その21 リーダーの孫娘アグネス 創造物
◇◇◇◇創造物××××の主観◇◇◇◇
私が目覚めた場所はダンジョンの最下層だったの。
私は誰に教えられるでもなく、生まれつきその事を知っていたわ。
「目覚めたか。私の事が分かるか?」
そこにいたのは年を取った人間の男だったわ。
「肯定。あなたは私の造物主です」
「その言い方は良くないな。私の事はお爺様と呼びなさい」
「肯定。お爺様。お爺様は私の造物主です」
「そういう意味で言ったのではないのだが・・・ まあいい。おいおい直していけばいい」
人間の男――お爺様はそう言うと禿げあがった頭をつるりと撫でたの。
私はそのまま10日ほど、ダンジョンの外に出るための最低限のレクチャーを受けたわ。
「そろそろ外に出しても良いだろう。分かっているね?」
「ええ、もちろんよ、お爺様」
私はお爺様の孫娘の――今となっては私の――装備を身に着けたの。
「私はダンジョンでケガをして記憶があやふやになっている。そういう演技をすれば良いのよね?」
「そうだ。しかしこうやって他人に教えてみると、私は孫娘の事を何も知らなかったんだな」
お爺様はそう言うと少し複雑な表情を浮かべたの。
「まあいい。今となってはお前が私の孫娘だ。頼んだぞアグネス」
「はい、お爺様」
それから私はお爺様の孫娘アグネスとしてクラン・荒野の風の副リーダー的な仕事を続けたわ。
最初は上手くやれなかったけど、みんな私の演技に騙されたのか、まるで腫れ物を触るような扱いをしてくれたので、どうにか怪しまれずに済んだわ。
もちろん中には変に私を勘繰る人もいたけれど、そういった人はお爺様が上手い具合に理由を付けてクランから追い出してしまったわ。お気の毒様。でも先にちょっかいを出したあなた達がいけないと思うわ。
私はお爺様の命令で孫娘のふりを続けたけど、やっぱり人間の町にいるよりもダンジョンの中にいる方が落ち着くのよね。
幸いお爺様のクランの仕事はダンジョンに関するものだったから、私は無理なく毎日ダンジョンに入る事が出来たの。
あ、困った事といえば、人間って食事という形で体に必要なエネルギーを取り入れるのよね。
私はダンジョンに満ちるマナを吸収すればエネルギーには事足りるから、食事を摂らないのを上手く誤魔化すのには苦労したわ。
こんな風に時々小さなトラブルがありながらも、私は上手く演技を続けていたの。
お爺様も概ね満足されていた様子だったわ。
ただ一つ問題があったのは、ダンジョンの中で人間に対する殺戮衝動が湧いてくる事くらい。
それでもしばらくは我慢していたけど、ある日ふと意識が遠のいたと思ったら、目の前に切り殺された死体が転がっていたの。
私は血の付いた剣を手に持っていたから、多分私が殺してしまったのね。
私は慌ててダンジョンを出るとお爺様に相談したわ。お爺様は少し考えてこう言ったの。
「あまり長くダンジョンにいると、私の与えた条件付けが緩むのかもしれません。本能に従って人間を襲ってしまったのでしょう。ダンジョンに入るのは少し控えた方がいいかもしれませんね」
私の犯行は”辻斬り”という謎の犯人が起こした事件として捜査されたわ。
捜査を指揮しているのがお爺様である以上、私までたどり着く事は無かったけどね。
お爺様はああ言ったけど、私はダンジョンに入らないとエネルギーが補充出来ずに死んでしまうわ。
結局この後も、ダンジョンに入った私は度々人間を切り殺すようになってしまったの。
そんなある日、私はあの人に会ったの。
お爺様のクランは多くの人間が所属しているせいもあって、結構人の入れ替わりも多いの。
あの人はそんな人間の中にコッソリ混ざっていたわ。
すごく気配が薄くて、私も最初はその事に気が付かなかったの。
「それは誰の事だね?」
「まだ若い男よ。最近クランに入ったって聞いているわ」
「・・・ああ、ボスマン商会の推薦で入った彼ですか」
お爺様はそれ以来何かとあの人を気にするようになったわ。
私は正直あまり関心が無かったけど。
だって気配はほんの少しだったんだもの。
そんな私の認識が変わったのはダンジョンであの人を見かけた時だったわ。
その日、あの人はネコ科獣人のダンジョン夫と一緒に、ダンジョンの上層で採取をしていたの。
私は最初自分の眼を疑ったわ。ハッキリとあの気配を感じたもの。
気が付いてしまえばすごく目につくようになったわ。
不思議な事に、あの人はダンジョンの外では急にあの気配が薄くなるの。
これなら今まで私が気にしなかったのも当然だわ。だってあの人は”料理人”として雇われていて今までダンジョンに入らなかったんですもの。
私がお爺様にその事を話すと、お爺様はさらにあの人に対する関心を深めた様子だったわ。
「ダンジョンの中で気配が強くなる、ですか。ふむ。試しに何か理由を付けて、彼と一緒にダンジョンに入ってみるのも良いかもしれません。その時はお前も一緒に来なさい」
「ええ、分かったわ」
その機会はすぐにやって来たわ。
でも結局、あの人はお爺様のお眼鏡にはかなわなかったみたい。
「一緒にダンジョンに入ってみたものの、私には何も感じられませんでした。お前を疑う訳ではありませんが・・・余程上手く隠しているのかもしれませんね」
「きっとそうよ。私も最初は気が付かなかったくらいだもの」
あの人の名前はハルトという事が分かったわ。
どうやら最近クランの人間達の間で話題になっている”すごく美味しいスープ”を作っていたのが、ハルトだったみたい。
今までその料理人とハルトが頭の中で結び付いていなかったわ。
私は食事を摂らないけど、ハルトが作る美味しい料理というものに凄く興味が湧いたわ。
好奇心に負けて、コッソリ一皿手に入れて口に含んでみたけれど・・・
やっぱり何の味もしなかったわ。
それはそうよね。私の体は人間に似せてあるもののあくまでもまがい物に過ぎない。
必要のない機能――食事に関する内臓器官等――までは再現されていないもの。
この時私に、ある感情が初めて芽生えたの。それはお腹に石を飲み込んだような、心が締め付けられるような感覚・・・
そして唐突に私は、あの時――私は孫娘の事を何も知らなかったんだな――と呟いた時、のお爺様の表情を思い出したの。
今の私もきっとあの時のお爺様のような表情をしているはずだわ。
私はこの時、初めて”寂しい”という感情を学んだの。
それから数日後、部屋にいた私は突然ハルトの強い要請を感じたの。私はいていてもたってもいられずにお爺様の部屋に駆け込んだわ。
「お爺様いらっしゃいますか? きゃっ! あら、ハルト。お爺様――リーダーとの用事はもういいの?」
「食事を届けに来ただけだ。もう済んだ」
ハルトはそう言うと私を押しのけて部屋を出て行ったわ。
お爺様と何があったのかしら?
そんな事があってから、私はさらにハルトから目が離せなくなったの。
そして今。ここはダンジョンの最下層。
私が生まれた場所でもあるわ。
今私はハルトの腕の中で息を引き取ろうとしているの。
私はお爺様から与えられた命令を守るため彼に襲い掛かったわ。
そうして切り合った結果、私の体はハルトのナタに切り裂かれてしまったの。
痛みは無いの。胸が熱い。ただそれだけ。
私はもうじき死ぬのね。
自分が生まれた場所で今度は死ぬ事になるなんて、何だか不思議な気分。
ハルトは強かったわ。それこそあり得ない程。
どうしてそんなに強いのか聞いてみたかったけど、喉に血が詰まってもう息すら出来ないわ。
もうハルトとお話出来ないなんて本当に残念だわ。
するとハルトが私に口づけをしたの。
これって人間の恋人同士がする行為じゃないの? 私はハルトの恋人だったの?
私は焦点の合わない目で、口の周りを私の血で染めたハルトを眺めながら、ハルトと恋人同士だったら嬉しいな、などとぼんやりと考えていたわ。
造物主がお爺様で、お爺様と同じ存在のハルトが恋人。
この世で一番価値のある物を私が独り占めしているみたい。
その想像は消えゆく私の心を不思議な温かい何かで満たしたの。
ああ、死にたくない。折角ハルトと恋人になれたのに。
けど、流れる血と共に私の意識も次第に薄れて行くの。
ハルトは私に何を叫んでいるの? 私のぼんやりとした頭ではもうそれすら理解できない。
ハルトの苦しそうな顔を見て、私はハルトと町の市場に出かけた日の事を思い出したの。
あの日、煎った豆を食べたけど味が分からないと私が言うと、ハルトは丁度今のように辛そうな表情を浮かべたわ。
あの時嘘でも「美味しい」って言ってあげれば良かった。
そうすればハルトもきっと笑ったはずなのに。ごめんなさいねハルト。
一度でいいから・・・ハルトの言う美味しい物食べたかったな。
それが私の心に浮かんだ最後の思いだったわ。