その3 マルティン・ボスマン
食事も終わり、今は食後のお茶の時間になっていた。
そういえば結局フロリーナは戻って来なかったな。そのまま宿に戻ったんだろうか?
あいつが俺の事をどう剣鬼に吹き込んだのか知りたかったんだが・・・
ちなみにこの町でフロリーナはお高い宿に泊まっているそうだ。何とも贅沢な話だ。
元が貴族だから一人で生活する事が出来ないんだろう。
実は最初に俺の所で部屋が借りられないか、マルティンから打診を受けた事があった。
もちろん断らせてもらった。
生活能力がないという時点でお断りだというのに、あんなうるさい女と毎日一緒に生活していたら俺の神経が参ってしまう。
「それで、自分で頼んでおいてなんだけど、マルハレータ嬢の階位上げの方法は考えているのかい?」
マルティンに聞かれて俺はチラリとシャルロッテの方を見た。
なぜ自分が見られたのか分からずに、キョトンとするシャルロッテ。
「実はシャルロッテの階位を上げるための計画を立てていたんだ。その方法を使えば多分いけると思う」
元々俺はシャルロッテの階位上げを考えていた。
マルハレータは現在階位4だという話だが、シャルロッテ相手に考えていた方法でも、多分それ程は問題無くいけるだろう。
しかし、本来自分の階位上げのための計画を先に他人に使われるのだ。シャルロッテとしては良い気分はしないはずだ。
俺はそこが気になって思わず彼女を見てしまったのだ。
「そうか。方法があるならいいんだ」
マルティンはそう言うと満足そうに頷いた。
ティルシアとシャルロッテもホッとしているように見える。
どうやら俺の考え過ぎでシャルロッテは特に気にしていないようだ。
とはいえ女は何が原因でへそを曲げるか分からない。注意しておくのに越したことはないだろう。
この間なんてうっかりティルシアの話を聞き逃しただけで、アイツ仕事中も口をきかなくなったからな。
仕方が無いだろう。こっちは装備の準備をしていた所だったんだから。
結局ティルシアが機嫌を直したのは半日後の事だった。
あの日は仕事にならずに大変だった。
「それよりマルティン。ダンジョンの調査の方はどういう予定になっているんだ?」
俺は自分の本心を悟られないように、なるべく何気ない風を装って尋ねた。
そう。これが今の俺の最大の関心事だからだ。
俺が本当に聞きたいのは”調査隊がダンジョンの最下層を目指すつもりかどうか”その一点だ。
俺が日本に帰るためには、最下層にいる原初の神の協力が必須だ。
そのためには俺は今後も原初の神を独占する必要がある。
もし調査隊が最下層を目指すというのであれば、俺はどんな手を使ってでも彼らを妨害しなければならない。
「予定も何もマニュアルがあるような事じゃないからね。いちいち手探りでやるしかないよ。今はひとまず彼らと一緒に上層を隅々まで調べて回っているところかな」
話の内容と違い、マルティンの言葉はどこか歯切れが悪い。
どうやら調査が上手くいっていないようだ。
俺にとっては朗報・・・なのだろうか?
「剣鬼の話だといつかは深層に下りるかもしれないんだろう? その時お前達はどうするんだ?」
そうだねえ。とマルティンは考え込んだ。
ダンジョンの七階層以降は深層と呼ばれている。
深層には厄介なモンスターが出現する。亡霊系のモンスターだ。
亡霊、と言っても本当に霊的な存在というわけではない。
そう見えるだけのモンスターで、こちらの攻撃は普通に通るし、むしろスペック自体はさほど高くはない。
しかし、ヤツらが厄介なのはその攻撃で、防具無効の直接攻撃を仕掛けて来るのだ。
これがどれほど危険かは言うまでもないだろう。
剣鬼が弟子の階位を上げようとしているのは、コイツらの攻撃に耐えられる体を手に入れるためだったのだ。
マルティンは階位3と聞いている。ダンジョン夫としてやれるほどの階位だが、亡霊系のモンスターを相手に出来るほどではない。
以前マルティンが深層で行方不明になった時、『安全地帯』のスクロールで身を守っていたのはそういう理由だ。
そして貴族の娘だったフロリーナはおそらく階位2だろう。
もっとも彼女はスキル『観察眼』の能力で危機察知能力は高い。だがそれでも深層を安定して移動できる程とは思えない。
つまりボスマン商会側からは深層には誰も案内を出せないという事になる。
「ハルトに行ってもらう・・・訳にはいかないよね。冗談だって」
俺に睨まれて慌てるマルティン。
だから俺が貴族に目を付けられるようなマネを自分からするわけがないだろうが。
確かに俺はダンジョンの中では限界突破で階位が上がる。
しかし、ダンジョンの外では階位1のクソザコでしかない。
そんな長所と弱点が誰かに知られたら、どう利用されるか分かったもんじゃない。
この異世界フォスの人間は基本的にロクなヤツがいない。
だから俺はフォスの人間を信じない。
これはこの世界で10年間生きて来た事で得た俺のルールであり自己保身術だ。
「その時が来たら考えるよ。一応ウチの商会の荒事専門の部署のメンバーに声はかけているしね」
結局何も分からずか。まあ行き当たりばったりの調査ならこんなものか。
取り合えずの所は、調査隊は積極的に最下層を目指している訳ではない、という事が分かっただけでも良しとするしかないか。
俺はカップを置くと立ち上がった。
「じゃあ明日の朝、剣鬼の弟子を迎えに来る。それまでに準備をさせておいてくれ」
「分かった。よろしく頼むよ」
俺は部屋を出ようとして、立ち止まった。
訝し気な表情になるマルティン。
「そうだ忘れていた。これも貸しだからな」
これもの中には、先日のシュミーデルの町でのクラン荒野の風の調査も含まれている。
マルティンは苦笑いを浮かべた。
「そこは僕を信じてくれないかな? これでも商人だから借り逃げはしないよ。信用はお金には変えられないからね。それにハルトとは今後も仲良くやっていきたいし」
「・・・だったらいい」
日本人転生者のマルティンは日本人転移者の俺に親近感を感じているようだ。
だが俺はこの世界で生まれ育ったマルティンを完全には信用していない。
いざとなればマルティンはこの世界を優先するだろう。
当たり前だ。この世界には彼の両親もいれば妻もいるのだ。
俺の軸足は今でも地球の日本にある。だが、マルティンは違う。
この異世界フォスこそが今のマルティンにとってのホームグランドなのだ。
俺にとってマルティンは日本の記憶を持つフォスの人間だ。
マルティンは日本人ではない。フォスの人間なのだ。
この世界では俺だけが異邦人だ。
俺はマルティンに頷くと今度こそ部屋を出た。
「・・・なんでお前がここにいるんだ?」
そこに立っていたのは一人の少女。
剣鬼クラーセンの弟子、マルハレータだった。
「クラーセン先生から階位を上げるまで帰って来るなと言われました」
・・・ちょっと待て。お前ひょっとして――
「あの、マルハレータ様。ひょっとしてハルトの所に泊まるおつもりなんですか?」
マルティンが俺の聞きたい事を先回りして聞いてくれた。
マルハレータの返事は単純だった。
「だったら私はどこで寝ればいいんでしょうか?」
俺が知るか! 俺は怒鳴りたい気持ちをグッと堪えた。
次回「面倒な押しかけ客」




