中編
お父様が持ち帰ってきたのは、新しい婚約のお話でした。
「意味が分かりませんわ」
婚約解消した翌日にもう、新しい婚約者?
陛下と何を話して来られたのかしら。
聞けば、新しい婚約者はアルフレッド・サジ・マークロウ辺境伯爵で、昨年24歳という若さで辺境伯爵を授爵したお方です。
そういえばカルバン様が「嫁がせてやる」とか偉そうに、上から目線で、世迷言を仰ってましたわね。
え?あの提案が通ったんですの?
陛下、どこまで親バカですの?
危うく陛下の尊称が親バカになりかけましたが、お父様が薦めるならば有能な方なのでしょう。
陛下も私と辺境伯の婚約を成立させて、カルバン様への風当たりを弱めようという魂胆かしら。それともコレを謝罪に当てるおつもりかしら?
本当に親バカ陛下ですわね。お灸を据えるのはお父様にお任せしますわ。
私、そんなに暇ではございませんもの。
マークロウ辺境伯は婚約は私の気持ち次第で良いとおっしゃってくださったのね。
お父様からどうするか問われましたが、私の答えは一つです。
ベイエット領へ行って、マークロウ辺境伯がどんな方か、きちんと観察……見極めてきますわ。
ベイエット領へはお母様となぜかお父様まで同行する事になりました。
護衛もいるので、一人でも平気でしてよ?
お兄様が留守を快諾してくださったらしいですが、とても快諾したお顔ではありませんでしたわよ。
それでも、私には優しいお言葉をかけてくださいました。
お土産をたくさん買って参りますわね。
ベイエット領までは馬車で一週間程の長旅です。馬車の中で、久々にゆっくりと両親と話ができました。
前半は主に前の婚約者であるカルバン様と駄目令嬢と愉快なご学友について。
まぁ、主に愚痴と事後報告ですわね。さすがにもう扇子は折りませんけれど、思い返すも腹立たしい方たちでしたわ。
ベイエット領に近づく頃には、辺境伯や領地のお話になりました。
お母様の目的はベイエット領の温泉なのですって。
少しトロミのある温泉は美肌にとても良いとか。前辺境伯夫人からお聞きして一度訪れてみたかったそうですわ。
お父様は希少なワインだとか。なんでも生産が少なくて流通しないワインがあるそうで、是非とも飲んでみたいと嬉しそうでした。
お父様もお母様も、私を良い口実にしておりません?
私を心配してくださっている事も分かってますが、なんだか素直に喜べませんわね。
いえ、いいのですけどね。ええ。
ベイエット領の最初の町アークレイに入ると、数人の騎士を連れた辺境伯が迎えに来てくださってました。
ご挨拶の為に馬車を降りて、初めてまともに辺境伯にお会いしましたの。
衝撃的でしたわ。
首のない方っていらっしゃるのね。
実際に首がないわけではないのよ。お顔のお肉と首回りのお肉が多すぎて、ふくよかな顔が胴体にくっついているようでした。
身長はヒールを履いた私よりも少し高いくらいで、全体的に丸っとしています。
そうね、冬の雪だるまを連想させる方です。
「遠いところをようこそおいでくださいました。宜しければここから私に領内を案内させてください」
その優しそうな笑顔を見て私は直感したのです。
『私、この方と結婚するのだわ』と。
言っておきますが、一目惚れではございませんわよ。
なんというか直感の様なものですわ。
そんな予感がしただけです。
「運命」なんて陳腐な言葉は絶対に、絶対に、使いませんわよっ。
滞在した1ヶ月はとても楽しいものとなりました。
流石にお父様は仕事もありますので、途中でお帰りなりました。
念願の希少ワインや美味しい食事に満足されてほくほく顔でお帰りになりましたわ。お母様とものんびり過ごせて良かったですわね。
婚約の件で来ましたのに、そんな話は全くせずに帰られたのは疑問ですけれど。
その件は私に一任するなんてちょっと無責任ではありません?
けれど、私もお父様を責められませんわね。
途中から私もお母様と楽しんでしまいましたもの。
だって王都にはないものばかりですし、うちの領地は海に面しているから、こんなに雄大な山や森なんて見た事がなかったんですもの。
それにアルフレッド様が案内する場所もお食事もとても楽しめるんですもの。
温泉はとても気持ち良かったですわ。
外の景色を楽しみながら入る露天風呂というのも本当に素敵でしたわ。
遠くにそびえる雄大なモスノール連山を見ながら、とろりとした乳白色の温泉を堪能しました。
入浴後のレモン水は体に染み渡るほど美味しかったですし、温泉熱を利用した蒸し野菜料理も美味しかったです。
アルフレッド様お勧めの「地獄蒸しプリン」という恐ろしい名前のデザートは甘味の中にもほんのり苦味がありトロけるような食感に思わずお代わりをしてしまいました。
モスノール連山のあるモスコ領もアルフレッド様の所有地で、風光明美なところらしいですわ。
春になると一週間だけ花を咲かせる樹があり、とても美しいそうです。
散り際の見事な花吹雪を見せたいと仰ってくださいました。
その花を浮かべた紅茶や葉を使用したお菓子がいかに美味しいのか、嬉しそうに教えてくださいました。
これってお誘いですわよね?
仕方ありませんわね。予定は空けておいて差し上げますわ。
マークロウ本家のあるエイゼンの街はアルフレッド様と私だけで散策しましたの。
もちろん、少し離れて私の侍女と護衛はおりますけれどね。
町の真ん中にある大きな広場はとても賑やかでしたわ。
広場の半分程もある大きなテントが張られていて、中に様々な露店が並んでいます。
マーケットというのですって。
野菜やお肉などの食料品から装飾品や武器や防具も売られていて、なんだかワクワクしますわ。
アルフレッド様は行く先々で気さくに声をかけられますの。特におばさまたちは好意的で、アレコレとプレゼントしてくれます。
そして、横にいる私を見て驚くと、私にもプレゼントをくださいました。
プレゼントは護衛と侍女が手分けして持ってくれましたわ。
口々に激励の言葉をかけられて、アルフレッド様の顔がうっすら赤く染まっています。
あら。
やだ、可愛い。
揶揄われて照れて困っている姿にキュンとしてしまいました。
このまま手を繋いだらどうなるのかしら?
慌てるかしら。赤くなるかしら。
そっとアルフレッド様の左手に触れてみると、ビクッと肩を震わせて恐る恐るこちらを振り向きました。
ふふふ。困ってますわね。
「こんなに人が多いと迷いそうですの。手を繋いでもよろしくて?」
「っ!あ、いや、ちょっと、ちょっと待ってくださいっ」
アルフレッド様は慌てて手を戻してハンカチで何度も手を拭いた後、そうっと手を差し伸べてきました。
ぷにっとした手に自分の手を重ねると優しく壊れ物に触るように握るので、ギュッと握り返すと大きな体がピクッと震えました。
ふふふふ。可愛い。
上機嫌で手を繋いでマーケットを堪能しました。
アルフレッド様の手は大きくて温かったですわ。
マーケットでは魔国の商品も売られてましたの。褐色の肌が特徴の魔人の商人もあちこちで見かけました。
アルフレッド様はその方たちとも気さくに話していたので、恐怖心は湧きませんでしたわ。
魔人と言っても意外に普通ですのね。
王都でも魔国の製品は数が少ないので滅多に見ませんのに、ここではこんなマーケットで売られてるなんて驚きですわ。
そこで植物や昆虫をモチーフとした髪飾りを売る店があり、思わず目を止めるとアルフレッド様が花の髪飾りをプレゼントしてくださいました。
木蓮の花を模ったそれは、全体が星を散らしたみたいにキラキラと光っています。
嬉しくて、お礼を伝えると照れながらも笑ってくださいました。
楽しい気分でしたのに、ミニカステラを売っている店主がアルフレッド様に「そろそろ痩せろよ、坊ちゃん。そんなんじゃ嫁さんもらえねーぞ」などと失礼な事を言うんですのよ。
「人の容姿を口にする前に自分の弛んだお腹を気にしたらいかが?大体、体重の増加で結婚の有無が変わりますの?余計なお世話ですわ!」
思わず反論したらアルフレッド様は何故か微笑まれ、店主からは「怖いかみさんもらったなぁ」と笑われました。
お詫びにミニカステラを山盛りにしなくても結構よ。溢れそうになってるじゃないの。まったくもう。
後で聞けば「かみさん」とは奥方の事らしいですわ。
こ、婚約もまだですのにっ。なんて誤解されるような事を言うのかしら。
でも、私は心が広いから咎めなくてよ。
いずれ、そうなるかもしれませんし、ね。
ええ。可能性は高いのではないかしら。
……マグノリア・サジ・マークロウ………ふふふ。悪くないわ。
……いえ!なんでもないわ!
やっとデレた……。
誤字報告ありがとうございます(^^)