第9話 フランス人形になりたい!
果たしていじめの原因はなんだったのでしょうか?
しばらくの間、白咲フランは黙ったままだった。
言いたくないなら、それでもいい。送り届けるだけだ。
「……フランス人形になりたかったんです」
はぁ?
僕は唖然とした。
何言ってんの?
「私、フランスに人形になりたかったんです。……それなのに……」
何を言っているのか、さっぱりわからない。
フランス人形になんてなれるわけがないし、それを日菜が阻む理由もないじゃないか?
「私、この髪と目のせいで、子どもの頃から苛められていたんです。凄く辛かった。でも、あるとき、絶対に自分の容姿に引け目を感じちゃいけないって思ったの」
そんなことがあったんだ……。知らなかったな。
それに、その考え方は正しい
でも、それ、日菜と関係あるの?
「それで……みんなが馬鹿にしていることを逆にアピールポイントにしようと思ったの」
うん。なんとなくわかってきた。
前向きでよろしい。で、日菜と何のかかわりが?
今のところ話が全く読めない。
「それで、髪の毛をきれいに巻いて、ハープアップにして、フリルのたくさんついた服を着て可愛らしいく振舞っていたら、お人形さんみたいって言われるようになったんです。フランス語の勉強も一生懸命にしました……」
わかってきたぞ。でも、人形にはなれないし、日菜も関係ないぞ!?
「……それなのに……それなのに。学芸会でフランス語の詩の朗読をする役を、坂下さんにとられちゃったの」
白咲フランは今にも泣きだしそうな声で言った。
あああぁぁぁぁぁぁー!!
そういうことかぁぁぁぁぁぁー!
って、納得できないよ!
学校の創立者はフランス人の宣教師だった。そのこともあり、フランス語の授業がある。
日菜が学芸会で、詩の朗読しているところを僕も見に行った。
あれはかわいかった。ほんとーにかわいかった。
って、納得できないよ!
「だからって日菜をいじめる理由にはならないだろ!?」
いつの間にかきつい口調になってしまった。
「でも……でも……」
水色の瞳が涙ぐむ。
平然とした態度は、虚勢を張っていたのだろう。素顔の少女が現れた。
納得できない。
納得できない。
納得できるわけないだろ!
そんなの逆恨みだ。
白咲フランの青い瞳は、勿忘草を思わせる。その瞳から大粒の涙がこぼれ落ちた
お転婆娘の涙。
僕は目の前の少女が気の毒になってきた。せっかくこんなに可愛らしく生まれてきたのに、周囲の心無い偏見のせいで自尊心を歪められてしまったんだ。
「あのねぇ。白咲さん。日菜は八歳の時に日本に来たんだ」
「はい」
長いまつげが涙で濡れている。確かに人形みたいだ。
「つまりね。フランスで身に着けた語彙とか、言葉使いは八歳止まりなんだ。そりゃー今でも勉強しているから、少しは保っているかもしれないけど」
「……」
勿忘草の瞳が、見開かれたまま僕を見つめている。
「僕なんかね。日菜と違って全く勉強していないから、もう怪しいもんだよ」
白咲フランが僕を凝視したまま、次の言葉を待っている。
「何を言いたいかって言うとね。君のこれからの勉強次第で、日菜を追い越せるってことなんだよ」
水色の瞳から涙が消え、代わりにきらきらとした光が宿り始めた。
「本当?」
「うん」
「“フラン”は愛称だよね? 本名は?」
「フランシーヌ」
「アッシジのフランチェスコから?」
イタリアの有名な聖人だ。
「はい」
「そっかー。あのね。フランチェスコも母親がフランス人なんだ。彼女を愛した彼のお父さんが“フランス人”っていう意味のフランチェスコって名前にしたんだよ」
“フランシーヌ” も、『フランス人』を意味するフランス語の女の子の名前だ。
「そうなの?」
「うん。多分、白咲さんもそうじゃないかな?」
「そうなのでしょうか?」
「うん。だから、もっと自信を持って、自分を大切にしなくちゃ。フランス人形になりたいなんて(馬鹿な)こと言ってないでさ」
白咲フランが、再び泣き出した。
泣きじゃくるたびに、はちみつ色の巻き毛が揺れる。
僕は、彼女が泣き止むのを待って、家まで送り届けた。
日菜は無事家にいた。
友達と一緒に帰ってきたという。
白咲フランが一人で下校していたのは、彼女の日菜に対する嫌がらせにドン引きした同級生が彼女を避けたからだという。
仕方がないと言えば、仕方がないが、やはり気の毒だ。
それでも、何事もなくてよかったよ。
そのあと、警察と学校から呼び出され、いろいろと聞かれた。
刑事さんは、絆創膏を貼った僕の頬を見ると、
「あなたにまで暴行を!? けしからん!」
と憤怒の声をあげた。
「は、はぁ……」
曖昧に言葉を濁す。
白咲フランにやられたとは言いづらい。
奴らの罪状が一つ増えるんだろうか?
気の毒な気もするけど自業自得だ。
ざまあみろ!
ちなみに刑事さん。服の下はもっとすごいですよ。
さんざん蹴られたり、叩かれたりしましたからね。痣だらけですよ。
お見せできないのが残念です。
「ご協力ありがとうございました」
刑事さんに礼を言われ、僕は解放された。
それから数日後、例の二人組が捕まったという知らせが入り、日菜と母さんが喜び、僕も安心した。
それから、さらに数日後、
白咲フランが日菜に謝りに来た。
日菜の顔が困惑のために強張っている。
「日菜ちゃん。ごめんなさい」
白咲フランが殊勝に頭を下げた。
日菜。
無理はしなくていい。
こいつはお前をいじめたんだ。
小学生時代だけで飽き足りなくて、中学に上がってまでも続けたんだ。
無理はしなくていい。
しなくていい。
しなくていい。
しなくていい。
……でもね。
この子は謝りにきているんだ。
お前に許して欲しいんだよ。
ねぇ。
日菜。
日菜!
いつものお日さまみたいな笑顔を向けてくれよ!
僕は祈るような気持ちで日菜を見つめた。
「ふみゅー」
日菜が、くるりと丸い目で僕を見あげる。僕の心を読み取ろうとするかのように。
そして、白咲フランを見ると、
「フランちゃん。これから仲良くしてね。そうしてくれればうれしいわ」
そう言って、にっこりと笑った。
「ありがとう!」
フランの顔がぱっと輝き、僕はほっと安堵した。
日菜。
よかったよ。日菜。
日菜にはいつも笑っていて欲しい。
お日さまの下にいるみたいに。
それから……。
白咲フランは、家にちょくちょく来るようになった。
そして、母さんのレース編みに興味を持つようになり、母さんが、
「じゃあ、こんど日菜ちゃんと一緒に教えあげるわ」
と言った。
「ありがとうございます!」
「よかったわね。フランちゃん!」
フランと日菜が手を取り合って喜んでいる。
やれやれ。
いろいろあったけど、全てが丸く収まった。
これで一安心だ。
「日菜ちゃんのお兄様も、これからよろしくお願いします」
「ああ、こちらこそ。でも、“日菜ちゃんのお兄様”は仰々しいよ。慎一さんとか、坂下さんとか……」
子猫は首をかしげると、ちょっとだけ考え込んで、
「じゃあ。“お兄様”って呼ばせてください! それから、私のことは“フラン”って呼んでください!」
と言った。
「お兄様も、ちょっと……。まぁ、いいか。でも、他所の子を呼び捨てにはできないよ」
「いいえ! 日菜ちゃんと同じにしてください!」
目を潤ませて懇願される。まるで青い宝石だ。
何を言っているんだろう? 友だちになったら、何もかもを一緒にしないと気がすまないのだろうか?
女の子の気持ちってわからないよ。
「いいよ。わかった」
僕は渋々承諾をした。
――それから
こら! フラン!
空気読め!
なんでこんなに上達早いんだ!?
フランはメキメキと上達し、あっという間に日菜を追い越していった。
「編み物はやったことあるんです」
フランは言った。
いや……それだけじゃない。もともと器用なんだな。
それとも日菜の方が……?
フラン。君はフランス人形というよりは、いたずら好きの子猫みたいだ。
僕は、新しい悩みを抱えることになった。
ここまで読んでいただきありがとうございました。