第20話 手榴弾ふたたび
慎一はなぜレース編みを辞めたのでしょう?
それから、写真は?
「うふっ!」
苺ジュースを前に、フランが笑う。
僕らはショッピングセンターのカフェで一休みをしていた。
「どうしたの?」
「お買い物して、お茶をして……。これってデートですよね? フラン嬉しいです。これから、もっとこんな風にお出かけしたいです」
フランが頬を染め、もじもじと恥じらっている。
「それに……お兄様と並んで写真を撮ったし………」
フランは携帯を愛おしそうに抱きしめると、
「これ、待ち受け画面にします!」
と言った。
「ま、待ってフラン!」
僕はぎょっとした。猫耳の中学生とツーショットなんて、人が見たらなんて思うだろうか? 考えただけで顔から火が出そうだ。
「あら? お兄様? 恥ずかしいんですか? わかりました。お兄様がお嫌ならば、待ち受けにはしません。これ、フランとお兄様だけの秘密ですね」
と、嬉しそうに笑った。
僕は安堵するのと同時に、フランの素直な姿に疚しさを感じてしまった。
でも、子どもの言ったことだ。聞き流そう。いつかフランも自分の言ったことを忘れてしまうに違いない。
子どもなんだ。そうじゃなきゃ、あんな態度を部長の前でとるはずがない。
まるで挑発しているみたいだったけど、悪気なんてさらさらないんだ。
「でも……やっぱり、あのカチューシャ買えばよかったなぁ〜。ああいうのお好きなんですよね? お兄様」
フランはカチューシャに未練たらたらだ。
「そ、そんなことはないよ! 君は誤解しているんだ!」
「そうですかぁ〜?」
フランが怪訝そうに僕を見る。
でも、フランが猫耳のカチューシャのことを早く忘れてほしいという僕の願いは、どこかに届いたようで、何事もなかったかのようにフランが話を始めた。
「おば様とお兄様は、パリでレース編みを覚えられたんですね」
「うん。母は近所の奥さんたちの編み物集会に誘われたんだ。週一回の集まりをとても楽しみにしていたよ」
パリで僕が生まれる前、母さんには父さん以外の知り合いがいなかった。
彼女たちの優しさが母を救い、僕は無事に生まれることができた。
僕は赤の他人の優しさに救われ、親族の冷淡さに煩わされている。皮肉なものだ。
「パリ。いいなぁ。フラン、まだフランスに行ったことがないんです」
フランが小さな溜息をついた。
「いつか行けるよ」
「そう思いますか?」
「うん」
「早くそうなるといいな。私、ママンの故郷を見たいんです」
まだ見ぬ遠い地。フランのもう一つの故国。それは僕のそれでもあるんだ。
家事や育児の合間に母さんがレースを編む姿を、僕は生涯忘れることはないだろう。
「お兄様。お兄様もレース編みをなさるんですね。日菜ちゃんから聞きました」
「うん」
「どうして編まないで図案ばかり描かれているんですか?」
「どうしてって……」
返答に困る。
「お兄様はものすごくお上手だって、日菜ちゃんが言っていました」
「そんな。大げさだよ。子どもの頃からやっているから、他の人よりは上手いかもしれないけど、プロになれるほどじゃないんだよ」
「プロになれないと編んじゃいけないんですか?」
「そういうことじゃなくて……僕が編んでもね、僕が楽しむだけで終わっちゃうんだ」
フランは暫くの間、ぽかんと口を開けて僕を見つめていた。そして、何か思いついたのだろうか? 顔を輝かせた。
――そして。
再び。
フランの手榴弾がさく裂した。
「わかりました! お兄様は人の役に立ちたいんですね!! やっぱりお兄様は素晴らしい人です。尊敬します!」
と、店内に響き渡るような大声で言った。
―― う……わっ……!!!!
ああああぁぁぁぁぁぁぁ!!!
公衆の面前で、何恥ずかしいこと言ってんの!
「フラン。フラン。声が大きいよ!」
投げつけられた手榴弾は、僕の生易しい感傷を木っ端みじんに打ち砕いた。
フランが目をキラキラとさせて、僕を見つめている。
尊敬!? そんな重たいもの欲しくないし!
「そんな大げさなことを考えているわけじゃないよ!」
「そうなんですかぁ〜?」
「そうそう。好きってだけでは続けられなかったんだ。それだけだよ」
子どもなんだ。そうだ。子どもなんだ! 自分の言っていることの意味なんてわかっちゃいないんだ! 僕は自分に言い聞かせる。
「ふーん?」
勿忘草の瞳が、いたずらを企む子猫のように僕を見つめる。
何とか気を逸らしたい。
「そうだフラン。花のモチーフを使ってサシェも作れるよ。サシェに入れるポプリを買おう」
「わぁ!」
フランが手を叩いて喜び、僕らは再び手芸売り場へ戻っていった。
それから数日後のことだった。
僕は、いつも通り部長と向き合い図案を描いていて、あと少しで完成という時だった。
ピロロン。
呼び出し音が鳴り、僕は携帯を取り出し……
「!!!」
―― なっ! なんてもの送ってくるんだ!
僕は、即座に携帯を鞄に戻そうとした。
が、
「なに?」
部長にその手を押さえられた。氷の炎のような視線を、僕と、僕の手にした携帯に向けている。
『なんでもありません!』 『見せなさい!』 という応酬の後、携帯は部長の手に渡った。
「ふーん? 坂下君って【こういうの】好きだったんだ」
僕を冷たい目で睨みつけながら言う。
送られてきたのは、手芸店で撮った僕とフランのツーショットだ。
可憐な笑顔の猫耳少女と、おどおどした僕が並んで写っている。
メッセージには
『二人の ヒ・ミ・ツ!。。。。うふっ☆』とあった。
「こ……これはフランが……」
どぎまぎしながら、最後の弁明を試みる。
でも、違うんだ。
僕がつまらない好奇心を起こしたことが、そもそもの始まりで、フランには何の罪はないんだ。
「よこしなさい!」
冷たく乾いた声が部室に響いた。
それからの部長は電光石火のごとく。
僕からタブレットを取り上げると、完成寸前の図案を、跡形もなく消去した。
あっという間の出来事だった。
ここまで読んでいただきましてありがとうございました。




