防衛医科大学校の歴史
防衛医科大学校は、医師である幹部自衛官の育成を主とし、知識と理論研究能力、臨床についての教育・訓練を目的として1973年(昭和48年)に埼玉県所沢市並木3丁目2番地に開学した。防衛省の直轄組織であり、学生は全員特別職国家公務員である。防衛医科大学校が生まれた背景には、日本国民の自衛隊への理解が進んだ事に加えて、自衛隊の規模拡大により旧軍の軍医に相当する、医官の存在意義が高まった為であると見られる。また、自衛隊病院の建設も始まり、その運用の為に医師免許を持った幹部自衛官(医官)を必要としていた。今ではNDMC(ナショナル・ディフェンス・メディカル・カレッジ)等とも呼ばれ、その認知度も上がっている。しかし1学年の定員は僅か80名と、同じ防衛省の直轄組織である防衛大学校よりも狭き門となっている。また、防衛医科大学校では防衛大学校よりも開学が遅かったにも関わらず、7年も早く男女共学化を果たしている。防衛医科大学校では、幅広い国や地域から留学生を受け入れている防衛大学校とは異なり、留学生の受け入れ実績はない。学生が身に付ける校章には、平和のシンボルである桜・鳩・蛇杖が組み合わせた物が採用されている。
「みんな、これは初歩の初だ。防衛医科大学校の歴史はしっかり頭に入れておくようにな。じゃあ今日の講義はこれで終わり。解散。」
「お、今日の夕食は海軍カレーか空揚げどっちにしようかな?」
「私は空揚げ。」
「俺はカレーにしよう。」
「じゃあ私もカレーに。」
「志願先に別れたみたいだな?海上志望の一兵とセツ菜ちゃん。航空志望の俺と良子。」
「んむ、山川それ最終決定じゃないからな。」
「私も。」
「私も。」
「でも4年生になる前に志願先決めなくちゃならんのだぞ?」
「まだ定期訓練も沢山あるじゃないか。」
「とりあえず飯食お?」
「ああ。」
「え?もう食べたの?早っ。」
「味わって食ってるつもりなんだけどな。昔から早食い何だよな。」
「つよしったら、デートの時も早食いで本当に困るの。少しは人に合わせ様とか思わない訳?」
「俺が早食いの理由を良子、一兵とセツ菜ちゃんに聞かせてやれよ。じゃ!」
「じゃ!じゃあねぇよ。で良子さん?何で山川の奴あんな早食いなの?」
「つよしは、ご飯を食べるの嫌いなの。でも残すのはシャクに触るから高速で食べる様になったの。」
「何それ?凄く変わってるのね、山川君って。」
「でも悪気はないのよ?」
「まぁ、合わせる必要は無いの。待ってる時は待ってるし。」
「食事が嫌いって病気なの?山川君。」
「一度病院で見て貰ったんだけど、異常はなくて。」
「幼少期にトラウマがあったとか?」
「つよしの家庭はそう言う家庭ではないはずなんだけど、言わないだけで何かあったのかも。」
「まぁ、それが良い選択だと本人は思っているんだろ?」