その8 指揮官の男
「そこにいるのはボスマン殿ですか?」
さっき俺達を誰何した駐留兵が問いかけてくる。
マルティンは保存食を置いて立ち上がり、そいつに自分の顔が見えるようにした。
「はい。私がマルティン・ボスマンです。」
「そこの人達は?」
「彼らは僕を助けにきてくれた者達です。女性の方は商会の者、男性の方はこの町のダンジョン夫ですね。」
俺はゆっくりと立ち上がろうとした。が、ティルシアが俺の服を掴んでそれを止めた。
見るとマルティンも横眼でこちらの動きを制している。
何か考えがあるのか?
俺は一先ずこの場は二人の言うことを聞いて様子を見ることにした。
二人のやりとりに焦れたのか、奥にいた指揮官が部下を乱暴に押しのけながら前に出た。
例の気に入らない指揮官だ。
そいつは俺達をじろりと見まわし大きくため息をつくと、やれやれとばかりにわざとらしく肩をすくめてみせた。
「ボスマン殿。やはり生きておられたのですな。」
「ええ。幸運にも。」
男は「幸運ですか。」と言うと、一緒にいた駐留兵達に向き直った。
「貴様らは上に残った者達に連絡しろ。ボスマン殿は無事見つかったとな!」
命令された駐留兵は中層へと走って行く。
残ったのは指揮官を含めた4人だけだ。
「あの3人がご主人様についた護衛の者達です。」
ああ、なるほど。つまり全員が事情を知らされていたわけではなかったんだな。
コイツは4人では深層までたどり着くのが困難だと考え、事情を知らない部下にはあえて何も知らせずに人海戦術でここまで来たというわけだ。
おそらくさっき言っていた、上に残った者達、というのは、どこかでマルティンと行き違いにならないように安全な階層間の階段に残してきた者達の事だろう。
要するに、今ここに残った者だけが今回の件に関わっているメンバーなのだ。
「さてボスマン殿、我々が何のために残ったのかはお分かりでしょうな。」
「私の護衛、というわけでは無いのでしょうね。」
指揮官は気取った仕草で顎髭を撫でつけた。
「聡明で名高いあなたのことだ。すでにご自身の立場はお分かりでしょう。お気の毒なことに、この町にはあなたの商会に来て欲しくないと考える者達がいるのですよ。」
「一昨日、僕がそちらの方達に襲われたのも、その人達の意向でしょうか?」
指揮官は顎髭を触る手を止めると、ギョロリと目を見開いた。
なんだろう、私はこのポーズが絵になるのだよ、とか考えてそうな態度だ。
とんだナルシストだな、コイツは。
「残念ながらその質問にお答えする資格を私は有しておりません。ですが、我々は我々を使う方々の手足にすぎないとだけお答えしましょう。できれば優秀な手足でありたいと常々考えてはおりますが。」
そう言うと指揮官の男は、パッとキザにマントを跳ね上げ、腰に履いた剣に手をかけた。
「今回の件は部下の失態でした。しかしそれも私自らが動かず済ませようと考えた放漫によるもの。己が罪から目をそらさず自らの至らぬ行いを謙虚に受け入れた私にはもう失敗はありません!」
シャラン! 剣を抜く音が階段に響き渡る。
ミスリルの剣。
普通の剣とは纏う雰囲気が違う。おそらくプラス装備だ。
だとすればおそろしく高価な代物だ。代官辺りから貸し与えられた装備だろうか。
同時に男の配下も剣を抜き放った。
こちらは駐留兵の標準装備である鋼の剣だな。
指揮官の男は俺達の顔を順に見渡した。
「あなたを助けに来たお二人には気の毒ですが、ここで見逃すわけにはいけません。この場に居合わせた不幸を恨むのですな。」
ククククッ配下の男達の口から忍び笑いが漏れる。
・・・なんだろうこの三文芝居。非常に苦痛なんだが。
俺は舌打ちを堪えて大きく息を吐いた。
一体いつまで俺はこんなモノを黙って聞いてなきゃいけないんだ?
コイツら全員悪役の演技にでも酔っているんじゃなかろうか。
イラつく俺の横でティルシアが立ち上がった。
「ご主人様、そろそろよろしいのでは?」
マルティンが頷く。
「そうですね。彼の人となりはある程度分かりました。どうやらこれ以上のことは話して頂けそうにありませんね。」
ああ、なるほど。コイツの三文芝居に付き合っているようで、マルティンは自身のスキル「交渉術」で有用な情報を引き出そうとしていたのか。
もちろん代官が実行犯でデ・ベール商会が黒幕なのは最初から分かり切っていたことだ。
マルティンは、実際にはこの件に関わっているもののここにはいない人間や、今回の件を裏でいろいろと手引きした人間や、そういった背後関係の具体的な情報が欲しかったんだろう。
だがコイツは自分に陶酔していて、そういったものを死んでも話しそうにない。
そもそも知っているのかも俺には疑問だが。
俺が代官ならこんなヤツに全てを説明するなどありえない。
そもそもこんなヤツを近くにおく気にもならないだろうが。
ティルシアが細身の剣、レイピアを構えた。
コイツはさっきのモンスターハウスの部屋に落ちていた物だ。
いわゆるドロップ品というヤツだ。
深層のモンスターを倒した時、極まれにこういう「お前こんなの持ってなかっただろう」という品を落とすことがある。
あのモンスターハウスにはバカみたいに白い亡霊共がいたからな。そりゃあドロップ品くらい出るさ。
ミスリルほどではないが、鋼鉄製でなかなか良い作りの剣だ。売ればそれなりに値の張る逸品だろう。
この剣を一目見た時から、ティルシアが目を輝かせフンフン鼻息を荒くしていたので、可哀想になってくれてやったのだ。
どのみちマルティンの護衛のためにティルシアに武器はあった方がいいからな。
さて、俺もーーーそう思って俺が立ち上がろうとしたその時、
階段の上、中層から男の悲鳴とザワザワという音が聞こえた。
ただならぬ気配に全員の目が階段の上に向けられた。
クソっ!! あいつらやってくれたな!!
「どけ!」
俺は目の前の邪魔な駐留兵をぶっ飛ばす。男は勢い良く壁にぶつかりーー壁に血の花を咲かせたみたいだが、今はそれどころじゃない。俺は振り返らずに階段を駆け上った。
後ろで誰かが何かを叫んでいるようだがそれも知ったことじゃない。
俺は階段から飛び出すように6階層に降り立った。
その俺の目に入ってきたのはーーー
壁といい床といいウゾウゾ蠢めくダンジョンと、その中に沈みつつある男の腕。すでにピクリとも動いていない。
手甲の意匠から見て、ダンジョン駐留兵だ。おそらくさっき階段を上がっていったヤツらだろう。
グチャグチャと肉が咀嚼される音が響く。なのに男の腕は動かない。
とっくに死んでいるからだ。
くそっ・・・胸糞悪い。
俺は舌の奥に苦いものを感じた。
「ひいっ! なんだこれは!」
背後の階段から指揮官の男の悲鳴が上がった。
ようやく俺の後に続いて上がって来たらしい。
蠢く床はよく見ればビッシリと床を覆いつくした無数の巨大百足だ。
そう、コイツらは駐留兵にトレインされて来た6階層のモンスターなのだ。
巨大百足の名は群体百足。
この6階層で最も注意が必要なモンスターだ。
コイツは中層ではほぼ唯一単独で行動する珍しいモンスターだ。
デカさの割に、強さは6階層のモンスターの中ではそれほどでもない。
だが、コイツのやっかいなところは、うかつに攻撃するとどんどん仲間を呼びやがるところだ。
それを防ぐには頭を最初の攻撃で潰さなければならない。
おそらく駐留兵共はたまたま出会った一匹に無造作に切りつけたんだろう。だがコイツは胴体を二つにされたくらいではそう簡単には死なない。
そうやってモタモタしているうちに次々に仲間を呼ばれ、上の階段への道も塞がれ、やむを得ずコイツらは助けを求めてここまで引き返して来たのだろう。
ーーー群体百足の群れを引き連れて。
「下がってろ! 小型種に穴と言う穴から入りこまれるぞ!」
群体百足には人の胴体ほどの太さの大型種と、普通の百足を大ぶりした程度のサイズの小型種がいる。
コイツらは同時に襲い掛かってくるため、大型種を相手にしている間に小型種にまとわりつかれる事になる。
小型種は防具のあらゆる隙間から入り込み、獲物のケツの穴やケガをした箇所から獲物の体内に潜り込む恐ろしいヤツだ。
もちろん小型種に気を取られすぎると、大型種が素早く獲物に近付いて鋭い顎で噛み付いてくる。コイツの顎には毒があり、激しいショックと激痛が噛まれた者を襲う。
絶対に数を集めさせてはいけない危険なモンスターなのだ。
「下がれマルティン!」
「どうするつもりですか?」
マルティンが顔面蒼白になりながらも俺に問いかける。
基本的にモンスターは縄張りを外れない。階層間の階段は安全地帯なのだ。
だが、それも通常状態のモンスターの話だ。
こんな状態では階段も決して安全とは言えない。
マルティンが怯えるのも無理はないだろう。
「俺が階段の入り口に陣取って入ってくるヤツを切り殺す。ある程度数を減らした後はうって出て根切りにする。」
「そんな事が出来るものか!!」
指揮官の男が裏返った声で怒鳴った。
だったらどうするんだ? 黙ってコイツらに食われるのか? そんなの俺はゴメンだぞ。
俺にはコイツは何が言いたいのかさっぱり分からん。
「彼に任せるんです。」
マルティンが言った。
「彼の今の階位は23です。」
次回「群体百足」