前編
「どうも、お久しぶりです壇ノ浦さん」
黒いスーツに黄色のネクタイ。角張った眼鏡に胡散臭い笑顔。片手にはレザーのブリーフケース。お堅い恰好をした男は壇ノ浦に依頼を持って来る《《役人》》だ。
名前は知らない。知りたくもない。
「15年振りの日本は、随分と変わっちまったな」
仕事で世界各国を渡り歩いてきた俺にとって、この高層ビルが立ち並ぶ摩天楼の景色は異世界に迷い込んだ感覚だった。
「それは随分と長い間ご苦労様です。海外におられても我々からの仕事を受けていただいたので大助かりでしたよ」
「内容は……兎に角、懐だけは暖かいみてえだからな。可能な限りは受けさせて貰った」
「かの有名な壇ノ浦さんですからね。私が無理言って多く出していたんです。感謝してくださいよ?」
「そいつはどうも。……さて、おしゃべりもこの辺で、仕事の話をしようじゃねえの」
待ってましたと言わんばかりに、役人は眼鏡の鼻当てを押し上げて、ブリーフケースからタブレット端末を取り出した。
「今回の依頼は前払いに、まずは三万まで出します」
男の言った数字は壇ノ浦の業界で百万単位を現している。三万ということは、前払いに3億も出すと言っているのだ。
「ただし――」
タブレット端末を少し操作してから手を止める。胡散臭い笑顔が一瞬にして消え去った。
「依頼内容は伏せた状態で依頼を受けていただく場合のみ、前払いをお支払いします」
「なんだそりゃ」
「そして、見事依頼を達成頂ければ後払いで五万出します」
達成報酬が五億円、前払いも含めたら八億円。そんな巨額の報酬が支払われる依頼なんて聞いたことがない。ここまで来ると現実味の無い金額だ。
「……そもそも払うつもりねえな?」
「何を仰いますか。あの壇ノ浦様ですのでこの金額なのですよ」
役人は憎らしい笑顔で答える。その顔面に一発拳を入れてやりたい気分だ。
「依頼内容を伏せた大金の報酬なんて、俺みたいな仕事をしているヤツだったら地雷だってすぐにわかるぞ」
「そこを何とかお願いできませんか? 内容はこれまでのどの依頼よりも簡単なんですよ。それに、今回の依頼は私たちも全面的にバックアップをする準備があります」
「ん、戦争でも起こすつもりか?」
「戦争を起こさない為の戦争……とでも言っておきましょうか」
「この国は随分と物騒になったな」
「そうでもありませんよ。いつの時代も物騒ですよ。表面化されていないように、あなたのような人を我々が雇って内外問わず、平和を象徴しているのです」
フン。と、そんものはどうでもいいと咳払いした。
「それで、今回の仕事は無かったことにしますか?」
「……いいや、受けるさ」
「それはどうもありがとうございます」
役人は無機質に浅く腰を曲げると、タブレット端末を操作した。
「さっそく前払いの金額はいつもの口座に振り込んでおきました。もう、逃げられませんよ」
「どこの誰がとんずらするってんだ」
「結構です。では、依頼内容を説明します。いつも以上に情報漏洩には気を付けてくださいよ? ――政府の秘匿研究所から実験体の女子高生が脱走したので殺してください」
役人はこれまで以上に爽やかな笑顔を壇ノ浦に向けてきた。
その笑顔が妙にムカついて、つい手が出た。
*
「少女にはGPSを付けてあります。おおよその位置は把握できているので後で情報を共有します。それではご武運を」
役人は腫れた右頬を摩りながら夜の繁華街に消えていった。壇ノ浦は近くのコインパーキングに止めていた黒のセダンに乗り、ナビ代わりにスマホをフロント部分に置いてGPS信号が示す場所に向かう。
辿り着いたのは、閑静な住宅街だ。夜の静けさがどことなく不気味さを生んでいる。
壇ノ浦は懐から白い箱を取り出す。開け口を叩いて出てきた一本の紙煙草を加えた。後はライム色の使い捨てライターで先を炙ってやる。
「面倒な仕事を受けちまったな」
車の中で1人、煙と共に弱気な言葉を吐き出す。
壇ノ浦の職業は【殺し屋】。それも世界を股にかけ、これまでに三百人以上の人を殺してきた。だが、歳を重ねて今回の仕事を最後に仕事を引退するつもりだった。
生まれ故郷である日本に戻り、有終の美を飾れるもんだと思ったが、現実はそうもいかなそうだ。
車のサイドブレーキ近くに置いた一枚の写真を手にする。そこには、おさげ髪の田舎者っぽい女子高生が証明写真を撮影したかのように写っている。
彼女が壇ノ浦の殺す相手だ。
GPS反応が近い。
写真を持ち上げて、前方に目を遣る。すると、写真とそっくりの顔した女子高生が車のライトに照らされて近づいてきた。眩しそうに眉をひそめている。ホラー映画さながらの登場だ。
「そんじゃあ、始めますか」
座席左横のレバーを引き、後ろに倒れる。後部座席に置いてあったポンプ式にショットガンを右手で取り寄せると再びレバーを引いて身体を起こす。
「お嬢ちゃん」
運転席の窓から身を乗り出し、女子高生に声をかける。彼女は何事かと不安そうに脚を止めた。
車のライトで、女子高生側からはショットガンを携えた壇ノ浦のことが見えずらい。焦ることもなく、冷酷にトリガーを引いた。
――ダンッ!
乾いた銃声が周囲に反響し、肉片が飛び散り、質量のある鈍い音が耳奥に残った。これで近くの住人が外に出てくる可能性があるだろうが、後のことは役人がどうにかしてくれる。バックアップがどうのと言っていたが、基本的には後始末しか役立たないのだ。
血だまりが出来た地面と、直前まで女子高生だった肉体を、ライトに晒してスマホで撮影する。
「写真写りは悪いな」
役人へ写真を送ると、現場を離れる為にサイドブレーキを解く。
後は役人と事後処理について話し合う簡単な仕事。――そのはずだった。
死んだはずの女子高生が立ち竦んでこちらを睨んでいた。
さらに、飛び散った肉片が自己増殖を繰り返し、人の身体を作り出そうとしていたのだ。