その18 ドルヒ&シルトの崩壊
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何だ? 一体何が起こっている?
クラン・ドルヒ&シルトのリーダー・エルマーは焦りの表情を浮かべた。
最初は順調にモンスターを蹴散らしていた彼らだったが、一向に減らない数の暴力に次第に押し込まれつつあった。
もしハルトがこの場にいれば、「まるでモンスターの集団暴走だな。全く、ゲームやファンタジー小説じゃあるまいし」とでも言ったことだろう。
「エルマーさん、助けて下さい! 仲間が三人もやられた! もう持ちこたえられない!」
「うるせえ! そっちで何とかしやがれ! 俺の体は一つしか無いんだよ!」
悪態をつきながらも目の前のモンスターに剣を振るうエルマー。
ミスリルの白銀の装備も、今ではモンスターの返り血を浴びてすっかり赤黒く汚れている。
エルマーは近くの仲間に近付くとコッソリ声をかけた。
「おい、エミールはどこに行ったか分かったか?」
「いえ、北の通路に向かった所までは分かってますが」
「チッ! 何をしてやがるんだアイツは」
思い通りにいかない事態に舌打ちをするエルマー。
「ドルヒ&シルトの仲間に声をかけろ。エミールが見つかり次第、一度上の階まで引くぞ。傘下のチームのヤツらが持ちこたえられている今が最後のチャンスだ」
それは逆に言えば傘下のチームを見捨てて行くという事だ。
リーダーの非情な決断に仲間は驚いて目を見開いた。
しかし、エルマーに睨まれては否とは言えない。そもそも彼だって自分の命が惜しい。それほどこの場の状況は時と共に悪化しつつあった。
「エルマーさん! エミールさんが戻って来ました!」
「来たか! よし、仲間に連絡を入れろ! 大至急だ!」
こうしてクラン・ドルヒ&シルトは傘下のチームのほとんどと、仲間の一部を犠牲にする事で、辛うじて安全地帯である階層間の階段まで撤退したのであった。
モンスターは階段にまで押し寄せて来たが、通路で戦っていた時よりはその勢いは削がれていた。
先程と違って人数が纏まった事もあり、ドルヒ&シルトは階段入り口に防衛線を敷いて、危なげなくモンスターの襲撃を防いでいた。
エルマーは防衛線が安定した事を確認すると、階段を上がって一つ上の階層に出た。
そこには負傷した仲間と、彼らを怒鳴り散らしているミスリルの装備の男がいた。
「エルマー! エルマーはどこにいる!」
「どうした兄弟、派手にやられたな」
痛みに顔をしかめて叫ぶエミールにエルマーが声を掛けた。
エミールのミスリルの装備は胸の部分が大きく損傷していた。
一体どんなモンスターの攻撃を受ければ、ミスリルの装備がこれほど破損するのだろうか?
「モンスター?! 馬鹿言ってんじゃねえ! 辻斬りだ! アグネスにやられたんだよ!」
「何を言ってるんだ? 兄弟」
エミールの話は信じがたい内容だった。
アグネスこそが彼らの捜していた”辻斬り”で、彼女に襲われて仲間は全滅したと言うのだ。
「兄弟、本当にアイツが辻斬りだったのか?」
「俺を疑うのか?! あの切り口は間違いねえ! アグネスが辻斬りの正体だったんだ!」
「それは困りましたね」
「! 誰だ!」
背後から太い声が響き、エミールはハッと振り返った。
そこに立っていたのは五十がらみの禿頭の男。
「ケヴィン・・・」
「テメエ! テメエの孫娘のせいで俺の仲間が――」
ケヴィンの手から目にも止まらぬ速さで突き出された剣先は、エミールの大きく開いた口腔に突き立てられていた。
「ゴボッ・・・ ガ・・・」
その場に崩れ落ちビクビクと痙攣するエミール。
「「「ひっ! うわあああ!」」」
周囲にいた怪我人は先を争うようにケヴィンから距離を取った。
「ケヴィン・・・テメエ・・・」
「無謀な挑戦を窘めるだけのつもりでしたが、見てしまったのなら仕方が無い。クラン・ドルヒ&シルトには今日で消えてもらう事にしましょう」
「ふざけんな!」
エルマーの剣がケヴィンに叩きつけられた。エミールの血の付いた剣で受け止めるケヴィン。
ギャン! ケヴィンの剣が金属の削れる音をたてた。
「ミスリルの剣――私のものより純度が高いようですね。全く、ボスマン商会も余計な物を売ってくれたものだ。それがあなた達の自信の源ですか」
「余裕ぶっこいてんじゃねえぞ!」
エルマーの剣戟を今度は正面から受ける事無くいなすケヴィン。
驚くべき技量だ。
ダンジョンの中に金属のぶつかる甲高い音が響き渡った。
「戦闘の連続で大分疲れていたみたいですね。もう息が上がっていますよ?」
「ハアハア・・・ う、うるせえ! て、テメエこそいい歳じゃねえか! いつまでも俺の攻撃が――ぐはっ!」
ケヴィンは体を引いてエルマーの剣を避けた――と見せかけて片足を残していた。
まんまと罠に引っかかり、ケヴィンの足に躓くエルマー。
エルマーは派手に倒れた衝撃で一瞬息が詰まり、動きが止まってしまった。
その隙はケヴィンの前では致命的だった。
「ぐあああああっ!」
「うるさいですね」
ミスリルの装備とはいえ人間が使う防具である以上、可動部にはどうしても隙間がある。
ケヴィンの剣はその隙間に突き刺されていた。
ケヴィンは周りの怪我人が誰もエルマーを助けに来ないのを見て剣を収めた。
「とはいえその装備は厄介です。あまりスマートな方法じゃないですが、昔取った杵柄。最後にあなたに高階位の地獄というものをイヤと言う程思い知らせてあげますよ」
そう言うとケヴィンは倒れたエルマーに馬乗りになった。
「ホラホラ顔面をガードしないと大変ですよ」
「ブボッ! や・・・ 止め! ゴッ!」
「ダメダメ、喉ががら空きじゃないですか。それとも私に喉を絞めてもらいたいんですか?」
「カ・・・ハ・・・」
「おや、後頭部というのは人間の弱点なんですよ。そんなに無防備にされるとガツンといきたくなってしまいますよ」
「ひいいい・・・」
「ここまでやっても簡単には死ねない。高階位というのは厄介な物ですよね」
それから約十分程。エルマーは真綿で首を絞められるようにケヴィンにジワジワとなぶり殺しにされた。
エルマーが完全に動かなくなったのを確認したケヴィンは、立ち上がるとエルマーの頚椎に踵を振り下ろした。
ケヴィンは明後日の方向に捻じ曲がったエルマーの頭を確認すると、ようやく顔を上げたのだった。
エルマーの死体の周囲には男達の斬殺死体が転がっていた。
この場に立っているのは二人。
ケヴィンと彼の孫娘のアグネスである。
いつの間にかこの場にやって来た彼女が、周囲で怯えた様子で見守っていた怪我人達を瞬く間に殺して回ったのだ。
「また例の発作かね?」
「そう? お爺様の声を聞いたからやったのに」
「・・・お前に手を出せと命令した覚えは無いんだけどね」
穏やかな表情で話し合う二人。
辺りに転がる死体さえなければ、その様子はクランハウスにいる時と何ら変わりは無かった。
それだけに一層恐ろしさを感じる光景でもあった。
ケヴィンは懐から手ぬぐいを取り出すと、孫娘の顔に付いた返り血を拭った。
「あまり長居するとドルヒ&シルトの者に見られるかもしれません。今日の目的はもう果たしました。ダンジョンの最下層を脅かす者はもういません。お前も急いでここを離れて仲間と合流しなさい」
「あ! 待って! ハルトだわ! ハルトがいるわ!」
「? ハルトがどうかしたのかね?」
アグネスは突然ダンジョンの中を見渡して叫んだ。
「スゴイ! 今まで感じたことが無い程強い感じだわ! なんで今まで気が付かなかったのかしら? ハルトはすごい勢いでダンジョンの40階層を通過しているわ。このまま行くと直ぐに最下層に到達しそう。私、今から行って止めて来るわね!」
そう言うとアグネスは風のようにダンジョンの下り階段へと走り去って行った。
「何だ?! うぎゃああ!」
「お前は! うわあああ・・・グブッ」
「ギャアア!」
「もう! 邪魔しないで頂戴!」
「や・・・止め、ぐあっ!」
階段の下からクラン・ドルヒ&シルトの男達の悲鳴が響いた。
モンスターと戦っている最中に、無防備な背後から襲われたドルヒ&シルトの戦線は一気に崩壊した。
雪崩を打って押し掛けたモンスターによってドルヒ&シルトの生き残りはなすすべなく蹂躙されていくのだった。
ここにクラン・ドルヒ&シルトは完全に崩壊したのである。
だがケヴィンはアグネスの生み出した惨劇よりも、彼女が去り際に言った言葉の方に衝撃を受けていた。
「ハルトが40階層を・・・ やはりハルトは私と同じだったのか」
ケヴィンのその呟きはあまりに小さ過ぎて、階段の下から聞こえる悲鳴に容易くかき消されるのだった。