06 殺意
時計の短い針は十と十一の間に位置し、長い針は五の数字と重なっている。
神矢とララの二人がいるにも関わらず、全く静かな部屋をチクタクと時計の針の音が無駄に大きく響いている。
神矢はソファに座っていて、ララの専属メイドの代行としてのメイドから出されたコーヒーを少しずつ飲んでいる。ちなみにブラックを出されたのだが、神矢は苦味が超苦手である。が、飲めないわけではない。
神矢はそのブラックが入ったコップを手に取ると、口を付けたままララに視線を移した。
ララは自分の勉強机の椅子に座っていて、白い机と向かい合って只今読書中。
神矢からだとララの顔は一切見えず、背中を覆っている淡い綺麗な桃色の長髪だけ。その長髪は櫛で梳かれてサラサラとなっており、放たれる電気の白い光が反射して輝いているように綺麗に見える。
(綺麗にされているな。メイドからも可愛がられていると聞いたし)
コーヒーを一口、喉に通してから、音を立てないようにそっと机に置いた。
神矢はララに、いつもと同じように過ごしていていいぞと伝えていて、現在は読書をしている為、いつもこの時間帯まで読書をしているのだろう。
紙一枚一枚をペラッと捲る音が、なんと言うか………神矢に安らぎを与えていた。
だが、部屋に初めて入れる人が後ろに居て、良く集中して読書が出来るなと感心している反面、心配もまた思っていた。
すると、本を閉じる音が聴こえ、ララが椅子から立ち上がり、神矢へ振り返った。
「じ、じゃあ、寝るね?」
恥ずかしそうな表情と、息詰まったような言い方に、変なところで鈍感な神矢はその事に気づかない。
その言葉を合図に、神矢もソファから腰を上げて、電気を操作出来るレバーの所まで足を運ぶ。
その間に、ララはキングサイズの自分のベッドへのっそりと入っていく。
どうやら急激な睡魔がララを襲っているようだ。
神矢は、一番上まで上がっているレバーを、一番下まで下ろす。すると、そのレバーの動きに伴って、電気が徐々に暗くなっていき、部屋は完全に真っ暗と化した。
神矢は、暗黒の部屋を、家具を避けながらソファまで歩くと、「おやすみ」と呟いて、腰を下ろした。すると。
「しんや?」
ララのうっとりとした、幼稚さの残る声が静寂な部屋を潤す。
「何だ?」
「きて?となり、ここ」
ベッドをやさしく叩く音を頼りに、神矢は音のする方へ足を進める。目が少し慣れ、辺りも少し見えるくらいだ。
「来たぞ?」
ベッドの隣まで来た神矢が、ララに声を掛けると、ララは直ぐさま反応を示した。
「んー、しんやぁ」
お酒に酔ったような、あどけないテンションのララは、やはり幼稚さがとろんとした目に浮かんでいた。
(これがジンが言ってたやつか)
神矢がララの部屋へ入る前。
『いいか神矢。ララは眠くなると………めちゃくちゃ甘えん坊になる』
(急すぎないか?)
神矢は先程ララが座っていた椅子をララの隣へ移動させ、腰を下ろす。
表情が弛緩しきっているララは、隣に座っている神矢を、仰臥して、見上げた。
目が合って、ララはぼーっとしながら少し頬が火照ったまま。
(まるでララがララじゃないな)
目が合ったまま、とろんとした目と同様にピンク色の唇が放物線を描いた。
「………にひひ」
(やべぇ。ララが可愛すぎる)
心中嘆く神矢はそれでも、やはり頬は全く朱色に染まっていない。
「ララ?」
「ん?なにぃ?」
「少し、勉強でもしようか」
その提案に、ララは頷く。
「世界にある武器の話なんだが―――――」
現在のララには到底難儀な内容になる。
兵士が使用している武器、名を対魔族忌制銃と言い、魔生種に一番有効的なダメージが与えられる武器である。男性の平均魔力数は百二十だが、魔生種はその数を軽く圧倒している。その為、魔法か、その銃で殺さなければいけない。一般の銃ではかなり殺す確率が低いからだ。そして銃の秘密は弾にあり、レイトハウド王国から徒歩で十日ほど掛かる位置にある国、竹都和京国にある。竹都和京国は竹が盛んであり、竹藪に囲まれている国である。そこの住民は和服を主に着て過ごしているらしい。そして竹には、希に生える竹があり、竹都和京国は大体の竹がその竹を占めている。その竹を金輝竹と言い、黄金に輝いていて、何より、魔生種が金輝竹に触れてしまうと、皮膚を溶かし、金輝竹に付着している粉末が血管を伝い核、言わば心臓を潰すという謎の現象がある。その現象を使い、金輝竹を粉末状にして、その粉末を弾に混ぜ込ませている。この武器は兵士しか保持してはいけないと全世界共通で法律で決められている。
神器。
この世に存在の限りある武器であり、神器に選ばれた者しか使えない。神矢は持っていない為に分からないが、神器は人を選び、選んだ者を呼び寄せたり、近くを通ると呼ぶ声が聞こえるらしい。そして神器が選んだその人だけに呼ぶ声が聞こえるという。選ばれていない者でも触れる事は出来るが、使用するという目的があって触ると、その者を引き裂き、呑むと言う。また、使用者が死亡した場合、神器はその者を呑む。
また、もう一つ、武器と言うには違うが、魔法と言うにも違うものがあり、魔能力というものが存在する。武器と言うよりかは魔法に近い存在であり、魔能力は、生まれ付きで身に宿している力である。魔力を使わずとも体からその種を自由に生成する事が出来、魔力を使えば更に能力の効果、強化が出来るらしい。もちろん魔法を使うことも出来る。神矢の知っている魔能力を使う事の出来る人は隣のグライド王国の兵のトップクラスに立つ将軍兵長、クロクマード・エス・カルマと言う人しか知らない。クロクマード・エス・カルマとは一度も会った事がなければ、話した事もない。だが、流石の神矢も噂を耳にはする。魔能力の例として、カルマは水、氷を自由自在に使うらしい。そして兎に角ドSらしい。
「以上だが、分かったか?」
「うん。こわいね、じんぎぃ」
半目でうっとりとした声で答えるララに、神矢は表情が緩む。
「ふふ、そうだな」
それからというもの暫時、度々話しながらに―――――。
「くぅ、くぅ」
可愛らしい寝息が聞こえはじめた。
ベッドの上で安心しきった表情で寝ているララを、神矢は淡い笑みで見下ろした。
そして切り替えて。
「さて」
神矢は椅子から立ち上がり、ララのベッドに向けて手の平を向けた。
瞬間、ララの寝ているベットを覆うようにして、半球の緑色の透けた壁が出来上る。
魔力障壁。魔力を消費して障壁を作り出すものである。ただ魔法でない。
定期的に緑色の光が波紋を描き、魔力障壁全体に広がっていく。
「来たか」
そう呟いた時に、屋根裏に続く天上にある扉が開いた。
スッと、月明かりに照らされた人影が落ちてくる。
「はぁー。今日こそは失敗しないように―――――――」
その時、両の手に持っていた二本の短剣が、無意識に床に転がった。その手、いや、身体全体が大きく震撼している。
「お前が、ガイナか?」
手をポケットに突っ込んだまま、神矢はガイナの眼前までに距離を詰めて、睥睨している。
目と目の距離はほぼ零に近く、ガイナは口を開けたまま反応を示さない。
「……………」
「お前、冒険者だな?」
「……………」
万斛の汗が皮膚を覆い、ガイナは一行に動こうとしない。いや、動けない。
ゴブリンの群集と戦闘を交えた際と同様に、神矢はガイナを脅している。
「ほら、動け。お前、グライド王国の王子からの命令で来たんだろ?暗殺しに。ならまず俺を殺してからにしろ。ほら、拾え。短剣を」
声音は一際低声で、静かなのにも関わらず、憤怒の形相は今にも食らうかのように燃え上がっている。
ガイナは動かずとも神矢の足元に転がった二つの短剣を度々眼下に見下ろしている。
「ほら、拾え」
刹那――――――――――――。
ガイナは二つの短刀を握り取った。だが、取ったは良いものの、それを遥かに上回る俊敏な動作で神矢はガイナの背後へ姿を消した。
月明かりだけが頼りになっているこの部屋で、目にも止まらぬ速度での移動に呆気に取られ、一瞬驚倒するが、流石王子からの依頼があるだけの動きはあった。
ガイナは瞬時に振り返って、短刀を突きつける。だが、攻撃の到着は必然と言っていいほどに、神矢の拳の方が速かった。
「……ッ!?」
めり込む程の勢いある突きに、ガイナは声にならない悲鳴を一度出し、一瞬で脱力してしまった。気絶してしまったようだ。
「……弱い」
床に無様に倒れるガイナを眼下に、神矢は一つ短刀を拾い上げ、それを月明かりを覗かせている窓へ翳した。
月明かりに異様に反射する紫色の液体を、神矢は苛ついた目付きで睨む。
「刺殺及び毒殺の暗殺計画……………」
憶測ではあるが、恐らく間違いはないと確信を持った神矢は、澄んだ顔で、ジンから預かった長めの鎖で、巧妙な手付きでガイナを縛り上げていく。
きつく拘束されたガイナは未だに気絶したままで、暗殺者と言うにはあまりにも言い難い程の弛緩した表情に、神矢は尚更立腹した。
「本当だったら殺ってたからなお前。ジンに感謝でもするんだな」
吐き捨てて言う神矢は気晴らしの為か、舌鼓を打って顔に一発蹴りを入れた。
そして魔力障壁の中で安眠続行中のララへ視線を向けた。
「くぅ、くぅ、くぅ、くぅ」
可愛らしい寝息に、神矢は淡く笑みを溢して、睡眠しようと椅子に腰下ろした。
魔力障壁は張ったまま、神矢はその隣に置いた椅子で、睡眠する姿勢へと体制を整える。腕、足を組み、首を前へ傾向させた。
ガイナを縛っている鎖を握る。
昨日や一昨日のように安眠する事は不可能で、警戒しながらに睡眠しないといけない。ガイナが目覚めると、また暗殺計画を実行するかもしれないから。
危険だと神矢も分かっている。十分に承知していた。だが、この一時を過ごしたかった。
なんとも我儘なことだろうか。と自分で反省しつつ、神矢は寝に就いた。
浮かんでいた月は必然的に沈んでいて、空は暁闇な模様。
その時間帯に目を覚ました神矢は、椅子から立ち上がって一度大きく伸びをする。
左には相変わらずの安眠しているララが居て、握っている鎖の先にはまだ気絶しているのか、はたまた寝ているのか。鎖で縛られたガイナが居る。
眼下に見ながら、神矢はガイナに対する疲労と怒気を半々に、嘆息を上げた。
ガイナの様子を確認し、神矢はまたララの方へ寄る。
「くぅ、くぅ、くぅ」
まだ起床する時刻ではないのだろうララは、可愛らしい寝息をたてながら熟睡していた。
そこで神矢はふと疑問に思う。
(なんでララは昨日俺を避けるような行動をしたんだ?)
目も合わせず、会話もあまり無かった。原因は神矢には不明で謎でしかなかった。
ララはただ神矢に抱きついた事に羞恥でいっぱいになっただけなのに。
それを知らず、神矢は張った魔力障壁を解除した。
波紋が広がりながら、徐々に光りと共に薄れていく。
無言。人が居る事を証明するのはララの寝息だけ。神矢は物音一つ立てずに、ガイナを引き摺りながら、そこから退出した。
ジンと再会したあの広い空間を目指して、ガイナを引き摺りながら歩く。
暫時、歩き回った果て要約到着した。なにせ六十年も居なかったのだ。城内は改装されているし、全く別物の建造物だ。
扉を押し開ければ一番奥、そこには赤と白、黄色の色彩で作られた豪華な椅子があり、そこに威風堂々たるジンが居座っていた。
神矢はガイナを引き摺りながら、ジンの下へ行く。
開扉する音、人の足音、そしてその様にジンはギョッと目を見開く。
驚愕な表情を示したジンを無視して、神矢は口を開く。
「こいつがガイナだ」
引き摺っていたガイナの襟をガシッと鷲掴んで、ジンが直ぐ真下を見下ろせる位置まで放り投げる。
鎖は巻き付いたまま、ガイナはその勢いで床へ頭を強打し、気絶から強制的に解放された。
「あがッ!!」
情けない悲鳴を上げながら、ガイナは目下何が起こっているのかは理解出来ていず、きょとんとしたままの表情でジンを見上げた。
「…………ッ!?」
それは幾度無く無限に広がった氷の大地のように、それでいて火災旋風を巻き起こすかのような爛爛と燃え上がっている殺気に、ガイナは怯まざるを得なかった。
ジンはそれを表情と共に自身から滲み出して、憎悪を露わにした。いや、してしまった。
昨夜、神矢から感じた殺気とは比べものにならない程の凄まじい殺気に、ガイナは万斛の汗に濡らされる。
しかし、それはガイナだけではない。壁側に護衛として構えていた兵士達でさえも、ガイナとは無縁のはずなのに、同じ状態になっていた。
神矢はガイナが万が一逃げないようにと、繋がれた鎖の先の部分をガシャリと踏み押さえる。
ガイナに対して殺気を滲み出す二人は睥睨し、ガイナはそれに押し潰されるように縮こまった。
冷静も保つ事がままならないガイナは、未だに状況を把握出来ずに、自然に荒くなった息を殺して俯く。
「神矢、ありがろう」
ジンの聞いたこともない野太く憤怒の混じった感佩の低声に、神矢は一度視線を向けた。
「牢に入れろ」
その合図に、「……はッ」と震えた返事をして、三人ほどが動き出し、神矢から鎖を預かると、ガイナを牢まで強引に引っ張り去って行った。
「………………」
ガイナの気配が遠のくにつれ、ジンの殺気は更に増し、その歳だとは思わせないほどにギリッと噛み締めている。
「………ジン」
だが、いつの間にか眼前にまで寄っていた神矢は、ジンの肩へ手を置く。
はっとなって気付いたジンは、神矢の顔を見上げると、目を閉じて一度大きく呼吸をした。それに伴って、ジンの身体からは脱力していくのが見て取れる。
「神矢………」
「ん?」
「……本当に、ありがとう」
歳の関係で仕方なく生えている白髪を見下ろしながら、神矢はその深甚な感謝を何度も受ける。
「そんなに感謝されても困る。約束も交わしていたし俺はそれを全うしただけだ」
当たり前のように、そして呆れたように言う神矢に、ジンも同様だった。
「お前は昔から変わらんな。お礼はちゃんと受け取った方が良いぞ」
その言葉通り、昔、まだジンが学生だった頃、耳にたこができるほど言われまくった言葉だ。
「はいはい」
会話している相手が王とは思わせないくらいの軽い態度で、神矢は適当に返事をした。
この時、この空間に居た兵士達全員が、昨日同様に神矢に腹を立て、睨んでいた。
それを気にする事なくジンは何か話題を変えようと思案したその直後。