02 暗殺者になった少年
それから年月は流れ、デュランダルは10歳になった。
その頃には、病床に伏すことはほとんどなくなり、食事中に血反吐を吐くこともなくなる。
『お仕置き』を受けることも少なくなり、立派な男として育ちつつあった。
しかし自分の身の回りのことだけは、なにひとつできなかった。
なぜならば、ずっとナックルジャスミンが世話をしていたから。
朝、自力で目覚めることはできるのだが、着替えや食事は一切できない。
シャツを着せてボタンを留めてもらい、食事はカップルシートのような席で、あーんして食べさせてもらっていた。
それは、実に不思議な光景だった。
100人の武装した相手を、素手で30秒、武器ありなら5秒で戦闘不能できる少年が、まるで老人のように介護されているのだ。
王室に仕えているメイドがかわりを申し出ることはあったが、ナックルジャスミンは決してさせなかった。
デュランダルを常に影のように寄り添わせ、寝る時以外は片時もそばから離さなかった。
そして、少女お手製のバースデーケーキに12本のロウソクが立った日。
少年は、初めて人を殺した。
相手は、ナックルジャスミンの王位継承に反対の立場を表明している、敵対派閥の大臣のひとり。
その大臣が王城の廊下でナックルジャスミンに暴言を吐いたことで、デュランダルは彼を恨むようになっていた。
その一件のあとの誕生パーティで、デュランダルはひさびさに昏倒したのだが……。
気がつくと暴言大臣の執務室にいて、大臣が血の海に沈んでいた。
幸いにも、ナックルジャスミンの計らいでこの件は闇に葬られ、少年は不問となる。
しかし少年は初めて人を殺したショックを受けていて、夜も眠れない状態になってしまった。
ナックルジャスミンは、いつも少年を寝かしつけたあとは寝室をあとにするのだが、その日はいっしょにベッドの中に入って、いつまでも頭を撫でてくれた。
「気に病むことはありません。なぜならば、人間というのは2種類に分かれているからです。『死ぬべき』の人間と、そうでない人間……。あなたが今日殺したのは、前者の人間だったのです。むしろあなたは、良いことをしたのですよ」
「死ぬべき人間なんてものが、この世にいるのか……? それに、人を殺すことが、良いことだなんて……」
「考えてみなさい。あの大臣は、わたくしが国王になるのを反対していた派閥のひとりです。これを死ぬべき人間と言わずして、なんと言うのですか?」
「そういえば……なじみが国王になれば、この世界はもっと良くなるって先生たちも言ってた。俺は、良いことをしていたのか……」
「そうです。あなたはわたくしの気持ちを察して、わたくしのためになることをしてくれたのです。生まれた時からあなたのことを、ずっと見ていたわたくしにとって、こんなに嬉しいことはありません。だってあなたが、ようやく一人前の男になってくれたのですから……」
「俺が、一人前の、男に……」
「そうです。半人前の男であるあなたは、わたくしの意思に沿って生きて初めて、一人前の男といえるのです。……さぁ、なるのです。わたくしだけの、『一人前の男』に……」
その日から少年は、少女のために人を殺すようになった。
相手は城内にいる、反ナックルジャスミン派の者たち。
少年は10年以上にもわたって、暗殺術を身体に染み込ませてきたので、彼らの命など手のひらにあるも同然だった。
すべてを事故にみせかけて殺し、その数は1年で20人以上にものぼる。
少年にとっては散髪よりも頻度の高い、生きていくために必要な作業のひとつとなった。
デュランダルは長きにわたって王城で暮らしていたが、自分の意思で外に出たことは一度もなかった。
また、出たいとも思わなかった。
なぜならば、ナックルジャスミンから離れることなど考えられなかったからだ。
まるで自分の影から逃れたいと思うものがいないように、ふたりはずっと一緒だった。
さらに月日は流れ、デュランダルは14歳になる。
その年は、『パーフェクトオーダー王国』と『ピースランダー王国』の和平条約が締結されてから100年目。
国のあちこちで今までの平和を喜び、これからの平和を祈る式典が行なわれた。
両国間の王室の関係も、近年ないほどに良好。
これは、デュランダルがパーフェクトオーダー家に引き取られ、夫婦のようにナックルジャスミンと暮らしていたお陰でもあった。
両王家はさらに関係を密にするため、主要な王族たちだけを集めた、身内だけのパーティを行なった。
もちろんデュランダルも招かれ、実の両親や兄弟と再会を果たしたのだが、あまり嬉しくはなかった。
なぜならば、デュランダルは生まれてすぐパーフェクトオーダー家に引き取られたので、もはや産みの親でも他人同然であった。
そのうえ、ナックルジャスミンはパーティに遅れて参加することになっていたので、ずっと居心地が悪かったのだ。
少年にとって、生まれて初めてのことあった。
これほどまでに長く、少女と離れていたことなど、今までなかった。
手持ち無沙汰だったデュランダルは、パーティの最中であるというのに、ナックルジャスミンから渡されていた薬を飲んだ。
いつも決まった時間に飲むように言われてたこの薬は、苦くて苦手だったのだが、
「なじみ……早くこないかな……」
今だけは彼女のことを思い出したのか、なんだか甘いような気がした。
少年は夢見心地でいたのだが、ふと、独特の臭気が鼻をついて我に返る。
むせかえるような血の匂いに、ハッと顔をあげた。
豪華なパーティ会場は、どす黒い雨が過ぎたかのように濡れている。
音をたてるものはなく、夜の通りのように静まり返っていた。
自分の身体もびしょ濡れで、足元はブーツのカカトが埋もれるほどに浸っている。
床には血袋と化した、かつては自分の肉親だったものが転がっていた。
少年は、至極落ち着いている。
それは、どんな事があっても取り乱さない訓練を受けていたのと、死体は見慣れていたためであった。
ふと、会場の外にある廊下から、どやどやと人が押し寄せてくる気配を感じる。
……ズバァァァァァァァァァァァァーーーーーーーーーーンッ!!
蹴破られたように開かれた扉の向こうに立っていたのは、多くの兵士たち。
そして、
「ああ、なんということを……! 王族の人間を、皆殺しにしてしまうだなんて……!」
少年は幼馴染みの少女が、恐怖に顔を引きつらせ、悲鳴じみた声を上げているのを初めて目にした。
同時に、彼女の表情や言葉が、心の底から発せられたものでないことを見抜いていた。
――どうして……。
どうしてなじみは、演技をしてるんだろう?
そして少年は、投獄される。