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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

短編ホラー

いちあく

作者: 壱原 一

近ごろ妻の母の言動が霧中を漂い始めた。


夭逝した義父と相愛の老婦人然とした義母は、いつ義父の迎えが来ても良いようにと、毎朝髪を梳いて纏め、幾らかの粉と紅を施し、楚々とした装いを整えて日がな穏やかに過ごしてきた。


このおり私達夫婦の長女が離婚して、孫2人を連れて当家へ戻って来た。先行きを気負う長女と遊び盛りの孫2人が加わり、当家は一挙に明るく賑やかになった。


義母も私達夫婦も、嬉しさと微笑ましさと振り回され気味の目配せを交わしつつ、娘親子と笑い合う毎日を送っていた。


先般まご達に川遊びへ連れて行ってとせがまれて行軍に繰り出した。思う存分あそび倒し、水筒や釣り具やバケツなんかをがしゃがしゃ言わせ、小さな乾いた熱い手と手を繋いで帰宅する。


「ただいまあ!」とやいやい騒ぐ孫達の声を聞き付けて、にこにこと迎えに出て来た義母は、「あらっ」と口元に手を当てて皺深い顔を震わせた。


吹けば飛びそうな体で風に流されるように台所へ急ぎ、戻って来る。


玄関脇の立水栓で遊具やサンダルの汚れを流す私達に、痩せた腕をよたよた振って、塩を撒いたのだった。


*


以来義母は、家の玄関や裏口、車庫の出入口などに朝夕かかさず盛り塩をしている。


敷地を囲む塀の各所にも、覚束ない体を励ましてせっせと塩を盛っている。


特に差し障りはないので好きにして貰っているが、荒天の日や自身の体調が優れない日も、休まず塩を据えに行く。


「お休みしては」「代わりましょう」と打診するものの、「いいええ、私□□よお」とか「これはねえ、□□だからね…」とか、今ひとつ判然としない返答で有耶無耶に流されてしまう。


そんな中、先日朝方に塀の向こうから「ひゃ!」と義母の高い声がした。慌てて駆け付けたところ、塀の傍で尻餅をついた義母と、怪しい男の姿があり、それはもう仰天した。


男は見知らぬ若者で、義母のいつもの盛り塩の場所にずんぐりと屈み込んでいた。


半端に伸びた蓬髪に濃い眉と無精髭、草臥れたシャツと垢じみたズボンという風体で、目が合った途端、もったり垂れた頬の肉を、笑い皺を浮かべて引き上げた。


眉間を殊更に開いて大袈裟に眉尻を下げ、ぎゅうっと半月にした目元を上目遣いにして顎を引く。


こちらにへつらうような、それでいて本心では侮っているような、卑屈と横柄が綯い交ぜになった何とも人の好かない表情を取り繕って見せた。


どうした経緯の帰結であったにしても、すぐ傍で尻餅をついた義母に目も呉れず、さっとこちらに振り向いてこの表情を浮かべた事実が、男の性根を明示しているように感じられた。


つい憤慨して「何をしている!」と頭ごなしに怒鳴ってしまう。男は益々笑みを深くして、サイズの合わないスニーカーをぼごぼご鳴らして駆け去って行った。


義母を助け起こすと、「ああ、いたた」と、悲しげな弱々しい声で言う。


抱え上げて家へ運び、一息やすませた後、「こんな事があっては心配だから、やはり代わります」と申し出る。


よほど衝撃だったのか、当たり所が悪かったのか、義母は困惑げに小首を傾げ、話が分からない様子だった。


*


怒り心頭で警察へ被害届を出すと、紆余曲折を経て川原で遺体が見付かったらしい。


目撃して申告した特徴通りの若い男は、かなり前から自宅へ遺した書き置き通りに遂行して埋もれていたようで、事件性はないとのことだった。


男と遭遇した朝以降、義母のこだわりは立ち消えたが、引き継いで盛り塩を続けている。


朝夕塀の何処かしらで、白いさらさらした塩が、湿った川砂に取って替わられている。


朝夕川の方角から、大きなスニーカーの水浸しの足跡が当家へ至り来ているのに、誰も見えないと言う。


男の書き置きには、自らの家族関係を悲観する気持ちが連ねられていたそうで、それは察するに羨みや妬みやそねみ、憎しみに通じるものだったのではないだろうか。


あの陰湿で一途な悪意に満ちた笑みを思い出すと、あながち的外れな推察ではないような気がして、今日も欠かさず当家の各所へ一握の塩を盛りに回る次第だ。



終.

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