その17 暴走するダンジョン
◇◇◇◇◇◇◇◇
クラン・ドルヒ&シルトのリーダー・エルマーはかつてないほど上機嫌だった。
もう一人のリーダーであるエミールがボスマン商会から購入したミスリルの装備は、まるであつらえたように彼の体にフィットし、薄暗いダンジョンに煌々と白い光を放っている。
彼はチラチラと自分の装備を見下ろし、その度に満足げに悦に入っていた。
「どうだい兄弟、大枚はたいて手に入れたお宝の着け心地は」
「ああ、最高だ。まるで俺のためにあつらえたみたいにしっくり馴染んでいるぜ」
同様にミスリルの装備を身に着けたエミールがエルマーに問いかけた。
エミールはエルマーの満足げな返事を聞いて笑みを浮かべた。
アーティファクト製のミスリルの装備はグレードの高い物になると、自動的に装着者の体形に合わせて最適なサイズに整える仕組みになっている。
無論、魔法的な仕組みなのだが、どの種の魔法がどのように作用しているのか知る者はいない。
逆に言えば、この機能が付いているという事で、彼らの装備がかなり高いグレードの物であると分かる。
エルマーの表情が緩みっぱなしなのも仕方がないと言えるだろう。
彼らは今、100人近くの大人数でダンジョンの中を歩いていた。
ただならぬ大集団に、通路ですれ違ったダンジョン夫達が何事かと怯えた表情を浮かべた。
その様子を見て高笑いするドルヒ&シルトのメンバー達。
ちなみに100人全員がドルヒ&シルトのクランメンバーという訳では無い。半分ほどは協力関係にある傘下のチームだ。
なぜ彼らがこれほどの人数を必要としたのかと言うと、今日の目的が50階層の踏破であるからだ。
このシュミーデルのダンジョンの最下層となる50階層の踏破は、20年前にクラン・荒野の風のリーダー・ケヴィンが成し遂げて以来、現在に至るまで誰も達成していない。
エルマーとエミールはその偉業に挑戦するつもりだった。
そのために、ダンジョンの途中の階層にベースキャンプの設営、維持のための人手を多数必要としたのである。
「いいか、お前ら! さっきも言った通り、傘下のチームは40階層に向かう階段の手前でキャンプの設営だ! ドルヒ&シルトのメンツの仕事はその周囲のモンスターの討伐だ! 一匹たりともキャンプに近付けるんじゃねえぞ!」
「「「「「おう!!」」」」」
エルマーの激に、寄って来たモンスターを袋叩きにして息の根を止めていたメンバー達が大声で答えた。
「馬鹿野郎! そんなザコにいつまでも時間をかけてんじゃねえ! とっとと行軍に戻らねえか!」
「あ、いや、しかし、エミールさん、コイツらどこからかどんどん湧いて来やがって」
「ああん?」
さっき殺したモンスターの奥からまた別のモンスターが現れた。
いつの間にか彼らは取り囲まれていたらしい。それらモンスターの相手をしているうちに、彼らの隊列は少しずつ伸びつつあった。
「チッ! 人数を集め過ぎてモンスターに目を付けられたってのか?」
「構う事はねえ兄弟。ここで一気に蹴散らしちまおうぜ」
さっきから戦いたくてウズウズしていたエルマーが腰に佩いた剣を叩いて訴えた。
エルマー程ではないが、エミールも内心この装備で戦ってみたい気持ちは十二分にあった。
格好の口実を与えられたエミールは、大物ぶった余裕を浮かべながら勿体ぶった態度で頷いた。
「そうだな。ここらで一度体を温めておいてもいいだろう。よし、お前ら! ダンジョンの大掃除だ! 俺達に付いて来い!」
「「「おう!」」」
エルマーとエミールは剣を抜くと互いに別の方向へと走り出した。
彼らがモンスターの殺戮に酔いしれてからどれだけの時間が経っただろうか?
エミールはすっかり仲間からはぐれて、側近の2~3人だけを連れて通路の奥に入り込んでしまっていた。
エミールは虎のような姿をしたモンスターの死体から、突き立てていた白銀の剣を抜いた。
「おい、ここはどの辺だ?」
「あ、いや、大分走り回ったもんで・・・」
「チッ。使えねえ」
頼りない返事を返す側近に、エミールは舌打ちを返した。
リーダーに睨まれて小さくなる男達。
自分の猪突猛進が原因で道に迷ったくせに、エミールは顔を歪めると不満げに愚痴をこぼした。
しかしいつまでもこの場で文句を言っていても仕方が無い。
さてどうするか、とエミールが剣を肩に担いだ時、仲間の一人が何かに気が付いた様子で振り返った。
「あっ! あそこに誰かいますぜ。俺がちょっと行って場所を聞いて来ますよ。・・・おおい、そこのヤツ! あれ? あんたダンジョン警察の――」
男は人影に向かって走り出し――声をかけた所で袈裟懸けにバッサリ切られた。
「えっ?」
一瞬何が起こったのか分からずに目を見張る男達。そんな彼らの目の前で、仲間はバタリと地面に倒れた。
仲間は体からダラダラと大量の血を流しながらピクリとも動かない。
どうやら袈裟懸けの一撃で即死したようだ。
男の血の付いた抜き身の剣を手にした人影は、そのままゆっくりと彼らに近づいて来た。
それは彼らの良く知る人物だった。
「なっ! テメエはアグネス! これは一体どういうつもりだ!」
そう、返り血を浴びて立っているのは青い髪の切れ長の目の女――クラン・荒野の風のリーダー・ケヴィンの孫娘アグネスだった。
「あっ」
男の漏らした最後の言葉である。
疾風のように飛び込んだアグネスは、瞬く間に二人の男を葬り去っていたのだ。
自ら流した血だまりの中に倒れ伏す男達。
一人残されたエミールは青ざめた顔で驚愕の表情を浮かべた。
「こ・・・この手口! テメエがまさか”辻斬り”なのか?!」
アグネスはその言葉には答えず、静かに血塗られた剣を構えた。
ガキン!
アグネスが無言で振った剣はエミールの装備にはじかれた。
エミールにはアグネスの剣戟が見えなかった。
「むっ」
「痛えっ!」
剣を持つ手に痺れがきたのか、初めて声をもらすアグネス。
エミールは衝撃に尻餅をついたものの、命に別状は無かったようだ。
彼自慢のミスリルの装備は攻撃を受けた箇所が大きくへこんでいた。
切られはしなかったものの骨でも折ったのか、傷口から激しい痛みが襲い、エミールの表情は大きく歪んだ。額には脂汗が浮かんでいる。
アグネスは手に持った剣をチラリと確認した。
大きく刃が欠けてくの字に曲がっている。これではもう剣としては使い物にならないだろう。
エミールの装備を切断こそ出来なかったものの、一撃でここまで剣にダメージを負わせるとは驚くべき膂力である。
彼女は己の剣を投げ捨てると、手近な死体の腰から剣を抜いた。
アグネスは二度ほど剣を振ってバランスを確認すると、再びエミールへと向き直った。
「ひえええっ! く・・・来るな!!」
「エミールさん?! 何ですか今の声、一体何があったんですか?!」
エミールの叫び声が届いたのか、通路の奥から駆け足の音が近付いて来た。どうやらすぐ近くにドルヒ&シルトの仲間がいたようだ。
アグネスはくるりと身をひるがえすと足音の方へと走った。
「何だお前は! あ? ダンジョン警察? ぐっ・・・」
くぐもった声と、ドサドサと重い物が三つ倒れる音。そして静寂。
やがて血塗られた剣を手に殺人鬼が戻って来た時、通路にはすでにエミールの姿は無かった。
◇◇◇◇◇◇◇◇
ダンジョンの5階層にあるダンジョン内商会。
今ここには多くの駆け出しダンジョン夫達が避難していた。
どんな恐ろしい目にあったのか、全員一様に真っ青な顔をして目もぼんやりとうつろだ。
「じゃあコイツらの事は任せたぞ。私達は周囲の様子を探りながら逃げ遅れたヤツがいればここに誘導して来る。何人かは残るから何かあれば彼らを頼ってくれ」
「かしこまりました。お気を付けて」
こんな緊迫した場には不釣り合いなほど慇懃な店員と話しているのは、頭にウサギ耳の生えた小柄な少女。
ダンジョン警察のティルシアである。
ティルシアが男の悲鳴を聞いて駆け付けた時、今まさに二人の駆け出しダンジョン夫が樹脂ゴーレムに襲われようとしていた所だった。
「樹脂ゴーレム?! どうしてこんな階層に?!」
驚いて動きが止まったのは一瞬だった。すぐにティルシアは飛び出すと、ゴーレムの足に背後から切り付けた。
丁度体重をかけた足を薙ぎ払われ、バランスを崩して転倒するゴーレム。
樹脂ゴーレムは駆け出しダンジョン夫にとっては絶望するしかない強敵だが、ティルシアほどの手練れにとっては敵では無かった。
ティルシアはすかさず樹脂ゴーレムの弱点である目の奥に剣を突き立て、止めを刺したのだった。
幸い倒れていた男も命に別状は無かった。
いずこかに走り去ったアグネスの行方が気にはなるものの、彼らをこの場に残して行く訳にはいかない。
ティルシアは無事な方の男に負傷者を背負わせると、彼らを連れて一旦ダンジョン内商会を目指す事にした。
その道中でティルシアはさらに何人ものダンジョン夫達を助ける事になった。
どうやら樹脂ゴーレム以外にも、ダンジョンの奥の階層のモンスターが浅い階層に出現しているようだ。
幸いな事にこの階層にはティルシアでは対処出来ない程の強敵はいなかった。
ティルシアは途中で合流した他のダンジョン警察のメンバー達と一緒に彼らを守って、先程ようやくダンジョン内商会にたどり着いた所だった。
「それでは誰もアグネスを見ていないんだな?」
「ああ。さっきダンジョン夫達にも聞いたが、お嬢を見たヤツは誰もいなかった」
ティルシアは唸り声を上げた。
こんな時にアグネスはどこに行ったんだ?
幼い頃から傭兵チームの一員として紛争地帯を渡り歩いていたティルシアは、負け戦の時に感じるあのイヤな空気をヒシヒシと感じていた。
とにかく、このままアグネスを放置していてはマズイ。
ティルシアはそんな予感に強く駆り立てられた。
もちろんただのカンに過ぎない。
だがかつて多くの危険から彼女の命を救ってくれたのはこの直感だ。
ティルシアは今回も己の直感に従ってアグネスを捜しに行くつもりでいた。
しかし彼女は足を止めざるを得なかった。
彼女の前に仲間のダンジョン警察達が立ちふさがったからだ。
「待ってくれ。俺達はどうすればいい?」
「・・・なぜそれを私に聞くんだ?」
男はチラリと仲間を振り返った。誰もが不安そうな表情を隠せないでいた。
まるでそこらに座り込んでいるダンジョン夫と同じような・・・
そこまで考えてティルシアはハッと思い当たった。
何の事は無い。ダンジョン警察だのなんだのと言っても、彼らも極普通のダンジョン夫に過ぎないのだ。
町の人間よりはモンスターとの戦闘で場数は踏んでいても、命を張った戦いを常に繰り返して来た訳じゃない。
見知った職場で突然の理不尽に見舞われ、何をしていいのかすら分からずに不安に怯えているのだ。
ハルトがいれば「ダンジョン夫はゲームで言えば”効率厨”だからな。初見殺しやイレギュラーには弱いんだ」とでも言ったかもしれない。
「この中ではあんたが一番落ち着いているように見えるからだ。それにあんたはボスマン商会の人間だ。俺達に指示を出す資格もある」
「――分かった。アグネスが見つかるまで一旦この場は私が預かる。全員それでいいな?」
ティルシアの言葉に頷くダンジョン警察達。
これでは私はこの場から動けそうにないな。
戦闘中に指揮官の居場所が分からなくなっては、組織として戦えない。
ティルシアはため息をつきたい気持ちをこらえて、各々に仕事を割り振っていくのだった。