その9 市場でデート
最近ダンジョンの中が騒がしい。
原因はクラン・ドルヒ&シルト。数日前に辻斬りに仲間を殺されたあのクランである。
彼らは全く進展しない捜査活動に嫌気が差し、あちこちで他のクランのダンジョン夫に八つ当たりを繰り返していたのだ。
自分達で出来ないのなら荒野の風のダンジョン警察に任せてしまえばいいのに、メンツが邪魔して今更頼れないのだろう。
全く馬鹿なヤツらだ。一体何がやりたいんだか。まあいかにもダンジョン夫らしい話ではあるが。
そんな被害者の声がクラン荒野の風のダンジョン警察に集まり、今、ダンジョンの中ではダンジョン警察とドルヒ&シルトとがぶつかる事が増えていた。
こうしてクラン・荒野の風とクラン・ドルヒ&シルトの間にはジワジワと亀裂が入りつつあった。
俺は厨房の後片付けを終えるとフキンをタオルハンガーに掛けた。
「終わったぞ」
「ご苦労様。夕食もよろしくね」
俺の言葉に恰幅の良いおばちゃん――料理長が愛想よく答えた。
彼女はこれからリーダーのケヴィンの部屋まで報告に向かうそうだ。
逆に俺は夕食の仕込みが始まるまでは自由時間だ。さて今日はどうするか。
シャルロッテがいればダンジョンに香辛料を採りに行く所なんだが・・・
「あ、ハルト。良ければ調味料の買い足しを頼めないかね。いつも仕入れを任せている店の者が今日は来られないそうなんだよ」
クランの食事に使う食材を、直接店まで買いに行く事はない。
なにせ100人を超える人数の食事だ。材料だけでもかなりの量になる。
そこでいつもは出入りの店に注文だけして、商品は荷車で運んで貰う事になっているのだ。
調味料の買い出しか。たまには市場に顔を出すのもいいか。
俺は料理長の頼みを引き受けると、必要な調味料のメモを取った。
ああ、ちなみに俺も最近は簡単な単語くらいは読み書きが出来るようになっている。
ティルシアがシャルロッテに教えているのを横で見ているうちに覚えたのだ。
元々会話は出来ていたわけだしな。簡単な単語とはいえ、覚えてしまえばそう複雑な物でも無かったよ。
まさか覚えたばかりの読み書きがこんな場面で役に立つとは思ってもいなかった。世の中何が役立つか分からないものだ。
「ふうん。調味料というのは色々な種類があるのね」
俺の隣で、買い物メモを見ながら変な感心の仕方をしているのは、青色の髪の切れ長の目の女。
クランリーダー・ケヴィンの孫娘・アグネスだ。
何故俺が彼女と一緒に歩いているのかというと、俺がメモを手に外に出ようとしていた所に、偶然彼女と出くわしたからだ。
俺から事情を聞いたアグネスは何故か俺の買い出しに興味を持ち、自分も一緒に行くと言い出したのだ。
「忙しいんじゃないのか? あんたはリーダー代理みたいなもんだろう?」
「確かにそうだけど、私にだって自由に出来る時間くらいはあるわ」
それもそうか。ケヴィンだって、若い孫娘に度を越した仕事量を押し付けたりはしないのだろう。
「まあ俺は構わないが、市場に行くだけだぞ?」
「もちろんそれでいいわ。楽しみね」
他所の町から来た俺ならともかく、この町で生まれ育ったアグネスは何が楽しみなんだか。
その時俺は不思議に思っただけだったが、アグネスは言葉通り市場に行くのを楽しみにしていたのだ。
こうして俺は思わぬ同行者を連れて、町の市場へと出かける事になったのだった。
市場へと近付くにつれ、アグネスは目に見えて落ち着きが無くなっていった。
彼女の興奮は遠くに市場のテントが見えて来た時にピークに達した。
「ここが市場なのね! 初めて来たわ!」
アグネスの言葉に俺は目をむいて驚いた。
この町に住んでいて町の市場に来た事がないだって?! そんなヤツいるのかよ?
「私はずっとクランハウスとダンジョンの間を行き来していただけだったから」
アグネスの言葉は信じられないものだった。
いや、それにしたって――
「それにしたって子供の頃くらい町の中で遊び回っていただろうに」
「・・・そうかもしれないけど、今ではもう覚えていないわ。だって子供の頃の話ですもの」
いや、だからって・・・ まあアグネスはクランリーダーの孫娘だ。物心ついた頃には遊ぶ時間も無いくらいに、厳しく躾けられていたのかもしれない。
ならあまりこの話題は掘り下げない方がいいかもしれないな。
「だったら今日は見所がたくさんだな」
俺の言葉に今度はアグネスの方が驚きの表情を浮かべた。
「きっとそうね。あなたの言う通りだわ」
そう言うとアグネスは、少しだけ笑みを浮かべた。
そうしてもう待ちきれなくなったのか足を速めるのだった。
勘弁してくれ。俺は階位1のザコなんだぞ。
「ハルト、あれは何かしら?」
「あれは乾物屋だ。干した野菜や豆、果物を売っている」
「野菜?! あんな風に干からびていて食べられるの?!」
アグネスは驚く程世間知らずだった。
箱入り娘にもほどがあるだろう。
彼女はあちこち出店を見て回っては分からない事を俺に尋ねて来た。
「そのまま食べたりはしない。一度水で戻すんだ。俺の作るスープにも具材として入っているぞ」
「どうして一度干したものをまた水で戻すの?」
「基本的には保存用にそうしているんだが、物によっては干される事でうま味が増したりもするんだ」
干しシイタケなんかがそうだ。シイタケは日に当てて干す事でうま味(* グアニル酸。ほぼ干しシイタケにしか含まれないうま味成分)が増すのだ。
俺のうろ覚えの説明を感心しながら聞くアグネス。
というか、彼女は素直過ぎて逆に俺の方が不安になる程だ。
大手クランのリーダーの孫娘ともなれば、日本で言えば社長の孫娘にあたるのか?
そう考えれば箱入り娘で世間知らずでも仕方が無いのかもしれない。
「あれは何かしら? ほら、あの窓のたくさんある建物」
「・・・市場から外れたみたいだ。少し戻ろうか」
とはいえ娼館すら分からないのはどうかと思うぞ?
いやまあ誰がリーダーの孫娘の前でそんな話題をするのかって話だが。
俺はしつこく先に進もうとするアグネスの背中を全力で押して市場へと戻った。
こうして俺は思っていたよりも手間のかかるアグネスに若干辟易しながらも、料理長に頼まれていた買い物を続けた。
「私が持つわ。色々と案内してくれたお礼よ」
調味料とはいえこの数ともなると結構な重さになる。
俺はダンジョンの外では階位1のザコでしかない。正直アグネスの提案はありがたかった。
連れの女性に荷物を持ってもらってホッとする俺を見て、店の親父が呆れたような顔をしていたのが気になったが。
「今の店で買い物は全部終わったのかしら?」
「ああそうだな。あ、少し待ってくれ」
買い物メモを見ているアグネスを足止めすると、俺は近くの出店に立ち寄った。
「これは?」
「市場で買い物といえばやっぱり買い食いだろう。煎り豆だけど苦手じゃないよな?」
アグネスは俺に煎り豆を差し出されて困惑している様子だ。
紙に包まれた煎り豆はまだほんのりと温かい。
俺は一つまみ取ると、口の中に放り込んだ。
鼻を抜ける豆の香ばしい風味と舌にピリリとくる塩気が、散々歩いた後の体に何とも言えない満足感を与えた。
うん。美味い。
俺はさらに一つまみ口に入れながら再びアグネスに勧めた。
アグネスは俺に促されるままに一口食べた。
「どうだ? 美味いだろう。この煎り豆はティルシアも好物なんだ」
「ふうん、そう。あ、ごめんね」
アグネスは申し訳なさそうに言った。
「実は私、料理の味とか良く分からないの。だからこれも見た目で豆を煎ったものだという事は分かるけど、美味しいかどうかまでは分からないのよ」
俺はアグネスの言葉に驚いてしまった。
俺は慌ててアグネスに謝った。
「そ、それは余計な事をした。そんなつもりじゃなかったんだ。喜んでもらおうと思っただけなんだ」
「そうなんだ。ううん、ハルトの気持ちはうれしいわ。私の方こそごめんね。ハルトの作るスープは美味しいってみんな言っているもの。そのハルトが勧めるくらいなんだから、この煎り豆だって本当はきっと美味しいのよね」
アグネスはそう言うと、寂しそうな表情を浮かべた。
味が分からないのか・・・ そいつはキツイな。
体質の問題なのか、俺のようにスキルの代償なのか。
だがこれ以上他人が無遠慮に踏み込んでいい話題じゃないのは確かだ。
彼女の表情は俺の目に焼き付いていつまでも離れなかった。




