エピローグ 家に帰ろう
今回で第四章は終わりです。
俺達はかつて訪れたクラン・フェスタビンドゥンのクランハウスを訪ねていた。
とはいっても、今回の俺はティルシアのおまけだ。
かく言うティルシアもボスマン商会の代理人の護衛として来ているに過ぎない。
要はティルシアの手が離せないから代理人の護衛を兼ねて俺の護衛をしてもらっているのだ。
それほど今のシュミーデルの町は治安が悪化していた。
クラン・荒野の風のクランハウスの中でさえ安心出来ない程だ。
いや、むしろ荒野の風の中の方が荒れているくらいだ。
今までケヴィンの力で抑えられていた連中が頭を出し、日に日にケヴィン派と反ケヴィン派の反目が顕著になっているのだ。
ケヴィンとその孫娘アグネスという組織の二人のトップを同時に失ったのが痛かった。
フェスタビンドゥンのエーレンフリートが荒野の風の後見人になっていなければ、今頃内紛にまで発展していた事だろう。
「ケヴィンとアグネスの生存は絶望的ですか・・・」
エーレンフリートはため息と共に言葉を吐き出した。
この数日ですっかりやつれてしまっている。
元が優男なので、それが妙な色気になっているようにも見える。・・・まあそれはどうでもいいが。
コイツがこうなるのも無理も無い。三大クランで無傷だったのはこのクラン・フェスタビンドゥンだけだったのだ。
自然、エーレンフリートにかかる重圧は大きな物になっていた。
「そちらを疑う訳ではないですが、その判断は早すぎじゃないでしょうか? アグネスはともかく、ケヴィンは最下層を踏破した事があるダンジョン夫ですし、その時もこうして生存を絶望視した者が多かったと聞きます。でも彼は一ヶ月後にダンジョンから戻って来ました。今回だって――」
「残念ながら確かな筋からの情報です。訳あって出所は言えませんが、我々はケヴィンと彼の孫娘のアグネスが死亡したと確信しています。今後ボスマン商会は彼らがもう戻らないものとして行動します」
ボスマン商会の代理人はピシリとした服装の、いかにもやり手の企業家といった雰囲気の男だ。
代理人の言葉にティルシアがチラリと俺の方を見た。
ケヴィンとアグネスの情報をボスマン商会に報告したのはティルシアだが、そのティルシアに二人の最後を話したのは俺だからだ。
あの日俺は混乱の隙をついてダンジョン夫達の集団に紛れてダンジョンを出た。
とはいえティルシアにはバレていたようだ。彼女はクランハウスに戻って来ると早々に俺に説明を求めた。
「ケヴィンほどの男がモンスターにやられたのか? 信じられない」
「負傷した瀕死のアグネスを庇っていた。仕方が無かったんだ」
俺はケヴィンとアグネスが死んだという部分だけは正しく伝えたが、その死因に関してはウソをついた。
別に後ろめたくて言えなかった訳じゃない。
死因の説明をするためにはアグネスの正体を話す必要があったし、そのためにはダンジョン最下層についても話さなければならなくなるからだ。
上手くポイントをぼかして伝える事も出来たかもしれないが、その時の俺にはその判断が出来るだけの精神的な余裕が無かった。
迂闊に話せばどこかでボロを出しそうで自信が持てなかったのだ。
案の定、ティルシアは俺の作り話を疑っている様子だったが、俺がこれ以上話す気が無いと知ったのか、あっさりと引いて深入りする事はなかった。
コイツのこういうわきまえた所には助けられる。
「アグネスはモンスターにやられて負傷していた。そのアグネスを庇ったケヴィンはモンスターにやられた。ハルトが駆け付けた時にはすでに二人は助からない状態だった。これでいいんだな?」
「ああ。二人の死亡は確認した。死体はダンジョン最下層にあるはずだ。流石に人間二人の死体を背負って戻る訳にはいかなかったからな。装備の一部だけを持って帰った」
「それがコレか。分かった。マルティン様にはそう連絡しておこう」
俺は二人の血の付いた装備品を荷物から出して机に置いた。
あざと過ぎるし悪趣味だとは思ったが、俺の言葉だけよりは説得力があるだろう。
しかし、同じウソをつくにしても、何故俺はこんな見え透いたウソをついたのだろうか?
案外俺は、アグネスの命をかけてまでケヴィンの命令を守った気持ちが少しでも報われて欲しかったのかもしれない。
その願望が作用してこんな形のウソになったのではないだろうか?
そう考えた時、俺の心に言いようのない痛みが走った。
「ハルト?」
「いや、何でもない」
そう、何でもない。俺には関係ない事だ。
俺は突然無性に日本が恋しくなった。
帰りたい。こんな切った張ったが当たり前の世界ではなく、あの平和な母国に。
「それで結局ケヴィンはボスマン商会を裏切っていたんだろうか?」
「・・・そういえば、そんな話だったな。色々あってすっかり忘れていた」
ティルシアは俺の間の抜けた返事に呆れて言葉も無い様子だった。
結局、ケヴィンにマルティンを裏切る意思はなかったと思う。
元々その話をボスマン商会に持って来たのがクラン・ドルヒ&シルトのリーダーのエミールだったからだ。
エミールは前々から自分達のクランがケヴィンに代わってボスマン商会に取り入って、ダンジョンの利権を独占したいと考えていた。
そこで根も葉もない噂を自分達寄りのボスマン商会の人間に吹き込んだのだ。
どうやらドルヒ&シルトにミスリルの装備を売るように手配したのも、その男だったようだ。
言うならば今回の騒動の遠因を作ったのも、直接の原因を作ったのもエミールとその男だったという事になる。
エミールはダンジョンで命を落とした事でその罪をあがなった。
ボスマン商会のその男も己の軽率な行為の報いを受けるべきだろう。
「そうは言っても彼のやった事は罪とは言えないぞ。ケヴィンがマルティン様を裏切っているという情報を聞いて、伝えない方が商会の人間としては問題だし、装備を売った相手だって、三大クランのクランリーダーだ。これでは売らないという方が逆におかしいだろう」
ティルシアにそう言われて俺は何も言い返す事が出来なかった。
だがせめて、マルティンの男に対する心証が悪くなって閑職に回される、程度の事はあって欲しいものだ。
「まあ、そのくらいなら私の方から言っておくよ。ハルトには今回無理を聞いてもらったしな。マルティン様もきっと悪くはしないさ」
釈然としないものはあったがこれ以上俺に出来る事は何も無い。
俺は不満を飲み込んでティルシアに曖昧な返事を返した。
クラン・フェスタビンドゥンのクランハウスの外に出ると、もう昼を回っていた。
俺達はボスマン商会の代理人を送ってからクランハウスに戻る事にした。
現在フェスタビンドゥンはドルヒ&シルトの残党を吸収した上に、荒野の風も実質傘下に収めた事でかつてないほどの最大手のクランに成長している。
今回の一連の流れで傘下になったクランやチームも含めれば、実質フェスタビンドゥンが――エーレンフリートがこの町のダンジョン夫を支配していると言ってもいいだろう。
当然ボスマン商会としては今後もエーレンフリートと交渉を重ねる事になるだろう。
しかし、エーレンフリートの反応は芳しく無かった。
エーレンフリート自身が現状を良しとしていなかったのだ。
「僕はこんな巨大なクランの上に立つ器じゃないよ」
そう言ってむしろ組織の整理にかかっている様子だった。
エーレンフリートの考えの通りになるなら、近いうちにフェスタビンドゥンはいくつかの中小クランに分かれる事になるだろう。
エーレンフリートはそれで良いと考えているようだ。
「そもそもケヴィンのような規格外がいたからこんな事になっていたんだよ。本来ダンジョン夫は大手クランに収まって大人しくしているような人種じゃないからね。それぞれが独立独歩、我の強い人間の集まりなんだから」
大手クランを率いて来たエーレンフリートの言葉には誰も逆らえない説得力があった。
おそらく毎日のようにダンジョン夫達の身勝手な言動に悩まされ続けて来たんだろう。
そんな状態でもクランとして纏まっていたのは、ケヴィンの作り上げた荒野の風という輝かしい成功例に町のみんなの目がくらんでいたからかもしれない。
集団催眠状態というべきか、ある種の酩酊状態だったというべきか。
そしてケヴィンのいなくなった今、彼らはダンジョン夫本来の姿を取り戻しつつあった。
ボスマン商会が今後どのクランとどういった契約を結ぶのかは分からない。
それはマルティンが考えるべき問題であって、俺が心配してやる筋合いではない。
俺達はやれるだけの事はやった。もうスタウヴェンの町に戻る頃合いだろう。
「俺達はもうこの町にいる必要は無いんじゃないか?」
「そうだな。明日この町を出て家に帰る事にしよう」
明日かよ! 相変わらずティルシアの行動力と思い切りの良さには驚かされる。
だが今はティルシアのそんな竹を割ったような性格が不思議と心地良かった。
それにしても、家に帰る――か。
何故かティルシアの言ったその言葉は、何の抵抗も無く俺の胸にストンと落ちた。
転移してからずっとスタウヴェンの町から離れていなかったせいだろうか? 何度も逃げ出したいと思っていたはずのあの町に戻る事を、この時の俺は当たり前の事のように受け止めていた。
ちなみにこの後、クランハウスに戻った俺達が明日町を出るという話をした途端、俺の料理にハマった連中による盛大な引き留めに会う事になるのだが、それは今は置いておこう。
その時ふと香ばしい匂いがして俺は足を止めた。
「シャルロッテの土産に煎り豆を買って帰るか」
「そうだな。それがいい」
店の親父はティルシアの幼い容姿を見て豆をサービスしてくれた。
ティルシアはお返しに愛想笑いをサービスした。
ちゃっかりしている。いや、本当に嬉しかったんだろう。コイツの好物だからな。
俺はまだ温かい豆を一つまみ取ると口に放り込んだ。
程よい塩味と鼻を抜ける豆の香りはいつも通りの安定の美味さだった。
やっぱり美味いよな。
その時俺の頭の中にあの日聞いた女の声が浮んだ。
――ハルトの作るスープは美味しいってみんな言っているもの。そのハルトが勧めるくらいなんだから、この煎り豆だって本当はきっと美味しいのよね――
彼女はそう言うと寂しそうな表情を浮かべた。
「どうしたハルト?」
「・・・いや、何でもない」
もう俺はこの町に来る事は二度とないだろう。
俺は豆の袋をティルシアに渡すとクランハウスに向かって歩き出した。
ティルシアは渡された豆をひと口頬張ると俺の後に続くのだった。
第四章は今までと異なり、章のヒロインの主観をほぼ挟まないというイレギュラーな構成になりました。
お話の分かり易さとネタバレを避けるためにこの形になりましたが、いかがでしたでしょうか?
まあブックマークや総合評価の伸びが微妙だった時点でお察しなんですが。(苦笑)
次章は舞台を元の町に戻す予定ですので、いつもの形で出来ればと思っています。
最後に、多くの作品の中からこの作品を読んで頂きありがとうございました。
楽しんで頂けた方は、評価とブックマークの方をよろしくお願いします。