その1 剣鬼クラーセン
ダンジョンを出てダンジョン協会で仕事の報告を終えた俺とシャルロッテは、俺達を呼びに来たボスマン商会の男に案内されて、商会の建物までやって来た。
「ああ、来たかハルト」
そこで待っていたのはウサギ耳の少女ティルシアと――
「やあ、いらっしゃい」
「ごきげんよう。お久しぶりですハルト」
俺を見て笑みを浮かべる優男マルティンと、赤毛を肩の上で切り揃えた人当りのよさそうな女フロリーナだった。
マルティンの説明はいいだろう。ボスマン商会の跡取り息子。日本人転生者。チートスキル持ち。ティルシアの雇い主。そんな所だ。
こっちの女、フロリーナは以前、デ・ベール商会絡みの事件で少し面識がある。
彼女はこの辺りの土地を治める領主の娘だが、現在は母方の実家の方に戻っているらしい。
何がどういう経緯をたどったのか、彼女はあの一件の後、ボスマン商会に入ってマルティンの下で働く事になった。
その関係もあって、今はダンジョン調査隊に協力するべくこの町に来ているのだ。
そう。現在ボスマン商会はダンジョン調査隊に協力をしてダンジョンの変化を調べているのだ。
そのためマルティンはフロリーナを連れてわざわざ王都からこの町に来ているのだった。
俺は以前からどうもこのフロリーナという女が苦手なので、見かけてもなるべく近寄らないようにしている。
だがまあコイツらはいい。俺もコイツらがいると思ってここに来たからな。
「コイツらが話に出ていたダンジョン夫か? ふうん。確かに弱そうだ」
「・・・」
白髭の老人が俺達をジロリとねめつけた。
ただ事ではない眼光だ。俺の後ろのシャルロッテが緊張したのが伝わって来る。
全身高純度のミスリル製の装備で固めている事から、かなりの高階位だという事が分かる。
純度の高いミスリルの装備は適正階位が高いからだ。
老人のかたわらでコチラをじっと見ている少女は、派手な金髪のまだ幼さの残る少女だ。12~3歳といったところか。こちらも負けず劣らず全身ミスリルの装備だ。
初めからケンカ腰の老人と異なり、こちらは年齢の割には随分と落ち着いて見える。
二人は装備の上から同じ紋章の入ったマントを羽織っている。
今回のダンジョン調査隊を請け負ったロスバルデン伯爵家の紋章だそうだ。
そう。つまりこの二人は、現在この町を我が物顔で好き放題しているダンジョン調査隊の責任者共なのだ。
くそっ。なんだってこんなヤツらが・・・ と、いっても別に不思議はない。
さっきも言ったが、ダンジョン調査隊にはマルティンのボスマン商会が協力しているからだ。
ここに来ればコイツらに会うかもしれない。そう考えなかった俺が迂闊だったのだ。
本来であれば調査隊に協力するのは、この町のダンジョンに詳しいデ・ベール商会であるべきなのかもしれない。
しかし現在、デ・ベール商会にはダンジョン拡張の原因を作ったのではないかという疑惑が持たれている。
そんな商会を調査隊に加えるわけにはいかなかったのだろう。
――というのは表向きの理由で、実は裏で政治的な駆け引きがあったんじゃないだろうか?
まあ、だとしても、俺なんかが知っていい話ではないし、知りたいとも思わない。
お前達で勝手にやっていればいいさ。
なんにしろ一介のダンジョン夫に過ぎない俺が、伯爵家のやんごとなき連中に目を付けられて良い事なんて一つもない。
こうなると知っていれば、何とか理由をつけてこの場に来なかったんだがな。
俺はひとまず伯爵家の二人に頭を下げた。
俺の後ろでシャルロッテも頭を下げている気配がある。彼女の方が俺よりも落ち着いている様子だ。
実は彼女は元暗殺者で、貴族の家に使用人として潜入していた過去を持っている。
貴族の前に立つ事に慣れているんだろう。
もちろんマルティンやティルシアにとっても貴族の相手など日常茶飯事に違いない。
この中で俺だけが浮き足だっている。
こんな事なら来るんじゃなかった。
「ハルト。こちらの二人の事は知っているよね」
「ああ。それで俺に話とは何だ?」
俺の口の利き方が気に入らなかったのか、老人の眉がピクリと跳ねると剣呑な気配を放って来た。
「申し訳ありません、クラーセン様。ハルトは下賤の出なので貴人に対する礼儀を知らないのです」
マルティンの執り成しで引き下がる老人――クラーセン。
それでも俺を睨み付けるのは忘れない。
驚くほど短気な老人だ。
俺は仕方なくもう一度頭を下げておく事にした。
だが俺は内心の動揺が隠せない。
クラーセンという名に心当たりがあったからだ。
この老人が有名なあのクラーセンなのか?
まだ不満が残るのか、クラーセンはもう一度俺を睨み付けて来る。
本当に、いい歳をしてなんだコイツは? 貴族じゃなくてチンピラなんじゃないのか?
クラーセンのこういう態度には慣れているんだろう。
マルティンは気持ちを切り替えると用件を切り出した。
「ハルト。こちらのクラーセン様は君達を雇いたいと言っているんだ」
「どういう事だ? 俺にダンジョン調査隊に入れと言うのか?」
「誰がお前みたいな得体の知れぬ者を俺の隊に入れるか! 調子に乗るな!」
俺の返事が一度は収まったクラーセンの気持ちを逆なでしたようだ。
クラーセンがゆっくりと立ち上がった。
それだけでマルティンのそばに立つティルシアが緊張した。
俺の後ろのシャルロッテがゴクリと喉を鳴らした。
何と言えばいいのだろうか。老人とは思えないほどの鋭い気配がクラーセンからは発せられているのだ。
剣鬼クラーセン
俺ですら聞いた事がある有名人だ。
なる程。確かにコイツは”剣鬼”の異名に恥じない老人だ。
「お前の事はボスマン商会の者から聞いている」
俺は嫌な予感に背中にじっとりと汗が浮かぶのを感じた。
剣鬼はチラリとフロリーナの方を見た。
「そちらのフロリーナ嬢は大層お前を買っているようだったが?」
くそっ! そう来たか!
フロリーナは『観察眼』という厄介なスキルを持っている。
それほど強力なスキルではないのだが、俺はフロリーナに一度ならず階位が限界突破をした所を観られている。
本人は気のせいだと思っているみたいだったので、その時はそれで収めたのだが・・・
あの時に何か手を打っておくべきだったのかもしれない。
とはいえ相手は領主の娘だ。俺にどうしろという話なのだが。
どうやら剣鬼はフロリーナから何か俺の話を聞かされていたらしい。
どんな内容か激しく気になるが、まさかこの場でそれを問いただす事も出来ない。
俺は黙って剣鬼の話の続きを聞いた。
「知っての通り俺達はこの町のダンジョンの調査に来た。現状ダンジョンの拡大が確認されたのは上層と呼ばれる一~三階層に限っている。しかし調査次第ではダンジョンの深層まで下りる必要が出るかもしれない。だがマルハレータの階位では不安がある」
そう言うと剣鬼はチラリとかたわらに座る少女を見た。
それだけで少女――マルハレータは叱られた子犬のようにしょげ返った。
「そこでダンジョンの中で階位上げをやらせていたんだが、コイツはサボってばかりでちっとも階位を上げやしない」
「そ・・・ そんな事はありません! 私だってちゃんとモンスターと戦っています!」
はじかれたように顔を上げるマルハレータ。
「ならなぜまだ階位4のままなんだ?」
「そ・・・それは・・・」
剣鬼に睨まれて力を失くすマルハレータ。
しかし俺は驚きを隠せなかった。
少女がこの若さで階位4という事が信じられなかったのだ。
幼い頃から長年傭兵として戦っていたティルシアだって階位5なのだ。
本来、階位というのは一つ上げるのもそれ程大変なのである。
階位7や8ともなればこの国にも数えるほどしかいないと聞いている。
先日まで俺達がいたシュミーデルの町に、長年ダンジョン夫共の頂点に君臨するケヴィンという男がいた。
そのケヴィンの階位が7だったと聞けば、階位7に達する者すら少ないのが分かるというものだろう。
そしてこの剣鬼クラーセンは、ウソか本当か噂では階位9に達した男だと言われている。
今は加齢による肉体の衰えに応じて階位も下がっているはずだが、その全盛期には間違いなくこの大陸随一の剣士だったはずだ。
そして老人となってもこの男から発する剣気は衰える事を知らない。
剣鬼クラーセン
この男こそ間違いなく化け物なのだ。
次回「剣鬼の弟子」




