遅れて来た悪役令嬢
「アンバー!危ない‼︎」
来月には王立学園の入学式だというある日のこと、侯爵令嬢のアンバーは婚約者である王太子と狐狩りに出かけ、落馬するという不運に遭ってしまった。
王太子が追っていた兎が、アンバーの馬の足元をすり抜けようとし、驚いた馬が大きく前足を上げてアンバーを振り落としてしまったのだ。
アンバーは頭を強かに打ち、足の骨を折り、数日間意識が戻らなかった。
目覚めてからも、度々高熱を発し、足の骨の治癒にも数ヶ月、またリハビリにも数ヶ月かかるということで結局その年の学園への入学は見送ることとなった。
責任を感じてか、王太子は公務の日以外はほぼ毎日アンバーを見舞った。
リハビリにも根気よく付き合い、政略結婚であり、どちらかといえばアンバーの独りよがりだった二人の仲は急速に近付いた。
「アンバー、これは今王都で話題の小説だよ。今度舞台化されるから一緒に観に行こう」
「嬉しい!リハビリも家の中ばかりで退屈してましたの。殿下とお出掛け出来るなんて本当に楽しみですわ」
王太子は無邪気に喜ぶ婚約者を可愛いと思い、ますます通い詰めて世話を焼くようになった。
意識が戻った時に一切自分を責めず、逆に詫び、そしてこの身を案じてくれたアンバーを初めていじらしいと感じて以来、将来自分の横に並び立ち国を率いる者として強く意識するようになっていた。
「ところで殿下、学園の方はいかがですか?」
アンバーは努めて平静を装っていたが、その目には怯えの色があった。
「そうだね。授業はほぼすでに学んだものばかりであまり意味はないね。来年には生徒会長の職を担う予定だけど、それまでは、あまり面白味もないところだね」
――何しろ君がいないから
アンバーの耳に囁くように言ってウィンクする。
子供の時から王太子に恋しているアンバーは耳まで真っ赤に染まってしまった。
「あっあの、ご学友はいかがですか?確か宰相や騎士団長の御子息を始めとした有力貴族の子女が多く入学されてますよね」
アンバーは照れを誤魔化すように言った。
「そうだね、昔から知ってるだけに学園だからとどうこうはないかな。私も彼らも忙しいし」
興味なさそうな王太子の態度にアンバーは若干戸惑った。これでは欲しい情報は得られそうにない。
アンバーは落馬以降、度々夢で物語を見るようになった。
ピンクの髪の可愛い女の子が王立学園で王太子を始めとした有力貴族の子弟達と恋のゲームを繰り広げるものだ。美しく、リアルで、それでいて絵本のような不思議なものを、夢の中の自分は観て、一喜一憂している。
その中で、その女の子を邪魔するライバル的存在が不思議なことにアンバーと同じ名前で顔形も良く似ていた。
夢とは言え、あまりの頻度に予知夢かと不安に感じるようになったが、登場人物達は、元々の顔見知りばかりで、単なる妄想に域を出ない気もした。
唯一の手がかりはその女の子が学園にいるかどうか、夢の通りに関係が進んでいるのかだが、アンバーは誰にも相談できず、もちろん王太子からも聞き出せずにいた。
――まあいいわ。私の入学は来年で、夢とはすでにズレているし、殿下との仲も良好だし。
そうして時が過ぎ、終にアンバーは一年遅れで王立学園に入学した。
入学式を終え、王太子に呼び出され生徒会室に向かった。
するとそこには予想していたメンバーとは全く別の者たちがいた。
夢では宰相の子息や騎士団長の子息などが生徒会のメンバーにいたのだ。
「あら宰相子息のマルセル様や騎士団長のご子息のフリード様は生徒会入りなさらなかったのですね」
アンバーがそう言うと、王太子はわずかに眉を寄せた。
「彼らには期待してたんだけどね、」
王太子が続けて語ったことは驚くべきことだった。
マルセルやフリード、そしてその他数名の生徒と一人の教師が一人の女生徒を巡って争い、大きな騒ぎになったというのだ。
女生徒や教師は学園を去り、男子学生達も自宅で無期限の謹慎を言い渡されているとのことだった。
アンバーは自分が全くその話を耳にしていなかったことにも驚いたが、学園内の醜聞の為に緘口令が敷かれていると聞いて納得した。
――逆ハーエンド狙って失敗したのね。
そんな感想がアンバーの心の中で湧き上がったが、我に帰ると逆ハーって何?と疑問符がついた。
いずれにせよ、性に寛容でないこの国の貴族社会で複数の男性に愛想を振り撒けば、身を滅ぼすことは見えている。女生徒にその気がなかったとしても、醜聞は免れないだろう。
夢の中では王太子も少女に恋をしていたはずだが、なぜ当事者にならなかったのだろうと新たな疑問も湧いた。
「そんなにお綺麗な方だったんですか?」
王太子はますます眉間の皺を寄せて答えた。
「どうだろう。僕はその子のことあまり知らないんだ。この一年は公務の日以外は毎日君の元に走って行ってたし」
そう言うとアンバーの目を見つめ、優しく微笑んだ。
――そうだわ、夢では私があの子をいじめたことで殿下とあの子は近づいてたんだわ。
アンバーが入学を遅らせたことで、王太子はその女生徒と出会わずに済んだのだろう。
あの時落馬しなかったら、予定通り入学していたら夢の通りになっていたのだろうか?
いや、夢では二年生になっても物語は続いていたので、結局あれは予知でも何でもないただの夢だったのだろう。
アンバーはそう思い、あの夢を忘れることにした。
――いえ、あの夢を小説にしたら人気が出るのじゃないかしら‼舞台化なんかしてしまったらどうしよう!
幸せな妄想に一人相好を崩す婚約者に、王太子はそうとは知らず自分といるから機嫌が良いのだと解釈して、ますますアンバーを可愛いと思うようになった。
了
乙女ゲームの逆ハーが現実で起こったら普通の学校ではこうなると思う。