08 みんなの兄貴
テリーは深い森の中をさまよっていた。
「チッ、真っ暗で、なにも見えやしねぇ……。すっかり道に迷っちまった……」
舌打ちとともに頭上を見上げると、覆い重なっている樹冠の隙間から、わずかな星明りが見えるのみ。
「キノコと魚を上回るには、やっぱり肉しかねぇ。ウサギでもとっ捕まえてやれば、フィアンヌ様も俺っちを見直してくれると思ったのに……。クソッ、どこにもいやしねぇ……!」
ガサガサガサッ!
不意に、前方の茂みが大きく揺れた。
テリーは武器がわりに持っていた棒きれを、「そこかっ!?」と振り下ろすと、確かなる手応えがある。
しかし次の瞬間、少年の身体は激しい衝撃とともに吹っ飛ばされていた。
茂みから飛び出してきた何者かかが、その勢いのまま強烈な体当たりを浴びせてきたのだ。
「い……いってぇ~! な、なんなんだ、いったい……!?」
テリーが身体をさすりながら半身を起こすと、そこには……。
鼻息荒く、炎のように毛を逆立てた、イノシシが……!
さらなる体当たりを放つべく、唸りながら砂蹴りをしていた……!
「うっ……!? うわあああああーーーーーーーーーーーっ!?!?」
逃げだそうとするも、腰が抜けて立てない。
ひっくり返った亀のようにもがくテリー。
踏み潰すかのように蹄を鳴らす巨体が、迫り来るっ……!
「ひっ……!? ひぃぃぃぃぃぃーーーーーーーーーーーっ!?!?」
……グシャァァァァァァァァーーーーーーーーーーッ!!
インパクトの瞬間、テリーは目を閉じてしまっていた。
しかし、いつまで経っても痛みはやってこない。
おそるおそる瞼を開けてみると、そこには……。
「お……お前はっ……!?」
あの突進をいったいどうやって止めたのか、倒れたイノシシに腰掛けるシェイドブレイドがいた。
「大丈夫か? いつまでも帰ってこないので探しに来たんだ」
「じゃ……邪魔すんじゃねぇよ! そのイノシシは、俺っちが最初に見つけたんだ! お前は俺っちから、何もかも横取りするつもりなのかよぉ!」
「それだけ元気があるなら大丈夫そうだな。それに安心しろ、俺はこの山から去るつもりだ。このイノシシはお前が倒したことにすればいい」
「へっ」と虚を突かれるテリーをよそに、シェイドブレイドは暗闇を指さす。
「光が見えるだろう? ヒカリダケを道しるべがわりに置いてきた。あの光を辿れば、みなのいる洞窟まで戻れる。それと……」
言いながら腰にぶらさげていたウサギを外すと、テリーに向かって投げた。
「途中にウサギ獲りの罠が仕掛けてある。その構造を真似すれば、お前もウサギが捕まえられるようになるだろう。それで子供たちの尊敬を取り戻すんだ。……それじゃあ、もう二度と会うこともないだろう」
シェイドブレイドは返事を待たず、さっさと立ち上がる。
森の闇に消えていこうとしたが、テリーは慌てて追いすがり、足を掴んだ。
「ま……待つっす! シェイドブレイドの兄貴っ!」
「……兄貴?」
「俺っちは、シェイドブレイドの兄貴の男気に惚れたっす! こ、これからは兄貴の元で、男を学ばせてほしいっす!」
「俺が教えてやれるのは、ウサギの捕まえ方くらいだ」
「そ……それでもいいっす! 行かないでくださいっす、兄貴! 俺っちたちのそばにいてくださいっす! どうか、どうか、お願いしますっすぅ!」
「出て行けといったり行くなといったり、よくわからないヤツだな」
シェイドブレイドはテリーに泣きつかれ、結局、いっしょに洞窟に戻ることになった。
イノシシとウサギを獲って戻ったテリーは、我が物顔で凱旋する。
「さぁさぁ、これで肉が揃ったぜぇ! これもぜんぶ、シェイドブレイドの兄貴が獲ってくれたんだ! おいお前ら、みんなシェイドブレイドの兄貴に感謝するんだ! せぇーの!」
すると、子供たちは満面の笑顔で声を揃えた。
「ありがとうっ! シェイドブレイドのあにきーーーっ!!」
フィアンヌが小さく手を打ち合わせると、さらに拍手が続く。
歓声と拍手に包まれたシェイドブレイドは、今まで感じたことのない不思議な感覚を味わう。
それは、暗殺者として育てられ、人々の憎しみしか向けられてこなかった少年が、初めて受けた『感謝』であった。
◆ ◇ ◆ ◇ ◆
その夜の夕食は、焼いたウサギ肉に川魚、そしてキノコ。
木の実ばかりだった子供たちとって、数日ぶりのまともな食事となった。
そしてシェイドブレイドにとっては、なじみと別離してから初めて口にする食べ物。
彼は暗殺者の訓練を受けているのと、身体に彫られたタトゥーのおかげで、1年間は何も口にしなくても生きていける。
また体内の魔力を消費することによって、空腹を感じないどころか、日常と変わらぬポテンシャルを発揮し続けることができる。
しかしここで、問題発生。
シェイドブレイドは、ピースランダー王国に広く伝わる『ハシ』も持つこともできず、すぐにポロリと落としてしまう。
手づかみで口に持っていこうとしても、途中で手が震えて、口の中に入れることができない。
シェイドブレイドは自力で食べ物を摂取することができないのだ。
これは、いつもなじみに食べさせてもらっていたせいで、ハシの使い方を知らないだけではない。
さらに暗示のようなものが掛けられているせいだった。
なじみが「きっと自分の所に戻ってくる」と確信していたのも、このためである。
少年は誰かに食べさせてもらわなければ、いつしか飢え死にしてしまうのだ……!
ちなみに、暗殺任務のために飲むこともある薬品に関してはこの限りではなく、自力で飲むことができる。
様子がおかしいシェイドブレイドに、隣にいたフィアンヌが声をかけた。
「シェイドブレイドさん、どうされたんですか? さきほどから、ぜんぜん召し上がっておられないようですけど……?」
「あ……ああ、すまない、フィアンヌ。ちょっと、食べさせてくれないか?」
するとフィアンヌは「食べさせる……?」といぶかしげだったが、すぐに察したように微笑むと、
「ふふっ。はい、いいですよ。わたしは赤ちゃんが大好きで、よく孤児院でお世話していたので、こういうのは得意なんです。はい、あーんしてください」
言われるがままに、あーんと口を開けるシェイドブレイド。
フィアンヌは食べさせることに、シェイドブレイドは食べさせてもらうことに慣れていたので、それは長年連れ添った老夫婦のように、不思議とサマになっていた。
「シェイドブレイドの兄貴、食べさせてもらうなんて、赤ちゃんみたーい!」
と子供たちは笑っていたが、
「ぐっ……! お、俺っちの憧れの、食べさせっこを……! しかも、フィアンヌ様を相手に……! で、でもシェイドブレイドの兄貴なら、しょうがないっす……!!」
テリーはひとり、悔しがっていた。