その2 剣鬼の弟子
ボスマン商会の建物に呼び出された俺達を待っていたのはティルシアの他はマルティンとフロリーナ。
そしてダンジョン調査隊の貴族の二人だった。
「それで・・・ そっちは俺に一体何をさせたいんだ?」
俺の疑問に剣鬼と呼ばれる老人、クラーセンが答えた。
「深層に入るには今のマルハレータの階位では物足りない。マルハレータには中層で階位を上げるように言ったが、いつまでたってもひとつも上げられない。そこでこのダンジョンに詳しい者の案内が必要だと考えたわけだ」
なるほど。ようやく話が見えて来た。
つまり剣鬼はこのダンジョンでの効率的な階位上げの方法が知りたいと言うんだな。
そのための場所なり相手にすべきモンスターなり、要はゲームで言う所の攻略情報が知りたいという訳だ。
こんな相談をされてマルティンもさぞ困った事だろう。
何せマルティンは――ボスマン商会はこの町で自分達の手足となるダンジョン夫をまだ抱えていないからだ。
最近はそうでもないが、ほんの少し前までは、この町のダンジョン夫共は全てデ・ベール商会に押さえられていたと言っても過言じゃなかった。
そもそもダンジョン協会自体がデ・ベール商会に頭が上がらないのだ。そこで働く俺達がデ・ベール商会に背けないのは当然だろう。
現在、ボスマン商会はダンジョン調査隊の協力を一手に引き受けている。
本来ならその位置にはデ・ベール商会がいたはずである。
デ・ベール商会としてはさぞ面白くない事だろう。いい気味である。
先月、俺達はマルティンの依頼で、シュミーデルの町のクラン・荒野の風に潜入調査を行った。
その間、マルティンは王都で八方手を尽くしてこの調査隊のスポンサーになる事に成功したらしい。
シュミーデルで揉め事が起こった時にマルティンが直接介入出来なかったのも、その根回しが最終段階に入っていて、どうしても王都を離れる事が出来なかったためらしいのだ。
さて。そんなわけでおそらく今、デ・ベール商会は何としてでもボスマン商会を蹴落とそうと、虎視眈々とスキを狙っているに違いない。
そんな中、もしダンジョン夫を調査隊に入れたとしよう。
そいつがデ・ベール商会の回し者だった場合どうだろうか?
そうでなくてもこの町のダンジョン夫は潜在的にデ・ベール商会の手先とも言える。
そいつが調査隊に内部でどんな事をしでかすか知れたもんじゃないだろう。
マルティンにはクソチートスキル『鑑定』がある。しかし、それが万能でない事は俺も荒野の風のリーダー・ケヴィンという男の例で知っている。
マルティンにとって絶対に安全なダンジョン夫。それは一度ならずデ・ベール商会の計画を阻止し、影でデ・ベール商会と敵対している俺しかいなかったのである。
俺が選ばれた理由は分かった。分かりはしたが・・・
俺は未だにしょげている少女――マルハレータの方を見た。
今は殊勝な態度を見せてはいるようだが、わがまま一杯に甘やかされて育った貴族の少女に付き合ってダンジョンに入る・・・か。正直言って願い下げだ。
一体どんな罰ゲームだと言いたくなる。
俺はマルティンの側に立つティルシアを見た。
ティルシアは我関せず、と傍観者の立ち位置を崩さない。
中層には既にティルシアも何度も仕事で入っている。
しかし、ティルシアはまだ自分の仕事を覚えている最中だ。他人を案内したり、アドバイスをするには知識も経験も足りていない。
もちろんシャルロッテは論外だ。まだまだ尻に玉子の殻の付いた駆け出しに過ぎない。
俺は心の中でため息を付いた。
どうやらここは俺が引き受けるしかないようだ。
どうも最近俺はマルティン絡みの仕事に振り回されすぎな気がする。
マルティンには早くこの町のボスマン商会の支店長になってもらい、俺を楽させて貰いたいものである。
「中層での階位上げの手伝い。条件は今の階位4から階位5に上がるまで。という事でいいのか?」
「・・・ほう。自信があるようだな」
しくじった。
俺は思わず舌打ちをしそうになった。
「俺にはとても出来ない」と断る選択肢があったんだ。
いや、断らないにしても、普通であればここは一度渋って報酬の引き上げを狙う場面だ。
それをあっさりと引き受けた事で剣鬼の興味を引いてしまったらしい。
馬鹿正直に引き受けた俺が迂闊過ぎたんだ。
「・・・自信なんてない。仕事の条件を確認したかっただけだ」
「ふん。まあいい。お前の言った通りだハルト」
くそっ。名前まで覚えられちまったか。最悪だ。
完全に俺の判断ミスだ。
俺のような最下層のダンジョン夫が貴族に名前を覚えられて良い事なんて一つもない。
ましてや相手はこの剣鬼だ。
今後どんなトラブルがあるか分かったもんじゃない。
俺は自分のマヌケさに歯ぎしりする思いがした。
「マルハレータ。お前はしばらくハルトの下で階位上げをしろ。階位が上がるか、俺がもういいと判断するまでは隊に戻る事を許さん」
「・・・分かりましたクラーセン先生」
しょぼくれるマルハレータ。
俺は面倒事の予感にため息をつきたくなった。
「それで、俺の用事はこれで終わったのか?」
ここでマルティンが俺を引き留めた。
「まだ僕から少し話したい事があるから隣の部屋で待っていてくれないか? クラーセン卿、先程の話ですが」
「ああ、あれでいい。明日からの事だが――」
マルティンと剣鬼が打ち合わせを始めたので俺達は隣の部屋に移る事にした。
部屋に入り、分厚いドアを閉めると俺はずっとこらえていたため息をついた。
「まさか子守りを任される事になるとはな・・・」
「大丈夫かい?」
俺はかぶりを振った。
「分からん。だがマルティンが俺を呼んだ以上、どのみち断れる依頼じゃなかったんだろう。全く。フロリーナのヤツ、剣鬼に一体何を吹き込んだんだ?」
剣鬼、という言葉にシャルロッテが大きく目を見開いた。
「剣鬼?! あの貴族の爺さんが?! 伝説の階位9じゃないか!」
どうやらシャルロッテの国にまで剣鬼の異名は鳴り響いていたようだ。
驚いてドアの向こうに目をやるシャルロッテ。
するとそのタイミングでドアが開いた。
まさか剣鬼が?!
シャルロッテはビクリと身をすくめた。
しかし入って来たのはマルティンとティルシアの二人だけだった。
「クラーセン様はフロリーナ嬢に送ってもらったよ。丁度いい時間だから食事をしながら話をしようか」
マルティンの提案に俺とシャルロッテは顔を見合わせた。
そういえばもうそんな時間か。色々とあったので忘れていたが、思い出すと急に腹が減って来た。
「分かった。詳しい事情を聞かせてもらおうか」
マルティンは部下を呼ぶと、この部屋に食事を運ばせるように命令した。
食事はまあまあ美味かったよ。
基本的にこの異世界フォスは俺のような日本人にはメシマズ過ぎる。
そこは日本人転生者のマルティンにとっても同様のようで、この料理からはマルティンの料理人に妥協しない強い姿勢がうかがわれた。
「まあ俺を選んだ理由は分かるつもりだ。それについては文句は言わない」
「助かるよ。まさかクラーセン様があんな事を言い出すとは思わなくて」
俺達は食事をしながらさっきの話を振り返っていた。
「それで、あのマルハレータって娘は何者なんだ?」
「彼女はロスバルデン伯爵の娘だよ。三女だったかな? クラーセン様は彼女の剣の師匠だね」
ロスバルデン伯爵家というのは歴代で何人もの宰相を出しているこの国の名門らしい。
なぜそんな名家の娘が剣鬼の弟子になっているかというと、どうやら剣鬼の方からマルハレータの師匠になる事を望んだんだそうだ。
「なんであの娘に?」
「才能、と言うよりスキルだね。彼女は珍しいスキルの持ち主なんだよ」
そのスキルとは『先読み』。
実は剣鬼もこの『先読み』のスキルの持ち主だと言うのだ。
剣鬼も年を取り、自分の技術を誰かに伝承しようと考えた。
しかし、自分の技は同じ『先読み』のスキルを持つ者にしか使いこなせない。――少なくとも剣鬼はそう考えた。
その時彼の耳に、伯爵家の娘に自分と同じ『先読み』のスキルが生えたという情報が届いた。彼はすぐさま伯爵の元を訪れて、娘を弟子に貰いたいと懇願した。
帝国にその名を轟かせる剣鬼からの直々の願いだ。伯爵は喜んで彼を雇い、娘の師匠になる事を許した。
こうして剣鬼クラーセンとその弟子マルハレータが誕生した、という訳である。
ちなみにダンジョン調査隊だが、マルハレータの親のロスバルデン伯爵が派遣している。
剣鬼はさっき「お前みたいな得体の知れぬ者を俺の隊に入れるか!」とか言っていたが、そもそもヤツらはマルハレータの部下であって、お前の隊じゃないじゃないか。
「『先読み』・・・ 聞いた事の無いスキルだな」
「剣術系のスキルで、かなり特殊なスキルと言えるかな。マルハレータ様に生えるまでは、この国でもクラーセン様しか持っていないスキルだったはずだよ」
スポーツ選手が極度の集中状態に入った時、圧倒的なパフォーマンス発揮する事がある。
これを”ゾーンに入る”と言うそうだ。
『先読み』はこの”ゾーン”を再現する能力なのだという。
「まるで相手の動きを先読みしているような動きをする事から、そう名付けられたみたいだね」
「・・・なるほど」
マルハレータは大人しい少女で、師匠であるクラーセンともあまり積極的に話をしないらしい。
いつも他人の顔色を窺っている陰気な少女で、マルティンもどちらかというと苦手なタイプなんだそうだ。
「おい! まさか自分が苦手だからって、俺に子守りを押し付けたんじゃないだろうな?!」
「そんな訳ないって。ハルトには悪いとは思ったけど、ホラ、ハルトはダンジョンではアレだろ? クラーセン様は僕みたいな弱い相手の言う事は聞かないから」
剣鬼の性格はあの短い会話だけでもハッキリと分かった。
強いか弱いか、それだけにしか価値観を持たない戦闘狂だ。
DQNがそのまま初老になった男、と言ってもいい。
階位9。生きる伝説。剣鬼。
クラーセンの偉業を言い表す呼び名は数多い。
しかしどうやらクラーセン自身は性格に問題を抱えているようだ。
輝かしい偉業によって、今まではそういった問題点が覆い隠されていたのかもしれない。
「そうは言うが、俺は階位1のザコだぞ」
「ダメかい? ダンジョンでちょっと見せてくれるだけでいいんだけど」
冗談じゃない。何で自分からわざわざ剣鬼に目を付けられるような事をしなきゃいけないんだ。
あまりこの話を続けるとマルティンのスキル『交渉術』で、その気にさせられかねない。
それにもう俺はマルハレータの世話を引き受けてしまったのだ。今更愚痴を言ってもどうにもならない。
俺はこの話をここで切り上げる事にした。
俺は仲間の様子を窺った。
シャルロッテは食事をしながらも俺達の話を興味深そうに聞いていた。
ティルシアは事前にある程度の話を聞かされていたのだろうか。面白く無さそうに食事を口に運んでいる。
いや、話の内容がつまらない訳ではないのだろう。
最近家で自炊をする機会が増えて俺の料理を食い慣れたせいか、近頃コイツは外で食事をする時はいつもこんな顔をするのだ。
次回「マルティン・ボスマン」