近いうち酒席を設けるので、一緒に酒を酌み交わしながら談笑しようではないか?」
「ひぇ~!誠に勿体なきお言葉!私めなどがご一緒するなど、滅相もございません。平にご容赦を!」
「まぁ良いではないか!非公式の内輪の飲み会である。そう固く考えるな。
良いな?」
多少(?)強引に決められ、後日近衛首相行きつけの料亭に召集された。
この時ほど酒の味を感じない日は無かった。
そして彼の孤独を感じた事も。
もちろん百合子に話したら飛び上らんばかりに仰天した。
これは内密だというのに、藤堂家の面々や影山家の兄弟たちにも衝撃ニュースとして伝わる。
「だから、誰にも言うなっちゅうに!」
「もう遅いですわ。」とすまし顔の百合子。
「で?どんな話をした?」と兄 秀種。
「覚えておらんよ。緊張でガチガチだったから。」
「一緒の写真は御撮りになったのですか?」と百合子の姉 有紀子。
「そんなもん、撮る訳ないですよ!」
「どうしてですか?せっかくの機会なのに勿体ない!」
「近衛首相はアイドルじゃないんですよ!国家一番の要人です!だから当然内密なんですよ!」
「内密なら私たちも知ってちゃいけないのではないですか?」
「そうです!」とキッパリ。
「あら、私が悪いのですか?」と百合子。
そこに「お母さん、腹減った!」と絶妙の助け舟を繰り出す秀彦。
秀彦には別にそのつもりなどサラサラないのは分かっているけど、気まずく取り繕う前に放ったこの言葉。
この時秀則は心から感謝し、(秀彦!エライ!)と思った。
「そうだ、今宵は久々に兄弟皆揃ったのだから、何か取ろう。
寿司がいいか?それともウナギ?」そう言ってワザと話題を逸らす。
「わぁい!寿司!寿司!」とはしゃぐ秀彦と早次。
百合子のお腹の中の子さえもはしゃいでいる気がした。
「あなた・・・」何だか不満げだが、百合子はそれ以上追及してこなかった。
その時は・・・・・。(その夜の事は知らん)
その数日後、秀則は再び海外視察メンバーを招集。
島村たちに近衛首相に謁見した事実を公表した。
家族には内密と云ったが、視察メンバーは別。
情報共有と今後の足並みを揃えるためには必要だろう。
「秀則はまたお得意の『鉄道一家論』を吹いたのか!
恐れ入ったね!
近衛首相のハトが豆鉄砲喰らったような顔が目に浮かぶよ。」
「いい度胸してる!」
「お前は左遷させる!って言われなかったか?」
「お前たち!仲間なのに散々な言いようだな!ボクのご高説を何でそこまで貶める?」
「ご高説?自分で言うか?
お前が何かを主張する時の余裕のない、一生懸命な言い方が面白過ぎるんだよ!」
「お前だってそうだろう!
得てして技術屋なんてものは、そんなもんだろ?」
「そうだな。
此処に居るメンバーは俺を除いて皆、説明口調が汗カキカキのピエロだもんな。」
「お前もだよ!」
そう言いながら、誰も近衛首相との会話内容を突っ込んで聞いてはこなかった。
だって秀則の性格は良く知っているし、どんな内容の話をするかなんて聞かなくても想像できるし。
ハッキリ云って興味ないし。
じゃぁ、何で皆集まってきたの?
正直に言うと、ただ久しぶりに顔を合わせたかっただけだった。
そんなんで良いんじゃない?
次回予告
やがて起きる良い話題と悪い話題を話ますね。(と、ちょっと勿体ぶる)
乞うご期待!!
つづく