その7 借りと貸し
「ご主人様?」
ティルシアの声に俺は振り返った。
俺とティルシアの間にティルシアの主人、マルティンが立ちふさがっていた。
その細い糸目は俺を真っすぐに見つめている。
良くない雰囲気だ。
ティルシアは戸惑っている様子だ。
「何だ?」
「さっき、あの時の借りを返しに来た、と言いましたよね?」
「言ったがどうした?」
俺は素っ気なく答えるが、内心では焦りを覚えている。
マルティンのスキルは「交渉術」だ、会話を続けるだけでこちらが不利になる可能性が高い。
口車に乗せられて、どう相手の思惑通りに転がされるか知れたもんじゃない。
「僕は貸しだとは思っていませんでしたが、あなたがそう思っていたなら今回のことで十分返していただきました。あなたと僕は今、貸し借り無しの対等な関係です。」
? コイツ何が言いたいんだ?
「そして自分で言うのもなんですが、僕の父は結構な大手商会の商会主です。僕自身も商会では重要な立場についています。僕に貸しを作りたくはないですか?」
ここで一度言葉を切ると、マルティンはその糸目を薄く見開きこう言った。
「同郷のよしみじゃないですか。」
クソがっ!
やはりコイツ、俺のステータスが見えてやがる!
俺が違う世界からの転移者であることを知っているのがその証拠だ!
昔、俺がマルティンに借りを作った時のことだ。俺が使った”識別のスクロール”がたまたまコイツのステータスを拾った事があった。
◇◇◇◇◇◇◇◇
名前:マルティン・ボスマン(転生前:鳥羽優斗)
種族:人族・男 年齢:15歳(転生前:28歳)
階位2
スキル:交渉術 鑑定
◇◇◇◇◇◇◇◇
マルティンは日本人の転生者だ!
しかも転生モノの小説ではチート中のクソチート、最強チート「鑑定」持ちだ!
恐らくマルティンは、生まれた時に「鑑定」スキルを持って生まれて来たのだろう。
スキルは一人一つだけだが、極まれに二つ目を持つ者もいる。
そういった人間の場合、大抵は生まれた時に先天的にスキルを持っていて、後天的に生えたスキルと合わせて二つになるのだ。
異世界転生の恩恵か、ただ単にたまたまだったのか、マルティンはチートスキルを持って生まれてきたのだ。
鑑定のスキルがどこまでの情報を読み取れるのかは分からない。
だが、識別のスクロールが読み取る情報程度は読み取ることができる、と考えておいた方が良いだろう。
俺はこの世界でハルトとだけしか名乗ったことはない、俺が青木晴斗であると知っていなければ同郷のよしみなどという言葉は使わないはずだ。
マルティンには俺の今の階位と、スキルも知られたに違いない。
元日本人の転生者なら、俺のスキル名と今の階位から、俺のスキルの能力に大体想像がつくだろう。
下手をすれば全身の装備の価値も知られた可能性もある。
クソっ! どうすりゃいい?!
マルティンも消すか?!
・・・いや、それじゃ何をしにここまで来たのか訳が分からない。
そもそも俺はマルティンの鑑定のことを知った上でここまで来たんだ。
だからこうなる覚悟もしていなかったわけじゃない。だが、その中でもこれは最悪の状況だ。
「どうですか? 僕の借りはお得だと思いますよ?」
おそらくマルティンは、俺が今ティルシアを殺そうとしていることに気が付いている。
だから「この場は借りてやるから見逃せ」と、そう言っているんだ。
俺は素早くメリットとデメリットを考えた。
デメリットは言うまでもなく、俺の秘密がバレる事だ。
しかし、すでにマルティンは、鑑定によってティルシア以上の情報を知っているだろう。こうなった以上、ティルシアだけ口封じする理由はあまりないのかもしれない。
いや、むしろティルシアを殺した場合、俺に対する恨みだけが残るはずだ。
・・・その辺は強引にどうにかするつもりだったが、全くしこりが残らないということはないだろうな。
メリットとしては、これからこの町に進出してくる大手商会にパイプが出来るという事だ。
この町は昔からデ・ベール商会というクソ商会にドップリ侵されている。それに対抗できる商会の力が借りられる点は十分に魅力的だ。
実際、今ティルシアが着ている防具も、デ・ベール商会に目をつけられないように死蔵していたものだ。
このクラスのアイテムをボスマン商会にはけるようになるのなら、正直言ってかなり有難い。
問題はマルティンが信用できるかどうかだ。
例え元日本人でも、今ではこっちの世界の親から生まれたこっちの世界に根を張った人間だ。
やはり根本的には信用することはできない。
どうする?
「分かった。貸しといてやる。」
結局俺は折れた。
マルティンを殺す選択を選ぶつもりがない以上、ティルシアの口封じにのみこだわるのは意味がないからだ。
マルティンの事はやはり信用できない。
だが今のところマルティンが俺を利用しようとしても、この町にはボスマン商会の敵デ・ベール商会がいる。
そんな中、俺まで敵に回し、本来の敵に足を掬われるようなハメになることはしないだろう。
それにボスマン商会は揉める相手にするにはデカすぎる。
マルティンは大きく息を吐き、心底ほっとしたような表情を浮かべた。
大袈裟なヤツだ。そんなにティルシアのことが心配だったのか? さっき助けられた時の対応はあんなにあっさりしてたのに。
ティルシアは訳が分からずきょとんとしている。
ダンジョン内には似つかわしくない、歳相応のあどけない顔だった。
俺達は中層へ続く階段で休憩を取ることにした。
正直さっきから腹が減って仕方がない。
白い亡霊共をしこたま倒したんだから当然か。
俺は飲み込むように保存食を貪り食った。
マルティンはあまり食が進まないようだ。
俺がくれてやった保存食を手にしてはいるが、たいして減っていない。
空腹より保存食のマズさが上回っているようだ。
「味の良い保存食を作れば需要がありそうですね。」
ティルシアが真顔で頷いている。
お前ら折角分けてやったのに失礼だな。
だが、本当に作ってくれるならそれはそれで非常に有難い。
だから文句は言わないでおいてやることにした。
「そこに誰かいるのか?!」
その時、突然中層の方から俺達を誰何する声がした。
そこにいたのはダンジョンに入ってきていた駐留兵達だ。
ざっと見たところ10人ほどの人数だ。
残りはマルティンと入れ違いになった時を考え、各階層の階段に配備されているのかもしれない。
奥には例のいけ好かない指揮官もいる。
案外早くたどり着いたな。コイツは思ったよりも結構優秀なのかもしれない。
次回「指揮官の男」