07 幸せを願う
―――――――――ガチャン!!
両開きの大きな扉が壮絶な音と共に開き、穹窿な天上のその部屋に大きく反響した。
早朝であり、空は暁闇なのにも関わらず、その扉を思い切り押し開けた当の本人、鈍色の鎧を纏った一人の兵士はこれでもかと言うほど、荒く呼吸を繰り返し、鎧からは汗が湧き出ていた。
「何事だ!ノックもせずに開扉するとは!!王に対し無礼であるぞ!」
皆驚いた表情を見せていたものの、黒色のタキシードを身に纏った老翁の執事が、見た目に反して想像出来ない程の声で、一人の兵士へ赫怒した。
「はぁ、はぁ、はぁ」
執事のその説教を耳にはしていたみたいだが、それよりも息を整えるのを最優先にする程、兵士は焦りを露わにしていた。
「……す、すみません………」
「口を閉じよ。そこの兵士、まずは息を整えてからで良い」
ジンは執事に口止めを命じると、執事は一礼を返して下がった。それからジンは、現在も焦っている兵士に対して、寛雅な態度で宥める。それと同時に不思議にも思っていた。
何故そこまで慌てているのか。
それは神矢も同じだったが、ジンも兵士を待っているため、当然神矢も待つしかなかった。
走ってきたのかなんなのか。兎に角汗が滲み出た状態でも、王を待たせるのは無礼だと判断したのか、息もまだ少し荒いままで、兵士は開口した。
「王、世界に関わる………問題が、はぁ、はぁ、起きました」
その言葉に、神矢とジンは目を見合わせた。世界に関わるというこの単語に引っかかった。
「内容は?」
兵士とは裏腹に、肝の据わっているジンは王の威厳を保ったままに問う。
「それが、王だけに伝えたい事でして」
恐る恐る、申し訳なさそうに述べる兵士に対し、一度黙考に浸ったが、即座に決断を下した。
「分かった。皆の者、直ちに他の所へ仕事に回れ」
「はっ」
瞬時に反応を示し、その穹窿な天上の部屋に居た執事、兵士、メイド達はその場から去って行った。
ただ。
「えっと、その………王?」
「なんだ?」
「その方は?」
「あぁ、すまない。神矢は同席してもらう。色々訳ありで一応俺より世界の事を知っているからな」
「はぁ………」
あまり理解の出来なかった兵士は、王に逆らうような行為をしたくなかった為か、少し曖昧な返事を返した。
「で。話は何なんだ?」
話が逸れた今、神矢が戻そうと問う。
それにハッとなり、兵士は表情を引き締めて、喉を鳴らした。
「新しい、迷宮が…………発見されました」
「「……ッ!?」」
二人して驚愕の表情を浮かべた。
その衝撃的な単語「迷宮」と言う単語に、一瞬半信半疑だったが、それは兵士の顔を見ればかき消される。嘘偽りは語っていない。だが……………………。
「本当か?」
眉を寄せ、目を細めて問うジンの言葉は、少し圧のかかったものだった。
嘘や冗談を言える相手でもなければ、現在嘘を言える空気でもない。
ジンはそれが本当に真実かどうか、それを確認した。
「………本当です」
本気の目をしている。
兵士を疑っている訳ではない。念のための確認だった。それでも一大事なものだった。
迷宮の発見は、正直何が起こるのか誰にも分からない。だが、必ず世界全体に関わる悪影響が起こりうる。これだけは絶対に免れない。
それに確信があるのは昔、百五十年前の事である。
謎に包まれた古代的な、塔のような建造物が発見された。それが後に迷宮だと名付けられ、現在も存在し、使われいてる迷宮である。
迷宮は不思議なもので、未だに解決されていない問題が山程有る。
どこから魔生種が増殖しているのか。戦闘時、建築物の一部を誤って破壊しても、一日経てば元通りになること。いつ、こんな技術を発明して建てられたのか。建てた人物は誰なのか。またどんな目的があったのか。
この迷宮が発見された当時は現在よりも遥かに多くの謎があった。
だが、それには数多な可能性が秘められていた。
そして、それぞれの国の王全員はこう思った。
この迷宮を手に入れる事が出来れば、莫大な金、権力、人脈が得られると。
今ほどに発展していなかった時代だった為、目をつけない者は居るはずもなく、興味は深々、世界征服ですら企んだ王も居ただろう。
――――――――――――全世界第ニ編戦争。
発見した迷宮を自分の物にしたいが為に起きた、全ての国が加わった大戦争。
ただ、この戦争は不思議で、たった五日で終止符がつき、死者は世界人口の半分以上にまで登った。
結果は迷宮は誰の物でもなく、全世界共通で使用可能なものになった。
兎に角、迷宮一個の発見で世界に悪影響を及ぼすほどの事が起こりうる。
これが前例の出来事であり、もしかしら今回も起こるかもしれない。全世界第三編戦争が。
「ジン。早急に対策をとれ。この国を最優先に守れ。兵士。迷宮発見場所はどこだ?」
冷静を装った神矢はこの場を仕切るように話を進める。
「あ、はい。ここの位置にあります」
そう言いながら、筒状に丸まった大きめの紙を取り出して、広げながらに二人の元へ近づき、呈示する。
広げられた紙は世界地図が示してあるものであり、ある一箇所に赤いペンで丸い印がついていた。
「ここです」
兵士がその地図を持ちながら、二人はそれに顔を近づける。
「ここは、位置で言うなら竹都和京国が一番近い、か」
ジンがそうどんよりと呟いて、眉を八の字に寄せた。
「どうした?」
「ん?いや、竹都和京国とは貿易関係にないし、なんの条約も結んでいない」
レイトハウド王国と竹都和京国との間は決して犬猿の仲ではない。ただ、竹都和京国の主要な輸出物である金輝竹は、あいにく他の国からの輸入で足りていた。
「なぜそんなことを考える?」
ジンも迷宮が欲しいのか。疑問に思う神矢は問う。
「いや。あの戦争ほど死者を出したくないし、そもそも戦争をしたくない。竹都和京国は他の国と比較して群を抜いて観光客が多い。平日休日問わずな。それに大体の国は迷宮を欲しがるだろう。つまり、迷宮付近の村、街、そして竹都和京国は非常に危ない。だから協力関係にして助け合うことでもしなければ」
自分の国に対する利益を考えたものではない。自分の国だけではなく、他国も気遣い、平和を考えるその振る舞い。これがサーライン・ストロフ・ジンと言う、国民全員からの敬愛されし者。
(相変わらずだな。ジンは)
神矢はふっ、と笑みを溢した。が、それもつかの間で、神矢は地図の赤い印一点をずっと見つめ始めた。
「どうした、神矢?」
顎に手を添えて模索していたジンが片眉を上げた。
「ジン、おかしい」
「何がだ?」
「迷宮が発見された場所だ」
「?」
ジンはハテナマークを頭上に浮かべながら、神矢と一緒に地図を覗き込む。
「なにがおかしいんだ?」
「気づかないのか?」
ぽかんとした表情のまま、ジンは目を細めて入念に地図に目線を巡らせた。
「ここには、無変霧があるだろ?」
「ッ!?そうだ!!確かにここにはそれがあった!」
無変霧。
寒い時に霧が発生するのは、空気が冷えて、それに水蒸気が溶けきれず、小さな水滴となって空気中に漂う現象の事で、霧の濃さは空気が冷えれば冷える程比例して濃くなっていく。これが通常の霧であるが、無変霧はその霧の法則を破ったものである。
霧は仰げば晴れていく。それは変わらないが、その晴れた部分が、二倍の量となって増殖していく。これが無変霧の怖いところで、無変霧を晴れさせる衝撃が起きればその分大きく膨張していき、どんどん大きくなっていく。ただこれには幾つか条件があり、自然に起きる風には影響されず、その風では移動する事は絶対にない。どんな強風でも。ただ、人間が起こす、人為的なもの、例えば風魔法など、あるいは人間が仰ぐなど(人間は微小な静電気を必ず持っている)。これは無変霧に衝撃を与える為、絶対にやってはいけない。そして濃く、半径一メートルしか視界が行き届かないなど、厄介な事が多くある。ただ、無変霧を一回で消滅させれば、増殖する事はなくなり、当然そこにある無変霧は消える。これが無変霧の性質である。
「そしてここにある無変霧はこの国の半分以上を占めるほどの大きさだ」
「じゃあ、無変霧の中に入ったってことか?」
驚きと共に深刻そうに言うジンに対し、兵士が口を開く。
「いえ。そんな話は聞いていないですが。霧は一切なく、露出していたかたちで発見したと思います」
この事件、二人の予想を遥かに超越していく。
「……つまり、ここの無変霧を消滅した奴が居ると」
神矢がなにか覚悟を決めたようなその表情を浮かべて、二人はまた顔を見合わせた。
「いや神矢。大勢でやったっていう可能性もあるぞ?」
「いや、その可能性はほぼない。俺達みたいな奴が複数居たとなると話は別だ。だがそう簡単に集まることはないはずだ。それに一般人の風魔法でも何十万以上もの人力が必要になる。仮にそれほどの人が集まったとしても息が合う訳がないし、周りもその行動に気づくはず」
「………だが」
神矢の言う事は間違いなく正論だ。それはジンも十分に理解していて、神矢も正直分かっていた。だが、認めたくなかった。
たった一人でそれほどの力を持っていることを。
「…………なぁ、神矢」
申し訳なさそうな、あまり気分の優れないような、憂鬱そうなその表情のジン。
「…………疑っている訳ではない。だが…………お前、じゃないよな?」
掠れ気味の声が、神矢の眉をピクリと反応させた。
「お前はその位の力も魔力も持っている。正直魔王に匹敵するほど」
神矢を纏う雰囲気が一気に変化する。ジンに対する敵意でも殺意でもない。ただ、憂いを含む
それへと。
「疑われても仕方がない。だが俺には目的があるわけがないし、やっても意味がない」
ため息を一つ、それから神矢はボソリと静かに呟いた。
「だ、だよな!神矢には何の目的もないもんな!ふははは」
態とらしい無理矢理な笑顔に、神矢も引きつった笑みを浮かべた。
「………あの、まだ伝達がありまして、迷宮発見者はこのレイトハウド王国の冒険者であり、中へ入ったところ、魔生種が一体も見当たらなかったとの事です」
詰まった感じで兵士が述べ、その内容に違和感を覚えた二人。
「ん?それでは迷宮ではないんじゃないのか?」とジン。
「いえ。確かに発見者も違和感を覚えたそうで、なので確認の為一部を破壊したところ、元通りに戻ったとのことで」
「それは、迷宮かもしれないな」
神矢のため息混じりの発言に、ジンは頭を悩ませた。
「んー。とりあえず早急に手を打たねばならんか」
ジンは深くため息を吐き出して、片手を顔に被せた。
「ジン。俺は目的が出来た。そこの迷宮に調査に行く」
「っ!?ちょっ!待て…………」
「ん?」
「あ、いやぁー……」
焦りを見せたジンだが、それは次第に誤魔化しへと変わり、神矢から視線を逸らした。
だが、ジンは遠回りするように焦りの内容を問う。
「えっと、ララには何か言ったか?」
「いや。まだ寝てたから何も言ってないぞ?」
「………何も、言わないのか?」
(ララは恐らく神矢の事が好き。神矢にはなるべく一緒に居てほしいと思うが、俺に神矢の行動、人生を縛るような権利は持っていない。だがせめて、去るのなら、ララと少し話して欲しい)
「…………」
神矢は黙り込んだ。俯いて、顔からは淡い憂いが見て取れた。
「あぁ」
「………そうか」
「もう行かなきゃ、助けたいものも助けられない」
「?」
ジンにはその言葉が理解が出来なかった。だが、追及はしなかった。
(レイトハウド王国には俺が守りたいものがいっぱいある。早く立ち去らないと…………)
「………じゃあな」
悲しげの混じるジンの言葉に、神矢は淡く笑みを浮かべ…………ニッと無邪気に口で三日月を作った。
「じゃッ!」
神矢は背を向けて、穹窿なその部屋の出入りする大きな扉に向かい、手を伸ばした。
「…………」
ジンは、ただ、離れていく神矢の背を遠い目をして見た。
自分視点では別れは悲しく、出来れば一緒に居たいと願っていた。
だが、ララ視点だと、どう思うだろう。恐らく死にたくなるほどに惜別するだろうし、別れを嫌うだろう。好きな人が知らないうちに居なくなるのだから。
――――ガタン。
もの静かに大きな押し開ける扉が閉扉した。
穹窿な天上の部屋に居るのはこの国の国王、ジンとその兵士の二人だけ。
「…………我々は自国を最優先に守りつつ、竹都和京国も、そして他国も戦争をしなくていいように、手を打とう。まずは兵士の強化から始め、貿易をなるべく多く、早く行おう。迷宮発見は恐らく竹都和京国、そしてこの国しか知らない。これは世間に知らせずに始めよう。他国が発見するのも時間の問題だ。どちらにしろ直ぐに迷宮は見つかる」
親友との別れ、それが頭の片隅に頑固に張り付いたまま、ジンは冷静に頭を回した。
一方の神矢は、一度通った道を引き返す。
城内から外へ出て、草原庭を出る。豪華な色彩で作られた大門を抜けた後、直ぐに振り返って城を見上げた。神矢からだとララの部屋の窓は見えなかった。
見上げる程に大きい王城。神矢は憂いの混じる淡い笑みのような顔を作った。
ララ。お前の選んだ好きな人と幸せになれ。幸せな家系を築いて…………幸せになれ。
ララの事情はジンから詳しく聞いていた。(コクロ王子との結婚について)
ララに好きな人が出来るかは分からない。今回の問題がトラウマとなってララの人生を縛ったのかもしれない。けど、もし見つかったとしたならば、その時は、遠くか見守り、幸せを願う。これが自分に出来ることだと、神矢は勝手に思いながら、レイトハウド王国を出た。
永遠に死ねない、永遠に老わない。不老不死の呪いに縛られた人生。
表情はララと出会う前の憂いのある、儚い夢を持ったそれ。
変わったと言えば当たり障りのない旅ではなく、迷宮調査という目的ができたこと。あと、{仕方なく生きようか}ではなく、{生きてみたい}と思うようになったこと。
ただ、憂いのあるその表情は消える事なく、神矢は暁闇の空を仰ぎ、枯竭しかけの地面を歩き出した。