01 サクラ
約千年もの昔。この世に魔王が誕生した。
安定し、活気とした生活は狂ったように破壊され、人や動物は魔王を恐れた。
だが、その恐怖に立ち向かった、異世界の勇者が一人居た。
世界で唯一存在していた神器、聖剣フルセカルキープを手に、魔法を作り出した魔王との奮闘が始まった。
互いに同等の力をぶつけ合い、大量の血を流しながらの激戦だった。
結果は相打ちに終わった。お互いの心臓を貫き、この世には再び平和が訪れた。
だが、幾つか変化した事がある。
それは一つしかなかった神器が、複数誕生した事。神器を使う勇者と、魔を使う魔王。互いの魂が混合し、分散され数多の神器が誕生した。
他にも、全ての生き物に魔力が現れた。持たないと死ぬのだ。そして、人でも魔法を使えるようになった。
この大戦争を機に、世界は大きく変化した。
無限に舞い散る桜の花びら。淡い桃色を発光する桜の大樹。
頂上に桜の大樹を一本咲かせている山。通称、桃染山。
莫大な魔力を持つこの桜は、散る花びらにも含まれており、地面に落ちても淡く光る事を忘れず、永遠に色付いている。つまり、年中桃色に染まっている為、地面に桃色の絨毯が敷かれている状態となり、望遠すると、桃色に染まっている山が見えるのだ。
そして今、無数の花びらが堆積した絨毯を歩くある一人の少年が居た。
その少年、神矢・ガエズ・ヤエは、桜が好きな少年だ。昔から何度も桃染山を訪れており、桜の大樹を見ては、また何処かへ去って行く。これをずっと繰り返している。
登り慣れている為、澄んだ表情を浮かべながら登山していた神矢は、頂上へ到着し、一度息を零す。
無限に舞い散り、宙を踊る桜の花びらはまるで、雨のように捉えることが出来、感動的な景色が広がっていた。
「綺麗だ」
一人景色を眺望し、率直な感動を漏らす神矢。そしてまた、それに反応するひとりの少女が居た。
淡い桃色の大きな瞳に腰まで伸びた艶ある長髪。白く透き通るような雪肌に容姿端麗。可憐と言う言葉が似合う美少女が、両膝を抱えて大樹の根元に座っていた。
足下には何日分かの食料があり、食べた形跡も見受けられる。
見た限りそれしかないので、旅人や冒険者ではない事は十分に理解出来る。
だが、思考を巡らせても彼女の置かれている状況は理解出来ず、時間は刻々と経過していき、既に数十秒も目が合っていた。
黙考していた神矢は、話し掛ける以外に道は見えないと判断し、優しい口調で問いかけた。
「ここで……何をしている?」
「………」
何処か遠い所を見るような浮かない表情をしていた少女は一変して、乾いた瞳にじわりと涙が広がっていき、泣きそうな表情を浮かべた。
(また、泣けないのかな……………?)と少女は胸中で呟いた。
「気晴らしに散歩をしていたら………」
「……?」
「魔物に出くわしてしまい」
「ここに逃げ付いたのか?」
「………はい」
視線を足下に落とす彼女。落涙してはいないものの、恐らく魔物の事でも思い出したのだろう。
神矢はため息を一つ、それから彼女の目の前まで足を運んだ。
同じ目線で会話出来るようにしゃがんで、小さな頭に手を置く。
「頑張ったな」
その励ますような言葉、彼女にどれだけの救いだったか。今一番欲しかった言葉を受けた彼女は、胸いっぱいに溜まっていたものが爆発した。
微かに潤っていた桃色の瞳からは、溜まっていたものが変換して、大量の涙が零れ落ちる。そして彼女は、勝手に動いたと言っていいほどに自然に、神矢の胸へ飛び込んだ。
唐突の出来事に呆気に取られるも、今の彼女に肯定するように、頭を優しく撫でる。
すると彼女は大きく泣いた。
それから数分。
泣き落ち着いた彼女は、目下置かれている状況を把握したのか、急に顔を真っ赤に染め上げて、神矢から飛び退くように離れた。
「そ、その、えっと……」
目を左右に遊泳させながら胸元で指を絡めて、必死とした表情を浮かべながら躍起となって弁解を述べようとする。すると。
「楽になったか?」
はにかむような柔和な表情はまた、何処か落ち着くような声音に彼女は呆然となり、動きを止めた。
「……はい。楽になれました」
神矢と同じ表情を作って返答する。
「名前を知らないと話も出来ない。俺は神矢・ガエズ・ヤエだ」
「私はサーライン・クエリア・ララシーナと言います」
桜の雨を背景に、ララシーナは着てもいないドレスのふんわりとしたスカートを持ち上げる仕草をして見せた。
一目で分かる丁重に教育された完璧で優艶な挨拶の仕草、そして名にあるサーライン。
何か思い当たる点があるのか、神矢は表情を少し引き締めた。
「サーライン、か。ララシーナ。レイトハウド王国に帰るんだろ?送るから俺も一緒に行って良いか?」
まだ何も言っていないのに、帰省すべき場所を的確に当てられ、そして送迎までしてくれる事に、ララシーナは唖然とする。が、お菓子を貰った子供のようにキラキラとした表情を浮かべた。
「はい!」
レイトハウド王国へと足を運ばせる神矢の隣へララシーナは走り寄り、神矢はララシーナの小さな歩幅に合わせて歩いた。
会話に花を咲かせる事数分、麓まで下山した所で、桜の花びらで埋め尽くされた桃色の地面はいつしか、枯竭しかけの茶色の地割れた地面へと変わっていた。
「ねぇ神矢さん」
「何だ?」
「一つお願いがあって」
少し申し訳なさそうな表情に、神矢は優しく対応する。
「言ってみ?」
「……その、ね?私、皆からはララシーナじゃなくて、ララって呼ばれてるの。だから………」
言いにくいのか、口籠もってしまう。それもそのはず、まだ会って一時間も経っていないのだから。初対面に頼み事をするのと大差変わらないだろう。それに羞恥心も抱いている。
だが、もの言いたげなその様を目の当たりにして、神矢は難無く容易に察した。
「じゃあララ。俺からも一つお願いがある」
「……なに?」
「俺の事は呼び捨てで呼んで欲しい。あと敬語も駄目。これは絶対条件だ。条件を約束してくれるなら俺も受け入れるぞ?」
きっぱり言い切った神矢に、ララは若干圧され気味になって、小さく唸り声を出しながら眉を下げた。何か不満に思う箇所があるようだ。
「……分かった」
折れたララはその条件を仕方なく認証した。
二人の間にちょっとした親密感が生じる。
そしてまた数分、綺麗に何も無い更地をしばし歩いていると、突然ララが足を止めた。
その気配に神矢が振り返ると、思わず息を呑み、目を見開いく。
蒼白とした顔色に絶望満ちた表情。そして全身を大きく震わせている。
そしてその奥、ララの背後には、少し距離を置いた所にゴブリン十数体の群れがあった。
薄黒い緑色の肌色に、つり上がった目は薄汚い青色、数体は刃こぼれした短刀や剣、弓を番えていた。
異色な唾液を垂らし、今にもララを襲うかのような眼光を向け、恐怖を感じさせる。
(しまった!!桃染山の魔石の魔力が強すぎて気付かなかった!!)
失態を犯したように怒気を噛み締める神矢は、腰を抜かして震撼しているララへ近づいて、宥め言葉を掛ける。
「ララ。大丈夫だ。立てるか?」
ゴブリンの群集に視線を向けたまま、ララを守護する行動を取る。
「…………」
神矢の心配より恐怖の方が勝っている為、返答する事を忘却している。
だが、手はしっかりと握られていた。助けを求めるように縋るララからは、震えが鮮明に伝わってくる。
脅えるララを真に受けて、神矢の心中では怒りが膨張している。
「ララ。少し待っててくれ。直ぐ戻る」
鋭い眼光がゴブリン達を捉え、憤怒の形相で向かう。だが、それは直後にして引き止められてしまった。
目を瞑り、首を左右に振って、握った手を放そうとしない。
「……いか、ないで」
消え入りそうなか細い声。喉から絞り出されたララの言葉に、サッと怒りの波が引いた。
神矢は一息吐いて、その涙で潤んだ瞳を見据える。
「安心しろ。少し離れるだけだ。直ぐに戻るから」
安心させるように言ってはいるが、手を放す気配は皆無だ。
憂悶する神矢だが、ゴブリンも待ってくれるほど気長であるはずがない。
「ごめん、ララ」と言ったと同時に、握られていた手を振りほどく。
ゴブリンの群集へ駆ける神矢の背後には、「……あ」と悲を含んだララの声が。しかし、神矢には届いていなかった。
群集の内一体の正面、そこで神矢の動きが静止した。
ゴブリン達の視線が集中するその直前、その一体の身は宙へと飛んだ。
遙か上段へ、神矢の振り上げた足刀が直撃したのだ。
振り抜いた足を地面へ戻し、その足を軸に後ろ回し蹴り。
突き、蹴り。多種多様な攻撃が雑然とした群集を崩していく。
自分を遙かに超越した速度、反射神経、強さを持つ敵を近傍に、ゴブリン達は圧倒され後退りをする。
だが、それでも立ち向かおうと、複数のゴブリンは短刀や剣を手に襲いかかる。
地、宙から襲撃を仕掛けるそのゴブリン達を正面に、神矢は余裕な顔で魔法を唱える。
「次元魔空間収納」
黒く靄がかった円形が一つ、神矢の右横、空中に出現した。それは少し不気味で、禍々しく感じる部分がある。
その円形状のものに手を突っ込み、引き抜くようにして剣を取り出した。
神器や特別且つ特殊な素材を使用したものではない、何の変哲も無いただの剣である。
炎天下、白銀に反射するその剣を片手に、襲いかかるゴブリン達の攻撃を、まるで儀表が設置されているような身のこなしで躱しつつ斬撃していく。
一見剣の鋒が軽くなぞったようにしか捉えられないが、実際心臓への貫通、毛細血管集中部分への刀創、部位切断や斬首があった。
襲撃を仕掛けたゴブリン達は秒で殺られ、神矢は剣に付着した赤黒い返り血を振り飛ばす。
自身が通った方へ振り返り、地面に転がるゴブリンの亡骸を眼下に見下ろす。
(こいつら。逃げたララを待ち伏せしていたのか。それに仲間も呼んで…………)
ララを襲い、その反応を面白がり、仲間を呼んで共有する。
ゴブリンの卑劣極まりないその行動に、神矢は怒りが募っていく感覚を覚える。
刹那、ゴブリンが射た一本の矢が、神矢の鼻柱へ一直線に空気を裂いた。
それは瞬く間もない速度。だが、神矢は一瞬にして反応し、手にしていた剣の平らな部分で遙か遠方へと弾いた。
憤激と冷静を同等に纏いながら睥睨する神矢は、弓を射たゴブリンへと歩を進めた。
圧倒的な威圧、雲泥万里な強弱さに、ゴブリンは金縛りで身動きが取れなくなってしまう。近傍に居るゴブリン達もまた、それに巻き込まれて身体が言うことを聞かない。
射たゴブリンの真っ正面、ゴミを見る目で見下す。
「……この下級魔物が。群がって行動してる奴等が威張ってんじゃねぇぞ?」
一際酷く冷たい低声が、まるで支配したかのような静寂な空気を作った。
人間の言葉を理解出来ない下級相当のゴブリンは、時が止まったように微動だにしない。その中を神矢は一人、腰を抜かして脅えているララへ向かう。
神矢の威圧から解放されたゴブリン達は、圧倒的に段違いな敵と戦いを交えている事に気付き、危惧と判断して撤退していく。
「誰が逃がすと言った?」
又もや威圧するような雰囲気で振り返ると、必死に逃亡するゴブリン達へ、片方の掌を向ける。
「炎啖嵐陽」
下級魔法を唱えた瞬間、向けられた掌から勢いよく炎が噴き出す。それは神矢の所持している魔力の魔力放射で炎へと変換される魔法であり、魔力量によって強弱に変化が現れる。
勢いよく伸びる炎は壮烈で、炎の海と化して逃走しているゴブリン達を喰らうかのように飲み込んでいく。
炎の波に捕らわれたゴブリン達は、断末魔の叫び声を無様に上げ散らかす。
焼死全滅。余裕で圧勝した神矢は、未だ恐怖で震撼しているララから、死体が見えない位置に立った。
「ララ?待たせて済まない。大丈夫か?」
「………うん」
まだ少し脅えているが、神矢の戦闘を観ていたらしいララは、ぎこちない笑みを浮かべて。
「神矢、強いんだね」
それに神矢は淡く笑って、立とうとするララへ手を差し伸べた。
両の掌で覆うように手を握り、それを合図に神矢は自分の方へ引き上げる。
「……ありがと」
先程の恐怖で蒼白とした表情は一切なく、少し恥ずかしそうな、頬に少量の熱を帯びた表情へと変わる。
それからララはポケットに手を入れて、何かを探るような行動と取る。
取り出したのは、畳んであった為か、折り目が少し目立った一枚の純白のハンカチであった。
「これ、まだ使ってないから、血………拭いて?」
気に掛けるような表情を作るララから差し出されたハンカチに目をやる。
柄や汚れ一つない綺麗なララのハンカチに、血を拭くなど勿体なく躊躇と言うものもある。
「いや、汚れるからいい」
「洗濯すれば取れるから大丈夫だよ」
「だったら返り血も洗えば取れるだろ?」
「でも水、ないでしょ?」
口論を続けて暫く。
「拭かなきゃ駄目」
受け取らない神矢に少々呆れた感情を抱いたララはきっぱり言い切って、勿怪な行動に出る。
グイッと距離を詰めて、頬に付着した返り血へ手を伸ばした。
二人の間隙は吐息が掛かる程まで狭まり。
だいぶある高い背丈に、ララは試行錯誤と言わんばかりの表情で斜め上を見上げる。
頬と耳先がほんのり赤く染色しているララの顔を目前に、神矢は澄ました顔で眺める。
赤面している訳でもなく羞恥心を抱いてる訳でもない。ただ新鮮な、経験のない出来事にどう対処すれば良いのか、模索している。
「は、はい終わり」
早急に神矢から距離を置いて、空中で器用に血付きのハンカチを折り畳みポケットへと直し込んで、俯き加減に視線が下へ。そこへ。
「ララ」
ゆっくりと、下唇を甘噛みしながら、上目で見やる。
「ありがとう」
突然畏まって感謝の述べた神矢に、ララは唖然と見つめる。
だが、ララはホカホカと感じる胸に手を添えて、穏やかでお淑やかな微笑みを向けた。
「どういたしまして」
桜の花びらが風に乗って踊る。
心地良い風が肌をなぞり、その風は桃染山から花びらを運んできたらしい。
「じゃあ行くか」
神矢の誘いへ、明朗な声でララが言う。
「うん!」
ララは神矢の隣へ行く。ララの小さな歩幅に合わせる神矢。
二人はレイトハウド王国へと足を進めた。