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第一話 お見合いと結婚

 大正13年春、影山秀則は百合子を見て驚いた。

 どうして?何を驚いたのか?


 それは・・・





 あの日東京会館にて兄秀種の結婚式に出席、兄の花嫁有紀子の妹である百合子と出会う。

 花嫁の有紀子は文金高島田がよく似合う古風な美人だったが、妹の百合子は髪が首を隠す程度のショートヘアでひと際目立つ美人である。

 女学校3年生であるとその時の紹介で知った。いかにも利発で活発な今時の流行はやりの女の子。この時僕が抱いた第一印象であった。

 僕はと云えば東京帝国大学の3回生であり、来年の春には卒業し、前途洋々の未来が待っている真面目で男前の(自分で言うか!)の学生である。

 そんな僕の日課は大好きな汁粉を高輪『甘味亭』で食す無上の時間を過ごす事。

 実家からは少し遠いが、大学の帰り道からは丁度良い位置にあり、上品で美味いと地元では有名な店である。

 食いしん坊の僕は甘いものに目がない。

 しかも大学の講義が終わり家に帰る頃と云えば、無性に腹が減る、育ち盛りの若者なのだから。

 そんな訳で汁粉を注文したらすぐ、インテリっぽく難解そうな英文の専門書を読むふりをする。

 カッコつけている?鼻持ちならない?


 放っといてくれ!


 そりゃ、そうでしょ。ここはさすが地元で有名な甘味処!

 その証拠に廻りの席は甘いもの好きな若い女性の花盛りだもの。

 この辺りは後世で言う『白金しろがね―ゼ』お嬢様たちの牙城。

 良家の御令嬢が多く住む、育ちの良い上質な客層の落ちついたお店なのだから。

 立ち居振る舞いも優雅で話題も上品だし。

 そうして僕は本を読むフリをしながら、お喋りに夢中のうら若き乙女をチラチラと盗み見る訳だ。

 

 男と云えば大抵僕ひとりだけ。当然あたりを強く意識しちゃう。

 え?男一人で恥ずかしくないかって?

 そんな事言ってたら空腹で野垂れ死にしそうだし、こんな場所にでも来なけりゃお年頃の女性との出会いなんてある訳ないし。

 恥ずかしいなんて言ってられないよ。

 だからこの店は僕にとって唯一無上のパラダイスなんだ。

 そんなある日、いつものように『甘味亭』の扉を開き、いつものように注文を終える。

 ただその日はこれ又いつものように英文の専門書ばかり読んでいたんじゃ飽きちゃったし、そんな本ばかりじゃつまらないと、久しぶりに幼い頃からの趣味である鉄道時刻表に目を通すことにした。

 実は僕、鉄道ヲタクのはしりなんだ。

 全国の駅名は高校の時、丸暗記して制覇しているし。

 だからと云っては何だけど、鉄道については他にも結構詳しいんだよ。

 高校時代はそのヲタクぶりから【鉄道】というあだ名で呼ばれていた程だし。

 全国の鉄道駅名を北は北海道稚内から南は鹿児島まで、スラスラ諳んじる特技で人気者でもあったんだ。

 しかも僕の父は転勤族で、全国各地に転勤する度、その地方の主要駅の時刻表まで丸暗記していたので、クラスの仲間から【時刻表】とも呼ばれていたし。

 いつも悪友の甲斐道太郎や幣原喜重郎から「オイ!時刻表!」なんて呼ばれていたんだ。


 その日は時刻表に没頭し過ぎて、周囲が見えていなかった。

暫くして気づいたら、テーブル席の目の前にジッと僕を見つめる女性が座っている。

「何?」

 怪訝そうな顔をした僕に、ニッコリ笑うその若き女性。

ア!思い出した!あの結婚式で見た兄嫁の妹だ!

 義妹はいたずらそうな目で、何か言いたげだった。そして親し気に口を開く。

「あなたは私の姉の旦那さんの弟さんですよね?」

「そ・・・・そうですね。あなたはあの時の妹さんでしたね。お名前は何だっけ?」

「百合子と云います。あの時紹介しましたよね?お忘れですか?あなたは秀則さん。私は覚えていますよ。」

「失礼!忘れた訳ではないのです。こんな所で不意に出会って、しかも僕の目の前にあなたが座っていたら、さすがにビックリするでしょ?咄嗟にお名前が出てこなかったんですよ。」

「ホントかしら?まぁいいわ。私が目の前に座ったことすら気がつかない程、本に没頭していたのですものね。フフフ!面白い眺めでしたわよ。」

「酷いなぁ!そんな風に人物観察する趣味でもあるんですか?」

「アラ、あなただっていつもなら見開きの本を片手に、手当たり次第お店のお客の女の人を盗み見ているじゃない?わたくし知っていますのよ。」

「え!どうしてそれを?アワワ・・・じゃなくて、それは濡れ衣です!女の人なんて見ていません!失敬な!!」

「今更遅いと思います。バレバレですのよ。」

目の前の百合子が悪魔に見えた。

「あれ?あなた今、『いつもなら』って言いましたよね?どうして私がいつもこの店に居るって知っているのですか?

 あなたもいつもこの店に来るのですか?」

百合子は込みあげる笑いを噛み締めるように

「いつもではありませんことよ。最初に秀則さんに気づいたのは数週間前このお店の前の道を歩いている時。ふと窓の外から中を見ると、あなたが気取ってこれ見よがしに片手で本を持ちながら、別なところを眺めているのを見つけた時よ。

 あたりは女性ばかりですもの。とても分かり易くカッコつけた男性があなただったなんて、その情景を見つけた時はプッて噴き出してしまったわ。」

 僕は見る見る顔が赤くなるのを感じた。

 やはりこの人は正真正銘の悪魔だ。そう僕は確信した。

「だからわたくし、この店を通る度、秀則さんが居ないか窓の外から探していたの。

 そのうちいつもこの時間帯にいらっしゃることが分かって、それ以降はあなたに感づかれないよう、注意してあちらの柱の奥のテーブル席に座って観察していたの。

 だから総て知っていますのよ。」


 この逃げ場のない状況に泣きそうになった。

 涙目のまま「その時どうして声をかけてくれなかったのですか?酷いよ!酷すぎる!!」

「だって面白いんですもの。いや失礼。お声掛けしにくいんじゃないですか。あの状況では。

でもね、わたくし秀則さんに会えるのを毎日楽しみにしていましたのよ。

 また今日も会えるかしら?って。」

 僕はすっかりイジケて

「ああ、そうでしょうとも!どうせ僕は道化者ですよ!あなたにとってとても面白いピエロだったでしょうよ!」

「あら、それは違うわ。(思い出し笑いを噛み締めるように)確かにあの状況は思い出しても面白かったけど、(僕は悪魔!悪魔!悪魔!って心の中で罵った)秀則さんにお会いできるのは、とても嬉しいって思っていたのはホントですのよ。」

(嘘つけ!)と思ったが、「僕に会うのがどうして嬉しい事なのですか?僕は只のピエロでしょ?」

「いいえ、あなたはただのピエロではありません事よ。そのキリリと引き締まったお顔立ち、とてもハンサムだと思いますわ。

 それに秀則さんはとても頭の良い方と伺っています。

 ご本を読まれている秀則さんはとても知的で、わたくしグッときていますのよ。」

 この人は何処までも僕を揶揄からかう気だな?

 僕はいたいたたまれなくなり席を立とうとすると、彼女が僕の裾を掴み

「まだ行かないでください。怒ったのなら謝ります。ごめんなさい。

 実は秀則さんにお願いがあるのです。どうか私に勉強を教えてくださいませんか?

 わたくし、数学が苦手で試験の度に苦労していますの。

 わたくしが落第点などとろうものなら、我が家始めって以来のお家騒動になってしまいますわ。それだけは避けたいのです。

 秀則さんは工学部のご出身だと聞いております。でしたら数学はお得意ですよね?

可哀そうと思し召しになって、わたくしをお救いくださいまし。」

 哀れっぽい目で縋りつくように、僕を見つめる百合子。

 改めて彼女を見て見ると、やはり美人の家系なのだろう。兄嫁とは違う魅力を強く感じ、不覚にもドギマギした姿を曝け出してしまった。

 思わず視線を逸らしてしまったが、勘の鋭い彼女には敵わない。

 僕はは狩りで仕留められた哀れな獲物のような感覚に陥った。

 もう無駄な抵抗はよそう。

「分かりました。でも僕なんかのコーチで良いんですか?僕は厳しいからビシバシしごきますよ。」

「秀則さんが良いんです。それにあなたは絶対に鬼コーチにはなれませんわ。

 だって秀則さんはとても女性に優しそうですもの。そう、優しいに決まってますわ。」

 この期に及んでまだ皮肉!シバくぞ!

 よおし!ビシバシしごいてやる!フッフッフッ!

 と心の中で呟いた。


 この日以降、秀則の至福の時間は潰え去り、百合子の特訓に費やされる。

 いつもの甘味処で聞き上手、甘え上手な百合子は、瞬く間に僕の心に分け入った。

 百合子は僕の説明に熱心に聞き入っているように見えるが、実は全然身が入っていない。

 人が一生懸命教えているのに、気づいたら僕の顔ばかり見ているんだ。

 「ねぇ、僕の話聞いてる?」って言うと「モチ!」と返してくる。

 ホントに僕の特訓の成果は有るのだろうか?

 不安になってくるが、女学校最後の夏休み前の試験が終わってその結果を聞くと、「ちゃんとパスしましたわよ。」とスンと済まして応える。

 百合子に会える日が僕にとって教えるというより、次第に楽しい会話の時間に思え、完全に恋愛モードに移行していた。

 そして百合子が卒業すると同時に僕も大学を無事卒業。

 鉄道省に入省し、エリート街道まっしぐらに進みだした。


 百合子が卒業したら僕の家庭教師としての役割は用なしの筈だったが、何かにつけ彼女は僕に会う口実を設けてきた。

 さすがに鉄道省エリートである僕の平日は殺人的に多忙を極め、実質会えるのは日曜日の日中だけに減ってしまったが、それでも細々と続いていた。

 と云っても会うのは食いしん坊の僕に合わせ、食事が出来る健全なところに限定されるので、それ以上の深い関係にはなれるはずも無かった。

 

 僕が出世街道の企画院技師に抜擢が決まると、父秀五郎、母ハルからそろそろ実を固めたら?と言われ始める。

 それから見合いの話を三度勧められたが、僕の心は密かに百合子にあるため、良い顔はできない。

 ノラリクラリとかわし続け、両親は途方に暮れ始めた。

 思い余って僕の兄で長男でもある秀種に相談する母ハル。

いつも母が頼りにしてきたその兄は、意外な人物を推薦してきた。

 そう、自分の妻の有紀子の妹、百合子ではどうか?と云うのだ。

 「百合子さん?だってあの人は貴方にとって義妹なのよ。

 うちの兄弟が先方の姉妹と夫婦縁組をするなんて、いくら何でも安易で乱暴過ぎない?」

 「そうかな?案外上手くいくかもよ。」

 何故か兄は自信がありそうだった。

 もしかして僕と百合子の事,感づいていたんじゃない?

 僕たちの事は双方の家族の誰にも話していない筈なのに。

 いや、もしかして百合子は姉の有紀子に何かと相談してきていたかも?百合子の性格なら有り得ない話ではない。

 その真相は分からないが、有紀子も百合子も良家の御令嬢。

 家格的に不足はない。姉妹という以外に問題は無い様だ。

 母も司法官で裁判所の地方所長を歴任してきた経歴を持つ父も、異論を挟むことは無かった。

 

 そしてあれだけ渋っていただけに、両親は今回もダメだろうと半ば諦めていたところ、驚いた事に僕も百合子も二つ返事で承諾する。

「あれ?」両親は意外過ぎて拍子抜けし、揃って呆けた顔をしている。

 でもことが上手く運んだ喜びに、それ以上深く詮索する思考が働かない。

 双方の気が変わらないうちに良き日の日取りを取り決め、お見合いが決行された。

 その会場は例の東京会館。

 兄夫婦が結婚式を挙げたあの場所だ。

 やっぱり何処か安易すぎる気がする。

 でも、まぁ仕方ない。場所はどうでも、まず形式的にまた顔合わせをすることが重要なのだから。

 見合い会場の席で兄夫婦の仲人だったご夫婦がまた引っ張り出され、今回も仲人を引き受けて貰っている。

 よって、僕の両親、百合子の両親、仲人夫婦、本人である僕、影山秀則と百合子がそれぞれの席に座る。

 着飾った百合子はとても綺麗だったが、それよりも取り澄ましたその様子に吹き出しそうになった。

 だっていつもの百合子はもっと悪魔チックなのに、今日はまるで清楚な天使を装っているのだから。その白々しさが何とも滑稽に思えた。

 今日はいつもと違い不自然にとり澄ました百合子は、「何?!」と一瞬睨みつけてくる。

 僕の顔がそんなに笑いを抑え込む表情に見えた?

 もうとっくに旧知の仲なのに、まるで数年ぶりの再会でもあるように振るわなければならない。

 席上の両親たちはその微妙な空気を感じたが、その原因が全く分からなかった。

 そうこうするうち、僕と百合子はこの奇妙な雰囲気を楽しもうと決めた。

 「お久しぶりです。百合子さんでしたね?お元気でしたか?」

 「はい、両親共に幸いにも息災に過ごしてこられましたわ。秀則さんもお元気そうで何よりです。

 お仕事の方は如何ですか?順調に進んでいらっしゃいますか?」

 「えぇ、お陰様で万事順調です。

 この度は企画院技師というポストに就く事が決まりまして、そのための事前準備に奔走そしています。」


 こんな会話の内容は、とっくに甘味処デートで報告し合っている。

 それを初めて話し、初めて聞くフリをするのは、演技以外の何物でもない。


 やがて話題が尽き、何を話そうか迷った僕は、またも初歩的な定番の見合い会話を始めた。

 「あの~、ご趣味は?」

 さすがに百合子は「ハァ?」とシラケる話題に呆れたが、開き直りの返答を投げかけてきた。

「はい、わたくしはお茶とお花を少々嗜みます。秀則さんのご趣味は何ですの?」

 僕は百合子がお茶もお花も、性分でないと草々に投げ出している事を知っている。

「私の趣味はクラシック音楽を聴く事です。

 特にブラームスは良いですね。百合子さんは聴いた事ありますか?」

 百合子も僕がクラシック音楽など無縁なのは知っている。僕の興味は鉄道と甘味だけだと云う事も。

「えぇ、ブラームスはよろしゅうございますね。」と済まして言う。

 双方の両親たちはこの化かし合いのような嘘で盛った会話に呆れている。

 その後も嘘の見本市のような会話は続き、その場に居合わせた出席者はジェトコースタ―に連続10回乗った後のような疲れを感じた。


 ただこの時、僕がずっと心配していた百合子の勉強の結果について尋ねる。

「百合子さんの出身校はとても優秀なご息女の行かれるところと聞き及んでおります。

 さぞ勉強は大変だったでしょうね。」

  すると百合子の母が得意げに

「私の娘百合子は秀則さんのような超エリートの頭脳を持ち合わせている訳ではありませんが、それでも女学校では常にトップの成績を維持してきましたのよ。ホホホ!」

「え?それは凄いですね。誰でも苦手な科目くらいあるものですが、全科目トップですか?」

「そうです。全科目ですわ。ホホホ。」

 え?数学が苦手じゃなかったの?

 赤点をとって落第したらお家の一大事じゃなかったの?

 思わず百合子を見ると、百合子はあっちの方向に視線を向け、けっして僕を見ようとしない。

 「図ったな!」心の中で強く思い、あの家庭教師の時間は一体何だったんだ?と臍を咬んだ。

 でもまぁ、いいか。

 それを口実にいつも会う事が出来たのだから。

 策士百合子の本性と能力と魅力に完全に組み敷かれた僕であった。


 そして無事(?)お見合いは終了し、後日結果が両家に伝えられる。

「謹んでこのご縁、お受けさせていただきます」と。

 両家の両親にしたら、嘘で固めた白々しい会話の結果がこれ?

 空恐ろしいが、奇跡的に話がまとまった信じられない事実に身震いした。

 こうして秀則と百合子の夫婦としての未来に両親として大きな不安を感じながら、昭和二(1927)五月二十日再び東京会館にて華燭の典が居り行われた。

 

 秀則25歳、百合子21歳だった。






   つづく


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