表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。

孤児のアビルには時間停止無限収納というギフトがあった

作者: 葉裏

連載にしても良いのですが、次話に引っ張るための工夫がめんどくさくて短編にしました。

それと拙作をしっかりと読んでいただいて誤字報告をしてくださった方たち、本当にありがとうございました。ーー

 アビルは路地裏の石壁に背をもたれて、建物の隙間から差し込む日の光の筋を見ていた。

 その一条の光の中は細かな埃が一杯に満ちていてキラキラと輝いていた。

 チンダル現象という言葉が浮かぶ。

 やせ細った手足を伸ばすとアビルははだしの足で石畳の上をゆっくりと歩き出した。

 もう二日も食べていない。溜まっていた雨水を飲んだくらいで腹は膨れない。

「いやだっ。あれを見て」

「なんで、あんな汚い者がこんな所をうろついてるの?」

「気持ち悪いわ。誰か追い出してくれないかしら」

アビルは自分のことを言われているのだと分かっていた。分かったところでどうしようもない。

 生きていてごめんと謝れば良いのか? とんでもない。気持ち悪いなら見るな。わざわざ感想を言うな。

 アビルは力が抜けてその場にしゃがみこんだ。見るな。お前たちに関係ない。関係ないんだ。


「このほいど乞食がぁぁ」

 いきなり襟首の後ろを掴まれた。投げ飛ばされる。どうせ投げ飛ばされるなら、方向はこっちが良い。

 無意識かそれとも本能的にリンゴを売っていた出店に向かって飛ばされた。距離が足りないから、ゴロゴロと転がって、思い切り出店の陳列箱にぶつかった。

ガッターーン、ゴロゴロゴロゴロ

「あぁぁぁ、ごのやろぅっ」

「ごめんなさいっ。拾います」

「触るな、汚い」

「ごめんなさい、ごめんなさい」

 謝りながらアビルは両手で地面に転がるリンゴを搔き集めるように抱えようとするが7・8個いっぺんに集めようとしても僅か3個手の中に残ってそれを店主に差し出す。

「だからぁぁ、手を出すなって言ってるだろっ」

 リンゴをひったくると、店主はアビルの胸を蹴った。

「ぐほっ、げはっ、うぐぅ」

 アビルはまた転がって、地面に転がるリンゴの上に転がる。

 店主は首を傾げた。さっきの最初に抱え込んだリンゴ、そして今小僧がそのうえを転がったリンゴ……なんか数が減ってないか?

 だが、手には何も持っていないし、服もズボンも膨らんでいない。よろよろ歩いて立ち去るアビルの方を見て、大声で怒鳴る。

「二度と姿を現すなっ。汚い穢れ者め。とっとと、失せて野垂れ死にしやがれっ」

 集めてみると明らかにリンゴの数が減っている。

「どうしてだ? どうしてだ?

 誰も拾ってなかったぞ。どうしてだ?」

 店主は涙目になって、アビルを投げ飛ばした男を睨んだ。

「あんたのせいだ。こっちに投げ飛ばさなければ」

「違うっ。俺はこっちの方に投げたんだ。あれが勝手に方向を変えてぶつかって行ったんだよ」

「出鱈目言うなっ」

「なにをぅっ」

 その間にアビルは現場から少しずつ遠ざかった。

 心臓が激しく波打っている。飢えのため初めて盗みをした。

 アビルは10才の少年だ。見かけは6才か7才くらいだが、栄養不良で発達が遅れているのだ。

 だが彼には一つだけギフトがある。誰にも知られないように彼はそれを訓練して技を磨きあげて来た。

 ギフトがあることがばれたら、すぐに捕まり奴隷にされるだろう。ギフト持ちの奴隷は性奴隷のエルフと同等の値段で取引されるという。

 だから決してばれてはいけないのだ。

 アビルは計画的に投げ飛ばされ、リンゴ売りの出店の箱にわざとぶつかったのだ。

 それが自分からぶつかって行くように見えたなら失敗になる。

 あくまでも投げ飛ばされてぶつかったように見せるために、何度も人の見てないところで練習した。

 そして石をたくさん集めてそれを拾おうとしてこぼす練習も。

 こぼした石はこっそり腹の真ん中に作った亜空間の収納口から吸い込む。

 店主に蹴とばされたときも、リンゴが沢山落ちているところに腹ばいになって倒れる。これも石ころの上に体を伏せるようにして練習した。そして石ころを体で隠しながら収納する練習もした。

 そのほか数パターンの収納法を練習したが、実際に使ったのは2パターンだけだった。

 そしてアビルは誰も見ていないところで、自分の収納したリンゴの数を確かめた。7個あった。

 これでなんとか数日飢えをしのげる。だが、それで終わりではない。次の仕事がある。冒険者たちが話しているのを盗み聞きしたのは、森ではエモの実が成り始めたというのだ。野生の果実で梅の実ほどの大きさだが、色々な食べ方ができるらしい。だが生のままではとても食べられない。調理法は難しいらしいが、街で売れば確実に売れる。良い物は一個銅貨3枚から4枚で売れるらしいが、不揃いのエモを一個銅貨一枚で売れば確実に売れる。

 袋一杯で50個くらいだから、銅貨50枚稼げるのだ。100個なら銀貨1枚になる。

 エモ採りの冒険者たちが午後2時ごろ引き上げて来た。リュック一杯だから一人100個から150個は採って来ただろう。

 入れ違いにアビルは森に向かった。採り残しを狙うのだ。形や色の悪いもの、小粒なものは冒険者ギルドで厳しく査定するので除外はねられる。

 だから採り残して行くのだ。それをアビルは狙うのだ。5個実が成っていれば合格する優良なエモの実は1個が良い所だ。だから、その不合格品を狙うのだ。

 森の中に入って、冒険者たちの残した目印を辿って行く。

 あった。あった。枝の低い所の実は選ばずに片っ端からもぎ取って亜空間に収納する。

 それだけでもかなりの量になるが、手の届かないところの実も欲しい。だから大人の冒険者なら手が届く高さの枝には棒切れを使って落とすのだ。棒切れにつたひもを縛って、実の付いた枝にぶつけて落とすのだ。

 だんだん黄昏時が近づくと普通の冒険者は街に戻る。

 アビルは枯れ枝を集め指先から火を出した。火は枝に燃え移る。

 だがアビルには火魔法は使えない。

 アビルは実際の炎を収納して時間停止の状態で炎をキープしているのだ。

 それからリンゴを一個取りだすとそれをかじる。

 それから水も大量に収納しているので、飲み水には困らない。

 ああ、パンが欲しいなとアビルは思う。

 この世界のパンはパンだねを使わない。平ぺったいナンのようなものだ。

 だが小麦粉が手に入らない。お金を稼げば、買えるだろう。それまではリンゴでしのごう。アビルはそう思った。





 冒険者が採取したエモの実はクエストを依頼したクライアントの方に渡ったらしい。

 それとは別ルートで入手したらしいエモの実を出店で売っている。

「高いなあ。こんなに大きくて形が揃ってなくても良いんだが、もう少し安くならんかね?」

「冗談言っちゃ困りますぜ。今これから、このエモの実に命令でもしますか? おい、もう少し不揃いで小粒になってしまえって?一個銅貨5枚ですよ。お貴族様にも納めている上物ですぜ」

「わかったよ。じゃあ、俺は売れ残った頃にまた来るよ。俺の場合は潰して使うから大きさや形は関係ないんだ」

「ジャムを作るんで?」

「ああ、そうさ」

「もう少し待ってくれれば規格外のはね物が出て来るんですが」

「それはいつだ?」

「後、一週間かなあ」

「そんなに待てないよ。じゃあな」


 今の客の後をつけていると、気づかれた。

「おい、子供。なにか俺に用か?」

「エモの実のはね物あります」

「見せろ」

 アビルは持っている袋の中をこっそり見せる。

「一個いくらだ」

「銅貨1枚。但し、50個全部買ってくれたら」

「さっきのエモ10個分の金で50個か。よし買った。よこせ」

「ふ……袋は駄目です」

「じゃあ、中身をこの籠にあけろ」

「お……お金」

「わかった。これが50枚の束だ」

 銅貨は穴あきなので、紐でつないである。10枚の束5つで50枚だ。

 アビルは実を数えようとしたが、男はそれを止める。

「数えなくて良い。お前だって数を誤魔化して噂をたてられたら困るだろう。だから50個だと信じてやるよ」

「い……1個か2個多めにいれてます」

「よしよし、ほかの奴らにも言っておいてやる。またもってこい」

 男が離れて行くと、アビルはまた袋にエモの実を入れて客の物色をする。

 なるべく目立たないように客に声をかけ、こっそり売る。

 そういうのを3回ほど繰り返したところ、後をつけられている気配がした。速足で歩いて行くが、先回りされて挟み撃ちにあう。

 十代半ばから後半の少年や青年たちだ。いわゆるスラムにいる連中だ。

「おい、ちび助。袋の中を見せな。何かこそこそ売っていたろう」

 アビルは袋を逆さにして見せる。エモの実が5・6個零れ落ちる。

「何だ、それしか残ってねえのか? じゃあ、売れたんだな。だいぶ稼いだろう。ちょっとその場で跳んでみな」

 アビルは半べそをかいて、その場で跳び撥ねると『チャラチャラ』と音がする。

 別の少年がアビルのポケットに手を突っ込み銅貨を7・8枚掴みだす。

「なんだ、これっぽちしか売れなかったのか」

「しけた客だな。お前買いたたかれたんだろ。舐められてんじゃねえぞ、馬鹿野郎。仕方ねえ。エモの実と銅貨は貰っといてやる。今度はもっと稼ぐんだな」

 去り際に男たちはアビルを蹴とばしたり、頭を叩いたりして行く。最後の一人は思い切り腹を叩いた。

「げげげぇぇぇ」

 アビルはリンゴしか食べてないのですっぱい水を吐いた。

でも、連中が行ってしまうと、また気を取り直して客を捜す。その日だけでアビルは銅貨500枚を稼いだ。彼らにつけられていると分かった時点で、稼いだ金も、袋の中のエモの実もすばやく収納しておいたのだ。

 だが全く金も実も持ってなかったら不自然だから、わざと僅かだけ残しておいたのだ。全く収入がないと、連中は逆上してアビルを殺しかねない。だがもう少し残して置けばよかった。あまりにもケチって少なかったから、いらだちの分連中のパンチや蹴りが痛かった。これでスラムの連中も見張っている往来での商売は続けるのは危険になる。 


 冒険者たちが話をしている。

「おかしい話だ。昨日見た時にはハネもののエモの実がたくさん残っていたのに、根こそぎなくなっているんだ。

 誰もあの時間から採りに行く奴なんていない筈だ。畜生、誰がやりやがった。夜にかけて採ったんだろう。あれだけの量一人や二人じゃないぞ」

「10人以上のよそ者が来てかっさらって行きやがったんだ。勝手に俺たちのシマ荒らしやがって。

 見つけたらただじゃおかねえ」

 それを聞いて、もう森にはいかない方が良いとアビルは思った。

 まだ半分も売ってないが、売るのも暫くほとぼりが冷めるまで控えようと決めた。もしばれたら絶対殺される。


 アビルは小麦粉を買いに雑貨屋に行った。10キロの袋を買って担ぐとふらふらしながら店を出る。

 実は実際にもう一袋こっそり収納したのだ。10キロも買ったのだから店主はすっかり安心して油断していたのを、その目を盗んでたくさん積んでるところから一つくすねたのだ。

 これでしばらく食いつなぐことができる。

 その次に古着屋に行って、下着や服を選びながら靴や帽子も一そろい買った。そのときもこっそり選んでる振りをして倍の量をくすねたのだ。特に靴は多めに必要だったので積んであるところの下の方から盗んだ。

 盗むときにはなるべく目立たない色の物や同じようなものが沢山あるものを選ぶ。なくなったことに気づかないようにだ。

 

 身なりが少し良くなると、今度は住宅街に行き、井戸端会議をしているおかみさんたちに声をかける。

「あのう、ジャム用のエモの実一個銅貨一枚で買いませんか?」

「何個売るんだい? 品物は?」

「ちょっと向こうに主人が待ってるんで、注文だけです。で、入れ物がないので、それが欲しいのと、売るときは50個以上でないとダメなんですが」

「ちょっと待って。入れ物今持ってくるから」

「今年はどういう訳かジャム用のはね物が出回らなくてね。欲しいと思ってたとこなんだよ。あれはあく抜きが面倒だから早めに作りたいと思ってたのにさ。ちょうど良かったよ」

「持ってきたよ。どれ、あんたの親方はどこだい?」

「あっ、すみません。入れ物だけ預かります。50個ですね」

「100個だよ」

「じゃあ、待っててください。今すぐ持ってきますから。他の人もついて来ないでください」

「大丈夫かい?入れ物もって逃げないかい?」

「信用してください。主人は訳があって顔を出せないんです。エモのはね物が品不足なんで他の人たちに妬まれたりしてるんです」

「わかったよ。早く行っといで」

 アビルは角を曲がると同時に入れ物に101個のエモの実を入れると引き返した。

「おや、早いね。100個数えたのかい」

「1個おまけしてます。ではお金確かに。次は?」

「50個だよ」

「はい、ただいま」

「ねえ、坊や。去年作ったジャムの残りがあるんだけど、ちょっと味が渋くてね。あく抜きが十分じゃなくてさ。それと交換なら駄目かい。今手持ちがないんだよ」

「見せてください」

「これなんだけどね」

「主人に見せます」

 アビルは角を曲がるとすぐに大きなツボに入ったジャムをなめてみた。かすかに渋いがパンにつけて食べれば食べられる。

 それを収納して100個くらいのエモの実を袋に入れて戻った。

「なんとかB級品として通用するからこれだけ差し上げるそうです」

「やったぁぁ。今度はあく抜きをしっかりやるよ。ありがとうね、坊や」



 結局こうやって方々を回り、残りの在庫を全部売り払った。薄利多売という奴だ。今回は住宅街なのでスラムの連中の目が届かなかった。服装も良くなったので、一般市民だと思われ、たかられることはないだろう。

 

 アビルは前々から準備していた隠れ家に向かった。

 街の中に雨露しのぐ住まいがあれば、一番良いのだが、なかなか難しい。

 この街には川が流れていてその周囲は林があったり小さな山があったりするのだ。

 アビルはゴミ捨て場で拾った錆びて折れた剣を収納していたが、それを使って、小山の側面に穴を掘った。何日も何日も少しずつ掘り、終わったら枝や葉で隠していたのだ。それがちょうど四つん這いで2mくらい掘り進んだところで、枯れ草を集め寝床を作った。

 入り口には大きめの石を重ねて穴を隠した。さらに枝を集めカモフラージュしたのだ。

 街中の寝床は暖かい季節ではこれで良いだろう。寒い冬になればもっと奥を広く掘り抜いて住居空間を作って暖房の工夫をしなくてはならない。

 アビルの強みは掘った土を外に出さなくて良いということだ。掘った土は収納している。土を運び出す手間が省けるから作業は通常の何倍も速い。そして補強の木材なども収納しておいたものを穴の中で出せるから便利である。



 衣食に余裕ができたので、本格的に仕事をすることができる。アビルには森で一泊する為の隠れ家がある。同じように穴を掘って作った人工の穴倉だ。

 大きく作って奥行きも広いので、快適な別荘になっていた。

 久しぶりに訪れると入り口が開いていた! 枝や石が取り除かれてぽっかり穴が開いている。人間じゃない。獣の匂いがする。唸り声がして何かが物凄い勢いで飛び出して来る。とっさにアビルは石や岩を亜空間から放出した。相手がひるんだ一瞬の隙を狙って大量の土を亜空間から吐き出す。どんどん穴は埋まって、獣を生き埋めにする。入り口まで土を埋めると、暫くしてから土を石を再び収納して行き、穴を開けて行く。今度は土が柔らかいので掘らなくても短時間で穴は元通りになった。中にいたのは熊だった。

 窒息して死んでいた。

 すぐに首を切って、血を収納して血抜きをした。それからまだ生暖かい死骸を亜空間に収納した。時間停止機能があるから、死骸は腐らない。そのうち解体の方法を覚えたら毛皮や肉をゲットしようと思った。

 アビルは意識すれば脳内にイメージが浮かぶ。亜空間には土や石や岩が区別されて収納されていて混じり合うことはない。たとえ一緒に収納しても保管されるときは別々になるのだ。泥水を収納したときは、泥水のままとイメージするとその通りになるが、水と泥とイメージすると、綺麗な水と乾いた泥土が別々に保管されるのだ。

 このことは最近分かったのでアビルはある商売を思いついたのだ。

 それは海水から塩をとって売ることだ。塩は貴重なものなので、売り物になる。けれども海岸までは馬車で行っても二か月以上はかかる。

「しばらくはこの方法はお預けだな」

 アビルは誰もいないところで独り言を言った。

 岩塩が取れるところは馬車で1週間ほどで行けるが、掘る手間を考えるとギフトなしの者と苦労は同じになる。アビルは自分のギフトを最大限に生かして食べて行く方法を考えなければと思った。

 ギフトを調べる方法は一つしかない。教会でのギフト鑑定の水晶球で判断するのだ。

 だが地方の教会での鑑定球はそれほど精密ではなく、そこで判定されたギフトは王都の教会で精密判定をうけることになるのだ。

 時期は最初の判定で乳児から3才児までの間にすませることになっており、アビルは教会の孤児院に拾われたときは4才だったので、判定は済まされたと判断されたのだ。

 ギフトがあれば大騒ぎになるので、何もないということならギフトなしと判断されるのだ。

 水晶球は発動させるのに魔石を消費するので、お金がかかる。たとえ教会でもやたら鑑定は行えない。

 それにギフトは宝くじにあたるようなものなので、なくて普通なのだ。またギフト判定には教会に一定以上の寄進をしなければならないのもそれが理由になる。

 アビルがギフトを意識したのは教会に入ってからで、自分はギフト判定していないことを知っていたのでいつかこっそり調べたいと思ったのだ。そして、教会の神父に聞かれたときはギフトなしだったそうだと嘘をついたのだ。

 そして神父が留守で、子供たちが外で遊んでいるときに、こっそり水晶球で判定をしてみた。ビンゴ、なんと『時間停止無限収納』という神級のギフトだった。それ以来アビルは慎重にそれを隠しながら、こっそりギフトの検証実験を重ねた。

 彼が無邪気に自分のギフトのことを口にしなかったのは、彼が前世の記憶を持った転生者だったからだ。

 ギフトに関する知識とその社会的影響などを考える知恵が十分にあったから、慎重な扱いができたと言えた。けれど、ずっと教会にいればやがてはばれる。そこで彼は少しずつ食料を誤魔化して貯めたのだ。時間停止無限収入なら食べ物は保管できる。そして子供たちで連れ立って森に薬草を採りに行ったとき、仲間からわざとはぐれて用意していた服に着替えて、着ていた服を血でよごして引き裂いた。そして悲鳴をあげてから姿を隠したのだ。

「おい、これアビルの服だよ。獣に襲われたんだよ」

「どうしよう、獣がまだいるかもしれない。逃げよう」

「アビルはきっと死んだんだ」

「この服を持って行こうよ」

「いやだ。気持ち悪い」


 服を持って行かなかったので、アビルには幸いだった。大人が見れば子供だましの偽装工作は見破られるかもしれない。

 こうして死亡認定されたと考えたアビルはできるだけ離れた街まで移動したのだ。

 だが問題はどうやって新しい街の中にはいるかだ。

 そこでアビルは防壁の周りで見張りがいない場所を捜した。街の表門の裏側は断崖を背にしていたので、アビルはそこの土を下に向かって掘って行き、防壁の土台の部分まで到達すると、その下を潜り抜けるように穴を掘って壁の内側に出ることができたのだ。実際アビルは削った土を収納したり出したりすることが自由にできるので、穴を掘り進んだり、それを埋めてしまうことなど容易なのだ。

 壁の内側はゴミ捨て場のようになっていた。アビルはそこを物色して再利用できそうなものは片っ端から収納した。

 するとスラムの子供らがやって来て同じようにゴミ漁りを始めたので、慌てて姿を隠した。ゴミの穴を掘って隠れるのは簡単だからだ。

「おかしいな。2・3日来てないから新しいゴミが増えているはずだけど、めぼしいものがないな」

「誰か俺たちの縄張りを荒らしてるのか?」

「見つけたら袋叩きにしよう」

 彼らはプンプン怒っていなくなった。

 アビルはゴミの中から這い出て来て、胸を撫でおろした。

「危なかった」


 そんな以前のことを思い出したアビルはもうこの街に3年ほど住んでいる。

 けれど今日のように普通の服を着て金を稼ぐようになったのは初めてのことで、それまではギフトを生かすこともなく生きるのがやっとの毎日だった。

 だが油断すればすぐにでも元の生活に元通りになってしまう。それだけは絶対嫌だ。どうすればいいか。

 その時向こうから女の子が来た。アビルを見てにこやかにして近づいて来た。

「あんた、どこの子。この辺じゃ見かけないね」

「僕は「くさっ。あんた体匂うね。体洗ってる?」あ、いや、さようなら」

 ショックだった。女の子に体が臭いと言われてしまった。おかみさんたちは何も言わなかったけど、女の子は子供だから正直に思ったことをそのまま言ったんだ。アビルはそのまま女の子から逃げて来た。

「どうしよう。体をずっと洗ってなかった」

 泣きそうになり、声が震えた。

 自分の体の匂いを嗅ごうとしたが、よく分からない。自分の匂いは分からないのかもしれない。

 アビルは川に服を着たまま飛び込んだ。川岸には焚火をして、裸になると服を洗い、体も洗って、岸に上がる。布で体を拭いてから焚火にあたりながら、洗った服や湿った布を収納して、水を抜いたものを出した。一瞬ですっかり乾いていた。乾いた服を着ると女の子を捜した。まだ匂いがするかどうか聞きたかったのだ。

 でも女の子はどこにもいなかった。そんなことを聞くためにわざわざ探すのも変だなと途中であきらめて巣穴(自宅)に戻った。

 そこでふと今自分がしたことを思い出した。

 洗濯屋はどうだろう。洗濯は洗うよりも乾かす方が時間がかかる。その乾かすのが一瞬でできるのだから、乾かすのが専門というのはどうだろう?

 なんとかギフトがばれないような方法があれば……

 その日は穴倉の中でアビルは考えすぎてよく寝付けなかった。


 なんとなく湿っぽい日だった。曇っていて塵雨でも降りそうな天気だ。こういう日は商売になると思って住宅街を歩く。うるさいと叱られるので、なるべく静かに節をつけて、

「洗濯物乾かしまーす。ひと箱銅貨1枚でーす」

「ちょっとあんた、洗濯物乾かすって本当? って何その恰好?」

 声をかけた主婦が驚いたのも無理はない。男の子が体の前に箱を抱えているのだ。箱はシャツなら5・6枚入りそうなもので、両脇に紐がついていて、それを首にかけてぶら下げているのだ。

「この箱は魔道具で、中に洗濯したものを入れると一瞬で乾いてしまうのです。乾燥ボックスと言います」

「シーツを乾かしてくれる。今夜使いたいけど、こんな天気で困ってたのよ」

「シーツなら一枚で一杯ですね。では銅貨一枚ください」

 アビルは箱の蓋を開けて濡れたシーツを入れるとすぐまた蓋を開けた。

「えっ、もう終わり? あらあら、もう乾いている。すごーい」

「なに、奥さん。どうしたの。何がすごいの」

「一瞬で乾かすのよ。何か持ってきて」

「私は今日洗濯しなかったから。でもこれはどうかしら?」

 二番目の主婦は柿を一個出した。

 アビルはそれを箱に入れてからすぐに取りだした。

「ほ……干し柿になってるぅ!」

「銅貨1枚いただきます」


 仕掛けは簡単だ。箱には一か所穴が開いていて、そこを自分のお腹に当てるのだ。その穴から洗濯物を収納して、水を除いた衣服を箱に出すのだ。

 魔法具などと言ってるがただの木製の空き箱にベルトをつけただけのものだ。どんよりした天気の日を選んだのだが、割と食いつきが良かった。けれど屋外での商売なので雨天のときはできない。晴れた日も駄目だ。

 何日かしてまたどんよりとした空模様の日になったのでまた歩いてみた。すると前回での口コミが広がっていたのか、結構人が集まった。とはいえ、エモの実ほど収入は多くない。一回銅貨1枚だから回数で稼がなくてはいけない。行列ができている割には売り上げが少しずつしか入らないのだ。この商売も限界だなと思っている矢先、どこでかぎつけたのか裏社会の者がやって来た。

 強面の二人組だ。スラムのチンピラよりも数倍怖い。

「坊主。誰に断って商売してるんだ? その魔道具は没収だ。売り上げも出してもらおう」

 そこで今回は売上の半分ほどを差し出した。それでもエモの実一袋分のお金しかなかった。

 男は暴力は振るわなかった。そして一言だけ教えてくれた。

「決められた場所でやるフリーマーケットは商業ギルドの許可でできるが、こういう不定期で許可のない闇商売は俺たちが仕切ってるんだ。憶えておけ」

 けれどアビルは住所不定なので商業ギルドには入れない。行商人でも定宿の場所をギルドに届けるのだ。それは冒険者ギルドでも同じで、川のそばの巣穴を住所として届ける訳にはいかないのだ。

 そこで彼は考え込んだ。

この自分のギフトを生かした別の商売をしたらどうだろう。小売りが難しいなら、店に作ったものを卸すのなら……たとえばドライフルーツとか。冒険者や旅人がよく携帯食料として持って歩くらしい。乾燥の能力でそれを大量に作れば、商売にならないか?

 そんなことを考えたのだ。 

 そこでアビルは八百屋にまず行って、質問した。

「ここにはドライフルーツは売っていないんですか?」

「乾物屋に行けばあるよ」

「あのう、ドライフルーツにする果物ってどんなものがありますか?」

「作ってみるのかい? あれは難しいよ。干す前から甘みが強い実じゃなければだめだ。だからものによっては砂糖などをまぶしてから干す場合もある。しかも天日干しで一週間から十日も時間がかかる」

 一応乾物屋にも顔を出した。

確かにドライフルーツは手間暇がかかる分だけ値段も高い。

 そこに干し魚と干し肉もあったので、聞いてみた。

 やはり質問をしてみると教えてくれた。

「干し魚は新鮮な魚を海岸の潮風に吹かれながら干すので、海でなければ作れない。海の風は塩分を含んでいるから魚は腐らずに乾燥させることができる。

 一方干し肉は最初から塩をしっかり含ませて干す。そのまま干したら、途中で腐ってしまうからだ。干し肉が塩辛いのはそのせいだ」

 干し魚は、魚が手に入らなければできないが、干し肉なら熊の肉が使える。そうすれば塩辛くない干し肉が作れるのではないか、アビルはそう思った。

「おじさん、干し肉をもし作ったらここに持って来れば仕入れてくれるかい?」

「なんだ、坊やは干し肉を作るあてがあるのかい? 原料の肉が高いし、貴重な塩をたくさん使うから、金がかかるぞ」

「肉はただで新鮮なのが手に入る予定で、塩なしで干す乾燥機があるんだ」

「ずいぶん眉唾まゆつばな話だな。それじゃあ、もし作ったら持ってきて見せろ。売れるものなら仕入れを考えてやる。   

 だがちょっと心配なのは塩を使わずに干したものがどれだけ長持ちするかという問題がある。少しは塩気があったほうが安心なんだがな」

 アビルは考えたのだ。売るのには許可がいるが、小売り店に卸すのには許可がいらないということだ。

 だが、熊を解体する方法が分からない。確か冒険者ギルドの裏手に獣の解体場所がある筈だ。

 なんとかそこを見学できないものか。

 今までお金を使った生活をしていなかったから分からなかったが、普通の生活をすれば、お金はどんどん減ってしまう。

 食べ物はフライパンを買って、油を買って小麦粉を練って焼いて食べているが、フライパンと油は結構お金がかかった。

 野菜は山菜をゆでて食べるようにしている。初めはどれが食べられる山菜かわからなかったが、フリーマーケットで売っているのを見て、同じものを探して採るようにしたのだ。似たもので毒性のあるものがあるから、その辺ははっきり分かりやすいものにしか手を出さなかったが。

 問題は動物蛋白だ。肉が欲しい。そこでアビルははっと気づいた。自分はなんて馬鹿なことをしようとしていたんだと。

 わざわざ干し肉を作って卸さなくても、肉を自分で食べれば良いじゃないかと。干し肉を作って金にしても、結局その金で食べて行くとすれば、最初から肉を自分で食べた方が良いのではないか。

 これからも肉が手に入るかどうかは分からない。たまたま運が良くて手に入ったのだから、自分で食べた方が良い。

 そして、干し肉が何故できたかということを後で知った。肉は鮮度が命だが、獣を狩ったときにその肉は必ずしも食べきれる訳ではない。そのために無駄にならないように干すことから始まり、冬期間に獣が狩りづらくなったときの保存食、そして旅人が野営をしながら食べるときの携帯食の意味を兼ねているのだ。つまり無駄にするくらいなら干し肉にしようという発想からなので、生の肉に時間と手間をかけたからその分相当高くなるという訳ではない。干すとかなり縮むので同じ重さなら確かに高いかもしれないが、元の原料のときの重さで比べた時にはほぼ同じか1倍半くらいまでなのだ。

「決めた。自分で食べよう。生のまま保存できるのだから、保存食にする必要はないし」

 そして彼は直接ギルドの裏手に行って、解体屋と交渉した。

「あのう、うちのご主人さまに頼まれたんだけど。熊を解体して肉をくれれば肉以外はあげるって」

「なんだぁ? その熊ってどこにあるんだ」

「こっちの陰に置いてあるよ」

「なに、いつの間に?」

 解体屋が熊を見て驚く。

「なんだ、これはまだ生暖かいじゃあねえか?しかも血を抜いてある。毛皮は全然傷んでねえ。これは最高級の毛皮が取れるぞ。だが、何故ギルドを通さねえんだ」

「通したくても、ご主人様は冒険者じゃないから」

 すると解体屋は思った。さてはご主人様というのは貴族の旦那で、ギルドの出入りを控えているのだと。実際解体料は毛皮に比べたらかなり安いので、こちらとしては大儲けだ。

「良いよ。終わったら、知らせるから、ギルドのホールででも待っていてくれ」

「あの、ご主人がなんでも後学のためだから解体作業を見学させてもらえと」

 解体屋は『ははぁぁん、それは口実で肉とか肝臓とかを誤魔化さないように見張れってことだな。こちとら信用商売でやってんだ。誤魔化す筈がねえ。見ててもらおうじゃねえか』と思ったが、そんなことは顔色に出さずに言った。

「ああ、良いぜ。見てて気持ち悪くなったらいつでも外して良いぜ。匂いが半端ないから吐くんじゃねえぞ。それと聞きたいことがあったら、何でも聞いてくれ。なかなか立派なご主人じゃあねえか。使用人になんでも学ぶ機会を下さるってことが有難いことだよ」

 アビルは解体のやり方をしっかり見ていた。使っているナイフ、最初に刃を入れる場所、剥ぎ取る順序、肉の部位と切り分け、内臓の取り方。骨から肉を削り取り、クズ肉として取るやり方などなど。今度は自分で解体できるようにと、記憶に刻み込んだ。

 肉が切り分けられると、アビルは台車に乗せてもらって解体屋の見ていないところで収納した。

「台車返します」

「おや、もう持って行ったのか?」

「はい、それでは。ところで、その解体用のナイフってどこで売ってるんですか?」

「これか? 鍛冶屋に特別に頼んで作ってもらうんだ。そうだ。お前は本気で解体を覚えようとして見てたな。ちょっと古びた奴だが、前に使ってたのをくれてやる。持って行きな」 

 そう言って、解体屋はちょっと刃が欠けたナイフをくれた。

 けれど、よく手入れはしてたらしく少しも錆びていない。

「ありがとうおじさん、大事に使うよ」

「ああ、がんばれよ。使うときは自分の手を切らないように気をつけな」


 さて切り分けた肉は保管しておくとして、アビルは解体をしてみたくて仕方なかった。たったいま目に焼き付けたことを忘れないうちに体に覚えさせたくてしかたないのだ。

 それで森に行った。獣をおびき出すものはないかと思ったら、収納の亜空間の中に血抜きしたときの熊の血があった。

 アビルは落とし穴を掘って枝で蓋をして草を被せ、その上に熊の血を垂らした。


 木に登って隠れてじっと待っていると、狼が5・6頭やって来た。クンクン匂いを嗅いで落とし穴の方にやって来る。

 穴の上に3頭が踏み出したときに枝が折れて穴があいた。

 1匹は素早く逃げた。

 そして2頭が穴に落ちた。

 右往左往している他の狼たちに向かって、アビルは亜空間から赤ん坊の頭くらいの石を発射した。いっぺんに何発も穴の周囲にいた狼たちに浴びせかける。狼たちは逃げたが1匹だけ石が当たって倒れたのがいた。

 まだ生きていたがそれの血抜きをしてから、穴の中の2匹に石をぶつけて生き埋めにした。穴の中では逃げられないので、石はかなり命中したらしく石を収納すると殆ど2匹ともにダウン状態だった。

 それも血抜きをして収納すると合計3匹の狼の体を手に入れたことになる。

 森から離れて街に戻ると自分の穴倉のそばで狼の解体をしてみた。見るのと実際にするのでは大違いで、なかなか解体屋のように上手にはできなかったが、それでも3匹目には粗雑なりにも、皮剥ぎや肉の切り分けができるようになった。

 狼の肉の一切れを例の方法で乾燥してみたが、食べて味見をすると結構癖がある。

 それで果物の汁につけてから乾燥してみた。甘みがついたが、なんとなく間抜けな味でしまりがない。

 塩があれば……と思ったとき、ふと思いついた。

 岩塩は陸で採れる。それなら土の中にも塩があるのではないかと。

 大量に収納している土の中の食塩を抽出するイメージで、塩を呼び出せば、片手一杯くらいの茶色じみた粉が取れた。舐めると塩辛い。

「これが地の塩だ」

 今度は狼の肉を果汁と塩に漬けて収納し、水分だけを奪ってみた。

「うむぅ、なんか癖が残るな」

 そこでハーブを色々試してみて、ようやっと食べられる干し肉になった。


「おや、この間の坊主か?

 ほうっ、これは何の肉だ?」

 アビルは狼の干し肉を乾物屋に持って行った。

「まず最初は秘密で、味見して当ててみてください」

「ほうっ、塩辛いどころか、甘いし柔らかい。それに癖がない。ウサギ? 鹿? 鹿だろう」

「狼です」

「嘘だろう。こりゃ肉食の獣というより、草食獣の柔らかさだ。しかも塩味はかすかなのに全然腐っていない。いったいどうやったんだ?」

「それが秘伝の方法で……」

 実はアビルは果物の汁も色々試したが、ある種の果物の汁が肉を柔らかくすることを発見したのだ。

「よし、この干し肉を猪の干し肉と同じ卸値で買い取ろう。だが狼の肉と知られたらまずい。何か良い方法はないか?」

「どうでしょう?カカキモの肉だと言えば」

「何だ、カカキモって?」

「遠い国の森にそういう獣がいるっていうことにするんです。その遠い国の人が作った干し肉を手に入れたことにすれば?」

「なるほど、カカキモの肉ね。聞かれたら儂も見たことがないといえば良い。これは面白い。塩辛い肉よりも味は良いし食べやすいから人気がでるぞ」

 狼よりも草食に近い雑食の熊の肉を使っても、大した差はないだろう。実際に食べ比べてみてアビルはそういう感想を得た。狩るのだったら、熊よりも狼の方がずっと狩りやすい。鹿やウサギは血の匂いでおびき寄せることはできないから、狼の干し肉で正解だと思った。


 近頃は穴を掘るコツを覚えたみたいだ。掘り棒と言って鉄棒の先が尖っているのがこの世界の穴掘りの道具だが、アビルは鍛冶屋に頼んで、短い鉄棒の先を平たくしてから先端を尖らせたものを使っている。それで掻いて土を崩したタイミングで土塊を収納すれば、穴掘りのスピードがアップする。

 落とし穴を複数開けて上に獣の内臓や血を垂らしておく。そして穴周辺をうろついている狼は大きな石を大量に飛ばして撃ち殺すか追い払う。罠に落ちた狼は上から岩を落として気絶または絶命させる。その作業をアビルは泊りがけで行う。昼間だと冒険者とかち合うから冒険者が引き上げて行った遅い時刻に穴を掘るのだ。

 最初は時間がかかるが、一度使った落とし穴は土を埋めて置いて、次回にその土を収納する。これは一瞬で終わるので、落とし穴はどんどん増えて行く。穴を埋めているときは少し土が盛り上がって踏むと柔らかいくらいなので、見た人は、何かの墓かなとか思うくらいだろう。夕方に落とし穴にして、朝未明に罠の中の獲物を回収する。そして落とし穴を埋め戻して置くのだ。

 そうして獲物はすべて収納して街に戻って巣穴のそばで解体するのだ。血や内臓は収納しながら作業するので、周囲はそれほど汚れない。終わった後は水で洗い流すので、殆ど証拠は残らないのだ。

 稀に人が近づけば、証拠は全て収納して、身を隠す。巣穴は大きな岩で塞がっていて数人がかりでもびくともしないようにしている。だがアビルは大岩を収納したり出したりして簡単に入り口を開けたり閉じたりできるのだ。

 巣穴の中では八百屋で買って来たある種の果物の汁と草原で摘んだある種のハーブ、さらに落とし穴を掘った土から採取した『地の塩』を使って、大きさを均一に切り分けた肉片を漬け込み、一定時間の後収納して水から分離させる。その際100パーセント水分をとってしまうと固くなりすぎるので、95パーセントの脱水率にする。

 久しぶりに乾物屋に行くと親父が上機嫌だった。

「いやはやカカキモの肉が大評判でな。品切れだと言うと冒険者に胸倉をつかまれて脅されるんだよ。他の奴はどうでも良いから俺の分はとっておけってね。

 今までの干し肉は塩辛いから水で戻して野菜と一緒に煮たりしてスープにして食うのが主体だったんだ。

 それでも面倒なのは直接齧って食べるんだが、重労働する男どもは良いんだが、女には評判が悪くってね。ところがカカキモの肉は女でも気軽に噛んで歩きながら食えるだろう? 男も喜んで食うんだ。だとすると、すぐなくなってしまうから、もっと食いたいとこうなるわけだ。

 もう今は街中でもおしゃべりしながらでも歩きながらでもクチャクチャとカカキモを嚙みながらっていうのが流行ってるんだと。

 冒険者ギルドの売店でも少し向こうにも卸してくれって頼まれてるんだけど、儂は小売店で卸元じゃないんでね。それに卸元は極秘ってことになってるから断ってんだよ」

 アビルの顔を見るなり親父は一気にまくし立てたがその後、水をゴクゴクと飲んだ。

 アビルは、決められた日に決められた量の干し肉を持って行き卸値の金額を受け取るようにしている。だが、特別に頼まれたり注文されたとかで余分の量を頼まれることがある。そういうときはアビルは難しい顔をする。

「うちのご主人はそういうのを嫌うんですよね。今回は若干余分を持って来たのでなんとかなりますが……」

 と言いながら干し肉を入れてあるということになってる大きな袋から余分の干し肉を出して見せる。実は亜空間から急遽出してみせたのだが、そんな簡単な手品は何度も練習しているので決してばれないのだ。

 アビルは必ず有力なご主人のことを話題にちらつかせる。架空の人物だが、もしかして借金があるため内職をしている貴族かもしれない。だが狩りの腕は確かで武力派に違いない。身分がばれると名分が汚れるので秘密主義にして幼い子を使っている。そういうシナリオが聞き手の脳内でできるように巧みに誘導しているのだ。

 今回の収入源でアビルはかなり生活の改善ができた。鍛冶屋に頼んで穴掘りの道具を作ってもらったりしたのもそのうちの一つだ。

 そして巣穴の中も一度炎を吹き付けてガラス質の壁にした後、狼の毛皮を何度も洗っては干し洗っては干ししたものを貼り付けて快適な空間にした。貼るときには、雑貨屋からにかわを大量に購入したのもお金があったからだ。冬の暖房用には、火で熱しても割れない石を購入した。それを温熱石として巣穴の中の暖房に使ったのだ。

 冬になると川の近辺は積雪の為に人が近づけなくなる。だがアビルは雪を収納したりして出し入れが自在なので、巣穴への往来は自由だ。また、森へ行くときも、さすがの冒険者も苦労するのだが、アビルは容易に行き来できる。

 冬前に狼ばかり獲っては狼がいなくなるので、穴に落ちた狼はわざと逃がしたりするときもある。

 代わりに猪とかがかかるときもあり、その肉もカカキモの肉ということにして卸している。だが鹿とかウサギはなかなかかからない。ウサギは体重が軽いから落とし穴に落ちてくれないし、鹿はジャンプ力があるから深い穴でも脱出してしまうのだ。

 ウサギと鹿については本物の猟師に罠の作り方を習わなければならない……と思ったら、鍛冶屋で売っていた。

「素人には売らないようにしてるんだ。下手な場所に仕掛けたら人間がかかる場合もあるからな。狩人のプロにやり方を習ってその許可を貰ったら売ってやるよ」

 それはつまり猟師の弟子として最低1年かそれくらい基本を教わってからでないと駄目だってことらしい。

 アビルはその罠を何度もいじってみたが、簡単そうで素人には作れないものだった。

 だからと当分は鹿とかウサギは無理だと思った。

 猪はイノシシが好む餌を落とし穴の上に置けばかかるので、狼と猪専門に肉を調達することにしている。

 たまに森に夕方行くと、冒険者を襲って返り討ちになった狼の死骸が落ちていることがある。討伐証明部位と言って、狼を討伐した証拠として牙とかが取られていることがあるが、止めで首を刺している場合は血が抜けているが、それ以外は血が固まって肉が食えないことが多い。それでも毛皮が使えるので、収納しておいて後で罠に使う餌にする場合と肉を利用する場合とに判断することにしている。


 冒険者の間では不思議な話が囁かれている。

「不思議だ。最初は数が少なかったから、森で死んだものを誰かが埋めたのだと思ったんだ。

 だが日を追うごとにその数が増えて行くじゃないか。

 日中は誰もそんなことしている奴を見た者はいないんだ。とすれば夕方から次の日の朝までに誰かが何かを埋めているってことになる。

 それで仲間と一緒にその謎の墓を掘ってみたんだ。だけど中には何も入ってないじゃないか?

 じゃあ、何のために穴を掘って埋めたんだって話だ。

 それに不思議なのは、、そういう土盛は何か月も経てば草が生えてくるもんだ。だがいくら時間が経っても、草も生えないどころかたった今土を盛り上げたようにふかふかに柔らかいんだ。

 全く気味が悪い話だよ」


 もちろんこれはアビルが掘ってから埋めた落とし穴の話だ。

だがこの謎はついに明かされることはなかったという。

 


 そんな生活がずっと続いてアビルが12才になったときのことだった。

 隣国の帝国がこの国に攻めて来て、次々と城塞都市を攻め落として、この街にも侵攻が迫って来たという。

 アビルはこの街も襲われたら自分は戦う力がないし、あっという間に殺されるだろうなと思った。巣穴に隠れるかすれば一時はしのげるかもしれないけれど、ずっと隠れているのは無理だ。

 季節は雪が解けて春になる。本来なら春は楽しい季節なのに、この街の人たちには恐怖の季節なのだ。

 何故なら雪の為に侵攻を休止していた帝国が再び侵攻を始めたからだ。

 侵攻の様子は各方面から伝わって来る。王都からの情報も王家・貴族経路とギルド経路があり、微妙に伝える内容が違う。王家・貴族経路は憎き帝国は市民団結して領主に協力して戦うべしという感じで、帝国の兵士を何百人殺したどこかの都市の話とかが多い。

 ギルド経路の情報は戦争になったときは冒険者は中立になるので、市民の避難誘導には協力するが戦うことは強制しないというスタンスだ。その代わり周辺の状況を詳しく告げて、脱出する方向などを指示して来る。

 そのほかに商人情報がある。大きな商会は早い時期に街から出て店じまいしているが、中にはぎりぎりまでとどまって領主に協力している者もいる。彼らは食料の調達や武器の補給などに協力している。やはりこの国出身の者が多く愛国精神から来るのだろう。

 そして生々しいのは逃げて来た行商人の情報だ。帝国軍は民間人も平気で殺す。商人だろうと貴族だろうと平民のような非戦闘員だろうと殺しまくるというのだ。いちいち判断していては勢いが止まるし、民間人だろうと誰だろうと殺し犯し略奪した方が士気が高まるという滅茶苦茶な理由らしい。

 実際なところ、民間人の中にも間者はいるし王国に情報を漏らす連絡員も潜んでいる可能性があるので、そういう理屈になるが、子供や赤子も殺すというのだ。

 そういうのは戦争奴隷にするのではと思ったが、実際の戦争時になると兵站へいたんが大問題になるので、捕虜を捕えて食べさせる食料がもったいないというのである。略奪を許すのも食料や財産を奪うことによって、軍の財源が潤うというのもある。女を犯すのも許していた方が兵士の不満が軍の上部に向かないというのだ。

 まさに戦争は残酷だ。今回の戦争のきっかけは、帝国の一方的な侵略戦争だ。宣戦布告もなにもない。ある日突然夜盗のごとく盗賊の如く襲い掛かり、虐殺し奪い犯し……面白半分に処刑する。

 一番残酷なのは貴族の家族だ。それぞれの都市には領主や客分の貴族とかがいるんだが、それはすぐに殺さずに捕えておいて、兵士たちの前でなぶり殺しにしたり処刑したりするのだ。それを殺さずにおいた一般人の前でもやってみせて、その後逃がしてその話を違う街にも広めさせるのが目的らしい。その話は帝国軍の恐ろしさを思い知らせ、王国の民が難民となって逃げ惑うという混乱を呼ぶのが目的なのだ。

 

 アビルは街の情報に耳を傾け、いつ脱出するか準備をしていたのだ。

 彼は年齢の割に体が小さく、12才なのに10才くらいにしか見えない。武器を使った武術も心得がなく、素手での格闘術も知らない。同じ年頃の子と喧嘩すればぼこぼこにされるだろう。

 つまり戦う力が全くないから、敵軍が近づいて来るので逃げるしかないのだ。それを卑怯者とか非国民とか言うのは無理だろう。

 そう思っていた。少し早めに街を出よう。もう少し狩りをして、食べられる植物を採取してから2・3日後に街を出よう。実際は後一月くらい後に帝国軍が来るという情報だが、早めに行動した方が混乱に巻き込まれずに逃げられる。


 だが、夕闇の森で落とし穴を作って、これから血や内臓を仕掛けようとしていたら、微かな人声がしたのだ。

 アビルはこの時刻には冒険者はいない筈だと思ってる。この森は泊りがけでクエストをするような場所ではない。それなのに人声がする。旅人はこんな場所では野営をしない。もう数キロ歩けば街に着くのに野営をする訳が……するとこの人声はなんなのだろう。


 ふと帝国軍のことが頭に浮かんだ。いやいやいや、どの情報も帝国軍が来るのは1月後だと言っている。だが、一番確実なのは自分の目で確かめることだ。

 もしかすると帝国軍から逃れて来た難民かもしれない。

 それか戦乱に紛れて街を襲う盗賊団か……。





 アビルは放浪児時代の薄汚れた服に着替え、頭髪や顔に泥を塗って、声の方のする方に近づきその者たちを観察した。

 それは大勢の兵士たちで、黒い鎧には赤い稲妻いなづまのような模様がついていた。恐怖とともに語られていた帝国軍の鎧だ。

 そしてすぐ近くで椅子に腰かけて話をしている5人くらいの男がいた。鎧や勲章などの飾りが他の兵士よりも立派だ。

 男たちは兵士の中でも位の高い者たちのようだった。

「金髪で青い目、色が白く汚れて泥だらけだが白いドレスを着ているからヘレン・フォン・ルーサス第三王女だ。村の者の情報ならそれで間違いない。」

「ルーサス王国の至宝と言われた美少女だ。生きたまま無傷で捕えたら、莫大な褒章を貰えるぞ」

 アビルは自分の耳を疑った。

 ルーサス王国と言えば、この国の名前ではなかったか? 王女なら王都にいる筈だ。

「この街の領主の娘が王女の王立学園時代の親友で、その伝手を頼って国外へ逃亡するという計画が潜入させた者の情報だ」

「そもそもこの戦争を始めたのはわが帝国の覇権主義もあるが、なにより王太子殿下の婚礼の申し込みをヘレン王女が蹴ったことがきっかけだ。だからわれらが主力部隊から離れて王女の追跡捕縛の任につけたのは幸いだった。なあ、アルステッド卿」

「ヘレン王女は王太子殿下の正妻に迎えるのか」

「そんな訳があるか。これは殿下から直接聞いた話だが性奴隷にする積りだと言われた。しかしこのことは極秘であくまでも正妻として丁重に扱い、その後で深く絶望させたいらしいのだ」

「王太子殿下もなかなかお人が悪い」

「帝国の王太子の申し出を無謀にも断ったことを心の底から後悔させたいらしい」

「なるほど」

「ところでレキソン殿、王女が街の中に入る恐れはないのか?」

「森の中にいるのは確かだ。森の外に出た途端、潜んでいる儂の部下が捕えることになっている。

 その前に兵士たちによる一斉の山狩りで捕まると思うがな。

 お付の従者や侍女、そして騎士たちは最後まで抵抗して王女を逃がしたらしいが、小娘一人でなにができる。16才の箱入り娘だぞ」

「たとえ王女が街に逃げても街ごと攻め滅ぼしてしまえば、それで良いのじゃないか?」

「待て待て、この街には兵站にとっての画期的な情報があるから、まず密かに潜入してその情報を得てから攻め滅ぼしても遅くない」

「何の情報かな、アルンゼン将軍?」

「カカキモの干し肉というのを聞いたことがあるか?」

「噂程度なら聞いたことがあるぞ。カカキモという謎の動物の肉で作った干し肉で塩気が少なく歩きながら食べるだけで元気が出るという幻の食べ物だな」

「幻じゃない。これがあれば移動しながら食事をすませることができるし、わざわざ野営してスープを作ったりしなくても、干し肉をそのまま齧って歩けば良いのだ。

 これは軍隊が移動する時間を大幅に短縮できるし、軽くて量がかさばらないから兵士が自分で携帯できるんだ」

「だからここの街となにがかんけいあるのだ、将軍?」

「この街、つまりタックル伯爵領のタックルシティこそ、カカキモの肉発祥の地なんだよ。その中のたった一軒の小さな乾物屋の親父だけが卸元を知っていて、それを絶対秘密にしているんだ。そいつを捕まえて拷問をかけて吐かせれば卸元を見つけて、その製法を盗んで殺せば帝国軍だけの財産になるって訳だ。これは王女捕獲に勝るとも劣らぬ手柄になると思わぬか?」

 ここまで聞くとアビルは卸元の自分が捕まるのは時間の問題だと思った。




「話は王女の話に戻すとしよう。

 山狩ても決して傷つけてはならないと厳命してあるが、それだけでは足りない。礼節を尽くし、こちらで用意した侍女をあてがうように追加の命令を伝えてほしい。王女のお付はその為にすべて始末したのだからな」

「侍女たちの三人は一人で何十人もの兵士の相手をしてるうちに死んでしまったようですな」

「仕える主人を間違えればそういう目に遭うという良い見本だな。

分かった。それでは後半刻後に行動開始で、くれぐれも物音を立てずに移動するように徹底してくれ」

「分かった。ところで……」


 その後の話はもう聞いていない。

 アビルは考えた。もし自分が王女だったらどういう行動をとるだろうと。道にまよってはいけないから街道に沿って、いや川に沿って行くに違いない。川は街にまで流れているから……そしてこの森にある別荘も川沿いにある。

 けれども途中に落とし穴がたくさん掘ってあるから……まさか!


 アビルは走った。そして落とし穴の一つ一つの位置を確かめた。

 するとそのうちの一つが蓋にした枝や葉が落ちていて、穴が見えていた。

 中をのぞくと何かが落ちている。まだ餌をしかけていないから獣ではない筈だ。炎を指から少しだけ出して穴の中を照らした。

 すると中に金髪の少女が座っていて肩で息をしていた。

「誰?味方なの敵なの?」

 間違いない。この少女はヘレン・フォン:ルーサス様だ。この国、ルーサス王国の第三王女だ。

 そしてこの少女が原因で帝国は侵略戦争を始めたのだ。そして自分が掘った落とし穴に捕えられている。

「味方だよ、お姉さん。ごめんね狼用の落とし穴に落ちたんだね。今梯子を下すから、上って来れるかな?」

 アビルはわざと王女の正体を知らぬ振りをした。知っていたら警戒されるに決まってるからだ。

 木の梯子はこんな時の為に購入しておいたものを収納しておいたのだ。

 梯子を下すと王女は力なく登り始めた。落ちた時体を打ったらしい。それとも足を挫いたか。

 これはこの後逃亡するのに足手まといになるが、それでも助けなければと思った。

 アビルは登って来る王女の顔を見て泥や埃や草の種で汚れていたが、こんなに美しい顔を見るのは初めてだった。

 前世でテレビなどで見たアイドルや女優でも敵わないような美少女で、天使が降臨したのかと思うほどだ。だからこそ帝国の王太子が婚礼を申し込んだのだ。そして断られて戦争を起こしたほどなのだ。

「あの、お姉さんもしかして帝国軍に追われている?」

 少し手を貸してようやく穴から出した王女はアビルよりも背が高かった。胸の膨らみが目の前にあるので、目のやり場に困るほどだ。でもまず肝心なことを確かめながら王女に危機的な状況を伝えなければならない。

「ええ、そうよ。私あいつらに追われているの。でもよく帝国軍だってわかったわね。君はどうしてこんな時間に森にいるの?」

「狼の狩りをするのに夜の方が良いから。でも一月先だと思われている帝国軍がもう来てたから驚いちゃった。街の人も知らないから早く知らせないとね」

「そうね、じゃあ私と一緒に街に行きましょう」

「駄目だよ。森を出たところに帝国軍の兵隊が隠れているよ。出たらすぐ捕まる。あの女の人たちみたいにたくさんの兵隊たちに襲われて死んでしまうよ」

 アビルはさも見て来たように王女の侍女たちの運命をそれとなく知らせた。

「えっ、侍女たちが……」

 王女は口を両手で覆い嗚咽をした。

「お姉さん、だから僕の隠れ家に隠してあげる。そして後で迎えに来てあげるから絶対声を出さずに待っててほしい。こっちだよ」

「ねえ、君名前は?」

「アビルだよ」

「アビル君、君を信じて良いかな」

「信じてっ、必ずお姉さんを無事に街まで連れてってあげるよ」

「タックル伯爵の所まで連れてってくれる?」

「うん、領主様の所だね。だから待っててね、ちょっと向こうを向いててくれるかな」

「向こう? 良いよ」

「アブラカラブダ!開け胡麻」

「えっ、なに?」

 王女が振り返ったとき、別荘の巣穴を塞いでいた大岩をアビルが収納していたので、洞窟の穴が大きく開いていた。

「さあ、ここに入って。灯りが漏れるといけないから灯りはつけないよ。近くに帝国軍の兵隊が近づいても絶対物音を立てないでね」

「う…うん。ここは君の隠れ家なの?」

「中は床や壁に毛皮を貼ってあるから寝ころんで休んでいても良いよ。お腹が空いたらここにパンと干し肉と水があるからね。おトイレをしたくなったら、奥の狭い所に地面に穴が開いてるからそこで済ませてね。手を洗うときはこの水桶で洗って。それじゃあ、絶対物音をたてないでね。入り口は隠しておくから、では……アブラカラブダ、閉じろ胡麻」

 そう言うと、アビルは入り口を岩でふさいだ。暗闇の中に王女を置いて行くことは心配だったが、アビルにはすることがあった。

 山狩りが始まったようだ。ものすごく静かに動いているところを見ると、この軍隊はかなり訓練された精鋭ぞろいだと感じた。

 アビルは梯子を出して太い木の上を登ってから梯子を収納して枝や葉っぱの中に隠れた。

 やがて兵士たちが僅か1mほど離れた等間隔に横並びして無言でやって来た。そして次々に落とし穴に落ちたその数十数人だ。

「どうしてこんなところに落とし穴がある?」

「シー、声を立てるな。上官に報告しよう」

「駄目だ。落ちた奴は後で救うことにして、今は王女確保の任務が先だ。少し間隔を詰めろ」

 兵隊の山狩りの列が過ぎて気の蔭に消えたときアビルは梯子を出して木から降りた。そして兵士たちが来た方向にそっと近づく。

 兵士たちの何人かが残っていて荷車に積んだ荷物番をしている。

 そこから離れたところに天幕があった。司令官クラスの本営といったところだろう。中には先ほど企みを話していた将軍とか官僚たちが酒を飲んで談笑している。

「ははは、こうやって待っていれば王女がここまで連れて来られる」

「早速侍女に命じて綺麗な服に着替えさせましょうぞ。風呂に入れて体の隅々を洗わせましょう」

「これこれ、このルーサス王国の至宝とまで歌われた美形の王女に対してそんな不遜なことを言えば、帝国の稲妻が頭上に落ちて来ますぞ」

「この酒は後一樽しかないから、大事に飲まないとな。一般の兵士たちの安酒とは違うから……」

その話を聞いて、その高級な酒を盗んでやろうと思った。

 ここに戻って来たのは何か新たな情報がないかを確かめるためと、この敵陣を混乱をさせて山狩りの兵士をここまで引き返させるためなのだが、具体的な案があるわけではなかった。

 よく見ると天幕の片隅に酒樽が二つ置いてある。一つは口が開いて、中はだいぶ減ってるようだが、もう一つは口が封をしてあるからまだ未使用のものだろう。

 アビルはその樽を2つとも収納した。それから何かないかなと見まわすが、将軍たちの剣が置いてあったのでそれも収納。他にも何か食べ物が入った箱があったのでそれも収納した。そして天幕の外に焚き火用の枯れ枝を出して天幕を囲むようにおいてから火をつけて回った。

「な……なんだ、火がついたぞ。テントが火事だ」

「大事な酒を……酒樽がないっ」

「剣もないぞ。敵襲っ!敵襲っ!」

「誰かいるかっ!」

 その声に荷物番をしていた兵士たちが炎上している天幕に向かって走って行く。

「消火だ」

「水はどこだ」

「川が近くにあるぞ」

「駄目だ間に合わない」

 その時には入れ違いに荷物を積んだ荷車を片っ端から収納して行った。食料を積んだ荷車も弓矢を積んだ荷車も酒や水を積んだものも全部収納した。数十台の兵站があっという間に消えた。そしておそらく攻城兵器らしい巨大な機械?を何台か収納した。

 馬は生き物だから収納できないが、馬車があったので、馬から外して収納した。きっとお偉いさんが乗る馬車だろう。そういうのが7台もあった。

うまいぐらいに御者も消火のために走って行っている。戻った時馬車がなくなっているのを見てどんなに驚くことだろう。

 それから兵士たちの天幕も片っ端から中身のリュックや毛布なども含めて全部収納して廻った。

 それからそっとそこから離れて巣穴に戻るために来た道を引き返した。

 途中で口の開いた落とし穴があったので、危ないので全部土で埋めて置いた。

 そして大岩を収納してから巣穴に入ると、王女が泣きながら寝ていた。きっと乱暴されて死んだ侍女たちのこととか考えて泣いていたのだろう。

「お姉さん、僕だよ。アビルだよ。もう少し待っていてね。今度は一緒にいるけど、まだ外には出られないからもう少し我慢してね」

「あっ、アビル君なの? どこに行ってたの」

「ちょっと待って。向こうを向いててね。アブラカラブダ、閉じよ、胡麻」

 入り口を大岩で塞いでから、王女に言った。

「味方の兵士が帝国軍の動きに気づいて、将軍たちのテントに火をつけたり馬車を盗んだりして混乱させているから、山狩りをして森を捜索している兵隊たちも引き返して行くと思うよ。緊急事態になっているからね。で、森の入り口まで捜索し終わってるから、どちらにしろ引き返さなければならないんだけどね」

「どうしてそんなことをまだ子供の君が知っているの?」

「お姉さん、僕はこう見えても12才だよ。もう冒険者に登録できる年齢だよ。まだ登録してないけど」

「どうして?洞窟の入り口を開けたり閉めたりする魔法だって使えるのに」

「魔法じゃないよ。呪文だよ。僕は魔法を使えないから」

「えっ、本当だ。君の魔力が見えない。じゃあ、本当に魔法を使えないんだね」

「うん」

 アビルは魔法が使えるという情報が王女から街の人に伝わるのを恐れてそういう言い方をした。なお、無限収納時間凍結はギフトだけれど、魔法ではない。魔法が魔力を元にして使う能力なら、彼のギフトは魔力を使わないのだ。だから魔力切れはないのだ。無限収納は本当の意味で無限収納できるのだ。

 アビルは入り口の岩の隙間に耳を当てて様子を伺った。王女もすぐそばでアビルの頭の上で耳を当てている。王女の顎の先がアビルの頭頂に当たる。いや、それよりも背中になにか柔らかいものが当たってる。でも王女当人は緊張でどきどきしていてそのことに気づいていないようだ。王女の胸の鼓動だけがドキドキとアビルの背中に伝わって来た。幼く見えてもアビルは思春期の少年だ。そしてそれ以前には30過ぎの童貞サラリーマンだった記憶がある。だから十分に王女の女性を感じていたのだ。

 まもなく兵士たちが森の入り口から引き返して来た様子だ。

「おい、本当に森から誰も出て来なかったのか?」

「ああ、虫に刺されながら俺たちはじっと息を凝らして隠れていたんだ。誰も……人っ子ひとり現れなかったよ」

「おい、お前たちそれよりも本陣の方で何かあったらしいぞ」

「うん、敵の奇襲部隊が兵站を襲ったらしい。戻っても一度本隊まで戻るか、援軍を待たなければならないらしい」

「それは厳しい。それじゃあ、引き返すのか?」

「それは駄目だと思うぞ。ところで王女はいったいどこに消えたんだ?」

「木に登ったとか?」

「いや、あの王女にはそんな能力はない。箱入りの王女だから箸より重いものは持ったことがない筈だ。すべて侍女たちに任せきりで自分のことは何もできないと聞いた」


「まあ、そんなことは……確かに木は登れないけれど」

「シー、聞こえますよ。黙ってて。でもお姉さんは王女様だったんですか?」

「あっ、いえそのう。黙っててね」

「はい。とにかく、シーです」

「……」


 巣穴の別荘から出るとアビルは王女を荷車に乗せて引っ張って行った。荷車でも結構王女を載せて行くのはきつかったが、そういう気配を見せないように軽々と引いている演技迄した。


 そして表門にアビルが声をかけたが、防壁の上から声を出した兵士は明日の朝出直せと取り合ってくれなかった。

 仕方なしに王女が口を開いた。

「私はルーサス王国の第三王女ヘレン・フォン・ルーサスだ。このタックルシティの領主タックル伯爵が長女ベアトリーチェ嬢に会いに参った。緊急の用事ゆえ、すぐに開門せよ」

 今度は兵士も慌てて上官と相談しに一度引っ込んだ様子だったが、まもなく門が開いた。

「門をすぐ閉じると良い。さもなくば、帝国軍が押し寄せてくるぞよ」

「て……帝国軍?!」

兵士たちとその上官も何が何やらわからぬと言った様子だった。

「ただいまベアトリーチェ様と連絡を取って「構わぬ。このまま伯爵邸に我を案内せよ。あっ、この少年は我と共に行くので構わぬように」

「ははぁ、畏まりました」

 王族の威厳と言うのは大したものだ。ドレスも顔も汚れていても、背筋を伸ばして凛とした口調で話せば、誰が聞いても王女だと疑わないのだから。



「王女様、僕はここで、ちょっと確かめたいことがあるので」

「どうして? 君はこれから私と一緒にタックル邸に行くのよ。君は命の恩人なんだから」

「帝国軍に奇襲をかけた人たちの仲間が連絡したいことがあるっていうので、会わなければならないんです。その後領主館に行きますので」

「そう? それじゃあ、領主館の門番に言っておくからアビルって名乗ってね」

「はい、それではまた後で」

「アビル君、君はいったい何者なの?呪文で出入りする洞窟を持っていたり、王国の奇襲部隊とも知り合いだったり」

「あっ、その方たちとは会ったのは今日が初めてで、王女様と一緒にいる僕を味方だと思って連絡してきたのです」

「そ……そうなの? でも私も奇襲部隊のことは知らなかったわ」

「まず敵を欺くなら味方からとか言うでしょう。きっとそれですよ」

「えっ、そんな戦略の諺初めて聞くわ」

「僕もたまたまどこかで聞いた言葉で……ではまた」

「あっ気を付けて……」



 アビルはまず防壁の裏側のゴミ捨て場に行き、外に出る抜け穴から出た。そして、街の防壁の正面からは見えない死角の場所に、敵から奪った兵站と攻城兵器を出した。さらに攻城兵器に使う投石用の手ごろな岩を大量に出して置いた。それから衣服を整え街の中に戻ると領主館に行き、門番に名乗って中に入れてもらった。


「遅かったのね、アビル。あっ、ベアトリーチェ。この子がアビルよ」

「まあ、あなたが。まだ幼いのによくヘレン様を助けてくれたわね。ありがとう」

 銀髪で茶色の瞳の伯爵令嬢ベアトリーチェはアビルの両肩に手を載せたかと思うと、そのまま背中に腕を交差するように回して、抱き寄せた。やはりアビルより背が高いので彼女の顎の下にアビルの頭頂が触れて、目の前にくっきりと形の良い鎖骨が浮き出て映った。そして二つの膨らみが首から根元にかけて押し寄せて来た。

「あのう、ベアトリーチェ様。僕はこれでも12才なので」

「あらごめんあそばせ。本来なら私のお婿さんにもなれるお年なのにね。じゃあ、ハグはまずかったかしら?」

「いえ、その……そういう訳では」

「うふふ……顔を赤くして可愛いですわ」

「ベアトリーチェ、アビル君を揶揄わないで。……で、アビル君どうだったの?」

「どちらに言えば良いのか迷いますが、都市の防壁の裏の方に、帝国から奪ったものを置いといたので受け取るようにと王女様や領主様に伝えて欲しいとそう言付けを言われました」

「じゃあ、お父様に言うわ。奪ったものって何かしら?」

「すぐに確かめて置かないと、奪い返されるとまずいのでは」

 二人の少女は争うように領主の方に言いに行った。

 半刻ほどしてから、戻って来た二人は息を弾ませていた。

 アビルの顔を見るなりヘレンはまくし立てた。

「大変、攻城兵器の投石機が三台と防壁を登る用の長梯子が数十本門を破る破城槌が一つ、それと荷車3台に積んだ弓矢数千本と3台に積んだ槍、荷車12台に積んだ食料が置いてあったのよ。長梯子と破城槌は使えないけど、投石機は使えそう。すぐそばに弾丸になる手ごろな岩が大量に置いてあったから。

 弓矢もあれだけあれば敵兵を針鼠のようにしてあげられる。

 それに食料があれだけあれば囲まれてもしばらく持つことでしょう」

「へえ、そうだったんですか?

 何を奪ったのかと思ったら随分派手に持ってきたんですね」

 そしてベアトリーチェ嬢も少し不満げに言った。

「あれだけのものを運び込まれたというのに、うちの見張りの者が一人も気づかないなんて、これが敵だったらと思うと情けなくて」

 アビルは見張りの兵士に申し訳ない気になって、ついつい口を挟んでしまった。

「ベアトリーチェ様、奇襲部隊の方たちは森に潜んでいた帝国軍の精鋭部隊から攻城兵器や兵站を一滴の血も流さずに盗み出したのですよ。それがどれだけ難しいことか想像すればお分かりかと思います。精鋭部隊でもあれだけの者を盗まれたのにすぐに気づかず見逃してしまったのですから、まして見張りの目を誤魔化して置いていくだけのことならたやすいことだったのでは?」

「えっ、つまりどういうこと?」

「見張りの方たちがぼんやりしていた訳ではないということですよ。しっかり見張っていたとしても気づかない特別な方法を使ったに違いないからです」

「でも、どうして同じ味方なのに、そんなに見つからないように置いて行く必要があるのかしら」

「味方に見つからないようにすれば当然ながら敵にも気づかれないのでは?」

「あっ」

「アビル君、やっぱり君は何者?

出会ったときと今では全然服装も違うし、12才とはとても思えないよ」

「王女様、この後は家に戻って休みたいので、これで失礼しても良いでしょうか?」

「まあ、そんなことを言わずに今日は私もここに泊るので、君も一緒にどう?」

「いえいえ、王女様はベアトリーチェ様のご学友ですが、私までそれに乗っかって領主様の館にお世話になるのは厚顔無恥も良い所ですので」

「あっ、待って。あなたのお宿はどこなの?」

「ちょっと訳があっていえません。明日にでもまたお会いするかもしれませんが、今日はこれで失礼します」

「必ずよ、必ず明日も来てね」

「はい」

 アビルはそのまま川沿いの穴倉に戻った。

 まず小麦粉を塩と水で練って行く。何度も折りたたんでは伸ばしと言うのを繰り返すと層のようなものができて、焼くときに層と層の間の空気が膨らみボコボコとした表面になる。冷めればへっこむが、そのボコボコとした感触が良い。

 火を熾しフライパンでパンを焼き、同じくフライパンで肉を焼く。そしてフライパンでスープを煮る。フライパンを3回使うから時間がかかるが、それでも構わない。暇なときは何枚もパンを焼いて片っ端から収納すると、いつでも焼きたてのパンが食べられる。

 食事はゆっくりする。ほんの少しだけ帝国軍の将軍たちが飲んでいた酒を味見する。前世の大人の記憶がこの酒は上物だと判定する。うまいっ。だが子供の体だから調子に乗っては駄目だ。もうやめとこう。

 それからアビルは穴倉の中で寝た。帝国軍の兵士の毛布がいくらでもあるから何重にも包まって寝る。ちょっと熱すぎて殆どの毛布を蹴とばしてしまう。


 やがて朝が来た。

 未明から防壁の上には兵士が待ち構えている。

 帝国軍は数の上では数千人もいるので、とても伯爵領の兵士だけでは百にも満たないので太刀打ちできない筈だ。

「なんだ、あれは?」

 明るくなったので都市の外を見ると、都市の防壁を囲んで半円状に帝国軍が陣を張っている。だが一定の距離を保ってそれ以上は近づかない。

 見張り台からヘレン王女は見て言った。

「あれは矢の届かない距離を保っているのだな」

「そうです。王女殿下。きっと殿下を逃がさないように見張っているのでしょう」

 そう言ったのはタックル伯爵その人だった。口ひげを撫でながらにやりと笑うと、片手をあげた。

「殿下を確保することが帝国の王太子の厳命らしく、から手では帰るに帰られないのでしょう。それでは、帰るきっかけを作ってあげましょうかな」

 そういうと上げていた片手を振り下ろした。

 すると正門が開いて現れたのは巨大な投石機が3台だ。横に並ぶと兵士たちが岩を積んで次々に帝国軍に向かって飛ばし始めた。

「「「うわぁぁぁぁぁぁぁ」」」

 岩がどんどん飛んで来たので、帝国軍の兵士たちは四方八方に散った。それでも岩にぶつかって何人も何十人もバタバタ倒れて行く。

 彼らは一晩中寒さに震え眠れなかったのだ。朝は食事もできず、疲労困狽ひろうこんばいていだ。その上弓矢の矢が盗まれて、飛び道具もなく攻城する手立てもない。そして食べ物はなにもなく、進むにも戻るにも身動きが取れない状態なのだ。

 そこへ自分たちの盗まれた投石機で岩をぶつけられれば、もう見栄もなにもかなぐり捨てて逃げの一手しかないのだ。

 その背中を騎馬で追いながら伯爵家の精鋭兵が馬上で弓を構えながらどんどん射て行く。矢は盗んだのものが沢山あるから使い放題だ。こうして帝国軍の別動隊はタックルシティから敗走したのだ。


 その後、帝国軍の本軍が攻めて来ることが予想されたが、王太子率いる帝国軍の本隊の数万の軍勢がやって来ることはなかった。

 王女捕縛の命を受けた精鋭軍の数千が半数以上も戦死して、戻ったものも半死半生の状態だったので、タックル伯爵領を攻めるのは得策ではないとの結論に達したらしい。

 一番の原因は精鋭軍が謎の力によって兵站も攻城兵器もすべて奪われた事実だ。同じようなことが王太子率いる本軍にも起これば、取り返しのつかないことになるからだ。噂では奇襲部隊というのがいて、その謎の攻撃で帝国軍精鋭部隊は翻弄されたということだ。

 それに対する策が思いつかない以上、攻めるのを中止したのだ。

 実はこれがアビルという12才の少年がしたことだとは、本人以外誰も知らない。

 国情が安定して王都に戻った王女は、王や宰相に奇襲部隊のことを訊ねたが、そんな部隊は存在しないと否定された。

 アビルは結局タックルシティから出ることはなかったが、その後ベアトリーチェがアビルの家や宿を探したが見つかることはなかった。

 それ以前に、アビルがこの街に入るとき仮証明書を発行する筈だが、そういう記録は残っていなかった。つまり無断で街に入って生活している疑いがあるので、見つけた場合は逮捕され牢屋に入れられて罰せられる筈だと言われた。もちろん王女の恩人にそういう処遇をする積りはないが、ベアトリーチェはアビルの正体について首を傾げてしまうのだった。ヘレンからもときどき便りが届くがアビルについては、間違いなくこの街に住んでいるらしいが、なかなか見つけることができない、できたとしても逮捕しなければならないから、積極的に捜さないのだと知らせておいた。


 帝国軍を蹴散らして追い返したというタックルシティはその後有名になり、商人の出入りも多くなり交易も盛んになった。

 しかしそのうまい汁を吸おうと、悪い連中もやって来る。

 タックルシティのそばの森は危険な獣がそれほど多くない割に広々としているので、悪いものが姿を潜ますのに適しているのかもしれない。いつごろからか森に盗賊団が住み着くようになり、商人の馬車を襲うようになったのだ。

 騎士団が討伐の為に王都から派遣されるが、巧みに逃げて捕まえることができない。

 その盗賊団は弓を使う者、魔法を使う者、剣や斧を使う者と近接にしろ遠隔にせよ戦いに慣れているという。

 その為冒険者が森にクエストに行くのがギルドから禁止された。

 その頃アビルは14才になっていた。相変わらずカカキモの肉を乾物屋に卸して生活しているため、冒険者ギルドにも商業ギルドにも登録していない。

 だが森を自分の仕事場にしているアビルとしては盗賊の存在は目障りこの上ない。そこでぼろい服を着て、髪や顔に泥を塗って森の探索に乗り出した。

 盗賊の根城は、アビルの別荘とは逆方向にある。今のところかなりの数に増えた落とし穴に盗賊が落ちてはいない。しかしいつそうなるとは限らない。

 アビルは夜遅くこっそり森に行き、彼らのアジトを捜し始めた。

 夜の森には自分たち以外には誰もいないと信じている盗賊団は、結構大胆に酒盛りをして騒いでいた。

 同じ森の中でも活動場所が離れているので、アビルはほっとした。アビルは門を通らずに街を出入りしているので、禁止されている森に行くのをとがめる者もいない。

 狼や猪はそんなにたくさん獲れる訳ではない。だんだん落とし穴の場所がばれてくると、少しずつずらしたりして仕掛けるようにしている。落とし穴は20か所が限界だった。かかってなくても一応朝までには埋め戻しておかなければならない。それでせいぜい一晩で3匹が良い所だった。

 目下他に収入の道がないので、干し肉頼みの生活なのだ。



 そして、ある日森へ行ってアビルは驚いた。20個ある落とし穴がすべて開いていたのだ。しかも狼の惨殺された死骸が十数匹方々に散らかっている。汚らしい死骸でとても干し肉にはならないレベルだ。何があったのだ?

 もしかして盗賊が落とし穴に落ちて、仲間が助け……危険だということで落とし穴を見つけては壊して廻ったとか……その際狼の群れとぶつかって戦いになり……アビルはあたりの様子からそう筋道を立てて推理した。

 落とし穴に落ちた盗賊の仲間は、落とし穴をしかけた人間を邪魔な存在だと思うだろう。

 もう盗賊たちにアビルは敵認定されたに違いない。

 そしてさらに驚いたことは別荘の穴倉の岩が倒され、入り口が開いていた。そして中が荒らされていたのだ。大したものは入ってなかったが、八つ当たり気味に中の物が壊されている。アビルは身震いした。狼の群れの殺され方と言い、洞窟の荒らされ方と言い、彼らは腕もたつし凶暴で、油断ならない連中だと。

 自分もこんなところでうろうろしてると見つかって殺されるに違いない。

 アビルは慌ててその場を離れた。

 不思議なことがある。王都から騎士団が来て盗賊団を討伐しようとしたが、彼らをみつけることができなかったという。

 この盗賊団は単に食いあぶれた者たちが集まってできた盗賊団ではないような気がするのだ。

 王都の騎士団と対抗できるような訓練された集団ではないかということだ。

 そして、アビルははっとして急いで洞窟に戻った。

 色々壊されたが、そこに置いてあったものでないものがあるのだ。他の者と一緒に壊されていたのなら良いのだが、そうではなく壊さずに持ち去られているのだ。

 時間経過が必要だから収納せずに置いておいたものだ。狼肉を果汁に浸した壺や、地の塩、特殊なハーブがそっくりそのまま消えている。アビルは「あっ」と思った。


 急いで街に戻ったアビルは乾物屋の店に行った。店には『準備中』の札がさがっているが、まだ時間的には営業している筈だ。

 戸が開いていたので中に入ると血だらけになって店主が倒れていた。既にしんでいて拷問された跡がある。もう自分の正体がばれている。少なくてもカカキモの肉の卸元だということはばれている。

 だがこのやり方はどこかで聞いたことがある。2年前帝国軍の精鋭がヘレン王女を追って来た時、将軍たちが話していた内容だ。乾物屋を拷問して卸元を吐かせ、卸元に製法を聞き出して殺せば、帝国の独占食料になる、とかいう話だ。

 そもそも彼らの話では、王都にいる筈の王女がタックル伯爵の令嬢に会いに来ることまで情報を掴んでいた。

 ということは王国内に間者を潜ませ、情報を掴んでいるということになる。

 とすれば、自分が王女を助けたことや、奇襲部隊と連絡を取っていたことなども王室を通して伝わっているかもしれない。

 カカキモの肉の卸元のラインでも、王女のラインでも奇襲部隊のラインでも、すべて自分に繋がることを帝国は掴んでいるのではないか。そして狼の群れを殺戮したあの手並みと言い、落とし穴をすべて暴いたやり方と言い、わかりづらい別荘の洞窟を見破った目と言い、ただの盗賊団ではなく、盗賊に偽装した帝国軍の先鋒隊ではないのか!?


 そこまでの推理で、アビルは気が付いた。

 しまった。すでにこの街に彼らの手の者が入っているなら、自分も監視されている筈だと。

 待てよ? もしかして乾物屋殺しの罪を着せられる恐れもあるかもしれない。

 まず、死体も乾物屋の中のものもすべて収納して、姿をくらます方が良い。きっと川沿いの穴倉はばれていないと思うが、近づかない方が良いだろう。

 アビルは乾物屋の店の品も住宅部の家財もすべてゴミの一粒にいたるまで収納すると、床の血の跡も綺麗に洗い流した。

 そしてそっと戸の隙間から表を見ると案の定、目のきつい男たちが店の方を見張っていた。裏口も同様だ。詰んだ。どうしよう?


 アビルは飛び出した。そして無我夢中で走った。男たちは追って来る。そして街の裏手のゴミ捨て場に着くと、ゴミの中に潜ってから防壁の外へ出た。

 穴は土で埋めたので、追っては来れない筈。ところが、穴から出たところで別の男たちが待ち構えていてアビルを捕まえた。

「おっと、傷つけるなよ。大事なギフト持ちだ。アビル君、2年前には世話になったね」

 誰だろう。目がきつい青年で身なりが良い。

「君のお陰でヘレン王女は僕の手から逃げてしまった。それであの時、もう一度大軍勢で押し寄せて彼女を取り返そうとしたけど、どうして攻城兵器や兵站が盗まれたのか謎が残ってねえ。その謎を解く為に時間と労力をかけたのだよ」

 蛇のような目で見つめられて、アビルの背筋に悪寒が走った。

 そうだこいつは間違いなく帝国の王太子だ。

「君の正体を探るのにとても苦労をしたよ。だから2年の月日がかかった。だから今まではわざと手を出さずに泳がせておいたのさ。その方が油断して色々と観察させてもらえたからね」

 いったいこいつは何をどこまで知ってるんだ?この表情を見れば自信たっぷりで何もかもお見通しだという顔をしている。

「カカキモの肉か……狼の肉だったんだね。果物の汁とある種のハーブと変わった塩を使って浸したものを乾燥させていたんだね。

 でも、その状態で天日で乾燥させようとすると腐ってしまうんだよ。塩分がたりないからね。

 じゃあ、どうやった? 水分を抜く、脱水や乾燥を素早くする能力があるらしいね。でも魔力がないから魔法ではない。ギフトだろうね」

 すごい。かなり核心に迫っている。根性は腐ってるが、頭はすごく良い奴だ。

「そして君の隠れ家だけど驚いたね。あの入り口を塞いでいた大岩馬二頭で引っ張ってようやく移動できたよ。でも君は簡単に入り口を開けたり閉じたりして、王女も隠した。筋力が殆どない君がどうやったか? それもギフトなんだろうね。じゃあ、どういうギフトがカカキモの肉を脱水させて、大岩を動かすことができるか?

 おやどうしたんだい? 汗をかいているのかい? おかしいね。そんなに暑くないのに、おかしいねぇ。ふふふふ」

 まだだ。まだ全部はわかっていない。

「そして狼を捕まえるための落とし穴。僕らなら弓矢を使ったり剣を使ったりするけど、君はそう言うのは得意じゃないんだねぇ。気の毒に。でもそれなりに工夫したんだね。偉いよ。それにしてもあんなにたくさん穴を掘るのはたいへんだったろうね。穴と言えば君の隠れ家もあれ、自分で掘ったんだよね。凄いね。でも普通それをするにはかなりの体力がいるよ。君にできるとは思えない。でもできた。なぜか? そこで攻城兵器と兵站が一瞬でなくなって、タックルシティに運ばれた謎が解けるんだ。亜空間収納……だろう?それも化け物じみた収納力のね。そこで僕は帝国の学者たちに調べさせたよ。そんなバカげたギフトが存在するのかってね。ところが存在してたんだ。500年前の戦争で敵の武器庫と食糧庫に火をつけた奇襲部隊の中に亜空間収納のギフト持ちがいてね。中身をそっくり抜いて行ったという史実が残っていた。そしてその人間は海水の水を抜いて塩を大量に作り出したという記録も残っているんだ。

ねっ、君はできるんだろう、そんなすごいことが? ふふふふ、君は僕のものだよ。一生僕の奴隷として僕の為に仕えるんだ。そうヘレンと一緒にね」

「ヘレン王女は絶望させて

から殺すんじゃなかったんですか?」

「おや、そんなことまで知っていたとは。将軍たちはうかつにペラペラしゃべって盗み聞きされたんだね。とんでもない。あの時は頭に血が上ってそう思ったけど、殺したら勿体ないじゃない。君とセットで奴隷にして一生僕に仕えさせてやるよ。嬉しいだろう?ヘレン王女と奴隷仲間になれるんだから」

 駄目だ。アビルはそう思った。そうすると緊張の糸がきれて意識が遠くなり、そのまま気を失ったのだ。



 次に目を覚ましたのは、帝国の王宮の中だった。アビルは自分に奴隷の首輪をつけられているのに気が付いた。王太子の言うことなら何でも聞いてやろうと迄思っていた。しかし心のどこかの片隅でどうやったら奴隷の首輪を外せるか考えていたのだ。

「目が覚めたかい」

 真っ先に現れたのは王太子だった。

「じゃあ、さっそく実験だ。ベッドから降りてそこにひざまずくんだ、くそ奴隷」

 突然頭の中にもその声が響き、無視しようとすると激しいずつうがした。そしてベッドから降りて跪くと痛みは消えた。

「今度は僕の靴をぺろぺろ舐めてきれいに掃除しろ、馬鹿奴隷」

 またしてもすぐに従わないと、激しい頭痛と首や肩にあちこち突き刺すような痛みが走る。

「ほらほら、直ぐに従わないと痛みが増えて行くんだよ」

 もう痛みが激しくて考える力がなくなる。自分の無力さが思い知らされる。気が付いたときは、王太子の靴を舐めていた。

「良い味がするだろう。お前に掃除させるために少し汚してきたんだからね。これはヘレンの奴にもさせる積りだよ。いや、あいつの場合は別なところを舐めさせるかな……くくくく」

 王太子は下卑た笑いをした。

「命令に抵抗すると、だんだん痛みは強くなる。そして心臓に痛みがあったときは良くて気絶、それ以外は普通死ぬんだけど、ゲス奴隷、お前の場合は気絶になるようにしてるんだ。何故かって言うと死なれたら困るからだ。色々僕の便利な道具としてこれから活躍してもらうからだよ」

 そしていきなり王太子はアビルの顔を蹴った。

「いつまでその汚い口で舐めてるんだ、クズ奴隷のゴクつぶしめ」

 すると、いつの間にかそばにいた兵士がアビルの脇腹を蹴った。

「さっさと殿下から離れろっ、ばか奴「きさまぁぁ!」げっ」

 王太子はその兵士の足を剣で斬り落とした。血があたりに飛び散り、返り血がアビルの体にもかかった。

「覚えておけ、僕の奴隷を傷めつけるのは僕だけだ。毛一本でもこの奴隷を傷つければ今度は命がないと思え。おい、この奴隷をくそ呼ばわりするのは僕だけだ。他の者はアビル様と言うんだ。分かったか。それじゃあ、侍女はこのカス奴隷の血を綺麗にするんだ。他の者は汚い物を片付けろ」


 数人の侍女たちがアビルの所に来ると、震えながら言った。

「あ……アビル様、どうぞこちらへ。お体を綺麗に致します」


 他の兵士は痛みで転げまわる兵士を殴って気絶させたから、切断された足と共に部屋の外に連れ出した。他の者は素早く血で汚れた床を拭いている。


 アビルは良い部屋をあてがわれ、客分扱いで侍女迄あてがわれた。食事も衣服も良く常に衛生的な環境におかれる。

 だがどんな小さなものでも収納することはできなかった。もちろん収納から出すことも。ギフトの使用はアビルの意志ではできないのだ。

 王太子は自分のことをご主人様と呼ばせた。そして来るたびに、ほかの者の見ている前でさまざまな屈辱的な命令をした。しかし他のものが同様にアビルを見下すことは許さなかった。

「これは僕の道具で、僕の一部なんだよ。だからつねに綺麗にして尊重しなければ、僕を汚すことになる。だが僕は違う。これは僕の奴隷でもあるわけだから自由にしても良いんだ」

 よく分からない理屈を言って、侍女や兵士たちに言い含める。

 だから王太子の次の待遇扱いをしないと罰せられるので、兵士も侍女も扱いに気を付けている。

 だがアビルは決して侍女や兵士たちに横柄な態度はとらなかった。それをすれば王太子の思うつぼになるからだ。王太子、アビル、侍女や兵士という縦のラインを認めてしまうことになり、その立ち位置に安住してしまうからだ。


 王太子の名前はシーザー・アントニオ・タイラントという。

 もともとは第七王子だったが、文武両道に優れ、知略家であったため策謀で王太子になったと言われる。第一から第六までの王子で生きているのはシーザーに心酔し絶対服従を誓っている第六王子だけである。

 国王はシーザーに全幅の信頼をおいており、内政の殆どを任せている。女に無視されたのが原因で戦を起こしたとは思えない一面があるのだ。

「お前にこの帝国の悩みのうち2つを解決してもらう。まずは2つだ。

 一つは経済だ。クズ奴隷、貴様のせいで、2年前は大損害だった。帝国の威信が落ちて、それが他国との取引にも影響した。

 再び戦力を盛り返し威信を取り戻すためには先立つものが欲しい。

 そこでお前に稼いでもらう。この帝国には海がある。そして製塩の技術もある。だが手間ひまがかかる割には量産ができない。そこでお前には大量の塩を生産してもらう。とぼけても駄目だ。古書にもお前のギフトならそれが作れると書いてある。海の水から簡単に塩も淡水も作れるはずだ。その塩を周辺国に比較的安い値で売り付けてやり、他の国の製塩産業を潰す。そして帝国の製塩産業への依存度を高めて、塩を通して経済的な優位を築く。

 もう一つはわが帝国の中枢部が盆地にあるため、空気の流れが悪く特に日中の暑さは不快この上ない。そこで同じ領内の海岸の空気を盆地に注ぎこんで気温を下げてもらう。それが二つ目の命令だ」

「けれど一度に二つのことはできません……ご主人様」

「ゴミ野郎の糞奴隷、よく聞け。この本をよく読んでみろ。二つのことができる筈だ。できなければお前が無能でクズだからだ。三日余裕をやる。三日たてばお前を海側の山頂に連れて行き、今言った二つのことを同時に実行してもらう」

 シーザー王太子はそう言って古ぼけた本を一冊床に置いて行った。拾って読めということだろう。


 それからその本を隅から隅まで読んで、その場所を見つけた。


 500年前、今は滅びた国に一人のギフト持ちが誕生した。

 『無限収納』というギフトで……


 そこには前に王太子が言ったように戦で兵站や兵器を根こそぎ奪ったことが書かれていた。

 そのほか海の水を淡水と塩に分けてたった一人で世界中の塩の供給を行ったと書いてあった。

 それによって、彼の国は富み栄えた。また彼は収納の為の出入り口を二つに分けて同時に二つの作業を行ったとある。

 だが、そのやり方については記述がない。


 この王太子が出した無理難題には2つの問題点がある。

 手が触れるほどの距離なら海の水を収納できるが、山頂から海岸まで何キロも離れているのに、海水を収納して塩だけ分離して取り出すことができるのかということだ。

 もう一つは海岸側の大気を盆地側に排出するのに、もうひとつの亜空間への出入り口が必要だということだ。どうやってそれを作るのかやり方は全く分からない。最悪の場合は午前中海岸で塩を作って、午後に涼しい空気を収納して午後にそれを盆地に排出することで許してもらえないか……。


 だがそう考えただけで、その途端アビルは激しい頭痛に襲われた。駄目だ。命令には忠実に従う以外方法はないのだ。


 まずアビルは海に行かせてもらった。行動は自由だが逃げることだけはできないのだ。アビルの周囲には兵士や侍女が付いて回る。護衛と世話係がついている奴隷というのも変だが、アビルが国家規模の財産である以上、それは必要なことなのだ。


 海水を収納してから塩だけを出す。これは簡単なことだ。今度は少しずつ離れてやってみる。

 ある程度…5mくらいなら海水の方で盛り上がって腹の方に吸い寄せられてくるが、それ以上離れるともう収納はできなくなる。

 海面は穏やかで無反応だ。

 


 そこで腹の近くにある収納口を動かすことができるかどうかやってみた。幼いころから収納口は腹の中にあると決まっていたから、そんなことは思いもつかなかったが、やればできた。


 収納口は腹でも手の平でも 足でも頭でも良かったのだ。初めはもたついたが収納口の位置をかえることができるようになった。


 その次に収納口を体から離すのをやってみた。散々試行錯誤した結果体から離れることはできたが、収納口が崩れて壊れて来るので一つにまとめるのに苦労した。

 それと距離は5mが限度だった。

 5m離れただけで収納はできる訳ではない。形が歪んでボロボロ崩れるのだ。一つの綺麗な丸い穴ではなく、床にぶちまけた水のように不定形の穴でまとまらないのだ。


 一日目はそれで終わった。二日目は朝早くから海岸に行き、同じことを繰り返した。二つのミッションどころか一つだけでもままならぬ。

 ところが護衛の兵士や侍女たちには収納口が見えないらしく、アビルが海に向かって何もしないでただぼんやりしているようにしか見えないので不審に思っているらしい。

 そんなことを考えて先が見えなくなっていると、ふとひらめいた。一つにまとまらなければ二つに分けたらどうだろうと。

 どうせ二つ同時にしなければならないのなら、収納口は多い方が良い。

 すると案ずるよりも生むが易しで、一遍に2つ作ってみると綺麗な丸い穴ができたではないか。

 そのまま離れてみると、穴は崩れないみたいだ。肉眼では見えないくらい離れても、視界の範囲にあるならそこにあることがはっきり分かるのだ。そこで侍女に行って入れ物を持って来させた。

「それを持って立っていてください」

 海岸からかなり離れている場所で、アビルは一つの穴を収納口として海面に位置し、もう一つの穴を排出口として侍女の持つ器の上に据えた。

 そして一方で海水を吸いながら他方で塩を排出させたのだ。


「あれぇぇぇ、塩がなにもないところから出て来たよぉぉ」

 侍女が目を丸くして驚く。

 あっという間にあふれたのでそこでやめる。


 次に山に登って山頂からそれができないか試みた。結果は……できた。

 排出口は近くでなければいけないが収納口は海面に置いたままでできたのだ。

 そして次に排出口を三つにわけることができないかやってみた。

 つまり四つの穴を作ろうとしているのだ。

 だが排出口はしっかりと丸い穴を保っているため、三つに分離できなかった。

 そこで二つの穴を元に戻し自分の腹に置いた。そこから少しずつ離して行くと、例の如く穴の形が崩れ始めたので、そこから二つに分けることはできたが、一度二つに分けるとそれぞれをさらに二つに分けることができなくなる。

 一度分けてしまって綺麗な丸い穴になってしまうとそれ以上はわけることができないのだ。

 それで最初の一つの穴を5mではなく6mくらい離したときに三つに分けることができた。それでもう一度元に戻し7m半くらいで4つに分けることに成功。


 綺麗な丸い穴が4つできたので、そのうちの二つで製塩ができるかどうか試してみた。

 ところが海面に収納口を持って行くことはできたが、一つの穴から塩を出そうとしても、こっちの方にあった3つの穴から同時に塩が出た。そのため予定していた穴の他の穴から出た塩は護衛の兵士や侍女たちの体にかかったのだ。

「うわぁぁぁ、なんだぁぁぁぁ、ぺっぺっぺ、塩だぁぁぁ」

「ごめん、うまくいかなかった」

「アビル様、わざとやったのですか」

「違うよ、思い通りにコントロールできないんだ」


 その日はそれで終わりにした。けれど、残り一日になってうまくいくのかどうか全く自信がなかった。


 三日目にはシーザー王太子も自分付きの騎士たちと一緒について来た。

「さて、ゴミ糞奴隷。今日は三日目だ。今日中にできなかったら、きっとひどいことになる。そのときは気絶する前に僕にお願いして最初の命令を撤回して期日を延期してもらうんだな」

 王太子がなにもしなくても、三日以内の約束が守れなかった時点でアビルは気絶するまで罰がおりるのだ。それは自動的におきることなので、王太子が命令を変更するまでは必ず起こることなのだ。


 そこでアビルは四つの穴を作った後、最初の二つを一つは盆地側に低く置きもう一つを海側に高く置いた。

 そして海側の涼しい空気を収納してそのままそれを盆地側に排出した。

 それを暫く続けた。途中、他の2つの穴からも空気が排出されたが。塩ではないので、失敗しても実害はない。

 それをずっと続けながら、決められた排出口からだけ涼しい空気は出るように意識の上でコントロールするように努めた。

 そして、それから海上の穴から海水を吸って、用意した袋に固定した穴から塩を出すようにした。

 その瞬間不思議なことが起きた。まず盆地に涼風を吹き込む作業と製塩の作業が同時にされたとき、アビルの脳は容量がいっぱいになり、奴隷脳と共存できなくなる感じになった。

「ご主人様、この製塩と盆地を涼しくする命令は最優先の命令でございますね。必ず成し遂げられなければならないと?」

「当たり前だ、なにがなんでもやれっ」

 その途端、アビルの気持ちが軽くなった。アビルの脳が百パーセント二つのミッションに集中し、用意した袋に塩をどんどん出し、盆地に涼しい空気を大量に流し始めた。

 そうしながらアビルはふと思った。いま、王太子をぶん殴ったら気持ちいいだろうなと。でもそう思ったとき頭が痛くならなかった。だがそういう奴隷脳から解放された状態はわずか数秒の間だけだった。その後は作業続けても、奴隷の精神状態独特の重い心になった。目に見えない鎖に縛られた状態だ。つまり二つの作業を同時にする瞬間、奴隷の精神状態から一瞬解放される瞬間があるのだ。


 その後アビルは一日に何トンもの塩を生産しながら、帝国の中枢部の盆地を快適にするためのエアコン作業を日中続けたのだ。

 狡猾な王太子は勤務時間をしっかり決めて、アビルが潰れないように配慮した。行うのは午前の途中から午後の暑いときをまたがって夕刻までには終わるようにした。

 本当は夜も涼しくしたいのだろうが、そうなるとアビルが体を壊し生産が止まってしまうので、それを避けてるのだ。人格を重んじているのではなく、機械が壊れないように長持ちさせたいという考えでそうしているのだ。

 そしてこのことは永遠に続くのだ。生きている限りは永遠に。

 夕方になると護衛の兵士や侍女たちがそれぞれテントを張り中で休むようになるが、この頃になると侍女と護衛の兵士の距離がかなり近づいて来る。

 侍女がお花摘みに山の盆地側に降りて行くと、示し合わせたように兵士も小用で

降りて行く。そして結構な時間がたってからほんの少しずらして戻って来る、と言うようなことが目立って来た。

 それもその筈食事の時以外はアビルは一人で作業しているし、塩を集めて運ぶ人夫は別にいるので、特に護衛などはすることがない。そして同じ侍女たちと護衛の顔ぶれなので親しくならない方が不思議だ。

 たまに離れたところで侍女と兵士が囁いているのが聞こえたりする。そういうのを観察するとだいたいそれぞれの侍女にそれぞれの兵士がカップルになっているのが分かる。


「アビル……から夜伽を求められないのか?」

「相手は奴隷よ。考えられないわ」

「けれど、求められたら拒めないのでは?」

「死んだ方がまし」

 ある日聞こえて来た会話だ。


 

 必ず一日の仕事が始まるとき、ほんの数秒間奴隷脳から解放される一瞬がある。そのときに王太子の悪口をひどい言葉で呟いてみるのだ。周囲に聞こえないようにだ。一日の中で僅かその数秒間だけがアビルの自由時間だった。


 ある日のことだった。とても暑い日だった。なぜか今まで一日も休ませてくれなかったのに、王太子が今日は休みにすると言う。

「その代わり、今夜は日暮れから朝方にかけて盆地を涼しくしろ。熱帯夜になりそうだから夜通しみんなが良く寝られるようにするんだ」

 つまりみんなを寝せるためにアビルは寝るなということだ。

 その為に昼寝をして置けと言う言外の命令なのだろうが、寝ている訳にはいかないのだ。

 今度は穴二つだが自分が部屋の中にいてそれはできないのだ。

 一つの穴は山頂の海側に置くことができても、もう一つの穴も山頂の盆地側にというふうに自分から離して置くことはできないのだ。

 だから自分も山頂に行く必要がある。

 毛布や敷物を用意して貰って、午前中から山頂に行きせっかくだから盆地のエアコンミッションをし始めた。これをしながら侍女から昼食を用意してもらい、夕方の本番に備えた。そして一度作業を休んで、昼寝をしようとしたら、すぐに王太子の使いが来て、涼しくするのを途中でやめるなと命令が来る。本来なら休みにするはずの午後なのにそれなないだろうと思ったとたん激しい頭痛に襲われる。さからうことはできないのだ。

 その日は始めは集中していた。少しでも気を抜くと盆地の気温が上がり、王太子から苦情が来るだろうし、その前に命令不実行ということで罰の激痛が見舞わられる。

 だが夜中についうとうとしたらしい。寝ていたのだ。気づくと朝方になっていたが、エアコンミッションは作動していた。アビルは思った。自分は数時間意識がなかった。けれど命令違反の痛みで目が覚めることはなかった。この作業がいったん始まり軌道に乗ると、自分はそれを見守るだけで続いていたが、もしかして途中で意識がなくなっても作業は続くのだろうか?


「昨日はご苦労だったな。だが今日は休みはないぞ。今日も日中は暑くなる。ダニ奴隷、最低奴隷、よく聞け。お前は僕が生きてる限り僕の奴隷なんだ。少しでもさぼろうとしたり反抗しようとしたら死ぬほど苦しい目に遭うんだから、真面目にやれよ」

 その日は日中の勤務の後、王太子から命令が来て引き続き盆地のエアコン作業は続けるようにとのことだった。

 確かに今日も熱帯夜になるらしいけれど、連日は辛いので勘弁してほしい。だがそれをはっきり意識して思えば罰が下る。

 そしてそれは兵士や侍女も同じことで、ついに連中は堪忍袋の緒が切れたみたいだった。

「あーあ、やってられないよ。なんでこんな奴隷の付き合いで休みなしに付き合わせられるんだ」

「なーに、びっちりそばについていなくても、ちょっと離れたところで楽しんでいても良いんじゃねえか?」

「そうね、私たちは私たちで勝手にやらせてもらうわ。まさか、奴隷の癖に王太子様に言いつけはしないわね」

「する訳ないわ。じゃあ、頑張ってね、アビル様……クズ奴隷のカス奴隷様「うふふふ」あははは」


 そして、彼らは盆地側の斜面を降りて行って、木の陰や藪の陰に潜むとそれぞれ勝手なことを始めた。

 そのもっと前に、塩を集める人夫たちは海側の居住地に戻って行った。

 だからここにいるのはアビルだけだ。そしてこの後の自由時間にその奴隷としてのアビルに『魔がさした』のだ。

 何も考えずにアビルは一度やめた海水の収納を始めていた。そして一瞬の自由の時が来たときアビルは塩を出す代わりにそこに収納した海水を出して、涼しい空気を収納する穴と涼しい空気を排出する穴の二つを、今まで収納していた、塩を抜いた後の淡水を排出した。

 つまり海水と淡水を同時に三つの穴から出して盆地に注ぎ込んだのだ。それも最高速度で最大出力の勢いでである。


 すぐに激しい痛みが頭、肩、心臓に来てアビルは失神した。

 けれども短い自由時間の瞬間にアビルは確信したのだ。これで助かると。何故ならこの後罰の痛みで気絶しても収納と排出の作業は自動的に続くのを知っていたからである。


 結果を言うとすぐ近くにいた侍女や兵士たちは、そのまま真っ先に流された。そして海水と淡水は短時間のうちに轟音を立てて山の木々をなぎ倒し岩を流して、帝国の中枢部の宮殿や貴族街や騎士団本部、そして兵舎の全てを濁流で飲み込んだ。まるで満水状態のダムのように周囲の山々の頂近くまで水は満ち溢れ、帝国の中枢は人も建物もすべて飲み込まれたのだ。

 アビルははっと気が付いた。

気絶から覚めたアビルは自由の心になっていた。シーザー王太子は溺死したに違いない。だから主人が死んだ奴隷の身は解放されたのだ。

 アビルは首輪を触りながら呟いた。

「収納」と。

 すると首にかかっていた奴隷の首輪は消えた。

 それからアビルは聞くものが一人もいないのに関わらず少し大きめの声で言った。

「ご主人様、僕たちのご縁はこれまででございます」



 その翌日塩を集める人夫たちが山頂に行くと、誰も来ていなかった。それで盆地の方を見ると何か様子がおかしい。

 街の者たちが一緒に様子を見に行くと、帝国の宮殿も騎士団の宿舎も兵舎も貴族街も何もかももぬけのからだった。

 なにか泥水に浸かった跡のように汚れていたが、何もないのだ。人も物も何もかも。あるのは木のないはげ山と、あちこち汚れて傷んだ建物だけだ。死体もないし、家財もない。何があったか推理したくても判断する材料もなにもない。

 塩を運ぶ人夫は街の人と一緒に戻ったが、今度は幾つもの倉庫に

山積みにされていた塩がすべてなくなっていた。


 その後その噂は周囲の国に伝わって、周囲の国の話し合い?によって、帝国の領土は分割されて統治されることになった。

 若干領土の線引きでは揉めたり小さな小競り合いがあったらしいが、これによって帝国は完全に消滅した。宮殿を含む中枢部が盆地にあることで自然の要塞に守られ難攻不落と歌われたタイラント帝国も原因不明の災厄で呆気なく幕を閉じたのであった。


 


 ところで旧帝国領の海岸部分と盆地部分はルーサス王国の一部になり、そこをヘレン・ルーサス海岸伯が統治することになった。

 かつての第三王女は女海岸伯としてこの地をおさめることになったのである。

 ある日ヘレン海岸伯は海を散歩している塩売りを見た。

「お前がこのあたりで安く塩を売っているという塩売りか?」

「はい、そうでございます。伯爵様」

「その塩の入手法など詳しく聞きたいからお茶を飲みがてらわが屋敷に寄っていかないか、塩売り殿」

「ヘレン様、僕だと分かっていましたか?」

「ああ、アビル君、久しぶりだね。もう私は王女じゃない。今までどこにいたんだね? 積る話もあるから是非寄っていきなさい。もう逃がさないよ」

 アビルは肩を竦め、ヘレンの後をついて行った。

 ヘレンは振り返って笑顔で言った。

「誰にも言わないから教えてほしいんだけれど、帝国を滅ぼしたのは君かい? どうして?」

「ええ、気軽に塩を売りたかったからです、ヘレン様」



      完

 

雑然と長たらしく書いてしまいました。ーー

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
[良い点] 短編なのに長編並みの満足度!!  チート主人公が悪役に囚われて抜け出すのって意外と無いから面白かった!!悪役も雑魚馬鹿系ではなく、割と怖い悪役だったのが嬉しい 創作ありがとうございました…
[良い点] 塩売りだけど、王女(伯爵)に塩対応でなくて良かったです。
[一言] 面白かったです。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ