金海財閥
金海財閥は戦後に発展した後発の財閥で、ゼネコンや金融関係を生業として成功を成し遂げていた。政界にも太いパイプを持っているとされており、多くの国会議員が金海財閥から資金援助を受けているとされているが、その全容を掴むのはタブーとされている。
初代金海財閥会長の金海虎之助は、元日本海軍の兵士で、戦時下の苦労の中金海建設を創業し仕事を軌道に乗せるのに20年はかかった。息子で二代目会長の金海勇次郎(現職)は、その土台を元手に金融業にチャレンジし、かなりのリスクと隣り合わせの中成功を収めた。その資金で大きなゼネコンの仕事を受注。建設業の方も莫大な資金を回す"金海サイクル"を確立し脚光を浴び時代の寵児となった。その影響力は海外にも波及し、アフリカ等の後発の地域を中心に金海グループの開拓は進んで行った。
「最初から順風満帆って訳ではなかったんだね?」
「うん。パパはかなり強引な経営手法だったから、虎之助爺様の時代からのベテラン社員はついて来られない人もいたみたい。」
「でも、我慢して10年でお祖父ちゃんに認められて経営を任される様になったってパパ言ってた。」
「10年かぁ。凄いじゃないか。」
「元々、パパは金海建設の社員でママとは職場恋愛だったみたい。」
「その恋愛の選択肢は意外にも少なかったんだ?バリバリのやり手っぽい感じするけど。」
「そんなパパだけど、仕事ではミスもあったりしてそんな時は決まってゴルフに行ってた。大して上手くもないのに。」
「それであんなにゴルフクラブがあったのか?」
「誘う相手は必ず若手のエース社員。休日返上で上司の顔を立てに行かなくちゃならないと思うと、切なくて。」
「大手企業のあるあるじゃないか?」
「ママが可哀想じゃない?折角の休日にゴルフ三昧されたら?」
「でも、慣れたら楽なんじゃない?」
「そうかもね。一兵はそんな風にはならないでね?」
「ああ。ゴルフなんて興味ないし。」
「少しは興味持ってよ(笑)。」
「何で?」
「パパと話し合わせ易いでしょ?」
「まぁ、確かにな。突破口にはなるわな。」
「セツ菜のお祖父様ってどんな人だったの?」
「私が小学校5年生の春に亡くなってたから正直そんなに深くは、話をした記憶が無いの。」
「何かしらあるだろう?」
「そう言えば、食べ物残そうとしてたら、虎之助お祖父ちゃんにメッチャ怒られた。」
「食べ物残したらバチ当たるぞ!肝に命じろ!」
「だから今でもそれは家訓なの。」
「欲しがりません勝つまでは。の日本海軍兵士だからな。それは怒られるよ。」
「私の家の事はもう充分でしょ?尾崎家の事も少しは教えてよ?」
「家はそう言うのはなかったかな。クソビンボーだったから。10円のもやしと100円のコロッケがメインディッシュなんて日もザラにあったし。」
「何でそんなにお金無かったの?」
「収入の割には子供が多かったからな。家は4人も兄弟いたしな。」
「削るとしたらまず食事。私立大学生3人も抱えていりゃあ、教育費馬鹿になんないでしょ?」
「落ち着いたら妊活したいんだけど?」
「分かるよ。二人でタブーにしてたけど、医官になった暁には、しっかりやろう。」
「あ~あ。ウズウズする。あと1年、2年?」
「同じ部隊にいる間は良いんだけど…。」
「大丈夫愛の力はとても偉大だから。」
「何それ。」




